三話 「魔獣解放」
「ふぅ、何とか間に合ったな」
走り出して、数十分。
ようやく会場に辿り着いたレイフは、安堵の声を上げた。
「おお、少年。間に合ったようだな」
声を掛けてきたのは、昼間に飲食店を教えてくれた老人だ。
老人に手招きされ、昼間と同じ最後列の席に腰を下ろす。
「あぁ、何とかな」
「良かった良かった、これからパスレル祭の目玉が始まるでな」
「目玉って、何やるんだ?また昔話か?」
老人は首を振り、見てればわかると言わんばかりに舞台を指で刺す。舞台の中央には、大きな壺が置いてある。
なんだあれ、と思いながら、始まるのを待つレイフ。しばらくすると、赤い髪が特徴的な男が、舞台に現れる。レイフは驚愕し、目を見開いた。
「皆さん、今日は集まっていただき、ありがとうございます。私の名は赤神スカーレット、赤の島を統治する色神の一人です」
「……なっ」
なにぃ!?と叫びたくなる衝動を抑えつつ、レイフは舞台に目を向ける。
夢ではない。先程まで串肉を片手に自分と会話をしていた大男、アカガミが舞台に現れた。色神として。
さっきの思わせぶりな口調はそういうことか、とレイフは納得する。
ふと、アカガミと目が合う。アカガミは、どうだとばかりに笑い、片目を閉じてウインクをする。
言いたいことは山ほどあったが、こんな中で大声を出したら注目を集めてしまう。他の観客の邪魔をしてはいけないと思い、レイフは気持ちを抑えることにした。
「ではこれから、他の色神を呼びたいと思います」
そういい、手を細かく叩く赤神。パチパチと、小刻みに音を発する赤神の手。どうやら、拍手のようだ。
拍手を始める彼に釣られ、観客も皆、拍手を始める。
パチパチ、パチパチパチ。
拍手の音が最高潮に達した辺りで、色とりどりの色神が、舞台の袖から現れた。
連なって歩く姿は、少し色は違えど、さながら空に架かる虹のようであった。
最後尾の黒神が止まると同時に、青神が喋りだす。
「こんにちは、青神アクエリアです。エリアと呼んで頂けると幸いです。あっ、こちらは私の弟子のルカ、皆さん、よろしくお願いします」
見知った顔が、更に増える。
お淑やかな口調で語り始める、青神。その横には魔人の少女、ルカ。
大量に入ってくる情報に頭をクラクラさせつつ、レイフは他の色神の自己紹介に耳を傾ける。
「黄神エクス、黄の島担当」
淡々と自己を述べる黄神。まるで機械のよう……否、機人である。
どう見ても子供にしか見えないが、レイフは先程のアカガミとの会話を思い出す。
あの情報が正しければ、あの場にいる神は全員軽く百は超えているだろう。或いは千も超えているだろう。
見た目と実年齢のギャップに困っていると、緑神が口を開けた。いや、口のような部分を開いた、というのが正しいか。
「緑神トネリコ、世界樹を維持することが、我が役目」
緑神トネリコ、種族は樹人だ。
全身が木そのもののようになっており、喋る度にざわざわと音を立てる。
その騒音で顔を顰めながら、紫神が口を開く。
「嫌やわぁ、わさわさうるさくて堪らんわ。さて……童は、ナルカミいいます」
実に適当な自己紹介を行う紫神。
だが、その独特な喋り方は、会場の空気を自分のものに変えていった。
「最後に、白神」
「同じく、黒神」
「以上、七の色神、約束を果たす為、再びこの地に参上した」
簡単に自己紹介を行う白神と黒神。
そして、最後に自己紹介を閉めたのは、赤神だった。
「それでは、今から魔獣の再封印の儀式を始める」
そう言い、七人の色神は、大きな壺を取り囲む。
そして、赤、青、黄、緑、紫、白、黒と、自己紹介をした順番に手をかざし、何かを唱え始めた。魔法について詳しくないレイフであったが、何となく封印に何かを施すのだろうと理解できた。
