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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第四楽章 権力の章
31/32

ライン



31.




 オフィーリア国、元子爵ケヴィン・リヴァイアサンは身の回りのものに異様なまでにこだわる。執務室に敷かれるのは、真っ赤な絨毯。隣国から取り寄せた最高級のものである。窓にはオフィーリア随一のデザイナーが手掛けた高級ブランドのカーテン。そしてこの部屋で最も彼の自慢と言えば今現在彼が腰掛けている椅子であろう。一流の職人が施したきめの細かい彫刻が彫られたその椅子は、まるで国王が謁見の間で座るような、一介の子爵風情にそぐわないものである。彼はいついかなる時も自分がさもそれに座るに相応しい人物かのごとく振る舞う。


「ドブ鼠の生死は問わぬと云った筈だが、どういう風の吹き回しか」


 どこか不服そうな表情のリヴァイアサン卿。手にもつ果実酒のグラスごしに、視線の先にいる男を値踏みするように観察する。角度を何度も変え、光を屈折させ歪みを補正し、見えそうで見えない相手の真意を探ろうとする。


「生死を問わぬなら生きて連れてきてもよかろう」

「……まあよい。それよりコンダクターはどうした」


 褐色のコンダクター。ピオニー誘拐の際、シリュウのパートナーを務めた凄腕の掃除屋である。


「ふん、どうせ卿はスラムに感心などないだろうが、あそこは魔境だ。我々が手を焼くような輩も中にはいるさ。あの変態はそこで命を落とした」


 自ら口にして真っ先に浮かぶ顔が三つ。ミヤコの店で手を合わせたちょこまかとした小男はたしかスラムの顔役。それに東方の亡国に伝わる剣技を使う優男。そして便利屋ディエゴ・フェルナンド。相手があの三人のいずれかであった場合、コンダクターに仕留められたであろうか。秤に掛ける必要もないのに、どうもあの三人が気に掛かった。また手を合わせる可能性がある。シリュウはある種の運命のようなものを感じていた。


「馬鹿を云うな。コンダクターは某国随一のアサシンだった男だぞ。いったい奴にいくら払っていると思っている!」


 瞬時に激昂する激情家のリヴァイアサン卿。果実酒のグラスを投げつける。それを顔面に受けても微動だにしないシリュウは、果実酒で濡れた髪を搔き上げ、何事もなかったかのようにする。


「スラムは広い。上には上がいるさ」


 彼の落ち着き払った態度も気にくわない。が、真相を知るよりも今後のことを考えなくてはならない。若干の冷静を取り戻し、再び自慢の椅子に深く腰を下ろす。


「ふん、まあよい。貴様がやつの分まで働けばいいこと」

「あの女はどうする気だ? 殺すなよ」

「汚らわしいドブ鼠は、地下牢さえ入れたくないものだがな」


 コンダクターを手に掛けたのは十中八九目の前の死神。しかし動機が解らなかった。無慈悲な死神が女ひとりに肩入れするなどありえないと思っていたが、その可能性も無きにしも非ずと感じるくらいには、彼の態度は今までと違っていた。そこでリヴァイアサンは妙案を思いつき、ひとつシリュウ(死神の首)カマ()をかけてみることにした。


「そうだ。近日我が同志たちとの会合がある。コンダクターに代わり吾輩の邸宅の警備を無事努め上げたら、貴様にくれてやろう。殺すなり飼うなり好きにすればいい」

「地下牢に寄ってもいいか」

「構わんよ」


 その言葉を最後、礼もせずシリュウは下がる。聡いリヴァイアサン卿は、そんな彼の変化を見逃さなかった。流れ者であるシリュウは隙のない男である。腕は褐色のコンダクター以上、頭も切れる。味方であれば非常に心強い。だがいつ裏切り、敵に回るかわからないのがネックであった。あのスラムの女は、シリュウの弱点に成り得るのではないだろうか。あの女を与えることで、鉄壁であったシリュウの弱みをたやすく握ることが可能なのではないであろうか。


「死神も人の子か……クックック」


 




 明滅する切れかけた裸電球にばちばちとハエが打つかる。薄暗い地下牢に硬く甲高い革靴の音が響く。神経の研ぎ澄まされたピオニーは靴の音だけでそれがシリュウと予見し背筋を正す。現在自分の命を繋いでいるのは、紛れもなくシリュウと名乗る男の気まぐれなのだという自覚はあるつもりであった。


