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死ね神

 非日常に憧れる程。

 孤独を感じた事も無かったし。

 切ない痛みに嘆く程。

 別れ難い出会いも無かったし。


 くるくる巡る日常は。

 忙しくて一人きりを忘れたし。

 誰の呼吸を聞く事も無い。

 そんな夜が気楽でいいと。



 あの日までは、思ってた。



◆ 1 ◆


 暮れなずむ街に、魔女の帽子がぴゅう、と舞う。

 秋の日はつるべ落としというが、黒々とした紙製の帽子が踊る空は、

オレンジと銀に彩られた雲を裾に、まだ天辺に青を残している。


 大きなゴミ箱を両腕で一杯一杯に抱えた少年は、黙って喧噪に消えて行く帽子の行方を見守ってしまった。

 ハロウィーンを一日も過ぎれば、彼の働くコンビニは冬の彩り一色だ。

 毒々しい彩りのポスターを剥がし、販促グッズを入れ替え、新しくクリスマスケーキのポスターを貼ったりするうちにゴミ箱が満杯になってしまった。

 接客よりも、模様替えの方が忙しかったくらいだ。

 声高にエコロジストを名乗る程、環境に配慮する質では無いが、それでもこの量には

(ま、環境に優しくねぇ事は確かだよな)

と、一瞬苦笑が浮かぶ。

 温暖化が叫ばれていても、やはり暦が十一月ともなれば、それなりに寒い。

 特に、今日のように風が強い日は。

 ゴミ箱の隅に引っかかっていた、ハロウィーンの飾りが吹き飛ばされるのもあっという間で、手を伸ばす暇もなく、ずいぶん遠くに飛んでいってしまった。

 それなりに彼は長身だったが、とっさに手を伸ばすには少々疲れ過ぎていたし、伸ばし過ぎた前髪が視界を遮って、気付くのに遅れたせいもある。

 前髪だけではない。床屋に行くのをさぼり続けている為、硬そうな髪は、ぼさぼさと伸び放題だ。

 それをいい加減に後ろで一つにまとめている。

 むさ苦しく感じないのは、いい加減にまとめられているにも関わらず、艶のある黒髪が綺麗に落ち着き、さらりと流れているのと、前髪の下から時折覗く顔立ちが、驚く程整っているせいだろう。

 ……それを嫌って、顔を隠すような髪型にしているのだが。

「バイトくーん、ゴミ捨て終った?」

「ああ……、すみません。あと少し」

「いいよ、いいよ。それより、悪いんだけどさ、今日、夜のシフトもお願いできないかなあ」

 のほほんとした声で話しかけてきた店長は、やはり、のほほんとした性格で、他のアルバイトの面々にだいぶ嘗められてしまっている。

 いきなり休んでしまう事もしょっちゅうなので、比較的真面目な彼がピンチヒッターを務める事もたびたびだ。

「いいですよ、別に」

 ゴミ箱の中身をがさごそと大きな音を立てながら取り出し、新しいゴミ袋をセットしながら、軽く返す。

 一人暮らしの学生の身だ。収入が増えるのはありがたい。

 それに。

「いつも悪いね、受験生なのに」

「……別に」

 肩を竦めて、会話をそこで打ち切った。

 長身と、大人びた顔立ちや、ぶっきらぼうな物腰から、常に大学生辺りに間違われるが、実のところ彼は、大学受験を控えた高校生ですらない。中学三年生だ。

 ほぼ家出同然に中二の夏休みに神戸の実家を飛び出して、関東に住む祖父の元で暮らし始めた。祖父の経営する都内のアパートの一室を借りて一人暮らしを始めたのはここ半年の事だ。

