表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第二楽章 正義の章
14/32

八つの演奏会エチュード

14.



 ターゲットを見失ったリヴェラとイワコシは、網目のように広がる広大なスラムの片隅で、途方に暮れていた。

「骨折り損のくたびれ儲けってのは、つまりこういう時に使う言葉ですよね。イワさん」

 露店で見たことも聞いたこともない、怪しげな飲み物を購入するリヴェラ。標準語さえも怪しい外国人露天商から釣りを受け取る。

 一方、年甲斐なく全力疾走し息も絶え絶え、満身創痍のイワコシは、小石と砂が歪に敷き詰められた砂利道の脇で、ひとり屈み込み、咳き込んでいた。額から滲むあずき大の汗がポタポタと落ち、砂利の地面に染み込んでいく。

「うるせぃ。俺たちの仕事は、心血注いだ百回の無駄足を踏んで、たった一度の成果を上げることよ」

「はいはい。偉そうなこと言っても、息上がっちゃってますからねー。ほい、飲み物」

 リヴェラはそう言って、イワコシのために買った缶のドリンクを投げる。「おう。すまんな」とイワコシはその缶をキャッチ。

「あっちぃ! おいリヴェラ。これ、ホットじゃねぇか。ばかやろう。しかもなんだこのゲロみたいな味! これでどうやって喉を潤すんだ。空気読め」

「ホットスパークリング青汁だって。イワさんの健康のために青汁にしたのにー」

 リヴェラはケラケラ笑うばかりであった。優秀ではあるが性格に難あり。ポリシアの家系に生まれ、心技体全てに於いて高水準。そんな将来有望なリヴェラを、何故上層部が自分のような老害に押し付けたのかは、推して知るべしというやつである。

「ねぇ。イワさんは、あんな子が本当にスラムのゴロツキを殺したと思っているんですか?」

「さあな。俺たちは可能性を潰しているだけだ。あの小娘が、界隈じゃまことしやかに神聖視されている神託の巫女だってのは言ったよな」

「ああ、あの子がそうなんですねー。でもちょっと神託とか信じらんないかも」

 息が整い、イワコシはトレンチコートのポケットからクシャクシャの煙草を取り出し、一本咥え火を点ける。すると「スラムだからってポイ捨ては禁止ですよ。うちらポリシアですから」とリヴェラに叱られる。変なところで口煩く正義感が強いのが面倒である。

「そう。あの小娘は女神の神託により、未来を知る。……別に俺だって信じちゃあいないさ。けどなぁ、一部の教信者からは神聖視されているんだ。担ぐ神輿には打って付けだよな」

 文明は日々日進月歩を繰り返し、鉄で出来た自動車を走らせ、離れた相手とも電話で話せるのが当たり前になったこのご時世。可能と不可能は明確に分けられ、現実と絵空事の分別がつくようになった人々が、おいそれと予知能力を信るはずもない。それはあまりに非科学的な話であった。しかし、神託の巫女という代名詞に付与されるブランド力の方には、計り知れない力が秘められていた。

「あの小娘はな、祖国の業(トリニティゼロ)の指導者だ」

 祖国の業(トリニティゼロ)。近年教会から派生した一派であり、教会に仇為す全てを排除することを目的とした超過激派である。教会もポリシアも祖国の業(トリニティゼロ)の存在を、オフィーリア国民に、ひた隠しにしているが、あまりに非合法な活動が目立つため、その存在が明るみになるのは時間の問題であった。

「まあ、ただ祭り上げられてるだけのお飾りではあるがな。やつらどんどんとエスカレートしていきやがる。最近姿が見えない議員たちのうち何割かは、奴らが拉致、或いは既に殺していると見て間違いない」

「つまりは……神託が本物であるか、否かは問題ではないってことですか。ほぇ~」

「そういうこった。ここからは俺の勘だが、あの小娘がこの一件でどういう役割を担うのか。に、ついてだが」

 紫煙を薫せるイワコシは、タールを肺に溜め込み、ゆっくりとそれを大気中に吐き出す。リヴェラに叱られぬよう、煙草の灰は飲み終えたホットスパークリング青汁の缶に落とす。

「つまりはあれだ。引き金よ。内戦(シヴィルウォー)のな」

 そして放たれた銃弾は、また沢山の命を散らすのであろう。あの名も無き革命のように。






 イワコシから直帰の許可を得て、帰り道を歩くリヴェラ。イワコシの言葉が脳裏に何度も過ぎる。あの少女が引き金なのだとしたのなら、引くのは誰だ。祖国の業(トリニティゼロ)関係者なのか。否、問答無用のテロ組織ならば、引き金など必要としない。

 それではドレスコーズファミリーなのか。そもそも何故鉄腕ゴーギャン殺害現場に、あの少女がいたのか。ポリシア共通の見解では、『教会の少女は、ゴーギャンに誘拐されていて、逃走時にゴーギャンを殺害』としている。つまり少女を手に入れようとして、みすみす逃してしまっているのだから、ドレスコーズファミリーの自作自演も考え難い。

 何はともあれ、今はまだ考える材料が乏しい。リヴェラは頭を切り替え、ディエゴの待つ軍の施設へ向かう。まさに気分は通い妻。怪我で動けないディエゴを想像すると中々興奮する。

