妹にパンツを借りる
かなり、です。
「はぁ……」
玄関のドアを閉めると星識はドアに凭れるように背を預けて、ずるずると崩れ落ちる。
滑利はその前にちゃんと玄関に降ろしていた。
イベントだと? ふざけんなよ。
そう星識は思うが、怒りは抑えて、笑顔に戻った。
滑利の機嫌まで悪く成るのは避けたい。
「疲れたでしょ? ね? ごめんね星識くん」
屈みこんで滑利は拝むようにしていた。詫びていて、どこか嬉しそうだった。
ずっと抱えて守り通して貰った。それが滑利には嬉しい。
星識からは滑利の本心は分からない。
見た感じで言えばかなり、本当に、凄く、要するにベタベタだ。
ツンデレとかの用語で言えばデレデレだ。
それで困る事が無いかと言えばある。他の属性よりは楽だと思う。
「大丈夫。全然。……滑利は軽いし」
事実だった。滑利を運ぶのは並の体力が有れば難しくない。
片手で運べる。今日、便利だと実感した。
「重いから! 背低いだけ」
150cmはコンプレックスらしい。星識は体重を聞いた事が無いが軽いものだと思う。
「待ってくれ。電気点ける」
脚はもつれる。よろけながら玄関の電気を点け、どうにかリビングまで歩いた。
今さら身体に来ていた。
必死に走っていた時とのギャップが激しい。気を抜いたせいだろう。
ARのRPG一般がそうだが、体力をリアルに削られる。
冷蔵庫を開けると、星識は食べられそうな物が残っているかどうか調べる。
今からコンビニまで行って来るのは嬉しくない。魔物とまた戦う事に成る。
HPは黄色、半分以下まで減っている。MPも半分以下だ。
回復には時間がかかる。
食べなければ、と思う。
自分用には、残した牛丼という(取っておいた、のだ)手段がある。
「ピザが有ったはず……」
冷凍だ。消費期限は切れていない。
「何でもいいよ。私。材料あれば作るし」
「マジか女神だよ滑利」
事実上の一人暮らしに成ってから、作って貰った事など星識にはない。
「……作ってあげた事なかったね。今日はお弁当作ろうと思ったんだけど、広げる場所ないかなと思って」
それはそうだ。駅には立錐の余地も無かった。
「あれじゃあね。立ってるので精一杯だった」
「……冷蔵庫見ていい?」
「もちろん」
ピザは非常食、ということになった。
冷食は全部非常食。
「で、あの、料理はいいんだけど、これ。浴衣」
滑利はばっ、と両手を広げて見せる。
艶のある水色の髪は本人と変わらない。
教会のシスターの服。スカートはいつも思うけれど極端にミニだ。
僧侶、が今のクラスだ。他のクラスもカンストしている。
かなり胸も強調されたデザインで、肩から肘までは服がない。そしてフリルが多い。
黒く長いブーツ。ヒールは高い。
一言で言えば肌色の多いシスター服だった。
「アバターしか見えない。浴衣だよな」
「あそっか……ごめんね」
多分そう言う事ではない。と星識も気付いてはいた。浴衣が問題だ。
「どうなってる?」
汗で一面に濡れているのだろう。
浴衣で料理はないだろう。と星識にも分かる。
「えっと、汗でぐしょぐしょ。皺だらけになっちゃったし。見ても分からないね。ごめんね」
肌の感覚は一部そのまま伝わっているようだった。
「どうしよう。どうやって脱ごう」
滑利は本気で困っている。そうなると星識も他の事など考えられない。
星識の弱点でもあり――滑利にはいい所でもあるのだろうが、星識としては困ると引き摺られて一緒に悩むのが自分の悪癖だと思っている。解決するのが先だろう。
いつの間にか、滑利は無理矢理脱ごうとしていた。
「滑利、待って。その前に何を着るか考えよう」
やっぱり自宅まで届けた方が良かったか? せめて着替えるまで。そう思う。
「俺のは……」
ワイシャツ? ロンT? 身長175㎝という大問題がある。
着られないということはない。……下着が無い。
やっぱりコンビニか? 下着なんか有ったか?
「た、タオルとかでどう?」
滑利が提案する。巻くだけか?