 学費はさすがに出してもらっているものの、他は全て己で稼げという条件が父親から突きつけられたのだ。無理ならば帰れという。

 まだ中学生の彼は、本来働けないが、ここのコンビニは祖父のつてで特別に雇ってもらっているのだ。

 アパートからはほんの2、3分のところにあるので、多少遅い時間になっても苦ではない。……あの『家族』の中に戻るより、何倍もマシだ。

 いつものように、実家の事を……母の事を思うと、なにか氷のように冷たい塊が心臓の辺りにわだかまるのを感じて少年は押し黙る。

 「ごめんね。僕は仮眠取って来るから、あがる時間になったら起こしてね」

 ぶっきらぼうに断ち切られた会話を気にするでもなく、店長はふわふわと漂うように事務室へ引っ込んだ。

 その様子をみるところ、深夜のシフトも休みの連絡を入れてきたのだろう。

 たいして忙しい店ではないので、少年一人でも回す事はできるが、いつもこんな調子で、他のバイトと顔を会わせる事もあまりない。

 毎日のようにやってくる常連客の方が親しみを持てるくらいだ。密かにあだ名までつけている。

 といっても、塾帰りの小学生がほとんどなので、うっとおしく感じる事の方が多いが。

 3、4年生くらいの子供は、彼が夜のシフトに入ってすぐの時間に一番多い。

 その中でも、同じ塾のものらしいお揃いのバッグを背負って連れ立ってくる4人組は、リーダー格らしい少年を先頭に一列でぞろぞろ歩いているので『ドラクエ』。

 昼のシフトに入っても夜のシフトに入っても必ず居る、ボウッとした顔で雑誌のコーナーをうろついている若い男は目が死んでいるので『ゾンビ』。

 毎日のようにお菓子を買って行く双子らしい子供達は『ヘンゼルとグレーテル』。略して『ヘングレ』……心の中でだけ呼ぶので略す必要もないのだが。

 弁当を温めている間、ひっきりなしに話しかけて来るOLらしい女は『マシンガン』。

 たまに、小学生がやってくるにはあまりにも遅い時間に顔を覗かせる痩せたガキは、いつもどこかしら怪我をしているので『キズオ』。

 子供には遅過ぎる時間に顔を見せるからと言って、別に、「気をつけて帰れよ」などと声をかける事もない。

 地元の商店や、学校指定用品を扱う文房具店ならば違うだろうが、しょせんここはコンビニに過ぎない。

 仲間内で騒いで商品を破損したり、万引きしたりしなければそれでいい。


 いつもと同じに始まって、いつもと同じに終る一日。

 そう思っていた彼の前に『奴』は現れた。


 夜のシフトを終え、店長を起こし、仕事を引き継いだ後、彼はぺなぺなの薄いジャンパーを一枚羽織って表に出た。

 どうせ近所だと思って、薄着で来てしまったが、今夜は思っていたよりも冷え込んでいる。

「寒ぃ……!」

 呟き、夜空を見上げれば、やけに空気が澄んでいて、瞬く星もいつもより沢山見える気がする。

 空が近く感じると死期が近い、など、誰に聞いたのだったか。

(わざわざ死期の近い奴に空は近いですかなんて聞く訳もないしなあ)

 そんな事を考えながら歩き出そうとした瞬間。

「死ねっ!」

 いきなり、腰より下で甲高い子供の声がしたかと思うと、少年の向こう脛がしたたかに蹴り上げられた。

「!?」

 思った程の痛みはないが、顔をしかめて見下ろすと、目つきの悪い小さな子供がちょこん、と立っている。

 全然見た事のない顔だ。

 おまけに風変わりな服装をしている。上から下まで黒尽くめだ。

 頭にはロシアでよく被られているような、毛皮で出来た柔らかそうな帽子。

 足首まですっぽり隠れるような、毛皮で縁取られたケープ。なんとなく銀河を鉄道で走る無茶なアニメを連想するような服装だ。

(ああ、ハロウィーンの日にち間違えたって事か?)

 余りの事に、怒るより前に冷静にそんな事を考えていると、彼の視線に気付かないのか、子供は更に少年の脚をがすがすと蹴り付ける。

 しかも一回蹴るごとに熱心に「死ねっ」「死ねっ!」と叫んでいるのだから始末が悪い。

 こんな子供に、いきなり「死ね」とまで言われる覚えはさらさらない。

 暴力に訴えられるなら、なおさらに。

「……おい」

「死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死んでまえー!」

「……おい!」

 声をかけてもまったく気付かないので、彼は子供の襟首をぐいっ! とつまみ上げた。

(うわ、軽……っ!?)

 蹴るのをやめさせる為引っ張ったつもりだが、小さな子供は思っていたより軽く、ひょい、と子猫のようにつままれたまま持ち上がってしまった。重さもそんなものだろう。

(子供って、こんなに軽いもんか?)