「……………………」
全員が固唾を呑んで見守る。一年に一度しか見ることが出来ない、伝説の光景だ。目を離すことは出来ない。
普段は騒ぐ子供が、いつもうるさい竜人が、動くだけで小うるさい樹人が、皆揃って静かに、その光景を見守る。
だが、レイフだけ、一瞬目を離した。あまりに変化のない動きに飽きてしまったのだ。
この中で唯一色神を知らずに育ったレイフにとって、はぁ、そうですかと、集中を解いたのだ。
(一瞬だけ、一瞬だけ振り向いて、そうしたら集中しよう)
そう思った彼は、一瞬だけ振り向いた。何もないことを確認して、すぐに封印を見守ろうと考えた。
だが、振り向いた直後、彼は目を見開いた。
後ろで、マントを羽織い、顔を隠した男が、魔法を詠唱していたのだ。狙いは、舞台にある封印の魔壺。
「くっ……!」
気付いたレイフは、椅子から飛び退き、その男を止めようとした。
だが、時既に遅し。
男によって紡がれた黒い弾丸は、あっさりと魔壺を貫通し、破壊した。
時間が止まったようだった。黒い弾丸が魔壺に触れ、粉々に砕いたのだ。
明確な悪意。誰もが静かに見守っているこの状況。確かに、今この時ならば、簡単に魔壺を破壊できる。
そう冷静に分析したレイフは、次の瞬間、強風で地面に叩き付けられた。
会場を強風が襲う。風は、あの魔壺から巻き起こっているようだ。
まるで嵐の中にいるような感覚。立つのも困難な状況で、レイフはこの事態の原因を思い出す。
「――そうだ、あの男はどこに……!」
周囲を見渡す。
強風で視界が安定しない、だがそれでも探す。
その時、見知った後ろ姿を見つける。猫耳のフードを被る、少女の姿を。
「ルカ……!」
恐らくルカは、男に気付いたのだろう。
レイフは態勢を立て直し、何とか立ち上がる。
そのままルカが走っていった方向に、自分も走りだした。
「ハァ……!ハァ……!ルカ、どこだ!」
レイフは、森の中を走っていた。
しかし、ルカは途轍もない速さで前に進む。あれは、戦いに慣れた者の身のこなしだと、レイフは悟った。
何故、自分は走っているのだろうと、レイフはふと思った。
レイフには、戦闘経験がない。旅人というものをしている以上、魔物と戦ったことは何度もあるが、大抵は逃げてやり過ごしている。
では、何故?と頭の中で疑問を浮かべる。
「そんなの、決まっている……!」
困っている人を助けるため。ただそれだけの行動原理、ただそれだけの行動理念。
だが、レイフは戦えない。このまま彼女に着いていっても、足手まといになるだけだ。
「――それでも」
何となく、彼女を一人にしてはいけない気がした。一人にしたら、彼女が死ぬ気がした。
ただの勘なのか、それとも、昼間の怯える彼女を思い出してか。
どちらにせよ、自分には止まる気がないことを、レイフは理解した。
「……どこに行った」
見失う。森の中で見失う。それは、絶対に自力では発見できないことを意味する。
「落ち着け……こんな時は……」
森の音に、耳を澄ます。魔壺から発生している強風が、会場から離れたこの森にまでも吹き荒れる。大半の音は掻き消され、聞こえない。
だが、それでもレイフは耳を傾ける。何年も旅をしてきた。この程度の音、聞き慣れている。
聴覚に、全てを委ねる。まだか、まだかと心臓が早鐘を撃つ。
――すると。
「ッ! こっちか!」
剣戟の音を、レイフの耳は逃さなかった。
一瞬、一合だけの、剣を合わせる音を捕らえ、彼はその方角に向けて走り出す。
心臓が、どくんと音を立てる。うるさい、とレイフは胸を右手で掴み、走り出す。
やがて彼は、目的の場所に辿り着き、茂みに隠れる。