「滑利が良ければ」
無い線じゃないかそれは。
「あっ」
星識に閃きが有った。それほど大したことではない。
居るじゃないか。ウチには。何で思い出さなかったかというと付き合いが殆ど無いからだ。
下着。有ると言えば有るのだ。難しい所だ。
一角炎咲。妹だ。
空の弁当と洗濯ものとゴミが部屋の外に置いてあるから回収して洗濯してゴミは捨てて弁当と服を戻しておく。そういう付き合いだ。
引きこもりの放置、だ。ネグレクトではない。
たまに出てきて暴れる事もあるけれども。
ヘビーゲーマー。とっくにカンスト。今日もVRで眺めていたに違いない。
「下着借りられるかどうか聞いて来る」
「え? 誰に?」
「ちょっとね」
だけ、だと変だ。
「妹、居るの知らなかっただろ」
「え。知らなかった。全然言わないんだもん」
そうだろうね。あいつは学校行ってないから。
あえて話題にもしていない。
勇気を出せ。下着の話題まで行くとは思えないけど頑張れ。
「待っててくれ」
滑利をリビングに残して、廊下を奥の部屋まで進む。
まあ、深夜ではあるけれど寝てないだろう。
ドアを慎重に祈りを込めて優しく、心を乱さないように気持ちを込めて会いたいという思いも込めて、要するに拒否されないようにノックする。
ここを間違えると妹にパンツを借りる兄という複雑な状況に入る前に終わりだ。
よく考えると状況自体が終わっている気もするが気のせいだ。
――コツコツ。
「姫。拝謁を願います」
演技だと思い込む。第一の壁はこの演技だ。少しは慣れた。どうにでもなれ。
「なんじゃ。兄者か。妾に何の用じゃ。こんな時間に」
朝までゲームやってらっしゃるのではないのですか。姫。こんな時間にと言われましても。
――ともあれ妹が廚二病をこじらしてしまったのは、まあいい。
ご機嫌さえ良ければいい。声は、機嫌がいい。
最悪ならばそもそも返事が無い。
機嫌の良さそうな声で返事が有ると言うのはほぼ最高の状態だった。
突き進む。
「ちょっとお話しても宜しいでしょうか」
「重大な話か」
「左様です」
「我が城門を開く程か」
この前は城門じゃなかった。メルヴェーンで城でも建てたのだろうか。
「……如何にも。伏してお願い致します」
「そう言われれば邪険にも出来ぬ。通れ」
がちゃ、とドアの鍵が開く。
「では失礼して拝謁に預かります」
ドアを開けて、そーっと入る。
「恐縮至極です」
とりあえず土下座しておく。
いきなりパンツ貸してくれ。そう言ったら二度とこのドアは開かないだろう。
「姫にはご機嫌麗しゅう」
実際、そんなに機嫌は悪くなさそうだった。
「用件は何じゃ」
声も穏やかだ。
床に付いている黒髪ロングも艶々で、細い理知的な顔も笑顔だ。
たぶん。
目はヘッドセットで見えない。笑顔なのは口元だけだった。
あまり食べないせいか全体に細い。
だから胸の話題に触れてはならない。禁止項目は多い。
中でも。
兄ちゃんの彼女用パンツ貸してくれ。禁句。
どう切り出せばいいんだ。そうだ。
困っている助けて、パターンで行こう。
僕は君より駄目だから、という所を強調するのがコツだ。
「俺には手に余る事が御座いまして。どうにも一人では解決出来そうもありません。そこで失礼とは思いましたが……」
「なんじゃ攻略なら、いつでも畏まらずに聞け。どこで詰まっておる」
メルヴェーンで今更詰まったりしねえです。
カンストなのはお互い知ってるでござろうよ。
「いえ、そうではなく、」
そうだ、外は見えるだろう。
「家の周りをモンスターが囲んでいるのはご覧に成りましたか」
「ザコじゃ。使い魔に皆殺しにさせておる。心配するな。この家には侵入させぬ」
悪鬼のような表情で妹は微笑した。普段は可愛いんだけども。黒髪ロングが迫力を帯びて見える。
「そこで、一人旅人を助けまして、」
「瀕死か。ならば妾が死体からでも賦活して見せよう」
ネクロマンサーの様な事を言った。実際それもクラスとして有る以上、カンストはしているだろうが。
「そうではなく、姫のお手を煩わせる程でもないのですが、その、着替えが……」
「回りくどいな。ジャージでも借りたいのか。女か?」
誰の為に回りくどくやっていると思ってらっしゃいますかね。
「し……」
下着って言っていいタイミングか?