 そんな筈はないだろう。わずかに疑問を感じはしたが、問題はそこではない。

 いきなり現れた上、理不尽にも死ねと蹴り付けられる事態を、まずは、なんとかしなくては。

 つり上げられた子供も、一瞬事態が把握できなかったらしく目を丸くして、きょろきょろと辺りを見回した。

 この状態になっても、少年が睨みつけているのが自分だとは思っていないらしい。

「とぼけんな、お前だよ。つか、お前しかいねえだろが」

 低い声で恫喝され、ようやく自分に声がかけられた事に気付いたらしい。

「えっ? えっ? ボク? 兄さん、ボクが見えはりますの?」

「おーおー、昨日で終ったハロウィーンに無理矢理つきあわせようとしてる悪ガキがな」

「ちっ、ちゃいますねん! そこらのガキんちょと一緒にせんといてくれますー。ボクのこれはれっきとしたお仕事やねんで」

 「どこの世界に死ねと叫んで人を蹴りつける職業があるってんだ。悪ふざけなら他所でやってくれ。俺は疲れてるし寒ぃんだよ。とっとと帰って寝たいんだ。帰れ!」

「帰れと言われましてもぉ、ボク、兄さんに取り憑かせてもろとるさかい、お仕事終るまでどこにも行かれませんのや」

 図太い。

 これでも同じ学校の生徒には怖がられ、避けられているのだが。

 売られた喧嘩を残らず買う程馬鹿ではないが、それなりに場数も踏んでいるし、決して弱くもないつもりだ。

 まずは最初に喧嘩を売る気にもならない程びびらせるのが、肝心、と普段から睨みつける様な表情を浮かべるのが癖になっているのに、子供はまったく気にした様子がない。

 根負けした少年が手を離すと、子供はどすん! とは落ちず、まるで木の葉が舞うように、ふわん、ふわんと揺れる様に着地した。

 明らかに人外の者だが、少年はその事実から頑に目を逸らして気付かなかったことにする。

 もともと超常現象的な話は嫌いだし、一線を踏み越えると明らかに面倒臭い事態になるのが目に見えている。面倒臭い事は大嫌いだし何よりも。


 ……人と、関わるのは嫌いだ。


「……ち。判ったよ。じゃあ、とっとと『仕事』とやらを終らせて帰れ」

「おおきに! ほな、改めまして……死ねっ! 死ねっ! 死ね死ね死ね死ね死」

「だからそれを止めろっつってんだろがー!」

 ぺこりとお辞儀をした直後から、また少年を蹴り付け始めるのにたまりかね、今度こそごつん! と拳をその頭に落とした。

 帽子の上からなので、さして威力は無かった筈だが、子供は「あいたあ!」と大仰に騒ぎ立て、涙目で彼を見上げた。

「しょーがないですやん。これがボクら『死ね神』のお仕事やねんからー」

「エセ関西弁の『死に神』に取り憑かれる覚えはねえ。死ぬ気もねえし……そもそも、そんな非科学的な存在信じてねえんだよ。せっかくちょっとだけ悪ふざけにつきやってやるっつってんだから、空気読め」

「ちゃうちゃう、そんな本職さんと一緒にせんといて欲しいわー、おっかないなあ。ボクは『死ね神4号』、可愛いもんですやん。証拠にほら、ここ。ここ見てや?」

  言われるままに、子供が指差すコートの襟を覗くと確かに怪しいブランド名のタグに「4号」とサイズ表記がされている。

「子供服って号表記だったけか……っつか、サイズじゃねえかよ! もういい!」

 この寒空にいつまでもつきあってられるか、と短気を起こして子供を置いて歩き出すが、その後ろをふわふわ浮かんでついてきた。……怪しげな服の表示より、よほど確実に、人間以外の何か、と証明している。

 時折耳元で「死ね、死ね」としつこく囁いてくるが、無視してその鼻先で、バタン! とアパートのドアを叩き付け、閉め出した。

「兄さん、質素な暮らししてはりますんやなー」

 しかし、振り向くと、ある程度予想はしていたのだが、部屋の中央にふわふわ浮かんで、自称『死に神』は物珍しげにきょろきょろ室内を見渡している。

  六畳一間に3畳ほどの台所。風呂とトイレはついているが、トイレは今時和式で、風呂場は極小、シャワーがついているのがせめてもだ。

 見渡す程もない。片付けは得意ではないので雑誌や洗濯物が雑然と散らばっている、いかにもな室内だ。

「……しつこい幻覚だな」

 あちこちふわふわ飛び回る子供をそう結論付け独り言を呟くと、あとは無視して、ばさばさと布団を敷いた。

 風呂は明日の朝シャワーを浴びれば良い。

 幻覚とは言え薄気味悪いものが飛び交っているところで、無防備に風呂に入る気にはなれなかった。

「見えとるんやったら、無視せんといてくれます? 傷つくなあもう。幻覚とちゃう証拠に、ほらほらバナナで釘が」

「打てる程寒くねぇし、うちに釘はねえ」

「打たれへんけど、なんとボクが美味しくいただく事が!」

「あっ、こら! 人の朝飯、勝手に食うんじゃねえ!」

 慌てて取り上げたが遅かった。バナナはもう半分ほど子供の腹に収まった後だ。ぎりぎりの生活をしている少年には貴重な食料だったのに。

「なんなんだ、お前は……。あきらめて寿命迎えろって事かよ……」

 がっくりとちゃぶ台の前に腰を落としてため息をつくと、子供はちょこん、と隣に座った。

 幻覚の割にほんのりと暖かい。

「だから言うてますやん、ボクは『死ね神4号』。兄さんが言ってはるんは『死に神』さんや。あっちは寿命の時にお迎えに来はる本職さんやけど、ボクはちゃいますー。どっかの誰かが兄さんの事「死ね!」と思う気持ちを叶える為に産まれてきた神様でっせ。大切にしたってや」

「出来るかーっ!」

 思わず怒鳴りつけると、隣室から「ドン!」と大きな音で壁を叩かれた。狭い上に壁が薄いのだ。静かにしろということだろう。

 気を取り直して呼吸を整え、ちっと舌打ちすると、子供から、ぷい、と顔をそらした。

「……そんなに俺を恨んでる奴がいるのかよ」

「あっ、兄さん、今ちょっと傷つきはりました? 結構繊細なお人なんやね」

「ふざけんな! ……別に、恨まれたって構わねえさ。恨まれるような事もしてるだろうしな。ただ……こんなガキに肩代わりさせるなんて、どこの腰抜けだと思っただけだよ」

 また大声をあげかけて慌てて声を潜める少年を余所に、『死ね神4号』は、ちゃっかり残りのバナナに手を伸ばして美味しそうに頬張り始めた。

「いやあ、ボクが見つかるとは思ってへんかったさかい、ビックリしましたでえ。ボクらが見えるんは、今まで誰にも「死ね!」と思った事のない人だけですねん」 

 明るい口調だが、感心した様子ではない。

 人として……欠けている部分があると。

 温かい心があるべき場所に……痺れたように冷たくて固い塊が、居座っていると。

 そう指摘されたようで、どこか居心地の悪いものを含んだ口調だった。

「あっ、兄さん、安心したって。死ねと思うくらい恨まれてる訳とちゃいますで。むしろ、逆や。どこかの誰かが、誰かに気付いて欲しい……気付いてくれへん……なんでや、構ってや、気付いてや……、何で気付いてくれへんのや……気付いてくれへんのやったら……死ね! と、まあ」

