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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第二楽章 正義の章
13/32

村の居酒屋での踊り




「うわっまだ追ってくる。しつこい〜!」

「ボコ待ってくれたまえ。速いよ。置いていかないで……」


 ボコはルーシィの小さな手を取って


 群衆が奏でる足音(リズム)に合わせて


 得意のクイックステップを踏んで


 イカしたダンスを踊る


 ルーシィが春の強い風に吹き飛ばされぬように、決してその手を離さず、くるくるくるくる、色とりどりの景色を回す。からからからから、ハツカネズミみたいに世界を回す。呼吸は苦しい。だけれど、とても爽快な気分。ルーシィはこのまま世界の最果てまでだって行ってみたいと思った。

「こら〜、待ちなさいよ〜! 逃げても良いことなんて何も無いよ〜」

「アンタ、また無実の罪でオレを逮捕する気ッスね〜」

「何言ってんの。手なんか繋いじゃって、れっきとしたロリコンじゃん」

「そーゆーことはルーシィのおっぱいを見てから言ってほしいッス!」

「ちょっ! ボコ。きみはそう言う目でぼくを見てたのかい? 見損なったよ」

 いよいよ逃走劇の舞台はスラムへ。いたんだ石畳の舗装に、ルーシィの足がもつれる。大気中、風に舞う砂埃。情緒より混沌をモチーフにしたような街並みも、立ち込めるスラム特有の匂いも、そう悪いものではなく、ルーシィの抱いていた薄暗いイメージを払拭する。ひびだらけの建物が立ち並び、活気ある人々が道端で露店を営む。

「ほーら。おふたりさん。安いよ安いよ〜。玉ねぎひとつお買い上げごとに、包丁とまな板つくよ〜」

 ルーシィは目をきらきらさせながら、きょろきょろと辺りを見渡す。

「ボコ。ぼくあれが欲しいのだけれど」

「わー、止まるな。あとであとで!」

 スラムの昼市は、歪な形の野菜に、異臭を放つ海産物、石ころみたいなアクセサリー、ブロッコリーなどの凄絶なプリントが施された斬新な衣服など、多種多様なものが売られている。

 地理に詳しいボコのおかげで、少しポリシアの捜査官を引き離したので、油断していた。虎視眈眈とふたりを狙うのは、見た目おとなしそうなアンネ・リヴェラ。彼女は安心仕切っていたボコたちを嘲笑うように、スナイパーの如く眼鏡を光らせる。そして人混みを無視し、飛び道具とも言うべき鎖鎌のように長いハンドカフスを投げ放った。

「あっぶね!」

「ちぃ」

 上半身を逸らしてかわすボコ。ハンドカフスは、露店の野菜の山に命中し玉ねぎやじゃがいもが、所構わず散乱する。





 夜中の内に雨は止み、昼前にはぴーかん照りの太陽が湿った石畳を乾かして、生臭い空気が立ち込めていた。最近にしては気温が高く、長袖では暑いほどである。

『号外。号外。なんとドレスコーズファミリーの鉄腕ゴーギャンが殺された』

 休刊日にも関わらず、刊行されたニュースペーパーは、街々の行き交う人々に配られ、死後数日して、(ようや)くゴーギャンの死は街の一大ゴシップとなる。政治にも関わるほどだったドレスコーズの側近のひとりが殺されたという話には、普段スラムに無関心な街の人々もさすがに足を止めた。春の風が花粉と共に噂を運び、街の隅々までそれは行き渡り、果てはスラムにまで噂が舞い戻ってくる。

 そんなスラムの片隅にこじんまりと建つ建物は、デコたち金貸しのアジトであった。冷たい壁に囲まれた殺風景な部屋。青いソファに腰掛ける男のタンクトップから生える逞しい二本の腕には、炎のトライバルタトゥー。めらめらと燃え盛る模様は、肩口まで続き、そこで誰かを思わせる狼の顔を形造っている。

