華麗なる大円舞曲
8.
アンネ・リヴェラは、ディエゴの連れていたもうひとりに、違和感を感じていた。それは選ばれしポリシアだけがもちうる第六感と言っても過言ではない。あの身体の小さなもうひとりは、ボコとよく似たキャップを被っていた。そしてボコ。聞くところによれば、彼はスラムの有名人らしい。背の低いあのもうひとりをスラムで見たなら、人々はあれをボコだと認識するのではなかろうか。彼……否、彼女はボコに成り済ましていたのではなかろうか。その思いに至った彼女は、ディエゴたちの跡をつけていた。勿論そこに下心なぞ、在るはずが無い。
「べ、別にディエゴさんの跡をつけて、家を覚えようとか全然そんなつもりじゃないからね! あたしは何か事件の匂いがすると思っただけ」
まるで白けた空気の片棒を担ぐように、小声で発した独り言に、虚しさは増して行く。途中ディエゴたち一行は二手に分かれる。ボコと背の低いもうひとりはメインストリートの方に向かい、ディエゴは単身別の道を行く。リヴェラは迷うことなくディエゴの方を追跡した。これは間違いない。やはり彼女はただのストーカーであった。
幾らか歩くと月は見えなくなり、小粒の雨が降り出す。目前を歩むディエゴは、次第に縺れるようふらつき出し、仕舞いには、雨に濡れた石畳の上で倒れてしまう。
「ディエゴさん!」
慌てて駆け寄るリヴェラ。ディエゴの左腹部からは、夥しい量の出血。止血剤などもっていないリヴェラは、慌ててしまう。
「早く。病院に」
「……ああ、きみはさっきの……。リヴェラくんと言ったかな? 直ぐ近くに掛かりつけの病院があるんだ。もしも良ければ肩を貸してくれないか?」
何を言っているのか。この近くには病院なんぞ在りはしない。在るのは国立の大きな公園と、ミュージアム、それに軍の駐屯基地だけ。そこまで思考を巡らせ、ふと気づく。軍の駐屯基地の中にも医療設備は確かに在る。その辺のホスピタルなんかよりもよっぽど立派な医療施設とも言えよう。
「駐屯基地のことを言っているんですか?」
「私は、昔軍人をしていてね。わりと顔が利くのだよ」
悪戯な表情を作るディエゴであるが、顔は汗と雨でびっしょりと濡れている。迷っている暇はない。なんとかディエゴを立たせ、肩を貸しながらリヴェラは、駐屯基地を目指した。
確かに基地は近かったが、リヴェラとディエゴの歩みは遅く、やっとの思いで基地の入り口に辿り着いた頃には、既に夜中に差し掛かっていた。夜は厳重に封鎖されている基地。幾つかの入り口を通り過ぎること半周、やっと敷地内に出入り出来そうな入り口を見つける。顔見知りであろう哨戒中であった若い兵士は、ディエゴを見ると慌てて駆け寄って来た。
「ディエゴさん! 一体全体どうしたんですか」
そこでリヴェラはポリシアの手帳を開く。思わぬポリシアとディエゴ、異色の取り合わせに、哨戒兵たちは鼻白む。
「医療施設を貸して下さい。人命に関わります」
嘘は何一つ言っていない。ディエゴの血でリヴェラの服も血塗れであった。すぐさまディエゴの身体は、駐屯基地の奥にある施設へ運ばれる。そこは想像していたような血生臭い雰囲気は無く、随分と清潔感のある建物の内部であった。急いで衛生兵に病室へ運ばれる。
「おい、誰かドクターは残っていたか?」
慌てふためく衛生兵。時間が時間だけに、直ぐにディエゴを診れるようなドクターが中々見つからないようであった。
「ちょっと、いい加減に早くしてよ。軍の基地なら、駐在する医師が必ずいるものでしょ」
「……ああ、一応今日は、研究所の方に技術部の大佐がいます。大佐は確かに優れた医師でもありますが、ちょっと……いやかなり変わった方で近寄り難いというか」
「人の命が関わってるの。誰も呼びに行かないなら、あたしが行くから!」
案内された研究所。軍の階級には詳しく無いが、単純に考え、上から元帥、大将、中将、少将やらなんやら、大佐なんてきっとそんなに大したことはないと、リヴェラはノックもせず勝手に研究所の扉を開ける。善良な市民が困っているのだ。軍の関係者ならば、手を差し伸べるべき。
研究所の内部は、とても広く、そしてその広さを感じさせないくらいに、酷く散らかっていた。散乱した資料と研究器具。その中央ではガスマスクを被った白衣の男が、試験管を片手に何やら怪しげな実験をしていた。
