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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第一楽章 金貸しの章
6/32

月光

6.


 「あたしも付いていくんだよ」と聞かないリヴェラを振り切り、ボコたちはポリシア支部を後にする。すっかり日は沈んでいた。

「あーあ、休み潰れたーくそー。てかディエゴさん、それ誰ッスか」

 頭の後ろで手を組むボコは、目的地も知らず先頭を歩く。少女はじいちゃんに会えたのであろうか、なんて不意に考え頭を左右に振る。もう済んだ話である。切り替えていかねば。自宅を出るときは、まだ見ぬ彼女との出会いを求めていたはずなのに、少しばかり相手が若すぎた。

「ボコ。紹介をするよ。この子はルーシィ。私の新しい助手だ」

 後ろを歩くディエゴは、なんの前触れも無く、自宅へ戻ろうとしていたボコの後ろ髪を引く。

「ルーシィ? えっ、女の子ッスか!?」

 キャップを被り俯いていたので、はっきりとは解らなかった。なんとなく男にしては随分背が低いと思っていたが、残念ながらボコよりも背の低い男性は、オフィーリアではやや少数派である。背はシャロンより拳ひとつ小さいぐらいであろうか。

 視力の良いボコではあるが、空は暗く、街灯の明かりだけでは、よく顔が見えないので、そのルーシィと呼ばれる女の側に寄る。長い睫毛に気の強そうな大きな瞳。

「よく見るとめっちゃカワイイ!」

 瞬時に一日のイライラが吹き飛び、掌を返すが如く、ルーシィに興味をもつボコ。サイズの大きな服装なので、スタイルは計り知れないが、顔は美の神に愛され生まれたと言っても過言ではない。斜めに被ったキャップからはみ出る柔らかそうな髪の毛は、眺めているだけで何だか良い匂いがしてきたような気がする。

「いきなり人をジロジロ見て、無礼じゃないか。ぼくは断固、謝罪を要求する」

 ボコを妄想の世界から、(うつつ)の世に引き戻すのは、人目も憚らず大声を出すルーシィだった。少し掠れた年端もいかない少年のようなクランチボイス。

「あ、ご、ごめんッス。オレはボ……」

「ディエゴさん、こんな輩は置いて、さっさと行こう。ぼくはお腹がペコペコなんだ」

「酷くね!?」

「悪いなルーシィ。それは出来ない相談だ。私は病院に行かねばならないんでね。ボコ。すまないが私が戻るまで、この子と一緒にいて欲しい」

 夜なので表情はよく見えないが、ディエゴの声がやや震えている。

「ディエゴさんまで無視スか!? てか病院? なんで?」

「ちょっと、不覚を取ってね。応急で止血をしたのだが、限界のようだ」

 そう言ってディエゴは自らのジャケットをひらりとまくって見せる。中に着込んだインナーは、脇腹の部分から赤黒く染まり、そこからぽたりぽたりとズボンの裾まで真新しい血液が染みを造っている。はっ、と振り返ってみれば、ボコたち三人が辿って来た道には、道標のようにディエゴの血の跡が長く続いた。

「ちょっ! どしたんスか!? やべーめっちゃ血ィ出てる!」

「こんな私でも命は惜しいもので、病院で手当をしてくるさ。その間だけでいい。きみの自宅でこの子を匿って欲しい。報酬は出そう」

「狙われるって、ねぇ、どういうこと?」

「詳しくはその子に聞きたまえ。明日の夜に、きみの部屋に迎えに行く」

 大怪我をしているにも関わらず、毅然と立ち去ろうとするディエゴ。しかし僅かに足取りはふらついていて、流石に肩を貸そうとするボコ。

「大丈夫だ。これぐらいでくたばるほど、私はヤワじゃない」

「って、ディエゴさん、オレの家知らないスよね」

「私を誰だと思っている。ディエゴ・フェルナンド、探偵だ。この街で私が知らぬことなどないのさ」

 そう嘯き、よろよろとひとり歩いていく。彼の頭上に広がる空には、今日も星が瞬き始める。






 穴が在ったら入りたいとは、まさしくこういう時に使う言葉であろう。シャロンは落ち込んでいた。昨夜は醜態を晒してしまったものである。おまけに身体があちこちと痛む。特に左腕。いったい昨夜の自分の身に何が起きたのかなんて、想像もしたくなかった。

 夕焼けのオレンジは熟れて黒ずんでいく。夜の闇がこんな恥ずかしい自分を巧く隠してくれて、いつも仕事では黒ばかり好んで着ている自分は、このまま夜の闇と溶けてひとつになりたいなどと願った。

 見上げた空には一番星。ボコには、みっともないところを見せてしまったかもしれない。あんなに浮かれてしまったのは、シャロンらしくない失敗である。ボコはいつだって自分の足元に例外を運んでくるのだ。陽の光を浴びたくなくて、夕刻まで部屋の中で、うじうじしていたなんて、話のタネにもなりはしない。

 徒歩で行ける距離にあるメインストリート沿いのダイナー。そこで買い物を終えるだけの休日である。休みはまちまちで、取れない時期もあるので、休日はいつも大量に物を買い込むのである。

 両手で抱える大きな買い物袋はずっしりと重く、行きよりもゆっくりと歩く。宵の街、建物の窓から漏れる明かりと、宝石みたいな街灯が、(まばゆ)い光を放っていた。噴水のある広場を横切り、石畳に踵を鳴らして、シャロンは家路を辿る。