「のう、デコよ。ボコがまだ来とらんみたいじゃが、わしの気のせいかのぅ」

 異国訛りの強いその声は、随分と苛立っているようであった。コーンロウの編み込んだ髪と、もみあげを隔てて繋がる顎髭。厳つい強面の男の声は、窓の少ないアジトの室内によく響き渡る。そこは人が生活するにはやや薄暗く、決して広くない密閉度の高い空間だったが、金貸しを生業としている彼らにとって、逃げ道の少ないこの造りは、何かと都合が良かった。普段は金を賭けたカードゲームが興じられる四つ足の机と、置かれたぼろ椅子に青のソファベッド。そこに腰掛けるは、デコとその一味である古株のメンバーが数人。ボコの姿はない。とっくに約束の集合時間は過ぎていた。

 デコはメンバーたちを見渡す。先程の異国の訛りの男に加え、この中にもちらほらと、異国から流れてきた不法滞在者や国に帰れなくなった者たちがいた。スラムは不法滞在の外国人などが身を潜ませるのに、うってつけなので、別段珍しいことではない。

りゃあ、あのチビに甘いんじゃあ。きやつは仮にもワシらの取り仕切り役じゃけぇのう。ここにあいつがらんと締まらんじゃろうが! じゃのに、なんで大事な会合に顔を出さんのじゃ」

 コーンロウの男は、そう言って拳を机に叩きつける。如何にも粗暴そうな男が凄むので、他のメンバーたちは、ダンマリを決め込むばかりであった。

「ジュノウはん、ジュノウはん。落ち着きぃやー。あのどチビがどこほっつき歩いていても、ワイらには関係ありまへんやろ。寧ろ、いたら邪魔や。邪魔」

 ジュノウと呼ばれた男の斜向かいで、自らを扇子で仰ぐ小太りの男。こちらも見た目では解らないが、幾らか言葉が鈍っている。他国の出身者なのであろう。あまりの物言いに腹を立てたデコではあるが、ぐっとそれを堪えた。連絡手段の乏しい彼らは信頼で繋がっている。そして、それはスラムでなく、どの仕事でも同じである。大事な会合の日にいないのは、裏切りにも等しい。もちろんディエゴが連れて行ったので、なんらかの理由があることは想像できるが、なんとも説明の難しい話である。そもそもそうでなくともデコとボコは、このふたりと折り合いが悪いのだ。拳ひとつで成り上がってきた男ジュノウに、金勘定が上手い小太りの男ブリュレ。カリスマであるスラムの王が去った金貸しの一味は、残念ながら一枚岩ではいられなかった。そもそもふたりとも、スラムに君臨する王の背中に憧れ、この一味に入った古株なのだ。デコとボコが取り仕切る今の現状を面白く思っている筈が無い。

 その一方でデコは、彼らをけっして見くびってもいなかった。欲したものを力ずくで奪うジュノウと、損得で動く利己的なブリュレ。ふたり合わせれば、その気質は自分やボコよりも遥かにスラムの王に近いのではないだろうか。デコはふたりをそう評価していた。少数精鋭のけっして大所帯ではないメンバーたちであるが、派閥が生まれるのは必然であった。

「おいおい、そんな言い方は無いんじゃないかなぁ。ボコはディエゴの旦那が連れて行っ……」

「じゃかぁしぃわ! だあっとれハルビック」

「ひぃ……」

 ジュノウの強い一括に、尻込みし目を逸らすハルビック。そこでやっとデコは重たい口を開く。

「……ボコがまだ来ていないが、仕方がない。始めよう。知っての通りドレスコーズファミリーの幹部が殺された」

「ざまあ、ないのう。ゴーギャンだったかのう。それがどうした」

「明日メンバーを全員連れてゴーギャンの葬儀に行く」

 ざわつく仲間たち。想定内の反応であった。デコだって決して本意ではない。もちろん共にスラムで過ごした死者を、弔うだけならば、それは吝かではない。しかしだ、この話はそれ以上のどろどろと煮え切らない駆け引きが渦巻いていることなど、ここにいる誰もが解りきっていることであった。

