父の死
初めての投稿です。拙い文になると思いますがよろしくお願いします。
少しメインに入るまで長いですが、ご了承ください。
貴方は自分の父親の職業をどれくらい知っていますか?
俺こと半田修は小さいころから父にサラリーマンという、あまりに漠然とした説明をしてもらって以来、高校二年の現在まで納得してそれ以上は詮索しなかったし、その気も何故だか起きなかった。
だから俺は、父の職業についてそれ以上もそれ以下も知らない。
実際、父は朝6時に起床し、パソコンでニュースを確認しながらホットコーヒーをすすりながら、俺と妹の有美が起きてくるのを待ち6時半に母の作った朝食を家族で一緒に食べてスーツに着替える等の諸々の出社準備をして7時ちょっと過ぎに出社する。それで午後の8時から9時の間に帰宅するといった、いかにもなサラリーマンの生活サイクルをしてた。
だから、父の職業はごく一般的なサラリーマンという職業なんだと思っていた。
高校二年の二学期が始まって、いくらかったったころの話だ。俺はいつものように学校に行き、いつものように学校から帰ってきた。時間は4時を迎えていた。
俺は高校生でありながら部活という中高校生だけに許された青春の代名詞を放棄していた為、4時という早い時間帯に家にいることができた。
勘違いしてほしくないが俺は、漫画とかによくある脱力系男子ではない。
高校入学前は、小学生になる前から父に教わって今に至るまで続けている空手をするつもりだったが、学校に空手部がなかった為、どこの部活にも入らなかっただけというわけだ。
それに今だって、日々の日課である筋トレをしている最中だ。筋トレといっても室内で何の設備も器具もないから、腕立て伏せ、スクワット、腹筋といったの筋トレ界の3種の神器をこなしている。
最後の腹筋が終わったあたりで妹が帰ってきた。この時、大体5時半くらいだ。妹は部活でバスケットをしてくるので俺よりも帰りが遅い。
いつも7時に夕食だからそれまで、俺は学校の宿題をすることにしている。有美はTVを見たり母と夕食の手伝いをしている。
これが俺の毎日だ。
ここまではいつも通りだった。しかし、この後いつもと変わらないことが起きたのであった。
9時を過ぎても父が帰ってこなかったのだ。父はいつも9時には帰ってきていたし、遅くなるときは必ず家に連絡していた。
俺は、いやな予感がした。そわそわしてやっていた宿題が手をつかなかったので、母のところに行った。
母は俺のかを見るなり「お父さん遅いわね」と不安そうな顔で言った。
俺の不安は一層増した。
9時を過ぎてから、数十分経った後、に家の電話に電話がかかってきた。
電話の主は警察からで、父が交通事故にあって病院んで亡くなった。とのことだった。
俺たち家族は愕然とした。涙を流している時間を惜しんで、その病院まで行って、父に会いに行った。
病院に到着して、すくに受付で父の病室を聞いたら306号室と言われて3階に向かった。
3階についたら、警察官が2人並んでいた病室があったので、すぐに父の病室がわかった。
警察官が目礼をした後、病室に俺たちを案内した。
病室のベットで父が横たわっていた。顔は腫れて青みがかっていたが、事故死いうほどひどい損傷はなかった。
母は、父の遺体を見た瞬間に崩れて泣いた。有美も泣いていた。俺は涙が出なかった。
俺は自分のことを冷徹な人間ではないと思っていた。だけど涙が出なかった。
父は、体こそ小柄ではあるが、父は空手、柔道、合気道の実力者であった。
俺には、そんな強い父が事故死という現実を受け入れることができなかたからだろう。
母の精神状態がボロボロだった為、俺が警察官から事故の状況の説明を受けた。
内容を要約すると、
父が会社の帰りに、轢き逃げに会った。
轢き逃げした犯人と車は見つかっていない。
事故現場から押収された車の破片からわかることは大型車のものである。
父は事故の後、その場にいた心のある人が救急車に連絡してくれて、救急車で病院に運ばれたが病院で亡くなった。
以上だった。
その日、俺たちは、病院で過ごした。
みんなが憔悴して寝ている間に父の弟の敬おじさんも来ていたらしい。
どうやら。俺が寝ている間に母と敬おじさんが話し合ったらしく葬式の喪主は敬おじさんがすることになったということだ。
父の葬式が俺に大きな衝撃を与えることになる。
喪主は予定通り、敬おじさんがすることになった。
俺と有美は母について一般参列者に挨拶をすることになった。
父は『サラリーマン』だと思っていたので、父の知り合いだった参列者ごく一般的な喪服の『サラリーマン』が来るとばかり思っていた。
しかし、父の知り合いは、異様な恰好をしたものばかりだった。
彼らはそろって同じ格好で黒い生地の袈裟を着ていた。袈裟にはいくつかの白いラインが入っていて、それがまた異様であった。
俺は、数秒間唖然とした後、一つの疑問が浮かんだ。
『父は何者なんだ。!?』
俺は我慢できずに母に聞いてみた。
「あの人たちはどういう人なの?」
「あの方たちは、お父さんの部下の人達ですよ」
「!?」
何の疑念も持たない母の返答に声にならない声が出た。
俺はこの僧のような人を見た瞬間から思っていた核心の質問をした。
「お父さんって何していた人なの?」
母は困った顔をして黙った。その後ゆっくりと口を開いて
「説明しにくいから簡単に言うけど和尚さんみたいなものかな」
と言った。
「!?」
今度はぎりぎり声と呼べる声が出た。
有美は「へーお父さんって和尚さんだったんだ」
といった。
いやいやいやどういうことだ?有美のやつ『へー』ですむのか?
