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妻の死


 幸せというのは簡単に失うものらしい。


 いつもよりも寒い冬だった。

 王都に流行った悪質の風邪にかかり、妻が亡くなった。


 とにかく俺は例年以上に仕事が忙しかった。


 宰相補佐という立場上、集まってきた書類を裁いている。もちろん裁くだけでなく、内容の精査を行い、さらには裏付けも取る。そこまでして初めて宰相へと提出できる。


 宰相補佐は一人ではないのだが、とにかく病の猛威で通常の倍以上の仕事だった。事態を重く見た国が病気の広がりを抑え込むために特例を発動したのだ。特に治療薬の手配と医師の調整、さらには看病するための人員の確保と、色々とやることが多い。


 それだけではない。元々人手不足だった文官は不摂生をしている人間が多く、あっという間に流行り病にかかってしまったのだ。半分になった文官たちは予防薬を飲みながら、とにかく目の前に積まれる仕事を片付けた。


 そのおかげで今年はロバーツ領地の面倒が見切れず、ジョディ一人が切り盛りをすることになった。緊急事態の時にはジョディ一人でも管理できるようにはなっていたが、今回は通常管理の他にも病気の対策もある。

 目が回るほど忙しいだろうと、自分自身も目を回しながらジョディを案じた。


 あと少しで、というところで屋敷からジョディが倒れたと連絡が入った。周囲に仕事を押しつけ、慌てて屋敷に変えるとジョディは高熱で寝込んでいた。


「流行り病か……!」


 その症状はよく見て知っていた。家令に思わず詰め寄る。


「ジョディは何故予防薬を飲んでいないんだ!」

「エル」


 弱弱しい声で俺の名を呼んだ。慌てて枕元によれば、彼女はうっすらと目を開けた。高熱のため顔はやつれ、顔色は悪い。それなのに、頬は上気している。


「ごめんなさい。飲んだのが遅かったようなの」

「ジョディ」


 どこか諦めたような顔をしている。それが嫌で俺は頭を掻きむしった。


「お願いだ。俺を置いて一人にしないでくれ」

「いつだって側にいるわ。ねえ、ジュリエットのこと、お願い……。あの子が泣いているわ」


 ジョディは俺の顔を縋るように見つめていたが、力尽きたかのように目を閉じた。


******


 俺の気持ちがこれほど沈んでいるというのに、外は晴れていた。最愛のジョディを失った俺は腑抜けたようにぼうっと棺を見ていた。綺麗に整えられたジョディの周りには沢山の花が置かれている。


 熱を失った彼女は人形のようだ。信じられなくて、そっと彼女の頬に触れてみる。ヒヤリとした肌に俺は項垂れた。


 色々な人が慰めの言葉をかけていくが、どうでもよかった。ただただジョディの側に行くにはどうしたらいいのかを考えていた。


 視線を逸らすことなく眠るジョディの側にいれば、上着が遠慮がちに引っ張られる。


「お父さま、どうしてお母さまは起きてこないの?」


 5歳になったばかりのジュリエットは今の状況が理解できていないのか、そんなことを言ってくる。俺ははっとしてジュリエットを見つめた。ジョディが亡くなってから、ジュリエットのことを忘れていた。


 ジョディの言葉が思い出される。


 縋りつくように首に抱き着いてきた娘を抱きしめた。


「すまない。お父さまがもっとお母さまを気を付けていたら……!」


 ジュリエットの小さな体をさらに強く抱きしめる。彼女もさらに腕に力を入れた。やや首が絞まっていそうな気もしなくもないが、それだけ俺から離れたくないという意思表示だろう。宥める様に、優しく頭を撫でてやる。


「お父さま。代わりのお母さまはいらない。いい子にするから、わたしのお母さまは一人だけにしてほしいの」

「わかっているよ。でもどうしてそんな発想をしたんだい?」


 最愛の葬儀の時に「代わりのお母さま」などと言い出した理由が知りたかった。悲しみに沈んでいる父子の頭に次の母親などと考える余地はない。しかも彼女はとても愛情あふれる母親だった。忘れたいと思うわけがない。


 ジュリエットは俺の首に巻き付けていた腕を緩め、顔を上げた。娘の綺麗な緑の瞳が悲しみと戸惑いで曇っていた。安心させるように無理に笑って見せる。ジュリエットは唇を噛みしめた後、声を震わせて教えてくれた。


「親戚のおばさまたちがわたしが小さいから、新しいお母さまが必要だろうって。わたしのお母さまは一人だけよ!」


 ジュリエットは悲痛な声でそう訴えた。俺はジュリエットをぎゅっと強く抱きしめた。


「心配はいらない。新しい母さまなど作るつもりはない」

「わがまま言って、ごめんなさい。でも、お母さまを忘れたくない」

「いいんだよ。お前は何も心配しなくて。ジュリエット、その話はどこのおばさんが言っていたか、わかるかい?」


 優しく問えば、ジュリエットは迷った末に一つの集団へちらりと目を向けた。そちらを見て、嫌な気持ちがもたげてくる。親戚とは名ばかりの遠縁で、年中金の無心にやってくる奴らだ。冷たくあしらう妻のことを嫌い、嫌味をよく言ってきていた。その集団の中に、妻と同じぐらいの年齢の女性がいるのを見て、苦い思いが胸に広がった。


 最愛の妻の葬儀で、ロバーツ侯爵家の妻にしたい女を連れてくるなど頭がどうかしている。

 自分たちの行動がどのように見られているのか判断できないのだろう。


 下世話なことを言う人間は必要ない。今まではジョディが放っておけばいいと言っていたから何もしなかったが、これからそうはいかない。何かとジュリエットに接触をしようとしてくるはずだ。それだけならまだしも、ジョディのことも辱めるに違いない。


 娘を抱きしめながら、どう排除するか算段をし始める。


「お兄さま」


 二人で慰め合うように抱きしめ合っていたら、遠慮したような小さな声がかけられた。ジュリエットを抱き上げて、妹のカトレアに顔を向ける。カトレアは数年前に嫁ぎ、今ではミルトン伯爵夫人だ。夫に愛され、社交界でも渡り歩いてきた自信からか、カトレアは独身時代よりも頼もしい。


「どうするの、あれ?」


 ちらりとゴミのような親戚を見て、俺の気持ちを問う。カトレアは前々から排除するようにと口を酸っぱくして言っていた。


「いらないな。手伝ってもらってもいいか?」

「ふふ。もちろんよ」

「やる気だな?」

「葬儀の時ぐらい口をつぐんでいたらまだ見逃したけどね」


 よほど腹に据えかねたようなことを言われたのか。

 妹の眼差しが冷たく光った。


 出来のいい妹は、俺の手を煩わせることなくゴミの処分を行った。結果だけを知らせる手紙を受け取って、顔が引きつった。


 我が妹ながら恐ろしい。

 よほど前から準備していたに違いない。

 敵には回したくないな、とつい零した。




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