 スラムやダウンタウンは危険だからと、シャロンにデコが探してくれた、身の丈に合わぬほど小洒落た場所にある自宅は、急勾配の長い坂の下にある。身も心も重たい足取りで、その坂を転ばないように慎重に降るが、買い物袋を持つ左腕にずきんと痛みが走る。

 シャロンは不意に感じた鈍い痛みに、買い物袋を落としそうになるが、なんとか持ち堪える。

 危ない。気を取り直し、深呼吸をして顔を上げれば、見知った顔をした青年が坂を登ってきた。

 神さまは意地悪だ。あれはボコである。そしてその傍には、お揃いのキャップを被った知らない女がいた。意地悪な神さまはこれ見よがしに、街灯と月でふたりを照らし、遠目にも解るほど鮮明に見えてしまう。

 ずきん。左腕の次は胸が痛んだ。

 ボコが連れている人は、自分と違って背が小さくて、小動物みたいで、とても可愛らしいとシャロンは思った。ばさりと落とした大きな買い物袋。ころころとダイナーで購入した果物や缶詰が坂を駆け下り加速していく。それが街灯の明かりに反射し、濡れたように滲んで見えた。なんだかとても綺麗であった。

 何も悪いことなどしていないのに、物陰に隠れふたりをやり過ごそうとするシャロン。毎日のように「彼女が欲しい」なんて言っていた癖に、ボコは嘘つきだ。と、思ってしまう自分が嫌だった。別にシャロンはボコの前で女で、あろうとしたことなど一度も無い。自分は後輩であり、願わくば妹や友達のような存在になれたら良いと思っていた。だけれど、そんなボコが遠くに行ってしまうようで、シャロンの世界はどんどんと滲んでいく。

「うっわっ、見て見て。果物がいっぱい転がってきたッス。まだ沢山落ちてる。ラッキー」

「拾い食いとか野蛮だな、きみは。まさか、それをぼくに食べさせようとしているのかい? もしそうなら考えを改めて欲しいものだ。ぼくはきちんとした食事を要求する」

「心配すんなって。うまい店連れてくから」

 物陰に隠れているシャロン。ちょこちょこと繰り広げられるやりとり。なんともふたりはお似合いである。そして自分はここに存在してはいけない邪魔者であると、シャロンは闇の中、必死に息を殺した。





 ボコを迎えに行こうとしたデコとハルビックの足を止めたのは、貴族が乗るような黒塗りの高級車であった。スラムから出ようとするふたり。その行く手を塞ぐように、停車したその黒塗りの高級車。自動車自体が、スラムでは滅多にお目に掛かれない珍しい代物である。

「…………」

 運転席からは顔色の悪い男が降り、後部座席のドアを開ける。中から出てきたのは獅子の(たてがみ)を思わせるファーの付いたコートを羽織った、中年の大男であった。一歩一歩、杖を突きデコに近寄る大男の立ち振る舞いは、威風堂々としたものであり、ハルビックはその覇気に背筋を震わせる。

「久しいな。デコ」

「……お久しぶりですね。ドン・ドレスコーズ」

 そのデコよりも頭ひとつ背の高い大男こそが、スラムの王無き今、最もスラムで勢いのある組織の長であり、スラムから議会に参加する政治家でもあるエドワード・ドレスコーズ本人であった。

子分(せがれ)が殺された」

「ええ。風の噂で耳にしました」

 殺された鉄腕ゴーギャンは、スラムに名を轟かすドレスコーズファミリーの幹部であり、それが大ごとであることをデコは承知していた。

「……可哀想に子分(せがれ)はな、ポリシアで司法解剖され、屍体を無残に切り刻まれ、明後日やっと儂の(もと)に帰ってくる」

 話の雲行きが怪しくなると、先程まで星がきらきらと瞬いていたにも関わらず、ぼつりぽつりと冷たい雨が降り始め、デコの頭頂部を濡らした。それに比例するかの如く、デコの目の前で、大の男であり、オフィーリア全土に数百の構成員を抱えるドレスコーズファミリーの長が、大粒の涙を流していた。

「明後日の早朝より、子分(せがれ)の葬儀を執り行う。スラムの仲間として、どうか貴様らも子分(せがれ)の旅立ちを見送ってはくれぬか?」

 そう言ってドン・ドレスコーズは、深々とデコに頭を下げる。雨足は次第に強まっていく。





「凄い迫力の人だよな。ドン・ドレスコーズって」

「そうか。ハルビックは会うの、はじめてだったな」

 今の地位を手に入れる為、対立する勢力の人間を何人も殺めた恐ろしい男である。激情家でスラムの王が飢えた狼なら、彼は鋭い牙を持つ獅子と言ったところであった。

ボス(スラムの王)は嫌っていた。しかし頭を下げられてはな」

 王政が廃止になり、議会が発足した時、彼はスラムの実力者から国の権力者に成り上がった。今後もスラムで商売をしていくのに、そんな大物の誘いを、断って良い理由などどこにも無かった。雨が中々降り止まぬように、デコの胸の警鐘はディエゴと会ったあの夜から未だ鳴り止まないままである。

 結局びしょ濡れになりながらも、ポリシアの支部に辿り付いたころには、夜も更け始めていた。署内にボコは既にいなく、受付でディエゴがボコを連れて行ったことを聞かされた。デコは、やられた。と、帰り道、天を仰いだ。




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