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ドブ鼠たちのトロイメライ  作者: 夕凪 もぐら
第二楽章 正義の章
12/32

ピアノのために・トッカータ

12.



 りんごーん、りんごーんと、どこかの教会より鳴る朝の鐘。時計仕掛けの街は動き出し、人々はあくせくと活動をし始める。

 エレナの店を後にしたルーシィとボコ。室内と外気の気圧差に負けぬよう、お互い無言で一時停戦協定を結ぶことにする。ルーシィは、やはりボコのことが心配で仕方がなかった。だけれど、こんな風に誰かの心配をしている間と言うのは、案外胸を締め付けていた別の不安の方が、その姿を消すものである。

 この時間に大通りを見回せば、視界の節々に映る忙しい人たち。それぞれが目的地へ向かう為に大通りを通り抜ける様は、交錯する線を描くよう。ルーシィは絡まる線を目で追ってくらくら。ここは、世間知らずな自分が呼吸するには、あまりに都会であった。

 目を逸らせば、反対方向にはミヤコの店。当然閉まっていて人気を感じない。昨日の活気が嘘のようだった。さらにその側にあるのは噴水広場。中からは、どこかの国の民族音楽と思われるエキゾチックな旋律が聴こえてくる。噴水の側には、平日の朝にも関わらず、大道芸をするパフォーマーがちらほら。不協を奏でる気の狂ったアコーディオン奏者。白塗りのジャグラー。身振り手振りで、まるで虚空より現れるような演出をする紳士風のパントマイマー。はてはて、あの三人どこかで見たような。

「急げ急げ! 遅刻したらヤバイ!」

「あっ、待ってボコ!」

 軽やかに駆け出すボコとは違い、ルーシィの足は都会の線がごとく絡まって。「わっ!」「()ねっ」

 まだ冷たい朝の掌に伝わる体温。交わる視線。転びそうになったルーシィの手をとっさに握ったボコは、「よし行くぞ!」と軽やかに出発進行。なんでもないような時に挙動不審なくらい照れ屋な面を見せるのに、こんなにも簡単に手をにぎって、触れ合っていることを意識しない。ルーシィはそんなボコのことを、なんだか少し可愛いと思った。彼はさながら勇敢な騎士の如く、姫の手を取り、見えない線を断ち切って一騎当千。取り立てで鍛えたフットワークで、死線を越えていく。流れるようなアン・ドゥ・トロワ。余裕綽々鼻歌混じりにステップを踏む。

「のびのびー のびのびちーっぷす。そとはパリッと、なかはノビッと! おもちーだーよーっと♪」

「ボコ。歩くの早い。早いって。きみはせっかちだなぁ」

 エレナの店から、スラムまでは決して近くはないが、ボコにバスを活用する習慣はあまりない。ついにはルーシィが息切れして、人混みを抜けたふたりは少しペースを落とした。

 メインストリートから一本裏に入った商店街、既に開店している店と、まだシャッターが閉まっている店、丁度半々ぐらいの時刻。シャッターに朝日が反射して街を立体的に映す。体操をしている老人、歩道を歩く学生、ターミナルでバスを待つ大人たち、オープンテラスでニュースペーパーを広げる商人風の男。さまざまな人がいる。始まったばかりの一日、それぞれの朝、それぞれの息遣い。

「……ところで、いつまでぼくの手を握っていれば気が済むんだい。このスケベ」

 それに気づいたボコは慌てて手を離し、耳まで赤くする。

「どわっ……マジじゃん! いや、でもスケベじゃない!」

「ははは、知っている。冗談だよ。ボコは乙女だなぁ」

 ボコをからかって満足そうなルーシィ。ボコもボコとて、嫌な気はしない。ルーシィを相手にしていると調子が狂うのだ。普段はコミュニケーション能力に長ける彼ではあるが、惚れた腫れたの恋愛話はからっきしで、こと年頃の女子を相手にすると途端に口下手になってしまう。自己分析など出来るボコではないが、漠然と友人や兄弟に向けるような情と、異性に向ける情、そのふたつに分けるならば、ルーシィは非常に微妙なところであった。特にブラウスに着替えてからと言うもの、ボコはルーシィの顔を見るのさえ恥ずかしかった。だからきっと胸ばかりを見てしまうのである。これは決してスケベ心なんかではないのだ。

 




「のびのびー のびのびちーっぷす。そとはパリッと、なかはノビッと! おもちーだーよーっと♪」

 調子外れにCMソングを呟きながら雑貨屋の店内を物色するアンネ・リヴェラ。

教会での聞き込みを終え、バディのイワコシと共に、側にある雑貨屋に立ち寄る。鉄腕のゴーギャンはこの近辺で殺害されていたため、ふたりは教会を初めとする、現場付近の聞き込みを行っていた。

 店主であるグース夫人から聞き込みを終えたイワコシは、入り口で腕を組み苛立ちながらリヴェラを待つ。

「早くしやがれ。勤務中だぞ」

「腹が減ってはいくさは出来ぬってね。イワさん。捜査官は身体が資本って言いますからー。イワさんの分も買っておきますね」

 そう言って棚に手を伸ばし、のびのびチップスをふたつ買い物カゴに入れ会計を済ませる。

「昨日は寮に帰ってないそうじゃないか。どうした」

「あはっ、それ聞いちゃいます? 実は男性のところでお泊りしてました」

「……いや頼むから話すな。面倒臭い」

 会計を済ませたリヴェラは、なんとも行儀が悪いことに、歩きながら菓子の袋を開ける。

「それにしてもヘルトゥさん、やっぱ格好良かったですね」

「彼氏がいるんじゃないのか」

「あ、その話、聞きます? 聞きます?」

「いや、いい。話すな。面倒臭い」

「しかし手掛かりありませんね。やっぱ教会の少女が殺ったでいいんじゃないっすか」

「おいおい。随分乱暴だな」

「あっ、そいやー、お孫さん会えました?」

「孫? ああ、話してなかったけ。俺の孫はな」

「ちょ、イワさん。待って。あれ……」

 雑貨屋を出て少し歩いたところで、リヴェラは小声でイワコシを制し、綺麗な指紋の人差し指で、大通りの自分たちとは反対側を指差す。そこには先日誤認逮捕してしまった青年ボコと、ハンチングを被った小柄な女。昨日は優先すべきことがあり、取り逃がしたが、間違いない。あれはディエゴの連れていた人物である。