「し?」
「した……」
「なんじゃ下着か。絶対に三回は洗ってから返せ。残り香が有ったら死罪じゃ」
左様で御座いますか。洗いまくって嗅いでからお返し致します。
兄としては最悪だった。
「初めから下着を貸して欲しい。一生奴隷に成るから、と言えば早いのに迂遠だったな」
「奴隷には、なりたくないです」
ここで言質を与える訳には行かない。
「では……貸さぬ」
「それ一択なのかよ……」
どうでも良く成って来ていた。いけない。それではいけない。
「暴言を吐いたな? 兄者」
まあ、日ごろから奴隷みたいなものだ。いいだろ別に。ご飯を作り洗濯をし、ゴミを捨て機嫌を取り通販で買えない物は全部買って来て一言も文句を言わない。事実上奴隷だ。
「成ります。奴隷に」
「ならば良し。ほら。撒いてやる。盛りのついた犬のようにハァハァ言いながら這いつくばって拾え。匂いを嗅ごうが舐めようが自由じゃ。ここで抜こうが構わんぞ」
妹――一角炎咲はクロゼットから下着を取っては床にぽいぽい放った。
何を言ってんだお前は。
匂いだの犬だのハアハアだのは絶対にないからなそれは。
散らばった下着を集めようとする。
「犬に手があったか? はて」
悪戯を思いついたらしい。
「口?」
「うるさい犬じゃな。決まっておろうが」
もう何でもいい。入手出来た。変なプライドは要らない。口で拾った。
「いい子じゃの。今後出入りを許すぞ。返事は?」
「わ、わん?」
「よしよし」
見えないが目を細めていそうだった。
這いつくばって口だけで薄い生地を取る。取っては自分の後ろに宝のように置く。
ふざけるな。だが顔に出すわけには行かない。
ここまでの段取りが台無しになるくらいなら、ぶっ続けの屈辱を選ぶ。
ただでさえ汗塗れの身体から、顔から汗が床にひっきりなしに滴り落ちる。
下着を汚さないようにするのだけでも気を使う。
「では、拝借致します」
妹は椅子に座ると、椅子の背に腕を乗せた上に顔を乗せて、上機嫌でこっちを見ていた。
寛いで腕に顔を乗せて、悪戯を見ている。そういうことだ。
「わん、でも良いぞ。それは気に入らん物ばかりだから返さんでもいい。気が変わった。気に入った服でも下着でもあれば自由にしてよい。心得たか? 犬。踏んでほしければ鳴け。蹴とばして欲しければ鳴け。脱ぎたてが欲しければ甘えて見せろ」
好き放題だ。セリフのどれかが琴線に触れた人は妹が居ない筈だ。
いや趣味は自由だけどね。合意の上ならどうでもいいけどね。
俺はそうじゃないというだけだ。
「ふん。いい子にしているから、このはしたない匂いの汗は……汗は……ノーカウントに、不問にして……臭い汗、だな」
気が付くと、炎咲姫は床になんとなく近づいていた。気のせいか? 違う。
ほう。
行けるフラグだ。禁忌を云々したいわけでは無くて、勝利のフラグだ。
俺の汗。そんなものなら幾らでもくれてやる。
閉じ籠り過ぎて野生の匂いにでも反応したか。
このままおかしくなっていてくれ。
――そう思っている星識は、まだ異常には気付いていない。
まるで何かに酔ったように妹が汗の匂いに反応する。
それが今日起きている事への関連性に気付いていない。
おかしいとは思ってはいるがあるべきではない行動だとは思えていない。
「さ、さぞ暑かったのだろうな。外を走り回るというみっともない真似なんかするからだ」
さらに床に四つん這いになって、お互い犬兄妹みたいに成っていた。
「み、見苦しい汗。酷い匂いの汗」
匂いを嗅いでいる? 出たばっかりだから臭くはないんじゃないか。
汗に臭気は元々はないぞ。そりゃ肌とか服の匂いとかは移るかもしれないけどな。
まあ、無臭だとは言わない。制汗剤も使ったしコロンくらいは使った。ほんの少し酸っぱいかもしれない。むわっとはする。最初に汗かいてから長いからな。自分の感想。
「さ、さぞ塩辛いだろうな。塩分を分析するぞ」
桜色の舌が汗に近づく。
妹よ。炎咲よ。おかしいぞそれ。応援はするけどな。全力で。
さあおかしくなれ。
考えてみれば妹の汗の匂いは洗濯で強制的に嗅がされているが、逆はない。
不公平だ。
「ん、ん」
舐めた。
炎咲姫よ。お前の史上で最悪の事をしていいのか? 兄として悲しいぞ。
「予想通りだな。塩の味と……なんだ、これは」
何だって言われてもわからない。舐めないから。
「ふ、ふん。特別にもう一つ味わってやる」
目を閉じて鼻息も荒く陶酔している。
「ふ、ふっ」
目を開くとまた舌を近づける。
これは。うまくすると。失敗したら台無しだが……。
危ない橋を渡れば。もしかすると。
立場の逆転さえありえるんじゃないか!