「そこが一気に飛び過ぎなんだよ!」

 びしっと手刀で突っ込んだ。声を抑えている分、ついつい力が入る。

「あいたあ!」とまたも『死ね神4号』は大仰に騒ぐと涙目になった。

「兄さん、ツッコミ、厳しいなあ。……さすが、ほんまのボクの求める人材や!」

「ほんとのお前ってなんだよ。お前は『死ね神』なんだろ。あと、エセ関西弁うぜえ」

 口調だけなら、それなりに関西弁っぽいのだが、なにせイントネーションが全然違うのが気に障って、もう一度チョップを落とす。

 毛皮の帽子でいい感じに跳ね返ってくるので、意外と楽しい感触だ。

 おまけのように、ぽこぽこと軽くチョップを続けた。

 「やめてやめて」とじたばたする姿がおかしくて、口元がゆるみかけたが、慌てて仏頂面を取り繕う。

 幸い、少年のちょっかいを避けるのに必死な『死ね神4号』は、その様子に気付かなかったようだ。

「せやかて、ボクはどこかの誰かが兄さんに「気付いて欲しいなあ」って思う寂しい寂しい心から産まれてきたんやもん。その、どこかの誰かが「関西弁喋るおもろい奴やったら気付いてくれるかなあ」って思うてはるさかい、こんな喋りなんやんか」

「どこかの誰かって……んじゃ、お前がそいつを教えろ。すぐに見つけてぶん殴ってやる」

「それは言われへん。それから、ぶん殴るんやったら、できればハリセンで」

「それこそ何でだ。何が哀しくて、そんなお笑い芸人みたいな真似しなくちゃななんねえんだよ」

「言うても『死ね神』ですさかいなー。色々この業界もルールが細かいんでわやですわ。ま、ハリセンはほんまのボクの趣味ですけどな? ボクらは言うなれば『きっかけ』ですねん。死ね、死ね、と囁き続ける事によって……出会う確率がちょこっとあがるかも知れへんこともない、と」

「長い長い長い。それルール関係ねぇし。そもそも、どっちだ……つうか、その業界の時給はいくらだよ。みみっちい職場もあったもんだ」

「……兄さん、律儀にボケ全部拾うてくれますなあ。ボクちょっと感動しましたで。あっ、そろそろおいとまのお時間ですわ。ボク、ちょっと帰らせてもらいますー」

 一つ欠伸をした『死ね神4号』は、うん、と伸びをして立ち上がると、しずしずと玄関に向かった。

 思わず少年は、その襟首を引っ掴んで引き止める。

「おいこら。仕事が終わるまで帰れねぇって無理矢理ついて来たのは誰だ」

「あっ、ここはボケとちゃいまっせ?」

「俺も突っ込んでる訳じゃねえ! ……まあ、いい。帰るんだったら、とっとと帰れ。そして二度と来るな」

「確かに、ボクは一旦帰る。せやけど、ボクが最後の死ね神と思わんといてや。今夜は追い払っても、第二、第三の死ね神が!」

「うっとおしいわー!!」

 ふはははは、と両手でケープを広げコウモリのようになりながら、悪の帝王気取りでのけぞって笑うのを、思い切り蹴り出し、ドアを締めた。

「待ってー、兄さん、待ってー。ボク、まだ大切な事言い忘れててんー」

 ドンドンドンドン! とやかましくドアを叩かれるので、仕方なくもう一度開けてやる。近所迷惑だし。

「……んだよ」

「鍵、忘れんと締めてな?」

 怒りにこめかみを引きつらせ、少年は無言でドアを叩き付け、ガチャガチャと鍵を掛けた。めったに掛けないチェーンまで掛けた。気分としては、内側から南京錠をかけて、一生引きこもっていたいくらいだが。


