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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第一楽章 金貸しの章
4/32

マゼッパ

4.


 ポリシア捜査官アンネ・リヴェラは、初老のバディに内線で呼ばれ、溜め息をひとつ。空は晴れているのに、その溜め息が掛けていた眼鏡を仄かに曇らせる。まさか自分がこの支部一番の曲者と組まされるとは。栗色の三つ編みを揺らしながら、彼女はひとりせかせかと給湯室でお茶を淹れる。

「あたしはお茶汲みをするために、大学出たんじゃねぇつーの」

 とは言え、またあの頑固オヤジと口喧嘩をしても面倒だと、手早くお茶を適当にふたつ淹れ、それをお盆に乗せたまま、呼ばれたブリーフィングルームに向かう。中央にあるポリシアの拠点としては、最古の建築物で、木材で出来た床は、ギシギシと気味の悪い音を立てる。外観は情緒があって良いと、市民からは専ら評判ではあるが、その実中身は酷いものであった。

 ノックを二回、ドアノブを回せば、室内のブラインドは締め切られ、真昼間にも関わらず、明かりが(とも)されていた。

「最近は経費経費って、煩いんだから、明かりを消してブラインドは開けましょうか。イワさん」

 ブラインドへ向かうリヴェラに、バディである初老の捜査官イワコシは、咳払いをひとつ。

「おい、客に恥ずかしいところを見せるな」

「客?」

 そこで初めてリヴェラの視界に、室内にいたもうひとりの男が映る。それはなんとも美しい女性……否、男性であった。夜明けの空のような薄紫の髪がゆるやかに広がる。そしてどこか異国を感じさせるエキゾチックな顔立ちと、切れ長の二重まぶたから覗く、煌びやかな翠の瞳。

「こんにちは」

 髪と同じくふわりとした微笑み。それと同時に発せられた声を聴き、そこでリヴェラはやっと彼が男性であることを確信した。

「良い香りのお茶だ。きっとこの菓子に良く合う」

 彼から差し出しされた小箱を受け取り、リヴェラはそれを開ける。すると中には切り分けられ、透明の袋でラッピングされたパウンドケーキが入っていた。

「お前さん、このロゴ、大通りの名店じゃねぇか! 名前は……ええっとシエっ、シエっ……」

シエロ(夜明)ドゥ()アマネール(の空)。うっわー、行列凄いですよねぇ。中々買えないのに、よく手に入りましたね。イワさんこんな厳つい顔して甘いもの好きだから、こりゃ嬉しい差し入れでしょうに」

「うるせぃ。皿とフォークもってこい」




 へいへいとまた給湯室に向かうリヴェラの背中を見送って。イワコシはヘルトゥへと向き直り、「被害者はスラムの重鎮、ドン・ドレスコーズの部下、鉄腕ゴーギャンだ。幹部の死にドレスコーズファミリーが動くわな」と端的に告げた。ドレスコーズファミリーの名に目を細めるヘルトゥ。思うことはあるが、口にはしない。最小限の手札で最大限の情報を引き出すのはセオリーである。

「聞くに勝る大きな組織みたいですね。議会に承認されてからは、ますます巨大になった」

「スラムのチンピラ風情が今じゃ政治家気取りで笑っちまう。司法解剖の結果はとうに出ている。ゴーギャンを殺されたからには、ドレスコーズの小僧は街を火の海にしかねんぞ」

 イワコシが叩きつけるよう、テーブルの上に置いたのは、透明の小袋に容れられた、ひしゃげた銃弾。ヘルトゥはその翠色の視線を小袋に向ける。

「鉄腕ゴーギャンの体内から発見された。この刻印お前さんも覚えてるいるだろう? そう。あの名も無き革命……いや、クーデターで使われた銃弾だ。どこぞ(・・・)の領主さまから教会が仕入れたと思われる三〇〇挺の銃の内、軍から流れたものが約一〇〇、不明のものが二〇〇。その不明の銃の中で、拳銃はたったの十五挺。それに使用されたものと同一だ」

「しかし、教会以外にも、この弾丸を保持していたのでは?」

 イワコシは、リヴェラの淹れたお茶にゆっくり口を付け、よれよれの背広の内側から、くしゃくしゃの煙草の箱を取り出し、人差し指の腹でとんとんとそれを叩く。頭ひとつ飛び出た一本を口に咥え、それに火を点す。彼はヘルトゥにも煙草を勧めるが、彼はゆっくり首を左右に振り丁重に断った。

「丁度その頃からの付き合いだったな。お前さんとは」

 イワコシが燻らせる煙は、ゆっくりと揺蕩(たゆた)いながら換気口に吸い込まれていく。

「現場百遍なんて因果な言葉さ。この刻印の銃弾を作ってる会社を訪ねて、この二日間、休暇を返上して国内外探し回ったよ。結果、こんなものは世界中のどこを探しても造ってなくてな。これの製造元はスティーブン・テイラー社、国外だが足が付かないようダミーの刻印をご丁寧に使ってやがる」

「つまり?」

「この銃弾を保持しているのは、この世界で教会だけってことだ。もちろん持ち出すことは可能だがな。現場にいたのは教会の小娘だけだ」

 そこにリヴェラが動物の尻尾のような三つ編みを揺らしながら、再び入室してくる。髪型がほんの少しだけ先ほどと変わっていることに、ヘルトゥは気付いたが、イワコシは気付かない。彼女は自分用のお茶を置き、パウンドケーキをふたりと自分に取り分ける。なぜだかとても機嫌が良さそうであった。リヴェラが嫌がるのか、イワコシは舌打ちしながら、灰皿で煙草を乱暴に揉み消す。