「ダメだ。拭かせて頂く。全部。炎咲姫に失礼だからな」
辛うじて濡れていないハンドタオルを出す。
「ま、待て。兄者。いや、お兄様と呼ばせて貰う。お兄様。待って欲しい」
「ほう」
ハンドタオルは構えたままだ。
積年の屈辱がいま覆るのか。全部終わりなのか。また汗が滴った。
「あっ」
なんだその声は。炎咲姫は滴った汗を凝視している。
多分勝てる。頑張れ俺。
「拭くぞ」
タオルを近づけた。
「ま、待て。話し合おう」
「お兄様、だったな」
「お願いだ。お兄様」
こんなことをやっている場合じゃない。が、どうしても越えられなかった壁が越えられそうなのだ。
AR上もここは普通の家だ。普通の床だ。普通の汗だ。家の中までいじられてはいない。
VR上もカメラで撮ったものをそのまま映しているだけだろう。凄いものに見えていたらそれはそれでアリだ。
「あ、汗は残して行って貰えないか。お兄様」
「頼み方はそれが精一杯か? 炎咲姫」
「い、犬扱いして悪かった。お兄様はお兄様だ。ごめん、なさい」
ごめんなさい、を噛んだ。言い慣れてないのはよく分かるけどな。
「10分やろう。俺の汗を好きにしていいぞ。ただし! 犬に成れ。人語は喋っていい。いやむしろ感想を言いながらだ。頂きます、だ」
たかがこんなこと、だ。10分も滑利を待たせる話じゃない。
でも兄として沽券とかバカにされた日々とか色々あるのだ。
「……は、はい」
「カウントダウン開始」
時計を見た。
目の色を変えて、炎咲姫は汗に舌を近づけては、味わうように舐めた。
「嬉しいか」
「……う、うっ……はい」
「頂きますと言ってからだぞ」
「い、頂き……ます」
「嬉しそうだな」
「ん……んんっ」
徐々に腰が持ち上がってるのは何だ。
何で痺れたようになってるんだ。
スカートが短い。
「はっ……あ……頂きます」
パンツ完全に見えてるぞ。
また腰が、いや、尻が。
「はあっ……頂きます。んっ、れろっ、ちゅぷっ」
「んーっ。はっ、れろっ、頂きますっ」
頂きますが30回くらいだった。
「特別だ。いつもいつも貰えると思うな。このたっぷり汗を吸ったパーカーが欲しいならそう言え。全力で言え。さもなければ帰る」
「! はいっ。お願いしますっ。お兄様っ」
目がハートに成っていた。両手は組んで膝をついて神の啓示ポーズだった。
「よし。これからも褒美が欲しければどうすればいいか分かるな?」
「な……そんな、急に。ええと……」
炎咲姫は床に座り込む。
なんで徐々にスカート捲ってるんだよ炎咲姫。
「好きに、して、いいよ。お兄様っ」
太腿までスカートは捲られていた。
いやパンツ見える。
「違う。炎咲を好きにして下さい。お兄様……」
脚が開いていく。
顔が紅潮している。
息まで荒い。さっきから荒いが。
「……普通に言う事聞け。それだけだ」
他には何の望みもない。
「それじゃ、私が申し訳ないっていうか、物足りないって言うか」
知るか。
目的は下着だった。拾い上げて抱えて戻る。
「私のドアはいつも開けておくからね! お兄様!」
なんか大仰な事を言われた。
下着は滑利の元へ戻りながら観察した。
鑑賞したいのではなくて、サイズが合うかどうかだ。
ブラが全部残念サイズだった。
そんな理由で返したらまた話がこじれた上に奴隷では済まなそうだから借りておく。
身長は確か158㎝、くらい。何とかなる。
「待たせた。上は持って来る」
下着は床に置いて、部屋からシャツを何枚かと出来るだけ大きいタオル二枚を持って戻った。