「ふん……魔人、しかも青神の眷属とは聞いたが、この程度か」
「……ハァ、……ハァ」
そこには、樹を背にして肩で息をするルカと、奇妙な魔獣がいた。
その魔獣は、一瞬見た時は狼に見えた。しかし、その背からは、猿の上半身が生えていたのだ。更に、その魔獣は大きかった。あのアカガミでさえも優に超える、3マートルはあるであろう全長を見て、レイフは身震いした。
魔獣がルカに迫る。だが、レイフには何もすることが出来ない。このまま、彼女が魔獣に食い殺される、その瞬間を見届けることしか出来ない。
彼には、あの魔獣と戦えるだけの力が無かった。
(クソ……どうすれば)
じわり、じわりと魔獣が迫る。動けないルカ。
その時、レイフは、自分の持ち物に、使える物があることを思い出す。
だが、そんなことをすれば、自分は死ぬだろう。
それでも。
「あいつを見殺しにする理由にはならない……!」
立ち上がるレイフ。その手に持つのは、昼間に食べた肉の鉄串。こんなもの、当たっても傷は与えられない。だが、注意を引く程度のことは出来る。
投針の要領で、鉄串を投げる。数を撃てば当たるという言葉を信じ、投げ続ける。
やがて、投げたうちの一本が、魔獣に当たる。
「……人間か、丁度いい。この少女を食い殺す前に、貴様から食ってやろう」
標的が切り替わる。
狙い通りだと笑みを浮かべ、即座に走り出すレイフ。
勿論、彼も魔獣から逃げられるとは思っていない。が。これはあくまで時間稼ぎ。
「あっ……、だめ、レイフ、待って、ダメ……!」
ルカはレイフを見るなり、焦燥した顔で叫んだ。
だが、この間に彼女が逃げられれば、それでいい。
ただそれだけの自己満足。困っている人を助けるという理由で、レイフはこの場に現れた。
だから、誰になんと言われようとも、その決意が揺るぐことはなかった。
「ク……ウオオオオオォォォォォ!」
走る。走り、魔獣から逃げ出す。木々を飛び越え、躓かないように注意深く足元を見ながら、走る。
ただ、それだけ。いずれは追い付かれると分かっていても。
それでも、レイフは走る。彼女が逃げる時間を稼ぐために。
「ちょこまかと……お遊びは、ここまでだ」
だが、しかし。そう長く逃げられるはずもなかった。相手は獣、こちらは人間。四足歩行と二足歩行。
俊敏さで獣の足に勝てるはずも無かったのだ。
「ゴ……ボオェ!」
後ろから突撃してきた魔獣の体当たりを喰らう。
そのまま吹き飛ばされるレイフ。胃の中の物はひっくり返り、吐き出してしまう。
回転しながら、なおも吹き飛び、やがて樹にぶつかり、頭をぶつける。気を失いそうになるが、レイフは何とか持ちこたえた。
「ふぅん……鬼ごっこはお終いだ、少年」
「ガ……ゲェ……ゼー……ゼー……」
吐き気を抑え、何とか呼吸をする。
肺に空気を送り込み、生を実感する。
「非力なその身で立ち向かうとは愚かな……だが、少女を守りたいというその勇気に免じて、出来るだけ苦しまないよう、一瞬で終わらせてやる」
「…………」
レイフには、既に動く気力さえなかった。
何とか肩で息をするが、逃げようとする気力が起こらない。
もう無理だ。このまま死ぬ。そう思うと、何故だか足掻く気が起きなかったのだ。
「さらばだ。勇敢で非力な少年よ。少女を救おうとする意志、見事であったぞ」
「――あ……」
魔獣の、狼の口が近付く。
死んだ、レイフはそう思い目を瞑る。
……しかし、いつになっても、その瞬間は訪れない。
恐る恐る、目を開けると。
「え……?」
目を疑った。
魔獣の狼の大顎はレイフを貫くことなく――
「ガハッ……!」
「アカ……ガミ……?」
代わりにアカガミが、その大顎に噛み砕かれていたのだから。