「……あれは間違いねぇ。髪を短くしてるが教会の女だ」

「じじいのくせに目は良いんですねぇ。イワさん」

「うるせぃ」

 大通りを横断するときは、ポリシアたるもの、交通マナーに従い、右を見て、左を見て、もう一度右を見て。左手を天高く上げ、やっとこさ踏み出そうとするも、スピード違反の車が突っ込んできて、最初からやり直し。

「ばっきゃろー。逮捕して無期懲役にするぞ」

 くだを巻き、一から右を見る。右、左、右、左、上、斜め四十五、ワンツーワンツー。

「あっ、ポリシアのお姉さんだ」

 悠長なことをしていたら、ボコがこちらに気づいた。

「くそっ、行くぞ」

「ダメだよイワさん。うちらはポリシア。全てのオフィーリア国民のお手本にならなくちゃ」

 バスが横切りまた一からやり直し。右、左、右、左、前、後、たーて、よーこ、レッツ・ダンシーング。






「えっ!? ポリシア? どうしよう。ぼくポリシアにも無実の罪で指名手配されているんだよね」

「まじで? ルーシィやべー! オレら(スラムの金貸し)よりアウトローじゃん。世界中敵に回してる感じ?」

「太陽と月に背いても、ぼくを守ってくれたまえボコ」

「かっけー! そのセリフ今度オレも使お。『太陽と月に背いても取り立ててやるぜ』とか」

 などと軽口を叩きながら逃げ出すボコとルーシィ。交通が途切れ、遅れて走り出すイワコシとリヴェラ。流石はポリシア。ロートルイワコシ疾風(はやて)の如し。速い。速い。速い。ぐんぐんと距離を詰める。早くも足の遅いルーシィを射程に捉え、その背中に手が伸びる。が、そうはさせるかと、ボコが足払い。(つまず)いたイワコシは、そのまま飲食店横のゴミ箱にダイブ。生ゴミが程よく芳しい匂いを四散させながら、宙を舞う。

「じじいのくせに無理すっから」

 そこは冷静沈着、ポリシア界のサラブレッド、アンネ・リヴェラ。自らの秘密兵器のオリジナルハンドカフス。通常の物の数十倍の長さのそれを、鎖鎌のようにブンブンと振り回す。さながら大衆芝居のカウガール。

「あっ! あれはやべー」

 リヴェラの投げつけた手錠は、いかづちのようにジグザグの軌道を描き、ボコを襲う。しかし彼の野生動物並みの動体視力は、間一髪体制を崩しながらも、それを大ジャンプで躱す。着地は上手く出来ず、石畳の上をごろごろと転がるボコ。

「いってー。肘擦りむいたー」

 ルーシィの手を借り、起き上がるボコ。一方生ゴミの異臭を放ちながらも、起き上がるイワコシ。

「くそー。しつけー」

 ボコとルーシィは、イワコシとリヴェラに背を向け、走って逃げていく。逃げ込んだのは教会。敷地内には、子供と遊ぶニワトリが数羽。

「ボコ。教会に逃げこんだら、他に逃げ道がないじゃないか」

「ある! 秘密の抜け道が!」

「コケー!」

 イワコシとリヴェラから、逃げ回るボコとルーシィ。ボコとルーシィから、逃げ回るニワトリ。数多に飛び交う沢山の白い羽根。

「オラぁ。待てぇー小僧。小娘」

「コケーッ!」

 追いかけっこは続く。ハシゴから屋根に飛び乗るルーシィとボコ。ルーシィが落ちないよう、ボコはルーシィの手を強く握る。息を切らせながら追いかけて来るのは、ベテランイワコシ。

「ぜぇーぜぇー。まだまだ現役でぃ」

 反対側からはリヴェラが先回りして、ボコとルーシィは挟まれる。ブンブン振り回すハンドカフスの第二投はルーシィを狙う。ボコが強く手を引きそれも空を切り、その奥の鐘に命中。りんごーん、りんごーん。街中に朝の終わりを告げる鐘が鳴り響く。

「ちっ、外したか。でも観念して。逃げ道は無いよー」

 ゆっくりと一歩一歩距離を詰めるリヴェラとイワコシ。しかし女神は表向き信者のルーシィを見放さなかった。スラムの側にしては、質が良く、大きな教会だが、建物自体は古く、天井が腐っていたのであろう。大きな音がして、リヴェラの歩く屋根が抜けた。片足を取られ、バランスを大きく崩すリヴェラ。

「今だ。ルーシィ。飛ぶぞ」

「わー。ちょ、無茶だよボコ」

「いけるいける」

 ボコはルーシィの手を引いたまま、屋根の傾斜を利用し、教会の柄まで飛び移ろうと跳躍する。ばさばさばさばさばさ。ボコとルーシィは飛翔する。

「ほら大成功」

「ばかぁ〜。死ぬかと思った」

 これで巻いたと思ったが、しつこいポリシアふたりもこちらに飛び移ろうとしているのが見える。やれやれ、どうやらミーティングには、間に合いそうもない。


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