モルダウ
26.
比較的スラムの側にある商店街。昼前ということもあり活気付いている街並み。個人経営の青果店に花屋に弁当屋。古き良き面影を残すそれらは、大手ダイナーが幅を利かす現在のオフィーリアでは情緒的ともいえる。エレナの店を出たボコは、商店街にある馴染みの店を目指していた。怪我をしたからといって、じっとしているのはボコの性に合わない。
エレナの家から馴染みの店は結構な距離があり、独自の近道を歩きながら、ボコは先程の白昼夢に思考を向ける。ルーシィが神託を授かるとき、こんな感じなのであろうか? そこまで考え「はっ」と、一つの可能性に辿り着く。
もしかしてルーシィとずっといたからオレにも神託?
それはやばい。オレ超能力者じゃん。ふいに吹く強い風と、よからぬ妄想が、彼のパーカーの中を駆け巡る。仕事、遊び、賭け、ナンパ、ナンパ、ナンパ……有りと有らゆるものに、使えるんじゃないだろうか。
「そんな。だめだだめだ。ナナナナナナンパだなんて。オレにはルーシィいるし」
だめだと言いつつ、ニヤニヤだらしのない顔で呟くボコ。独り言と呼ぶにはあまりにでかい声に、道行く人々から注目を集めてしまう。ひそひそと子連れの夫人たちは奇異の目で遠ざかっていくが、その他の者たちは物珍しげに彼の周りにどんどん集まっていく。歩くボコの周りを囲うようについてくる。仕事途中の魚屋。スクール帰りの少年少女。ニュースペーパーを布団と呼ぶホームレス。ゴミ箱を漁る野良猫。そしてボコにまとわりつくおっぱいのでかい娘たち。ボコの独り言は次第にエスカレートしていく。突如、商店街は暗転、ゆっくり流れ出すBGM。ボコにピンライトが当たる。
「ボコさんは、アタシのものよ」
「いやよ。わたしのものだわ」
両手には花、花、花。可愛らしい子猫ちゃんたちが黄色い声でボコを取り合う。ボコは右手で前髪をキザったらしくかきあげ、「プッシーなキャットちゃんたち、怪我をしないようにじゃれあってくれよな」と左手でワイングラスを回す。
ドラムロールに、狂おしく鳴るピアノの音階。トニック、ドミナント、サブドミナント。色は匂へど散りぬるを。着ていたパーカーはどこへやら、ボコが纏うのはラメの入ったタキシード。なんの説明もなく現れたゴージャスなソファに腰掛け、不自然なほど長い足を組む。調子に乗るたび伸びていく鼻は、既に両手両足よりも長くなっている。ソファに座るボコに取り巻くは巨乳の美女、美女、美女。しかし彼は、その誘惑をウインクひとつでかわす。美女たちを振り払うように立ち上がった彼は、溢れそうな満天の星空を見上げ(現在昼前)、高らかに掠れたテノールを絞りだす。
そう、最初はなんか生意気なやつだと思っていた
ただ、ルーシィのやつ、オレにべったりくっついてきて、なんかおかしいと思っていた
ある時オレは気づいた
生意気なのは好きの裏返し、つまりルーシィはオレに惚れている
そして何よりルーシィはおっぱいがでかい
もう一度言おう。おっぱいがでかい
「そう。今のオレには恋人がいるんだ。この能力をナンパなんかに使わない!」
ぴゅーい。いいぞーいいぞー。沸き起こる歓声。向けられる拍手喝采。飛び交うビニールテープと投げゼニ。それに「どーもどーも」と手を振り応えるボコ。
メロメロで腰砕けな脳内美女たちにグッバイ。ボコは先を急ぐ。いったい何だったのであろうか。我に返った市民たちは何事もなかったかのように各々日常に戻っていく。やがて先日ルーシィと来た教会があり、その側にある茶色の建物に入る。ボコはやっと辿り着いた馴染みの店のベルを鳴らした。エレナの料理の腕にはなんら不満はないが、かれこれ数日間ノビノビチップスを摂取していない。そろそろ限界である。
「おばちゃーん。ノビノビチップス買いに来たッス〜」
「おや、噂をすればなんとやらだね。相変わらずやかましいったらないよ」
