Episode:03
◇Tasha side
ロアとルーフェイアが出ていった図書館で、噂の当人は何事もなかったかのように、本を読み続けていた。
こちらに視線を向けて、こそこそと話をしている者もいるが、彼に気にする様子はない。
聞こえていないのか、それとも無視しているのか。
そんな中、背中の中程まで伸ばした艶やかな黒髪に、紫水晶の瞳をした長身の女子生徒が、唯一恐れる様子もなく彼に近づいた。
そして一言。
「また……やったのか?」
「おや、シルファ」
ルーフェイアに対したときの態度に比べると、ずいぶんと穏やかだ。
――シルファ、カリクトゥス。
このシエラ学院でほぼ唯一、タシュアが心を許す相手だった。
「もう少し考えて話せばいいものを……あの子、泣いていたではないか」
「事実を指摘したまでです」
いつものように返す。
タシュアは嘘は言わない。常に冷静に事実を指摘するだけだ。
もっともその指摘の仕方が、かなり問題なのだが。
やれやれと軽いため息をついて、シルファは言葉を続けた。
「事実にしても、きつすぎるだろう」
この学院でタシュアにこれだけ言えるのは、ほかにいない。それだけこの二人の距離は、近かった。
ただこれは、シルファのほうも似た部分がある。
美人と言える彼女だが、シエラに居る他の生徒と同じように、身内の縁は薄かった。加えて彼女の場合、子供の頃の体験が尾を引いて、他人とコミュニケーションをとるのが苦手だ。
このため女子にしては口数が少なく、しかも男性のような喋りかたをするため、愛嬌とは程遠い。そのせいだろう、男子生徒の間では、「可愛げがない」という評価だった。
じつは年下の女子生徒には、だいぶ騒がれているのだが……。
だがこれも当人が理解していないので、かなり無意味だった。
「初対面の年下の子に対して、何か考えればいいものを」
傍目からは分かりづらいが、シルファはけして冷たい性格ではない。むしろ優しく、面倒見がいいほうだ。
だからいまも、あの子が何をしたということより、「泣かせた」というほうに気が向いているのだろう。
この辺もコミュニケーションが不得手なために、かなり損をしている。
「初対面ではありませんよ」
「違うのか……?」
聞き返されて、タシュアはよどみなく答えた。
「名前はルーフェイア=グレイス。年度途中の入学だというのに、いきなり本校へ入学した上、Aクラス入りまで果たしています。
それによくここでは見かけますし、頼まれごとをしてあげたこともあります」
「頼まれ……ごと?」
このタシュアの言葉には、シルファも驚いたような表情を見せた。
「二ヶ月ほど前でしたかね? 高いところにある本が取れなくて、ちょうどそばにいた私に頼んだのですよ。そのときはもっと、礼儀正しかったのですがね」
彼女がそのことを覚えているかどうかは知りませんが、と彼は最後に付け加える。
礼儀を守る相手に対しては礼儀を守る。が、それを失している場合には容赦しない。それがタシュアのやり方だった。
「あの子がルーフェイアか。
クラスの男子が噂していて、名前は聞いたことがあったが……」
思い出すように言うシルファに、タシュアは言葉を重ねる。
「ろくな噂ではないでしょうね。あの子を外見だけで判断すると、痛い目にあいますよ」
「……どういうことだ?」
シルファの問いに対してタシュアは、「そのうちわかります」とだけ応えると、音もなく立ち上った。
音だけではなく、気配もない。もし目をつぶっていたなら、隣に立たれてもまったく気づかないだろう。
彼がかつて居た場所で身につけ、いまはもう当たり前になってしまった、そういうものだ。
だがそのタシュアは思う。
(あの身のこなし、それになにより、あの『気配』……私と同類か、似た存在でしょうね)
シエラへ来るべきして来た少女だろう、それがタシュアの判断だった。