「端的に言えば、俺たちは保護したいんだ。ポリシアに身柄があれば、ドレスコーズの小僧も簡単に手出しはできねぇだろう」

 イワコシの言うことはもっともであった。スラムの一大勢力ドレスコーズファミリーは巨大である。逃げようとすれば地の果てまで追い詰められ、その者の死体は、海に浮かぶことが予想される。そしてもしも教会がその者を匿えば、オフィーリア全土を巻き込む抗争となることが予想される。

「容疑者とまでは言わねぇ。重要参考人として教会に出頭を要請してみりゃあ、のこのこ現れたのは、お前さんだ。面食らったよ。なあ、ヘルトゥよ。俺の好物までひっさげて、いったい何しに来やがった」

「たまたま教会へ寄ったら、ここへ来るよう頼まれてしまったんですよ。容疑者が姿をくらましたとかで、それを伝えてくれ、と」

「はぐらかすんじゃねぇよ。お前さんは中立だと思っていたんだが。いつから教会に肩入れしはじめたんだ?」

「私は私です。どこにも属していませんよ」

 ヘルトゥは困ったように眉を下げた。




「はーなーしーがーみーえーまーせーん」

 話に着いて行けず一人むしゃむしゃケーキを()んでいたリヴェラではあるが、いい加減我慢ができなかったのか、説明を求めた。

「リヴェラ。この男の顔、見覚えないか」

「えっと……」

 まじまじとヘルトゥの顔を眺め、顔を赤くし思考を止めるリヴェラの反応を見て、イワコシは眉間の皺を更に深くする。

「お前が丁度学生のころ、残忍酷薄な悪しき王が、この国を支配していたのは知ってるよな?」

 ケーキを口いっぱいに詰め込みながら、こくこくと首を縦に何度も振るリヴェラは、その衝撃でケーキを喉に詰まらせたようで、「うっ!」と呻きながら、自ら淹れたお茶でそれを流し込み、自らの鳩尾を拳でどんどんと叩く。

「革命によって悪しき王政が崩れたときに、戸惑う国民に民主主義を説いたのがこいつ(ヘルトゥ)だ」

「げほっ、げほっ、つまり政治家?」

 この国らしくない風変わりな格好をしている男が、この国の政治体制を? そんな大それた存在などとは、リヴェラは夢にも思っていなく、眼鏡の奥に在る瞳をぱちくりさせる。

「イワコシさんはすぐに話を大きくなさる。私は現在、ただの歌手ですよ。週末はぜひ、噴水近くの酒場へどうぞ。歌ならいくらでもお聴かせしましょう」

 こうやって、直ぐに話をはぐらかすところも、昔と同じだな。と、イワコシは背もたれに深くもたれ掛かる。





 とてつもない美男子と出会ってしまったものである。あれは大衆劇場のスターなんかよりも余程美男子であった。こんな気持ちは初めてのことで、学生時代、勉強ばかりであったリヴェラは、ケーキと共にお茶で流し込んだ、この胸を掻き乱す正体不明の答えを探しながら帰路を辿る。

 表通りには、綺麗に咲き誇る花みたいなオフィーリアジェンヌたちが、薄暗くなった街並みを眩く照らしていた。あんなに綺麗な服を着て、一体どんな素敵な殿方の元へ行くのであろうか。自分の色味の少ない燻んだ衣服を見下ろし、また少し眼鏡を曇らす。

 ヘルトゥと名乗る謎の男の顔を思い出す。あんなに素敵な方の瞳に、勉強ばかりして化粧の一つもまともに出来ない自分など、映って良いはずがない。リヴェラの目に映る街々は、男女のふたり組で溢れ返っているように見えた。

 美男美女のカップル。幸せそうな夫婦。随分年上を連れた若い男。訳ありそうなふたり。世の中には、既に殆どのふたり一組が成立していて、そこに自分が入り込む隙間などあり得ないのである。

 仲良さそうに手を繋ぐ老夫婦。駆け引きをしている水商売風のふたり。人目も気にせずイチャイチャと抱き合う若者。ガラの悪そうな青年と手を繋ぐ幼い少女のふたり組……いや、ちょっと待て。それは駄目だろ。リヴェラはその明らかに可笑しな青年と少女のふたり組に、見逃すことのできない犯罪の匂いを感じた。先祖代々受け継ぐ正義の血が騒ぐのである。身を隠しながら、怪しいふたりの跡を付ける。勤務時間外であっても関係無い。一ポリシアとして、悪を見逃すことなど出来るはずがないのだ。今、ひとりの幼気(いたいけ)な少女が、邪悪な青年の毒牙に掛かろうとしている。これを見逃せば、このポリシアのバッジが廃る。気付かれないよう、少しずつ少しずつ距離を詰める。次の路地を曲がったところで、仕留めることにしようと、懐から犯人捕獲用の鋼鉄でできたハンドカフスを右手で握り締める。緊張による手汗がそれを濡らす。

「心配しなくても大丈夫だってー。ちょっと顔見に行くだけだし、ぜぇーたいじーちゃん喜ぶからー」

「でも、お邪魔にならないかなぁ」

 何を喋っているのか、正確には解らないが、ふたりの会話がリヴェラの耳に微かに聴こえた。あと少し。三、二、一……。

「待て! そこの変態。幼女誘拐の現行犯で逮捕する」

 呆気に取られるガラの悪そうな青年。近くで見れば、随分と小柄であった。

「確保おおぉぉぉぉ!」

 不意打ちにより反応できない青年の腕に、がっちりと鋼鉄のハンドカフスを嵌め、その腕を捻り地面に押し付ける。文武両道をモットーとするポリシアの家系に生まれ、大学を首席で卒業した彼女は、体術も得意なのであった。




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