 軍の駐屯基地に着く頃には、日も暮れて街灯がまばらに灯り始めていた。雲が出てきたようで、今宵は星も月も出ていない。

 当たり前の顔で中に入ろうとするリヴェラを、見張りの哨戒兵が止める。

「ちょっと、あんた。一般人は立ち入り禁止ですよ」

 とても怪訝そうな顔の兵士。仕方なしにリヴェラは、懐からポリシアの手帳を取り出す。

「ポリシアです。極秘任務(ディエゴとの逢瀬)のためどうかご協力を……」

 どうにか哨戒兵を言いくるめ、敷地内に潜入するリヴェラ。右手にある訓練用のグラウンドには、軍の装甲車が数台停められているが、夕食時の所為なのか人の気配は感じられない。いくつかの建物のうちディエゴのいる医療施設のある棟を目指す。道を覚えるのは、小さな頃より得意であった。

 棟のエントランスをくぐると無人の受付があり、薄暗いこじんまりとしたロビーには、簡易的な椅子が規則的に並べられていた。その中央には、故人と思われる名が記された石碑と、お知らせが貼り出される掲示板。掲示板の脇を通り、リヴェラは奥へ進む。勾配の比較的なだらかな階段を登って、ベッドのある入院施設まで足を運ぶ。ディエゴがいる部屋の前で、深呼吸をひとつ。ノックもせずにドアを開け放つ。

「きゃっ!」

 白のシーツ、白のカーテン、白の天井。白を基調とする部屋には、乱れた白衣の女衛生兵(エロナース)。ベッドで横になる渋い便利屋の上に跨り、今まさに純白のショーツを下ろそうとしていた。

 ちょっと! あんたあたしのディエゴさんに何してるの。なんて言葉が脳裏に浮かぶも、免疫のないリヴェラには、それを口に出す余裕など、どこにも無かった。気まずいのであろう。いそいそと衣服を整え、逃げ出す女衛生兵(エロナース)。待て! 捕まえて生皮剥いでやる。と、追いかけようとするリヴェラの後ろ髪を引くのは、ディエゴであった。

「リヴェラくん。きみが私をここまで連れて来てくれたんだってね。ありがとう」

「ディ、ディエゴさん。今の女は何!?」

「ああ、丁度彼女が私の包帯を変えに来てくれただけだ。気にしなくていい。それより、私に何か用かな?」

 それより(・・・・)じゃねぇよ。リヴェラは深く溜息を漏らす。通い妻気分が台無しであった。しかしベッドから上半身を起こす半裸のディエゴは、筋肉質で実にセクシーである。ここでこう会話をしているのも満更悪くない。

「いや、怪我人なので、色々とお世話をしようかと思って」

「そこまでの迷惑は掛けられないさ。それにどんな処置をされたのか知らないが、すっかり痛みが引いている」

 はははと、笑いながら包帯で隠された傷口を見せるディエゴ。とても謎のドクターに内蔵の一部を取られたなんて言えない。

「あたしは一応ポリシアです。正直に答えてくださいね。いったいその傷どうしたんですか」

 ディエゴは自分の裸体をガン見するリヴェラの問いに、「ふむ」と暫し思案するような顔をする。またその顔も渋くてカッコいいと、リヴェラの性的な興奮はさらに高まる。


挿絵(By みてみん)


「……賊に不覚を取った。かなりの使い手だった。恐らくはスラムの奥に生息する掃除屋のひとり。獲物は曲刀」

「い、いや。そう言うことじゃなくてですね、そもそもなんでそんな賊に狙われたんですか」

「危険な男は嫌いかな?」

 ディエゴはリヴェラの手を取り、ぐっと引き寄せる。リヴェラは顔を真っ赤にして、その手を振りほどく。だめだ。遊ばれている。

「質問を変えます。貴方の連れていたもうひとりの少女(・・)。あれ神託の巫女ですよね」

「……おっと、そこまでポリシアが辿り着いているとは驚きだ。否定はしないが、肯定もする気はない」

 少しも動揺したようには見えない。食えない男である。ああ、かっこいい。

「神託ってのもまた眉唾な話ですよね。何回聞いても信じられない。女神の声が頭の中に聴こえるんですかね」

「さあ。私は本人じゃないからな。ただ噂では、夢をみたり、あと既視感を感じたりすると聞いたことがある」

「ほぇ~。予知夢的なものですか」

「私が体感したことではないから何とも言えはしない。これはあくまで哲学的な話だが、そもそもそれは未来予知なんかじゃなくて、『夢の方が現実で、今を生きる我々の方が夢なのかもしれない』」

 実際に起きたことは夢の中でしか変えられない。それを人は願望と呼ぶ。言葉尻にそう付け加えるディエゴ。

「ベアトリクス・オーデンの古い小説の引用だ。別に私の台詞じゃあないがな。物は言いようだろう」

「あはは、祖父がそんなの読んでたかな。文学はちょっと……。なんか混乱してきたな。つまりあたしたちは巫女の視る夢」

「流石に飛躍しすぎかい? 少女は夢の中で、私たちは何度と繰り返される後悔を、やり直しているに過ぎないというのは中々面白いと思うのだが」

「はぐらかさないでください」

「だが夢でないことの証明もできない。なぜなら我々は少女の視る夢の住人なのだから」

「それもどこぞの小説の引用ですか?」

「いや、私のオリジナルだよ。中々私も詩人だろう?」

 そう目の前の便利屋はニヒルに唇の端を歪ます。その表情にリヴェラは「あーん、抱かれたい」と思うばかりであった。





(ㆁ௰ㆁ)挿絵の包帯ディエゴさんは、

サクさん制作です。

渋いですねー

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