和尚さんだと?部下って何?
父はどこかの会社の社員ではないのか?
年齢的には課長クラスの役職について若い人を指揮しているのではないのか?
父のことだから部下から飲みに誘われたりしているのでわなかった?
おかしい?おかしい?おかしすぎる?
・・・
俺の知っているはずだった父親像が崩壊しパニックになった。その場で母への質問は終わりとしてトイレに行って休んだ。
父の部下の人は見た目だけが異質だっただけで、みんな礼儀正しいし、いい人たちのようだったと思う。
葬儀自体は普通の葬儀と変わりなく進んでいたと思われる。
ただ一つだけおかしなことがあった。火葬の拾骨の時一人のリーダー格の”僧”が箸で骨壺に骨を入れた後、棺内にある
灰を一つまみ程度つまんで印籠のような入れ物に入れたことだけでだった。
俺は、その僧達の弔い方なんだろうと思って特に気にしなかった。
お通夜の時、俺と有美は、母に言われ参列者の人に参列の御礼と飲み物を注ぎに回った。
有美は人見知りしない性格の為か淡々とこなしていた。俺もあまり人見知りしないほうだが、俺の持ち分は僧の人の方であった。
正直いうと有美に任せたかった。
俺はこんなところでオタオタしても仕方がないので挨拶とビールをついで回った。
僧の人たちは、礼儀正しくて挨拶以外の会話は話さなかった。また、僧なのにビールを飲むようである。
最後の一人はあの『灰を入れていた』リーダー格の僧であった。
近くで見たリーダー格の僧のは、大柄な体格であり、僧とは思えないくらい筋骨隆々としていて、存在自体に威圧感があった。
年齢は父と変わらないくらいに見えた。
ビールを注いでいる時リーダー格の僧が
「貴方が隆志さん(父の名前)の息子さんですか?」
温厚な表情で尋ねてきた。私は緊張しながら、
「はい」
と答えた。すると僧が
「私は小洞 灯と申します。貴方のお父様の仕事仲間でございました。
お父様はよくお酒をお誘いしたのですがいつもお断りされました。」
と、緊張する私を気遣ってか話しかけてきた。どうやら、部下から飲みに誘われたりしているという俺の父親像の予想だけは当たっていたようだ。
私は、
「ははは、そうでしたか」
と、当たり障りのない答え方をした。決してそうと僧をかけたつもりはない。
何秒かためた後、僧が、
「では、あなたが後を継ぐのですか?」
と尋ねてきた。なんのことだか理解できない質問をしてきた。私は混乱した頭を全力で巻き戻し、なんとか
「継ぐとは何の話でしょうか?」と答えた。
すぐに、僧が、
「失敬。今の話は聞かなことにしてください。
大変なご無礼をお許しください。」
と丁寧な謝罪をした。
俺ははぁと言いながら自分の席に戻った。有美も終わったようだった。
何か煮え切らないものがありながらもお通夜は無事に終わった。
分かったことは、リーダー格の僧の名前が小洞 灯ということだけだった。
こうして父の葬儀は終わった。俺は父を失った精神的疲労と肉体的疲労で憔悴していた。
俺は家についたらすぐにベッドに直行しようと思っていた。しかし、家に戻るなり、母が俺と有美に話しかけてきた。
「修、有美ちょっと聞きなさい。これからはお爺ちゃんのうちで暮らすことになったから引っ越しの準備をしなさい。」
「!?」
「!?」
今度は俺も有美も声にならない声が出た。
俺たちは、四国のなかでもど田舎といわれる祖父の家に引っ越すことになったのであった。




