Episode:31
「いま、切るから」
箱が開けられて、中から出てきたケーキに、ナイフが入れられる。けど、なぜか二切れだけしか、シルファ先輩は切らなかった。
少しの間があって、タシュア先輩とシルファ先輩の視線が合って……やっと、もう一切れが出される。タシュア先輩がちょっとだけ面白くなさそうなのが、なんだか可笑しかった。
「さ、食べるといい」
「ありがとう、ございます……」
とても凝ったケーキだけど、何が入ってるのかはよく分からない。でも、とってもおいしそうだ。
ひとかけら、口に運ぶ。
――この味。
忘れていた記憶が、蘇る。あの時と同じ香り、同じ味……。
「どうした?」
急に食べるのをやめてしまったのを、心配してくれたんだろう。シルファ先輩が声をかけてくれたけど、あたしは答えられなかった。
涙がこぼれそうになる。
「大丈夫か? どこか痛いのか?」
問いに首を振って、やっと答えた。
「これ……まえに、兄さんと……」
シルファ先輩が、はっと息をのむ。
あとは言葉にできなくて、止まらない涙を必死にぬぐった。
いつだったろう? 思いもかけずこれと同じケーキを手に入れて、兄さんと二人で食べたのは。
でも、もう二度と……。
「――その、すまなかった」
「別にシルファが謝ることではないでしょう。悪意があったわけではないのですから。
ですが、偶然とは不思議なものですね」
予想もしなかった言葉に、驚いて顔を上げる。
タシュア先輩と、目が合った。
――何かを奥底に秘めた、紅い瞳。
それが一瞬だけ、優しいものになる。
瞬間、理解した。同じなのだと。
違う時間、違う場所で、でも同じものを見てきた人。この学院でただひとり、「あれ」を分かっている人。
先輩のその瞳に、また涙があふれる。シルファ先輩が「大丈夫だ」と言うように、あたしの頭を撫でてくれた。
多分かなり長い間、泣いてたと思う。けどシルファ先輩だけじゃなく、タシュア先輩も何も言わずに、待っててくれた。
「さて、長居をしてしまいましたね。帰ることにします」
やっと泣きやんだあたしを見て、タシュア先輩が立ちあがる。