「少しは眠れたか?」


 特徴の薄い枯れた声。鉄格子の向こうには予想通りの人物。何があったのかその長髪は濡れている。


「こんな状況じゃ眠れない」


 気丈に、されど相手の機嫌を損ねぬようピオニーは慎重に言葉を選ぶ。実際疲れ果てていたにもかかわらず、一睡もできず、食事にも手をつけられずにいた。


「少しだけ辛抱しろ」

「こんなお屋敷に連れてきて、どうするつもり?」

「俺は訊かされていない。だが察するに侯爵家に太いパイプをもつ金貸しの一味は、元貴族連中にとって邪魔であり、利用価値もあるのだろう」


 邪魔なだけなら皆殺しにすればいい。自分ならそれができる。とでも言いたげであった。ピオニーは俯く。やはり自分は利用されデコたちに迷惑を掛けてしまうのだ。と、やるせない気持ちになる。


「今にも自害しそうな顔だな。食事だけはしっかり食べておけ。これは命令だ。戦わぬ者に明日は来ない。今お前にできることはそれだけだ」


 シリュウは鉄格子の隙間から携帯用の食料をねじりこみ、ピオニーの元を去ろうと背を向ける。同時に緊張が解けると、今自分が置かれている状況に震えが止まらなくなる。今自分にできることは、自らの命を繋ぐことだけ。意を決し、その震える指先を携帯食に伸ばす。落とさぬよう抱きしめるようにして抱え、封を開ける。パリッ、ノビーッ。自らの命を繋ぐため、ピオニーはシリュウのもってきた栄養満点の携帯食を強く噛み締めるのであった。





 











 大通りにある店でショッピングを洒落込む女子ふたり。ルーシィはショーウィンドウ越しにきらきらした瞳で商品を眺め、かしましく騒いでいる。やはり彼女も年頃の少女であった。


「機嫌は治ったか?」


 べつに機嫌なんて悪くないやい。とでも言いたいのか、ルーシィはエレナの気遣いを華麗にスルー。何に使うのかわからない大量に並べられたヒヨコの置物を物欲しそうに眺めては、それを両手いっぱいに抱える。


「うわー、すごいな。ぼくこんなお洒落な店きたの初めてだ。ご挨拶がしたい。エレナのご友人なのだろう? 会わせてくれないかい」

「事前に連絡をしていればともかく、アポなしでそうタイミング良く会えるはずがな……」

「あら、そんなことなくってよ。お客様のご様子を自分の目で確かめることは、商売の基本ですもの。ごきげんよう。今日はまた随分と可愛らしいご友人を連れていらっしゃるのね、エレナ」


 声の主はレジ横の別室から顔を出しこちらに手を振る。主の特徴を一言に纏めるなら淑女である。まず印象に残ったのは、透き通る真っ白い肌と青い瞳。両手で淡い杏色のドレスのスカートの裾をつまみ丁寧にお辞儀をする。ルーシィはしばらく会わないうちにエレナも随分と気品のようなものを身につけたなぁと思っていたが、目の前の淑女はまるでモノが違った。


「……どんまい。エレナの魅力はもっと別のところにあるから」

「……? 何を言っているのかよくわからないが。彼女がイザベルだ」

「ご紹介ありがとう。ふふ、エレナが話してくれた通りの素直な方ね」


 そう。エレナは、エドワード・ドレスコーズによると思われるルーシィ誘拐の事件について調べてもらっていた。


「大丈夫だ。イザベルは信用できる」

「その件なのだけれど……」


 淑女はエレナに耳打ちをし、エレナの顔が若干曇る。当のルーシィは置いてけぼりであった。


「ふたりとも何ヒソヒソ話しているのさ。ぼくにも教えてくれたまえ」


 駄々っ子のように両手を振り回すルーシィに、にっこり砂糖菓子のよう甘く微笑む淑女は、声色を先程までとは少しだけ変え、その掌を差し出す。


「真実とは時に残酷なもの。とはいえ、()なくしてまことの自由などないのもまた真理。知る勇気が貴女にはおありかしら? 神託の巫女」


 ごくり。唾を飲み込みルーシィはその手を取った。エレナが止めようとするも、それを制すイザベル。


「当事者がことの成り行きを知らないままでは、行く末を正しく決めることはできないわ。もう少しでわたくしも手が空くの。あなたの結婚式で使ったお店で待ち合わせしましょう」


 淑女の透き通る青き瞳が、まっすぐとルーシィを見据える。まるで吸い込まれてしまいそうなくらい深い青であった。





 





 夕刻。瞳のような美しい青。カクテルグラスに注がれたフレッシュライム薫るブルーアイズブルーに口をつけるのは店主ミヤコであった。


「すみませんね、オープン前に酒まで出してもらいまして」

「かまわないよ。お代はいただくけどね」


 ここはミヤコの店ブーゲンビリア。オープン前からディエゴに付き合いアルコールを摂取している店主のミヤコ。夕刻の天気は曇り時々にわか雨、リハーサル中の楽器隊の演奏は、しとしと屋根に打ち付ける雨音をかき消す。地を這うようなアップライトベースの低音が便利屋ディエゴ・フェルナンドのグラスになみなみと注がれた琥珀色の液体を揺らす。ディエゴは、ステージでマイクを握るセルゲレン・ヘルトゥを横目でちらり。ルーシィの目撃情報を頼りに辿りついたのが彼である。