しゅこー。しゅこー。と、響く呼吸音がなんとも斬新であった。白衣の男はリヴェラに気付いたようで、ガスマスクのままこちらを見やる。不覚にも視線が合ってしまい思わず開けた扉を慌てて閉めるリヴェラ。さて、これは困った。人生経験の少ないリヴェラの処理能力を超える、おぞましい何かが、この中にはいた。このまま無かったことにするのは簡単である。しかしディエゴの命が掛かっているのだ。意を決して再びリヴェラは、再び扉を開く。すると想像の斜め上を行く白衣のガスマスク男は、重たそうなチェーンソーを抱え、ちゅいーん、ちゅいーんと一歩一歩近づいて来る。
「むりぃぃ!!!!」
無理だ。絶対無理だ。これは致し方ない。ばたりと再び扉を閉める。リヴェラはディエゴの命をきっぱりと潔く諦めることにした。くるりと踵を百八十度返し、もと来た道を戻ろうとする。冗談じゃない。きっとあれは冥府より蘇りし何かだ。グッバイディエゴさん。あなたはあたしの思い出の中で生きて! と、リヴェラは一筋の涙を流した。
こうして長い夜は更けて行く。
♪
「はて、その剣筋……見たことがある。遠方にあった亡国の王族に伝わる剣技とよく似ている。貴様まさか彼の国の生き残りか」
ヘルトゥは応とも否とも云わず。場違いに柔和な表情を崩さない。シリュウと名乗る死神の剛直な剣を、柔らかな剣捌きで受け止めるヘルトゥ。柔よく剛を制すと言うなれど、そう易々と制されるほど、剛の剣も生優しいものではなかった。
一進一退を繰り返すヘルトゥとシリュウ。ぶつかり合うは剣と剣。混じり合う剣戟の音は、ちーんちーんと、リズミカルに音を鳴らす。ヘルトゥは静と動を駆使し、相手の隙を突こうとするも、死神シリュウは紙一重でそれを読み、自らの剣で跳ね返す。ちーんちーんちちんちーんちちっちーんと、その粋なリズムに、気の狂ったピアノ奏者が肩でリズムを取りながら和音を乗せ始めた。
そこで次のピンライトがステージに降り注ぐ。闇より現れしは、タキシードの紳士。彼は阿鼻叫喚の客席に深々と会釈。まるで虚空から現れたような演出である。彼は備え付けのドラムセットに座り、四つ打ちのリズムを刻み始めた。
ヘルトゥとシリュウは、互いに隙の無い構えで睨み合い、その頰を伝う汗が地面に落ちるタイミングで、稲光のような攻防を再開する。正に静と動。
死神シリュウの一線を間一髪躱すヘルトゥ。薄紫色の髪がひらりと宙に舞う。ヘルトゥは考える。技は互角。しかし腕力で押されている。長引けば不利。ならばボコと共に一気に攻め落とすまで。戦闘中、視界の隅でボコの姿を確認する。どうやらボコは、死神の後方、拾った拳銃で狙いを定めていた。ならばこちらに引きつけるのみと、ヘルトゥは加速する。
ウッドベース担当の白塗りの奏者。ひとり楽器も弾かず何をしているのかと思いきや、彼は脚立をフロアに置き、天井に向かい、何やらごそごそとある物を括り付けていた。それは丸い球体で、スイッチを入れるとくるくる回り始め、店内の照明を反射し七色に輝き始める。……ミラーボールである。回るミラーボール、自らは楽器も演奏せず、蓄音機を二台並べて、次の音源にディスクチェンジ。ヘッドホンでモニタリングしながら、ディスクを掌できゅいきゅい鳴らす。狂ったピアノ奏者の演奏は、ここに来て最高潮を迎えた。
「ヘイ! レディースアーンドジェントルメェェェン! イッツ・ショータイム」
代わる代わる七色のレーザーで照らされるヘルトゥと死神シリュウ。静と動、柔と剛、マイクチェックワンツー。
ぶつかり合う剣と剣はリズミカルな音を鳴らしている。白塗りのスクラッチも負けず劣らずビーツの狭間を切り裂く。
静と動、静と動、静、動、静、動。柔と剛、柔と剛、柔、剛、柔、剛、「ワン、ツー、スリー、ゴー!!!!」
腰にくるビーツ。震えていた常連客たちは、いても立ってもいられなくなって立ち上がる。そして残っていたゴロツキたちと手を取り合い、狂ったように踊り出す。手を上げ、声を上げ、髪の毛を振り乱し、踊り狂う。
ぶつかり合うは剣と剣。火花を散らす意地と意地。ミヤコは酒を飲みながら、ナイフを持つゴロツキと肩を組んで踊っていた。
こんな異様に終止符を打つべく立ち向かうはボコ。手にした黒光りする鉄の塊。深呼吸をひとつ、意を決し、引き金に人差し指を添え、ゆっくりとそれを引く。それに連動し、なんとも軽いハンマーが、ファイアリングピンを強打し、鈍い破裂音と共に撃ち出された銀の銃弾。舞い上がるは硝煙。
フロアの中央、ヘルトゥと剣戟を合わせあうシリュウの、身体のどこか一部に当てることができたなら僥倖であったが、軍にいたことも無ければ、訓練したこともないボコが、軽い気持ちで撃ったそれは、盛大にフロア中央にいるふたりの頭上を越えて行く。
一日散々ついていなかったボコ。そんな彼の放った銃弾は、きりもみ回転しながら、この日一番の奇跡を起こす。
