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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第四楽章 権力の章
25/32

ジュ・トゥ・ヴー


25





 ぽろんぽろん。柔らかくてどこまでも澄んだ弦楽器の音色と、心地のよい歌声が合わさり、ボコは酷く優しい旋律に包まれていた。そうしたら日常で忘れていた涙が自然とぽろんぽろん。かつて父親と呼んでいた人物の顔、スラムで経験したさまざまな出会いと別れ。ボコは切ない夢見に目を覚ませす。枕はびしょびしょ、両目は目ヤニでカピカピ、きっと酷い顔をしていることであろう。なんともはた迷惑な歌声である。こんなにも切ない目覚めの犯人は、一風変わった弦楽器を携え、窓際に腰を下ろすセルゲレン・ヘルトゥ。両開きの窓から吹き込む春のそよ風が彼の薄紫をほのかに揺らす。


「何してるんスか」

「やぁ。おはよう」


 起こしに来たけど起きないから、つい歌っちゃいましたテヘッみたいなノリのヘルトゥをよそに、ボコはうーんと両手かかげ伸びをして、エレナが(怪力で)用意してくれたベッドから身体を起こす。見上げれば自宅よりいくらか高いしみひとつ無い天井。ここはシエロ(夜明)ドゥ()アマネール(の空)二階にある居住スペース。随分とぐっすり眠ってしまっていたようだ。


 そこにやや甲高いノックが素早く三回鳴り響く。せっかちにも返事をする前にドアは開かれた。ドアノブを握るのは、抜き身の刀身のような研ぎ澄まされた美しさを放つ怪力の婦人。仁王立ちの婦人は仕方がないと言わんばかりに、ため息をひとつ。


「まったく、朝食どころか昼食まで食べ損ねてしまうぞ」

「それは困る!」


 慌ててベッドから転がり落ちるボコ。捲れたタオルケットからあらわれた素肌には、すり傷、切り傷、打ち身内出血。なかなかにして重症そうであるが動けないほどではないだろう。昼食はスタミナ重視で肉類を足すべきか。そんなことを考えながら、エレナはドアをしっかり開けたまま答える。


「ああ、まだ着替えていなかったのか。それは悪いことをした。ヘルトゥが迎えにいってから随分時間が経っただろう。まだベッドの上だとは思わなくてな」


 悪いとは言いつつ、申し訳なさよりも呆れがにじみ出ているエレナ。どうやら、ヘルトゥが起こしに来たのはかなり前のことらしい。エレナからしてみれば、とっくに着替えは完了している予定だったようだ。


 ボコがセルゲレン夫妻の愛の巣におじゃまして今日で四日め。

 迎えに来ると約束したディエゴは未だあらわれず、ポリシアやらマフィアやらテロリストやら何がどうなっているのかさっぱりな状況のなか、その中心らしきルーシィはボコから離れたくないという。

 これは間違いなくルーシィはオレに惚れている! と密かにニンマリ。さて、そうなってくると、なんやらややこしい状況をさっさと解決してルーシィという彼女をゲットしハッピーでヤッピーな人生を歩みたいと思うのは男として当の然。


 ボコの記憶が確かなら、ヘルトゥという男は、かつてスラムの王(ボス)&デコのふたりと死闘を演じ、それに勝利したほどの腕前。さらにそのパートナーであるエレナは元軍人で怪力で凄腕の剣士。ハッピーでヤッピーのためには、このふたりとともにルーシィを守りつつ、ディエゴを待つしかないだろう。


 ルーシィはおっぱいがデカイ。仕事にすらついてくるベッタリ具合は少々都合が悪くもあるが、それも愛ゆえなら仕方がない。さて、傷だらけで目覚めた彼氏を放って、彼女(おっぱい)は今どこで何をしているのだろう。


「ルーシィは?」

「店の手伝いだ。おかげで休憩がとれて助かっている」

「ちょっと見て来ていッスか?」

「もちろんダメだ。そんな絆創膏だらけの顔でカウンターに出ては……ああ、そう言うことか。渾名のボコはしょっちゅうボコボコにされているから……」

「違うッス!」


 エレナなりにボコをからかっているのか、はたまた生粋の天然なのか。暫く何も言わずニコニコとふたりを眺めているヘルトゥだったが、エレナが昼食の支度のため客間を出ていったところを見計らって口を開く。


「少し話をしようか」

「何スか?」

「きみが寝ている間に、ルーシィがいかにゴーギャン殺害の容疑を掛けられたのか説明を受けてね」


 確かにルーシィはポリシアに追われていた。まさか殺人の容疑が掛けられているとは思ってもみなかった。

 だがボコが気になったのは、そこだけではない。名前だ。ヘルトゥからゴーギャンの名を聞いた瞬間に違和感と既視感がボコの中にさざなみを立てる。ゴーギャン、ゴーギャン、ゴーギャン。スラムの金貸しボコとドレスコーズファミリーの幹部鉄腕ゴーギャン。スラムの街で生きるボコが、スラムのどこかでその名を聞いていても何ら不思議はない。しかしそうではなく、もっと気味の悪い何かが過る。まるで自分の名前を呼ばれたような、そんな錯覚。


「ルーシィの話には、少し腑に落ちない点がある」


 ヘルトゥの語るルーシィの話。始まりは祖国の業(トリニティゼロ)のアジトのひとつから神託の巫女ルーシィ・アインシュタインが誘拐されたこと。その主犯は、敵対するドレスコーズファミリー幹部鉄腕ゴーギャン。ルーシィは数ヶ月に渡りゴーギャンに監禁されていた。そしてある日、ルーシィを連れてそこから逃げた者がいた。それも鉄腕ゴーギャン。