 こんな子供を夜道に一人で帰らせるのも気がひけて、もう一度ドアを開けた。

「おい、うちはどこだ。近くまで……」

 玄関の外に、その小さな姿はもう無かった。

 足音一つ立てずに、ドアを開け閉めする僅かな一瞬に消えていて、やはり、人外の者だったのだなあ、と思う。

 先程の出来事が嘘でなかった証拠に、バナナの皮がぽつん、とちゃぶ台の上に残っていた。

「……待てよ。あいつ、わざわざドアから出なくてもすり抜けられたんじゃ……」

 どっと疲れが押し寄せて来て、少年は、ずるずるとドアにもたれて座り込んだ。

「最後までうっとおしいことしやがって……!」

 背中にあたる金属製のドアが冷たい。

 それを言えば、帰ってから暖房もいれずにいたので、一人きりの室内は、しん、と冷え込んでいる。

 ……いつもの事だ。いつもより寒く感じるのは、今夜がいつもより冷え込んでいるせい。

 そう結論づけると、少年は、オンボロのエアコンにスイッチを入れた。


 ◆ 2 ◆


 翌朝も、晴れて冷え込んでいた。

 初霜が、道路脇の雑草を持ち上げて、キラキラと輝いている。昨晩眠るのが遅くなった上、朝食を食い尽くされてしまたので空きっ腹で登校する身には少々眩しい。

 生欠伸をもらしながら校門をくぐると、ちょうど親友とかち合った。一つ年上だが、こちらも少年とは違う方向で色々悪さをしていたせいで、昨年留年している。

 笑顔一つ見せず周りから頭一つ浮く長身でなりを構わない風の長髪をいい加減にくくった彼と、改造しまくった制服にリーゼント、一昔どころか二昔前のヤンキーといった親友が並ぶと、面白い様に周りの生徒達がざわめいて避けて通るが、いつもの事なので気にも留めずにそのまま二人で歩く。

「朝から不景気な顔してんなー」

「ああ、まあ、夕べ色々……」


「死ねっ!」


 甲高い叫びが少年の声にかぶさって、彼は言葉を飲み込んだ。

「? 俺の顔になんかついてる?」

「目と鼻と口が。……じゃなくて、お前……」

 親友の隣に、同い年くらいの少女が突っ立って、その足をガンガンに蹴り付けているのだ。

 一発ごとに情念込めて「死ねっ! 死ねっ!」としつこく呟いている。

 薄茶色の髪がふわりとかぶる肩は華奢で、可愛い少女だったが、全身黒尽くめの服装と相まって、鬼気迫る勢いだ。


 この情景は、つい最近見た記憶がある。

 具体的に言えば、昨夜。

 だが、これだけ激しく蹴り付けられているというのに、親友は感じた様子も見せない。

 つまるところ、この少女も……『死ね神』と言う事か?

 しかも、取り憑く先は、彼の親友ときた。

 少年のつまらないボケに、親友は心底ショックを受けた顔で叫ぶ。

「てことは、お前そりゃ……、眉がねえってことかー!」

「うるせえよ!」

 確かに、親友の眉毛はかなり薄いが、それは昨年「リーゼントにはこれだぜえ」とか馬鹿を言って自らそり落としたからだ。「カッとなってやった。今は後悔している」などと呟いても、やってしまったものはどうしようもない。

 その後の発育状況が思わしくないのは少年には関係ない。

 自分の周りにはこんな奴しかいないのか。

 人外のものまでナチュラルボーンボケか。

 だが、少年にはこんなにもくっきり見えている、『死ね神』の姿が見えないと言う事は……こんな彼にも、寂しさのあまり「死ね!」と思う事があったのだろうか。


 一瞬、ずきり、と心が疼いた。


「あら? あんた……アタシが見えるの?」

 ぜえぜえと肩で息をする程にしたたかに親友を蹴り続けていた少女が、初めて少年に気付いたように顔をあげたので、少年はそれ以上、胸の痛みを追求せずに済んだ。

 が、ぼうぼうと乱れた髪とぎらぎらした瞳が瞬きもせずにこっちを見ているのは、はっきり言って、かなり怖い。

「……存在しねえもんは、見えねえ」

「存在しないとまで!?」

 あらぬ方向へ心の傷の被害が広がったようだが、受験前に「変なモノが見える」などと口走って内申を下げるつもりは毛頭なかった。

 仏頂面で、校庭を横切る少年に、新たな『死ね神』がふわふわとついて来る。

「……嘘つき」

 ふふっ、と笑ってそう告げると、空気に溶けて消えた。

 夕べの『死ね神4号』が復活するかどうかは判らないが、新しくやっかいごとに巻込まれるか、と一瞬冷や冷やしていたのだが、どうにか回避されたようで、少年は安堵した。

 友人に取り憑いているのだから、それは向うで勝手にやってくれればいい話だ。

「……取り消せ! お前、言霊って知ってるか? 言うと本当になっちゃうって、俺、おばーちゃんから聞いたぞ」

「お前、本当におばあちゃん子だよな」

「何をー。お前だってじいさん子じゃねえか」

「はいはい、眉毛ぼーん。これでいいだろ」

「良し!」

「いいのかよ!?」

 ……互いに、なぜ、両親を飛ばして祖父母なのか。

 幼なじみだ。少しだけ、すれ違った家族を持った者同士。

 踏み込んで話はしない……が、時折奇妙に明るさが上滑りする友人のボケっぷりは、少々将来が心配だ。

「……こんな奴と、お知り合いになりたい物好きがいるもんなんだな……」

 視線を感じて振り向くと、一旦消えたと思った少女の『死ね神』が少し離れたところから、寂しそうにこっちを見ていた。

「お前もたいがい失礼な奴だなー。ところで、俺と知り合いたい奴って誰? もしかして……女子?」

「むかつくが、そう……だな。多分」

「多分!?不吉なセリフを吐くね、また」

「だって知らねぇ奴だもん。今時、見た目だけじゃ女かどうか判らないだろ?」

 昨夜の4号の話を信じるならば、死ね神というのは「こんな自分なら気付いてもらえるはず」の姿をとるものなのだろう。

 人外のことだ、詳しくなるつもりもないが、となれば、性別すら好きに変えられるのではないだろうか。

 ……4号も、実は、女だったりするんだろうか。関西弁なら受けると信じ、ハリセンで殴られたがる女は全速力で避けたいと、ハッキリ言ってやろう。……次があるなら。

「知らない奴なら、どうして俺と知り合いたいって判るんだよ? ……ところで、可愛い?」

「死ね! って感じでお前の方見てるからな。結構可愛いぜ、肩なんかすっげえ細いし」

「怖っ! なんだそれ、止めてよ!? 俺、結構、そーゆーの弱いの知ってるだろ? 俺、特に痩せてる女って苦手だしさ……手首とかの関節がぼこっと出てると、壊しちゃいそうで怖いのよ」