まずは天井でくるくる回るシーリングファンの根元に命中。千切れたそれは、遠心力を受け、まるでプロペラのように回転しながら、フロアを縦横無尽に飛び交い見境なく人々に襲いかかった。店内の客も、押し寄せたゴロツキも、仲良く逃げ惑う。
ファンはブーメランの如く店内を半周し、バーカウンターの奥にある厨房まで飛び、まな板に命中。支点力点作用点、梃子の原理により、まな板の上の包丁はフロアの方へかっ飛び、テーブルの上に置かれたスパークリングワインのコルクを切り裂く。噴水みたく溢れ出す炭酸。一方、切り裂かれたコルクの方は、ドラム奏者の腕に見事に当たる。その手からすっぽ抜けてしまったスティックは、弧を描きながら天井高く舞い上がり、ミラーボールに激突、ミラーボールは死神シリュウの頭の上に落ち粉々に砕け散る。思わぬ不意打、想像以上の衝撃に倒れるシリュウ。
「流石だ。ボコくん」
「計算通りッス」
一斉に演奏が鳴り止み、はっと我に返ったミヤコ。未だ絶賛トリップ中のゴロツキ。ミヤコはキッチンにあったフライパンを手にゴロツキの後頭部を強打し、一撃でフロアに沈める。これで完全勝利である。
シリュウは頭を摩りながらも、なんとか身体を起こし立ち上がる。一度傾いた流れを、取り戻すのは難しいと判断し、ヘルトゥに一撃だけその剣を振るい、受けられた次の一手で、背を向け逃げようとする。ヘルトゥは、正直なところ追いたいところであった。彼を見逃せば今後どのような障害になるか計り知れないものがある。しかし、シリュウが本気を出せばボコと二対一でも危ないと、ここは手を引くことにした。あれは既に人ではない。あくまで人である自分たちには、荷の重い相手である。
両手でズボンを払い、ボコは震えていたルーシィの元に駆け寄る。
「ほれ。終わったぞ」
手を差し伸べ、ルーシィの顔を覗き込むボコ。
「ボコ! 怪我はないか? 大丈夫なのか?」
ボコは恥ずかしそうに肯定する。本当はカッコいいところを見せたかったのに、殆どヘルトゥに取られてしまった。不覚である。しかし突然ギュッとボコを抱き締めるルーシィ。女性経験に乏しいボコは、面食らって顔を赤くしてしまう。
「ま、まあオレの手にかかれば、こんくらい余裕だし?」
「良かった。本当に良かった。またぼくの所為で、人が傷付くところだった。ごめんなさい。全部ぼくの所為だ」
ルーシィはそのままボコに縋り付き、暫くして身体を離す。それを聞いたボコは、ルーシィの頭を軽くぽんぽんと、とてもぎこちない仕草で二回叩くように撫でる。照れて「気にすんな」の一言が言えないボコの精一杯であった。
「ぼくがね、ディエゴさんの助手だってのは、嘘なんだ……」
ルーシィは勇気を出してボコに真実を話そうとする。しかしボコはそんなルーシィの話を強引に遮った。
「ここはまだ危ないかもしれねーから、帰ってゆっくり聞かして」
「……ボコ」
ルーシィを気遣っているのか、はたまた本当に帰りたいのか。ボコはルーシィに先を言わせなかった。
「明日の夜迎えに来るって言っていたけれど、ディエゴさんのあの傷……もしかしたらディエゴさんは、明日来れないかもしれない。そうしたらぼく、どうすれば良いだろう? 実は、手持ちがほとんど無いんだ」
「金なら心配いらない。俺、金貸しだから! 貸してやる。取り立ては厳しくいくけどね」
「……きみモテないでしょ」
「ばっ! うっせー!」
ベェーと舌を突き出すルーシィ。やっと笑顔が戻って一安心。そうしてボコの自宅に向かおうとするふたり。呼び止めたのは、ヘルトゥであった。
「待つんだ、ボコくん。きみの家は危険だ。先程の連中、スラムの者だった筈だ。きみの家は割れている可能性がある」
「えぇっ、やべーどうしよ」
「どうだい? 私の自宅に今夜は泊まらないかい? 私も丁度そちらのお嬢さんを探していたんだ」
教会で既にルーシィの写真を見ていたヘルトゥ。その写真では、腰まである長い髪が特徴的であった。ばっさり髪を短くした目の前にいる女の子が、探していたルーシィだと気づくまで、幾分かの時間を要してしまった。
顔を見合すボコとルーシィ。助けられたことから考えるに、少なくとも、今のところ敵ではないように思う。
「オレちょうど明日、大事なミーティングあるんスよ! ルーシィ置いてってもアンタが居たらイケるッスね!」
こうしてボコのとことんついてない、長い一日は終わったのであった。しかし夜はまだ長い。宴は続く。相も変わらず断続的に続く四つ打ちのモダンビーツ。ディスクを回す白塗りの奏者。左手で片耳だけ当てるヘッドホンを固定し、右手のアナログレコードで、ぎゅいぃーんと次の次元の扉を切り裂く。