男親の悲哀
世界が真っ暗になるというのはこういう事なんだろうな。
ジョディを失った時の絶望とはまた違う。
あの時は息ができないほど苦しくて、早く彼女に会いに行こうと思っていた。
だけどこの世に引き留めた小さな手が俺にとっては生きる理由になった。
大切に育ててきたつもりだ。
忙しくても愛情を注いできたつもりだ。
なのにどうしてこんなにも早くあの子を独り立ちさせなくてはいけないのか。
いつまでも子供でいてほしいのは親ばかり。
あとほんの少し……。
それも許されないなど、神はどこにもいないのか――。
俺の心がどれほどの虚しさで埋まっているのか見るがいい。
ああ、神よ。
少しでも哀れと思うのなら……。
「……閣下。気持ちはわかりますが、職場で下手くそなポエムを詠むのはやめてください。やる気が削がれます」
「これは俺の心の声だ。上手い下手ではないんだ。好きなだけ詠ませてくれ」
ぼんやりと外を眺めていたが、ベイリーの言葉に振り返った。ベイリーは笑いをこらえているのか、口元が変に歪んでいる。じろりとベイリーを睨みつけた。
「……笑いたければ笑うがいい」
「いえいえ。閣下に文学的な才能があるとは思っていませんから、笑いませんよ。ただポエムに浸りたいのなら、今日ぐらい休んでも問題ありません」
「休みたかったさ。だけどな、一日中ジュリエットの惚気話を聞くのは辛すぎる……」
俺は力なく項垂れた。
ジュリエットは自分の恋心を俺に告白したことで気持ちが楽になってしまったようで、あの衝撃的な夜の翌日からずっとウィリアム・フローレスのことばかり話すようになった。
朝のお茶を飲んでいれば、ウィル様の好きなお茶は何かしらから始まって、今流行りのお茶の話を経由して、今度お茶に誘っても図々しい女とは思われないかしら、なんて可愛らしく聞いてくる。
ウィリアム・フローレスなんてどうでもいいが、ジュリエットが誘って図々しいと思われることはないだろうと肯定するしかない。ジュリエットの前で奴を貶すわけにはいかないからな。俺の意図としては、ジュリエットはずうずうしくない、を肯定しているのだが、ジュリエットの捉え方は違う。
お父さまにお茶に誘うことを認めてもらった、と受け取るのだ。そして俺はそれを否定できずに、許可を出した形になる。
こればかりじゃない。
その後も似たようなことが続いた。
お父さまの使っているペン、素敵ね、と言われれば悪い気はしない。このペンはジョディが贈ってくれた大切なペンだ。時折補修をしながら大切に使っている。それを娘に褒められたのだ。気分もよくなる。
ついついジョディからの贈り物だと話してしまった。いつまでも大切に使っていることが気恥ずかしくて黙っていたのだが、ジュリエットは非常に喜んだ。そして付け加えるのだ。
わたしもずっと使ってもらえる素敵なペンをウィル様に贈りたいわ。お母さまのように素敵なペンを選ぶことができるかしら?
そう聞かれたらお前はお母さまによく似ているから心配いらないと言うしかないだろう。
もちろんジュリエットは拡大解釈する。
お母さまが購入したお店でペンを選んでウィル様に贈ってみるわね。
嬉しそうに頬を染める娘に駄目だとは言えない。
正直に言おう。
ジュリエットにはかなわない。
だから俺は屋敷から逃げることにしたのだ。これ以上、敵に塩を送りたくないというだけの理由で。
ああ、辛すぎる。娘とはずっと一緒にいたいのに、ずっと一緒にいると俺の色々なものが容赦なく破壊される。どこか一人で旅に出たい気分だ。
「今まで意地悪するからじゃないですか? それってジュリエット嬢というよりもミルトン伯爵夫人の知恵が入っていますよ」
「カトレアの?」
言われてはっと気がついた。そうだ、ジュリエットは成人を2か月後に控えている。社交界に馴染みやすいようにと、精力的に茶会や王城の催し物に参加していた。カトレアと共に。
カトレアのどこか含みのある笑みが思い浮かぶ。
「く、そうだったのか!」
「気がつくのが遅いです。ですが、ミルトン伯爵夫人には閣下も勝てないですからね、早めに気がついたところで何かができたとは思えませんが」
「そうだった……」
正論で返されて、がっくりと肩を落とす。
社交界で一大勢力を持つカトレアに俺が敵うわけがない。政治が絡めばカトレアよりも影響力が高いかもしれないが、言葉遊びというのか、失態を引き出す手口は女性の方が強い。
「ところで、仕事、やってもらっていいですか? こちらの書類、至急なんで」
そう言ってベイリーは小さな書類の山を俺の目の前に積んだ。
「最近、至急が多くないか?」
「そりゃあ、閣下が魂抜けている時間が多いですからね。下の奴らも雰囲気を察してだらけますよ」
なんということだ。
俺一人の感情の揺らぎで仕事がだらけるとは。
俺は八つ当たりも込めて、各部署に引き締めを行うことにした。
不備のある書類の多い部署から自ら乗り込んでいく。不備の山を片手に、とある部署の扉を開け放てば。
一瞬の静寂の後、野太い悲鳴が響き渡った。
慌てているせいなのか、誰かが書類の山を崩した。部屋の中に書類が乱舞する。
「うおおおおお。何故、宰相閣下がここに!?」
「抜き打ちチェックだ。適当な仕事をしやがって。特別手当を凍結する」
「ひいいい、ほんの出来心でしてお許しを~」
「問答無用だ。平伏しても無駄だ! ははははは」
俺は鬱憤を晴らすようにして各部署に殴り込みに行った。
ああ、罪を犯した奴らの悲鳴を聞くだけで気分が清々しくなる。半分以上の部署に殴り込みをかけて、俺はようやく気持ちにゆとりができてきた。
そうだ、ジュリエットがどんなに頑張ろうとまだフローレス伯爵家からは婚約の申し入れはない。二人がどんなに思い合っていたとしても、貴族の結婚など家同士の問題である。
フローレス伯爵家が我が家に申し入れないのは、中立派だとわかっているのもあるだろう。
ジュリエットとどうしても結婚したければ、ジュリエットが我がロバーツ侯爵家から出るか、ウィリアム・フローレスが伯爵家を出るかどちらかだ。
どちらにしろ、どちらかが家を捨てるとなると結婚させるメリットはほとんどなくなる。メリットがなければ、結婚など考えない。
とはいえ、まったく手がないわけではない。お互いにメリットのあるようにもっていくこともできる。
ウィリアム・フローレスの覚悟と手腕が問われる。もちろんジュリエットもだ。
その唯一の方法に気がつき、自分たちの方へ引き寄せることができるだろうか。
俺は二人を邪魔をしたくなる気持ちを押さえつけて傍観することに決めた。