「今回の仕事はたいへんだったんだろう? アンタが大怪我したなんて」

「いえ、それなりの報酬はいただきましたので」


 既に治ったはずの腹の傷をさすり、まるで消毒でもするかのように琥珀色の液体を一気に飲み干す。焼け付くような刺激が喉をひりつかせる。まさかオフィーリアにまだあんな使い手がいたとは……彼の者の持つあの刀剣はセルゲレン氏のものに近い。東方のいずれかの国。


「で、アンタはこれからどうするんだい?」


 女主人ミヤコの声に、思考を止めるディエゴ。決して前回の依頼の詳細を知らないはずの夫人は、さも訳知り顔でカウンター席にすわるディエゴの目の前で頬杖をつく。彼の脳裏を蠢く何らかを見透かしたのであろう。


「正直当分金には困らない。セルゲレン氏の元にいるもうひとりの依頼人(、、、、、、、、、)の無事を確認したら、しばらくこの国を離れて休暇を楽しむのも一興」


 自分は既に、故人である鉄腕のゴーギャンからの依頼、つまり神託の巫女ルーシィ・アインシュタインの保護と、もうひとつの依頼を果たし役割を終えた。思わぬ傷を受け金貸しのボコにルーシィを匿ってもらったのは誤算であったが、ルーシィはそれでもまるで何かに導かれるようにセルゲレン夫妻の元に辿り着いたという。よくわからない物まで動きだしている。誰からも頼まれてもいない以上、命あっての物種であり、ここで引き、身を隠すのが妥当である。しかしだ。スラムの覇権の行方、ルーシィの神託、動き出した闇の者たち、自分の身体から検出された寄生原虫、ゴーギャン……否、かつて(、、、)鉄腕ゴーギャン(、、、、、、、)だった者(、、、、)から託された祈るような願い。この件はまだ何も片付いちゃいない。度数の高いアルコールで若干覚束なくなったその手で、ポケットから雑に取り出した決して綺麗とは言えない一枚のコイン。


「或いは、運命の女神がまだ私を求めるのであれば……」

「相変わらず気分屋だねぇ」

「気分ではなく運命に従うんですよミヤコさん。表がでればここで私は降りる。もしも裏がでたならば……」


 ディエゴは、ぴんっ……と、親指の爪で軽くそれを弾く。くるくる宙に放り出されたコインは、照明の側まで飛翔し、引力に負け落下しはじめる。表と裏、或いは生きるか死ぬか、五分と五分。落下したコインをディエゴが手の甲で受け止めたその刹那、オープン前にも関わらず、店の新調したばかりの防音扉が開く。


「ボコ。オープン前に入るのよくない」

「まーまー。追い出されたら外で待てばいーし」


 ディエゴに気づかず勝手に卓に着く金貸しふたり。


「ミヤコさん。視察に来ましたが調子はいかがですか?」

 

 続いて入店したのは侯爵家執事のセバスチャン。その後ろには、ふたつの影が並ぶ。

 

「それと、お客様をお連れしました。スラムで金貸しを生業にしておられる方々です」

 

 お菓子の食べカスを口の周りにつけているのは金貸し一味の巨漢シモン・ハルビック。そしてその後ろに続くのは、うら若き灰緑(アッシュグリーン)、シャロンである。


「……エレナ、早く中に入ろうよー。なんで急にモジモジしているんだよ」

「い、いやヘルトゥはリハーサル中だろう。邪魔になったらどうするんだ」


 この声はセルゲレン夫人の声……役者が揃ってしまったらしい。当たり前のように受け止めたコインは裏面。やれやれ、どうやら運命の女神は、自分をまだ物語から降ろしてはくれないようだ。無神論者である便利屋は人知れず口元を緩めた。これだからこの仕事は辞められない。


「あれぇぇぇ、ディエゴさぁぁぁん。どうしてこの店に……まさか、あたしが来ることを知っていて!」


 そして最後の声に、ディエゴはやはり休暇を取ろうかと思い直すのであった。




サブタイトル候補にヴォルガとドンの出会いというロシア(かな?)の曲がありまして、

とってもよい曲なので聴いてほしいです。

ヴォルガ(スペース)ドン

で動画検索すると、別のタイトルででてきます。


この小説には、ヴォルガさんというキャラもドンさんというキャラもいないので、紛らわしいのでやめました。



ちなみにラインは、ライン川のことでたぶんシューマンの曲ですね。

タイトルにもなっているトロイメライの作曲者です。あんましクラシック詳しくないので間違ってたらすいません。

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