「……俺は非科学的なのが嫌いだっつってたんだよ、お前がそんなに露骨に怖がるのは知らなかったぞ。女の趣味も」

「あー、お前、結構その手の話嫌がるだろ。俺さあ、だから、関節あんまし目立たない、ふっくらした子が好きなんだよな、ぽっちゃり拡大解釈し過ぎ! みてえな」

「それ、ぶっちゃけデ」

「違う! デブは醜いけど、ふっくらは可愛い!」

 女のタイプの件は聞こえていたろうか?

 振り向いてみたが、すでにそのか細い体は消えていなくなっていた。

 それで……この件は終わりだ、と彼は思っていた。


 もちろん、その予測は甘かった。


 夜になって、バイトから戻ると、昨夜の『死ね神4号』と新顔の少女『死ね神』がちょこんと並んでちゃぶ台の前に座っていた。

「……お前らの業界に不法侵入って言葉はないのか……」

 連日、学校が終った後、シフトを2連続で入っているので、さすがに疲れが溜まっている。

 無邪気な顔で「おかえりなさーい」とやられると、癒されるどころか、疲れが倍増だ。

 だいたい、小さな子供が一人だけならともかく、更に女性が増えるとなると、さすがにこの部屋は狭い。

「せやかて、ボクら、ほんまは見えへんのがお約束やし」

「そうよそうよ、業界のルール破ってるあんたが悪ーい!だから、あんたには……」

「ボクの 

      正体を探す義務があるっ!!」」 

「アタシの

「ねえよ!」

 びしい! とポーズを決めて、可愛く口調を揃えられても、そんな面倒臭い事はお断りだ。

「だいたい、お前……あいつに取り憑いてたんじゃねえのかよ? 出て来る先間違ってるぞ」

「あら、だって……アタシ、あんたの事も死ねって思ったことあるもん。間違ってないわよう」

 全然嬉しくない。世の中寂しがりばかりか。

 寂しがるのは勝手だが、人を巻込むのはいい加減にしてくれ、と心底思う。

 こんなにうっとおしく人を思って寂しがった事などないだけに、同情もできなかった。

「で、お前は何号だ。二十八号か」

「失礼ねっ! そんなにないわよ! 7号! アタシは『死ね神7号』! ……本当は、6号でもおかしくないんだから!」 

 別人と鉄人をひっかけたつまらない洒落だったのだが、少女は意外な程激昂して自らを名乗った。

 人外と言えども、女性にサイズの話は禁物だったようだ。

「……あくまでもサイズ表記ってのが承服しかねるが……。んな事言ったら世の中7号だの4号だの、溢れかえってんじゃねえのか」

「溢れ返っとりますけど、なにか? というか、ボクらの業界の場合、十三号超えると結構ヤバいお話に」

「……いや、いい。人外に常識を求めた俺がバカだった」

「えー、そんな事ないじゃない。いっつもテスト順位、上位者で張り出されてるの知ってるんだから」

 散らかっているのが気になるのか、少女……『死ね神7号』は、ぱたぱたと雑誌類をまとめて、バックナンバーを数えている。

 だが、何気なくもらした言葉に、少年は身を乗り出した。

 個人情報がとやかく言われる中、昔ながらのやり方で生徒の競争心を煽るような真似をする学校など、ほとんど無い筈だ。

「なんで、そんな事知ってんだ? ……お前の正体って、もしかして同じ学校だったりする?」

「……知らない!」

 図星だったらしい。

 つんっと細い顎を振り上げると、薄茶の髪がふわりと舞って、生意気そうな表情すら可愛らしい。

「……俺と、あいつを知ってて、で、学校内の事も知ってる、と。けど、こんな顔見た事ねえしなあ……。あ、下級生とかか? じゃあ、結構、度胸のある女だよな。結果は学年ごとにしか張り出されないし、3年だけは、棟が違うもんな。わざわざそれを見に来れるって事だし。となると、運動部系とかか……?」