「つまりゴーギャンってやつは、自分で誘拐しておいて、自分で逃したってことッスか? いったい何がしたいんスかねぇ」

「ああ。実に不可解だ」


 ボコはとっさにウソをついた。本当は知っている。ボコはそのことをまるで見てきたかのように知っている。


『共に行こう、我が主ルーシィ。さぁ、我の手を取れ』

『うん。ありがとう。きみはやっぱりぼくの騎士だよ』


 ……なんだこれ。


「不可解なのはそれだけではないんだ。逃走の途中で彼女を逃したゴーギャンは殺害された。十数名に囲まれ……」


 目眩と共にヘルトゥの話が頭に入ってこなくなる。蜃気楼のような靄が晴れ、ボコの脳裏に映る光景。グースの営む雑貨屋の側、ルーシィと自分を取り囲む武装した男たち。硝煙と血の匂い。


『ゴーギャンしっかりして!』

『この身体はもう駄目だ。最後に主を守る盾となろう。あとはディエゴ・フェルナンド……そうディエゴ・フェルナンドの元へ行け』

『嫌だよ。誰なの? お願いだよ。ぼくをひとりにしないでよ』

『心配するな主よ。ディエゴと言うのはこの国の探偵だ。我に何かあった時のために依頼をしておいた。前金は払ってある』


 満身創痍のボコ、否、ゴーギャンは、ルーシィを庇うように立ち上がる。身体が知っている。金と快楽を強欲に求める便利屋ディエゴ・フェルナンドがルーシィを見捨てるはずがない。もしもこの国の闇と構えるのであれば、ルーシィは彼の切り札(ワイルドカード)になり得るのだから。


『やれやれ。あんまり手間掛けさせるんじゃねぇよ』


 やや嗄れた男性の声。猫背な声の主の影。そして影はハンドガンの引き金をゆっくりと引く。放たれる数発の無慈悲な銃弾がゴーギャンの身体を貫く。鮮明に感じる生々しい痛みは、白昼夢と呼ぶには少々現実的で、事実と呼ぶにはあまりに非現実的な光景である。腹に空いた風穴からおびただしいほどの血液と生がゆっくりと溢れる。


『走れ。主よ!』


 走るルーシィ。崩れるゴーギャン。白昼堂々と街中で発砲しても、不自然なほど人通りはなく、目撃者は遠くから吠える薄汚い野犬が一匹。街の人々は、一体なぜ、この異常に気づかないのであろうか。






「大丈夫かい?」


 犬の遠吠えとヘルトゥの声がシンクロし我に返るボコ。ヘルトゥ は心配そうにボコの顔を覗き込む。硝煙なんてどこにもなく、そこはエレナの家の客間である。慌てて撃たれた箇所を確認するも、まるで何もなかったかのように腹の風穴は無くなっている。


「だ、だいじょぶッス」

「すまない。怪我人に無理に聞かせる話ではないと思ったのだが」


 自分が自分ではないみたいな違和感を振り払うボコ。若干の吐き気。


「ちょっと外の空気吸って来るッス」

「ひとりで平気かい?」

「すぐ戻るんで」


 なぜなら騎士はルーシィの側にいなくては、いけないのだから。







 ポリシア本部(、、)取調室。ただの犯罪者がここで取り調べを受けることはない。過去にここに連れてこられたのは、第一級の犯罪者ばかりである。その重々しい扉が開き、拘束衣で全身をくまなく自由を奪われ、極めつけに目隠しと口枷までされた第一級の犯罪者が複数人の職員に連れられ入室する。ホク子・オールグリーンである。


「目隠しと口枷は、外してください。これじゃ何も訊き出せない」

「気をつけてください。こいつ既に職員の指を食い千切っている正真正銘の狂人です。まともな話が通じるなんて思えない」


 ホク子・オールグリーンの取り調べに来たのはダイスケ・アミール・カーン。彼の思慮深さを象徴するような落ち着いた緑の瞳を見開く。職員に口枷と目隠しを外された第一級犯罪者と数秒間見つめ合う。品定めが終わったのか、ホク子はさも嬉しそうにその口をにんまりと横に開く。


「可愛い坊やだねぇ。あたしに何か用かい?」

「その瞳、赤眼症ですね。末期の……」

「ふふ、ずいぶん博識じゃないかい。オフィーリアにその名を知る者がいるとはねぇ。さすがあたしと口を訊く特命を受けているだけあるじゃあないか」

「読書家なもので」


 遥か東方、イーストエンドと呼ばれる楼蘭土(ろうらんど)地方に伝わる都市伝説レベルの風土病である。細菌か、或いは寄生生物が、宿主をコントロールするという類の、眉唾な都市伝説である。


「冒険家ウィリアム・ブルーノートの書紀にも記されていますよ」

「あんまり相手が関心の無い名前を出すのは、円滑に情報を引き出すための定石から外れてるよ。あんたあんまり話上手じゃないねぇ」

「それでは、どんな名前を出すのがお好みで?」


 アミール・カーンの問いにホク子は、薄く嗤い一息。刹那の沈黙。


「そうさねぇ。オフィーリア最後の国王にして魔王。トーマス・ファン・ビセンテ・ラ・セルダの話なんてどうだろうかねぇ」


 ぎろりとホク子の顎先の特大ほくろが、妖艶にアミール・カーンを見つめる。



 

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