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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第四楽章 権力の章
28/32

クシコスポスト



28.




 森羅万象を紐解けば、自然界には幾重にも積み重なりし営みともいうべき食物連鎖があり、その連鎖は多岐に渡り、(ことわ)りとして世の天秤のバランスを保つ。生あるものは例外なく捕食者の栄養源となり、その残骸はこれまた例外なく腐敗するのである。木を栄養源としてかじるげっ歯類、そのあとに残るデンプンや糖質を栄養源とするカビ胞子、そこに付着し木を腐敗させる数多の菌の総称を木材腐朽菌と呼んだ。ならばこの腐敗を止めるのも、また幾重にも連鎖する世の(ことわ)りなのではないであろうか。

 太古の昔に繁栄したとある国には腐敗という概念がなかった。木もそして死した肉も。   


『冒険家☆ウィリアム・ブルーノート著 不死の国より』




「ねぇっ!」

「んっ?」

「人が話しているんだから、まずは読書辞めようか。話している相手の目をきちんと見て。大学では習わなかった〜?」


 アミール・カーンが開いていた本を閉じ顔を上げれば、ダイスケのデスクに頬杖をついた、むくれ顔の同僚サキがじとじと湿気の帯びた眼差しを向けていた。そういえば窓の外の雲行きも怪しい。干しっぱなしの洗濯物が心配である。


「勤務中だよ」

「本読んでる人がどの口で言うんだか」

「これは捜査資料のひとつ」

「ねぇ」

「何?」

「また何か隠してるでしょ。ダイスケ君そういう顔してる時、私解るんだから。午前中に本部まで出張って何してきたの?」

「別に……。イワコシさんに呼ばれただけだよ」


 再びウィリアム・ブルーノートの著書に視界を戻しながら、のらりくらりとサキの詰問を柳のようにかわすアミール・カーン。サキの腑に落ちない気持ちは解るが、ことがことだけに、巻き込みたくはない。彼女の行動力はポリシアとして尊敬に値する反面、トラブルに飛び込んでいくような危うさを伴う。いつぞやの一件のように運良く無事に済むとは限らない。


「イワコシ捜査官。通称鬼のイワさんかー。噂じゃあの人、娘さんとお孫さん亡くしてから、人が変わっちゃったって訊いていたけど、案外まともそうだったよね。あっ、アンネ(リヴェラ)が相棒になって元気になったのかなー」

「そのリヴェラは昨日付けでバディを解消されることになったよ。代わりに俺が彼と組むことになった。だから悪いけど溜まっている仕事よろしく」


 デスクから立ち上がるアミール・カーンは、机に置かれた大量の書類をサキに押し付け、特別治安維持班のオフィスを後にする。


「ちょ、ちょっと〜! ダイスケ君〜」







「へっくしょい! あー、またどこぞのイケメンがあたしの噂してる」

「ドレスコーズ氏の邸宅へ向かってほしい」


 助手席で丁寧にシートベルトを締め終わったデコは、隣で鼻をすするリヴェラへと希望の行き先を告げた。「はぁー」リヴェラが吐いたため息が自らの眼鏡を曇らせる。このデコとかいう男、何ひとつ疑うことなく、本当にポリシアの車両を足に使う気である。


「ドレスコーズのところに? 友達は選んだ方がいいよ」

「ポリシアはスラムのことには不干渉では?」

「んー。まぁねー。でもほら。これ職務質問だから根掘り葉掘り聞かなくちゃ。それに気になることあってさ。あんたといたら目当てのボコってやつに繋がるかもだし」

「ボコが何をした?」

「厳密にはなんもしてないよ。用があるのは女の子の方。別にとって食おうってわけじゃない。逃げるから追うだけ」


 ハンドルを握るリヴェラは値踏みするように横目でデコを見る。いつになくまともそうな男である。スラムの金貸し一味を取り仕切っているというだけあって流石に肝が座っている。スキンヘッドでなかったら惚れていたかもしれない。乙女危うし。


「で、ドレスコーズのとこなんか、何しに行くの?」

「それは言えない」

「言わないと連れてってあげないんだから」


 リヴェラはアクセルを踏み込んだままハンドルから手を離す。ガクンと車が跳ね、ふたりのお尻が少し浮いた。

 仕方なく、デコはリヴェラに事情を話す。もちろん言いたくないことは言わないように、かいつまんで。そのおかげで、ドレスコーズ邸に辿り着く前に全貌を語ることに成功したのであった。

 リヴェラは頭の中でデコの話を整理する。自分の部屋の整理整頓は、大の苦手な彼女ではあるが、こう見えてポリシア中のポリシア、天才リヴェラと謳われるほどポリシア界隈の逸材であり、その智力と判断力はルーキーとしては逸脱しているのである。リヴェラは瞬時に脳内の記憶バンクにアクセスする。