「どういうことじゃ! いつからうちらはドレスコーズの傘下組織になったんじゃ」

「昨日ドン・ドレスコーズ本人に頼まれた。断る理由はない」

「大ありじゃあ! 貴様きさん、意味を解っとるんじゃろうなぁ?」

「デコはん。ジュノウはんの言う通りやで。銭も用意せなあかんやろうし、何より、うちの看板にドロが付くんやで」

「スラムの仲間として呼ばれた。つまり蹴れば敵と見なされるだろう。俺たちは試されている」

「上等じゃあ。一体どちらがスラムの支配者なのか、解らせるべきじゃろ。違うのかデコよ。ワシが間違っとるのか?」

「……頭を冷やせジュノウ。ハルビック済まないが、今日中に全員分の喪服を用意して欲しい」

 戦えば、勝つ見込みはない。結果は火を見るより明らかである。頭数の規模も違うが、それ以前の問題であった。相手は暴力を生業にしている組織、こちらはあくまでも商売をしている。時代は変わったのである。ボコならこんな時、なんて言うのであろうか。デコはここにはいない相棒を思い浮かべた。そう言えばここ最近、まともに顔を合わせていない。





 デコに喪服の調達を頼まれたハルビック。金貸したちの経理を担当する彼は、可能な限り安く仕入れようと、スラムの昼市を彷徨っていた。きちんとした仕立て屋に頼む時間も無ければ、費用も嵩む。されど相手はスラムのゴロツキ出身とは言え政治家。小綺麗な格好をしていかねばならぬのであろう。

「ふふん。おばあちゃん。黒のスーツはあるかい?」

「そんな上等なものはここには無いのう。こういうのなら揃えちょるんじゃが」

 露店を営む痩せこけた半裸の老婆は、おもむろに斬新なプリントが施されたインナーを押し付けてくる。……と、そこでハルビックの爪先に何かが当たる。スラムの外では中々お目に掛かれないような、随分と形の悪い玉ねぎであった。

「わー、ぶつかる! どいてどいて」

 そこに声。聞き覚えのありすぎる、お調子もん特有の掠れたテノール。老婆の露店を物色していたハルビックの腹に、前をよく見てなかった背の低い青年が顔面から突っ込んできた。

 ぼよよーん。ハルビックの巨大な腹に跳ね返された青年はバランスを崩して転んでしまう。よく見ればボコであった。ボコは見たことのない綺麗な顔をした少女を連れていた。心配そうに倒れたボコを覗き込む少女。

「いってぇ〜」

「ボコじゃないか! こんなところで何してるんだよ。ふざけんな。見損なったからな」

 ボコを見た途端に詰め寄るハルビック。彼の巨大は、ふたりに大きな影を造る。普段穏やかなハルビックではあるが、珍しく怒りを露わにしている。

「ハルビック!? あ、やべー今何時⁉︎ 会議はじまった?」

「おいらは、そんなことどうだっていい! なんでだよ。仲間だって言ったじゃんかよ。なんでボコはそんな可愛い女の子連れているんだよ」

 ハルビックは、なんとも嫌らしい犯罪者のような目つきで、ボコの連れていた少女を見やる。足下から、胸、そして顔を舐めるようにに見て、瞬時にスリーサイズを予測し、脳内のデータバンクに焼き付ける。

「ほほう。専門用語で言うところのロリ巨乳じゃないか。ふふん、ボコ。これは罪深いからね」

「ごめん! 今追われてんだ! デコたちにもよろしく言っといて!」

 「よっ」と、飛び起きるボコ。少女に手を貸し、急いで走り去って行く。その後ろから、眼鏡の女と初老の男が大慌てで走ってくる。どうやらボコたちを追っているのであろう。初老の男がハルビックを呼び止め、懐から手帳を取り出す。

「俺たちはポリシアだ。おい。この辺りに背の低い男女のふたり組は、来なかったか」

「ああ、そのふたり組なら、あっちに走って行きましたよ」

 ハルビックは嘘をついた。これでボコたちは逃げ切れるであろう。一息吐いた彼は、ふふんと鼻を鳴らし、シャロンに同情をするのであった。




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