レジにはグース夫人。そしてもうひとり見知った顔。ボコとノビノビチップスを取り合った、いつかの黒髪の少女である。少女は目をきらきらさせボコに駆け寄ってくる。
「金貸しのお兄ちゃんだぁぁ! 金貸しのお兄ちゃんにお礼言いたくて、わたし毎日きてたんだよぉ」
「おぅ、ちびっ子。じーちゃんには会えたか?」
「うん。おはなしできたよ。お兄ちゃんのおかげ」
少女と話しながら、ボコは当たり付きの駄菓子の中からひとつ選ぼうとする。もしも自分に本当に神託があるのなら、この中から『当たり』を選ぶのも容易いであろう。
「そっかー良かったな。それより今から凄いもん見せてやる」
ボコは目を閉じ精神を集中する。まったくもって適当であるが、ボコは駄菓子の中からひとつを選ぶ。そしてそれをレジにもっていきグースに料金を支払い、勢いよく封を開けた。袋の中身は……ハズレ。がくりと肩を落とすボコ。世の中ままならぬものである。されどそこは往生際の悪いボコ。色んな当たり付きの駄菓子を大人の経済力を駆使して何度も買う。スナック菓子に、米菓子、ガムに、グミに、金平糖。ものの見事にすべてハズレ。神託はやはり気のせいだったようである。そんなボコに少女は自分が食べていたノビノビチップスの袋を差し出す。
「何を見せてくれるのー?」
「ちょっと今日調子悪いみたいだから、やっぱまた今度!」
パリッ、ノビー。不貞腐れた顔で少女が差し出すノビノビチップスをかじるボコ。「お兄ちゃんには無理だよ」と、おもむろに少女は当たり付きの駄菓子の中からひとつ選び、グースに料金を払う。そして封を開けて『当たり』の書いてある紙をボコに渡してきた。これ、このあいだのお礼だよ……と言わんばかりに。
「ちょ、マジ⁉︎ 当たりの見分け方でもあんの?」
「どうだろ。それよりお兄ちゃん。いっしょにたべよ」
パリッ! ノビー! 美味しい音が店内に響く。天使と過ごす静かで素敵な時間。この時ボコはエレナが昼食を作ってくれていることを忘れていた。
※
ポリシア本部取り調べ室。
「オフィーリア最後の王ですね」
「あたしたちが主導でクーデターを起こさなかったら、今のオフィーリアはなかった……違うかい?」
ホク子・オールグリーン。異様なほど血走った目はやがてぐるぐると奇妙に蠢き出し彼女がどこを視ているのかさえ、解らなくなった。ただ邪悪にきらめく顎先のホクロだけがアミール・カーンを真っ直ぐに見据えていた。室内に充満する異様な怖気が彼の肌を粟立たせる。
「ああそうさ。あたしたちがクーデターを起こしていなかったら、きっと別の誰かが起こしていた。あくまで確率論の上での話、教会が先に動いただけさ。それは間違いじゃない。だけれど一番誰が血を流した? 誰がその命を落とした? ……教会にはひとりの英雄がいた。国民全てを思いやるような優しい男だった。国を救うために悪しき王に直談判をしようとしたその男がどうなったか解るかい?」
その英雄がオフィーリア城に出向き
男が帰らぬ代わりに
送られてきたのは
綺麗にリボンでラッピングされたプレゼント箱であった
厳重に、幾重に、巻きつけられた布は封印のよう
一枚、一枚、守りを解いて
”これ以上開けてはいけない”
虫の知らせを無視したならば
無表情に目を見開いた男とご対面
首だけの姿となった彼は言う
”ただいま”。
その中には
変わり果てた男の頭部が入っていた
「なぜこの国の国民どもは、業を忘れようとしている。この国の罪を忘れようとしている。なぜ逃げた王を探そうとしない。なぜ追おうとしない。なぜ勤勉なる女神の使徒であった彼の命が失われねばならなかった。いったいだれが償ってくれるのだ。いったい誰を責めればいいのだ」