 政治家エドワード・ドレスコーズは元貴族たちの傀儡である。その裏には王権復興を願う極右の元貴族たちがいる。社交サロン真・貴族会。匿名制の倶楽部ではあるものの、ポリシアともなれば会員の素性を特定しているはずである。


「ドレスコーズ邸行きやめよう。あんたの破滅しか見えないよ。ポリシアの資料(データバンク)当たれば、解るかも」

「だが、早くしないと」

「何? なんか必死じゃん。もしかして連れ去られたのって恋人か何か?」

「……そうだ」

「かぁー、まったく、彼女持ちかよ! あたしを舐めないで。あのどチンピラ風情よりは、迅速にたしかな情報だすから任せなさいって」


 ドレスコーズ邸直前でリヴェラの運転する車両は、急ブレーキからの華麗なUターン。スラムの砂利道をド派手にドリフトしながら突き進む。チヒッといたずら顔のリヴェラの顔をバックミラー越しに見たデコの胸に、じわじわと不安が滲んでくる。彼女は天使なのか、それとも悪魔なのか。


「一体どこへ?」

「それは着いてのお楽しみ〜」


 スラムから外は、オフィーリアの法の下に治められているはずだが、法を取り締まるはずの彼女は、さらにアクセスを踏み込む。メーターはレッドゾーンを振り切りエンジンは悲鳴をあげる。


「ほい。着いた。さー、愛しの彼女……名前なんだっけ? ピオニー? いかにも彼氏持ちっぽくて嫌な名前。でもあたしってば心が広いから、救出大作戦してあげる! さぁ、降りた降りた」


 リヴェラの前衛的かつクレイジーな運転の末、ふたりが乗った車が辿り着いたのは、まさかのポリシア本部。デコは絶句する。金貸し一味がスラムの象徴であるならば、まさに真逆、まさに街の中枢、まさに正義の象徴。リヴェラは出来るだけ人気の少ない入り口を探しコソコソと中へ入る。


「なぜ正面から入らない?」

「あたしに本部の重要書類を閲覧する権限なんてないからね。忍び込んで、こっそり拝借するんだよ」








 一方そのころ。


「なぁ、前のところと違うなんて聞いてねぇーし。本部にいるなんて、お前のじーちゃんポリシアの偉い人系?」


 再び姫君ならぬ駄菓子屋にいた少女を祖父の元へエスコートすることになったナイトは、金貸し一味の取り仕切り役の片翼、スラムの王の左腕、渾名をボコ。

 安請け合いしたもののまさかポリシアの本部にくることになるとは思ってもみなかった。こういう厳格な場所は苦手である。動物的本能が武者震いを起こす。

 先日拘束されたオンボロの所轄と違い、シックながら洗練された建造物は、堅苦しい雰囲気を十二分に醸し出している。目があっただけで逮捕されるかもしれないと、こそこそと泥棒のように気配を消しながら少女の手を引く。


「なんで悪いことしていないのに、そんなにビクビクしてるの? もしかしてお兄ちゃん犯罪者? お兄ちゃんの意気地なしー」

「別にビクビクなんてしてねーし!」


 完全に強がりというわけではなく、何も悪いことをしていないのにリヴェラたちに追われていたことを思い出して、居心地が絶望的なほど悪いというだけである。兎にも角にも、少女を無事送り届けたのだ。自らがこの見上げるほど大きな建造物に足を踏み入れる必要はないはずだ。エレナたちが昼食を待っていることだし(時すでに遅し)、そろそろ帰ることにしよう。遅くなって怒るエレナの顔を想像すると、背筋に冷たいものが走る。


「待ってよ。この前の話をしたら、おじいちゃんがお詫びをしたいって言ってたから、会っていってー」

「だめだめ。オレには帰りを待つ愛しの彼女(おっぱい)と、ご飯を作ってくれる騎士のおねーさん(と、ついでにいけ好かない吟遊詩人)がいるんだ!」


 先程までの緊張感はどこへやら。人目も憚らず騒いでいるふたり。少女は楽しそうである。


「おいおい。天下のポリシア本部の玄関口で何騒いでやがるんだ」


 と、見知った初老の捜査官がひとり。時間が止まったようにぴたり止まるボコ。捜査官と目が合い初めに出た言葉。


「げっ」


 ルーシィとともに町中を駆け回る鬼ごっこを興じたベテラン捜査官。名はたしかリヴェラ曰く、イワさんである。正面にポリシア本部。後方にイワさん。ボコの頭は逃げ道を探してフル回転。




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