 面倒臭い事は願い下げだが、意外と答えが近いとなると、妙にやる気が湧くものだ。

 うん、と腕を組んで考え込んでみたが、グウ、と腹の音が大きく鳴って気が散ったので、一旦、7号の正体は棚上げにして、少年は立ち上がった。

「……後だ、後! 今日は外で飯食うつもりだったんだ」

 例によって、つい油断して薄い上着しか羽織らないでバイトに出かけてしまったのだ。

 もう少し厚手の上着を取り出し、外へ出ると、二人もふわふわとくっついてくる。

「兄さん、今日はリッチでんなあ。夕べはバナナ一本で、あんなに怒りはったのに」

「知らない奴がいきなり上がり込んで来て勝手に食いもんぶんどってくんだ、怒るのが当たり前だろうが。金曜は、バイト代も入るしな、奢ってやらんでも……。と」

  振り向くと、半ば宙に浮いている姿に、言葉を飲んだ。

 あまりの存在感に忘れていたが、この二人は基本的に、自分以外には見えないのだった。

 バナナはきれいさっぱり食われていたので、食べられない訳ではないだろうが、3人分を一人で頼むのは明らかに変だ、というか、今がすでに独り言をぶつぶつ言っている変な奴だ。

「喜んでー! あっ、もしかしてこの先のラーメン屋行かれますん? あそこ、ボクもお薦めですねん。必ずどのメニューにも煮玉子二つ入っとるんが嬉しいやおまへんか」

「遠慮しねえのかよ! ……じゃなくて、お前ら、外であんま話しかけんな。独り言言ってる変な奴になっちまうだろ」

 ついつい突っ込んでしまい、慌てて後半は小声で囁いた。

「アタシ、いらないから安心してよ。ダイエット中だし」

「いらねえだろ、ダイエット。んな細ぇのに。……だいたい、意味あんのか? そういや、4号。お前も夕べバナナ食ってたけど、食う必要がそもそもあんのか……?」

 話しかけるな、と言いつつ、相手が突っ込みたくなるような事ばかり喋るので、人目を気にしつつ、ぼそぼそ返す。

 理屈に合わない現象は、どうにも気持ちが悪い性分なのだ。見て触れて喋れる人外が居るのだから、色々聞いてみたい気持ちも多少、無いではない。

「ほんと? アタシ、細い?」

 7号は嬉しがってくるくると宙を舞い、4号は、ちょこん、と少年の肩に肩車のように乗っかって来た。

 これなら、余り大声を出さずに会話ができる。

「食う必要はないけど、意味はありまっせ。ボクが食べたバナナの分、本体のボクは、お腹いっぱいで、今日の朝食欲が無いのはなんでだろーっと不思議な気持ちに。そしてうかつに頂いたカロリーは、そのまんま体重に反映を!」

「……なんちゅう迷惑な! じゃあ、尚更飯食ったら駄目だろうが」

「すんまへんなあ。……この時間って、たいてい、お腹がきゅーって空いてまんねん。そいで、心もきゅーって寂しゅうなりますんや……」

「まさか、そんな程度で人に「死ね」とかほざいてんじゃねえだろうな?」

 またも図星か。

 えへっ、と可愛く笑ってみせる4号を、ピン! と指で弾くと、軽いその体は「ひゃわわわ!」と悲鳴を上げながら夜空にぽーんと跳ね上がっていった。

 その体を7号が捕らえ、二人で歌う様に踊る様に夜空でステップを踏み始めた。


「探して探して」

「ボクらを探して」

 切ない、甘い歌声だ。

「あなたにヒントを話すから」

「見つけて見つけて、ボクらを見つけて」


 暖かそうな毛皮の帽子。

 暖かそうな毛皮のケープ。

 けれど、沢山の『寂しい』で出来た黒い毛皮は、ちっとも心を温めない。


「寒いよ寒いよ」

「気付いて気付いて」


 夜空に、星が、願いの分だけ。

 二人を銀色に彩るような流星雨が降りしきる。

 こんなにも彼らがはしゃいでいるのは、根拠もないのに、自分を信じているからだろう。

 ……心のどこかが、凍ったように、欠けた自分だからこそ彼らの役に立つことが出来るのだと思うと、何にでも存在理由はあるもんだな、と人事のように感心してしまう。

「……知らねぇよ、バーカ」

 ふっ、と知らず口元に柔らかな笑みを浮かべ、少年は楽しげに夜空に舞う二人を置いて、4号お薦めラーメン屋の戸を開けた。


 ◆ 3 ◆


 それまでより、辺りに気をつけて見回す様になったせいか、4号が少年に取り憑き、人外の者との距離が縮まったせいか。以来、確かにちらほらと黒衣の影を見かけるようになった。

 4号がちらりと口走った十三号以上、がどのぐらいのサイズなのかは判らないが、確かに一見普通の男のように見えても、大きさ自体はぐっと縮尺されたような姿だったりするので、あまり大きいものは見ない。

 時に、腕を組んで歩くカップルの男の肩の上で、セキセイインコ程の大きさの、女と同じ顔をした『死ね神』が楽しそうに「死ね! 死ね!」と囁き、くるくる舞っていたりする場合もある。

 好き合っていても、一緒に居ても、どこかしら寂しい。そういう事なのかも知れない。

 もちろん、うかつに目があって、懐いてこられては大事だから、少年も学習し見かけても視線を逸らして無視するようにしている。彼はすでに4号と7号だけで手一杯だ。

 そもそもそれだって、向うに見えている事を気付かれるような真似を最初にしなければ、避けられた筈だったのに……。

「……合計二百三十八円になります」

 客商売にあるまじき、面倒臭そうな声音で少年が金額を読み上げると、『ドラクエ』の先頭の一人の小さな手が、慣れた手つきで電子マネーを読み取り機の上に置き、電子音を響かせる。そうやって買い物をするのはいつも3人目までで……常に黒い服の4人目がどうやら『死ね神』だ、と気付いたのも最近。