室内全員がホク子の覇気に呑まれ、ホクコが身にまとう拘束衣が音もなく床に落ちたことを気がつくのに遅れた。最初に気づいたのは、目の前にいるダイスケ・アミール・カーン。聡明な彼は瞬時に状況を分析する。目の前の凶悪犯が怪物じみた腕力で拘束衣を引きちぎったのか? 否、違う。確かに音もなく落ちた。最初から彼女は拘束などされていなかった。つまり……敵は目の前のひとりだけではない。アミール・カーンはジャケットの内側に仕込んだホルスターから、ここ数年愛用している銃を抜こうとするが、別の職員が銃を抜きアミール・カーンのこめかみに銃を突きつける。職員の目はまるでうさぎみたく真っ赤であった。
「これはね騎士因子って名付けたんだ。便利だろう? 通常種の感染とは違う、女王であるアルファ種だけがもちうる自らを防衛するための特殊なチカラさ。やっとあたしは女神に選ばれた。女神はルーシィではなくあたしが種を先導するものであることを認めたんだ」
観念したアミール・カーンは銃を捨てる。
「まいったな。外来種を一網打尽にしようと思ってたのに、まさかポリシア内部にまで侵入されるなんて」
されどアミール・カーンの声色は焦っていない。予定調和とまではいかなくとも、まだまだ予想範囲内の余力を残しているふうにも取れる。
ホク子のくちびるは異様なほど、異質なほど、滑らかに早口に動く。おや、自分は生きてここを出られるとでも思っているのかい? おめでたいねぇ。あんたに女神の加護はないよ。全てのオフィーリア国民は、自らの罪と業で等しく罰を受けるのさ。トーマス・ファン・ビセンテ・ラ・セルダを追うこともせず、忘れようとし、歴史を書き換えようとしたあんたたち全員ね。死すら生ぬるい。爪を一枚一枚剥がし、あんたの最愛の人間をあんたの目の前でケダモノどもに犯サセ、涙を流スあんたの眼球ヲ生きたままえぐり取り、頭蓋を割り脳ミソをスプーンで食らい、魂までも地獄の業火で焼いたあと、あんたの首はポリシアの所長にでも送ってやろうカネぇ。綺麗にリボンでラッピングしてさ。ねぇ、あンタさ。なんでのうのうと生きテルのさ、なんで逃げた王を討とウともせず怠惰に呼吸してイルのさ、ナ、ン、デ、そんなに幸セソウナのさ。アノ日あの時からあたしハネ、一度だって眠れたことなんてないよ。今の政治が平等を謳うナラば、みな等しく失えばいい。みな等しく傷つけばいい。それが真の平等だろう。それができナイナラミナ死ネバイイ。
目の前の赤眼症末期患者。もう何を喋っているのかさえ解らないホク子・オールグリーン。絶体絶命のアミール・カーンではあるが、しかし目の前の化け物に気押しされる様子もない。彼は切り札を用意していた。
「ひとつだけ質問します。外来種であるあなたが、なぜ執拗に宿主の記憶にこだわるのか。本来なら宿主の人格は全て喰われるはずと聞いてます」
「語るに落ちたね、坊や。やはりポリシアはあたしたちの存在に気づいているんだね。そう、逆にあたしが体内の原虫を取り込んだと言ったら信じるかい?」
「気づいているのはポリシアじゃなくて研究機関です。あなたも大きな勘違いしている」
切り札の使い所だと、アミール・カーンはポケットに忍ばせた通信機のボタンを押す。すると室内に物騒な火器を引っさげた特殊部隊たちが数人踏み込んでくる。有事のために初めから待機していたのだ。それくらいに研究機関はホク子・オールグリーンを警戒していた。「当然この権限は、僕のものじゃありません」アミール・カーンはスーツの裾を翻し、ホク子に背を向ける。それと同時に耳をつんざく銃声が背後から聴こえた。とんだ失態である。しかしくよくよしても仕方が無い。仕事の失敗には切り替えが重要だ。彼は思考を素早く切り替え、本日のランチは何にしようかと思いを巡らせる。
数分後、取り調べ室には、醜い肉塊だけが残っていた。壁の修繕に、オフィーリア国民の血税がいくら掛かるのであろうか。
原作そしてふたりでワルツを
第十九話 第三楽章(2):解を求むオラトリオより、作者様のご許可をいただき一部文章をまるごとお借りいたしました。