 この3人のうちの誰かが目当てなのか。それともこのグループ自体にまざりたいのだろうか。幸い、たいていの『死ね神』は自分の取り憑く相手しか見ていないので、今まで少年が、4人目の姿を見ていた事は、当の4人目には気付かれずに済んでいる。

 どの時間帯にも居るなと思っていた『ゾンビ』は、どうやら、昼間見かける方が『死ね神』だ。ただ……誰に取り憑くでもない。そこに居るだけ。

 そして、本体の『ゾンビ』はそこそこ長身の男なのだが、それとほぼ変わらない。少年が見てきた限りでは、群を抜いて大きい。あれがまだ十三号でないなら、服のサイズとはまた違う設定があると言う事か。

 買い物をしに行った近所のスーパーで、レジを打つおばちゃんに『ヘングレ』がまとわりついているところを見た事もある。きっと、彼らの母親なのだろう。

 二人とも黒い服を着ていたので『死ね神』の方と知れた。ただし、こちらは本体よりも少し大人びていて賢そうだった。

(……こんな自分だったら気付いてくれる筈、の姿か)

 どんなに大人びても、どんなに学校でいい点をとろうとも。……『死ね神』がきっかけ作りに必死になろうとも。

 どうせ人は、自分の見たい様にしか他人を見ないし、関心の無い相手には振り向かないのに。……胸の奥の凍りの塊が、ずん、と冷たさを増して、少年は彼らから目を逸らしたのだったが。

 『キズオ』が、少年の良く行くラーメン屋の常連らしいのに気付いたのも『死ね神』が居たからだ。関係のよく判らない年齢差の若い女が、『キズオ』に向って、店内のTVを見ながらペラペラ話しかけている。会話の合間に「死ね、死ね!」とお馴染みのフレーズを挟み込むので、それと知れた。

「だっからぁ、やっぱ、ピン芸じゃ限界あるでしょお? 死ね! 死ね! これからはコンビよぉ。死ね! ……ねえねえ、あんた、次はいつ来るの? 死ね! ……」

 母親にしては若いが……若く見えたら、という願望のせいか。

 少年が驚いたのは、よく考えたら当たり前の話だが……コンビニにやってくる客のほとんどは彼の近所に住んでいる、という事だった。

 部活もやっていないので、人と関わるのはクラスかコンビニぐらいしかない。

 その点と点は、実はこんな広い線で繋がっていたのだ。狭かった視界が、おかげで少しだけ広がったような気がする。

 迷惑だが。まとわりつかれて、もの凄く迷惑なのに変わりはないのだが。

 『寂しい』と『寂しい』を、憎まれ口を叩きながらも必死で絆を繋ごうとする『死ね神』達。誰に気付かれる事も無く。自分の対象にだけ必死になって、他の『死ね神』と触れ合う事も無い。哀れで、儚い無害な存在……そう思うようになっていた矢先。

 いつものように、『マシンガン』が夜遅くにやってきて、弁当とコンビニスイーツを選ぶと、珍しく『ゾンビ』が居る本棚の方へ向った。この時間帯に居るのは本体の方だ。

 実際のところ、彼のおかげで、気味悪がって本棚付近に寄り付かない客も多いので、ある意味営妨害ではあるのだ。しかし、『マシンガン』は出没する時間帯が同じだけあって、慣れたものだ。

「あのー、すみません。その雑誌、買います?」

 まさか話しかけるとは思わなかったので、少年も驚いたが、話しかけられた男の方は更に驚いたらしい。

 手にしていたのが、週刊の少年誌だっただけに余計。たまたま今日は人気作家の新連載が始まるとかで、この客の少ないコンビニでもいつも以上にはけて、それが最後の1冊だった。

 黙って『ゾンビ』が差し出す雑誌を、少年に話しかけるのとまったく同じ調子で「ありがとうございますー。この作家好きなんすよねっ! 昼休み買い損ねたらもうどっこも売り切れちゃっててぇ、お助かりっす!  んじゃ!」と、あっけらかんと話しかけると『ゾンビ』に手を振りながらレジの方にやってきた。

 そして、少年がレジを打ち、弁当をレンジにしこんで振り向いた時には、ギョッとする程近い距離で『マシンガン』に張り付く『ゾンビ』の黒い影があった。

 生身であれば、単なる痴漢行為と思われても仕方の無い距離でぶつぶつと狂信的に呟く『死ね神』の姿。『ゾンビ』本体は、虚ろな目をして別の雑誌を立ち読みしているだけに、その執着心の落差に、初めて……ゾッとした。

 『死ね神』達は……まったくの無害な存在という訳では無いのではないか。


 うっすらと、少年の胸に疑念が横切った。


「あっ、卵焼き! ボクこれ好きでんねん。出汁の効いたやつとちゃうくて、このベッターとした甘さが堪りまへんなあ……!」

「それ、すげえ不味そうに聞こえるぞ」

 少年はむしろ、出汁の効いた甘くない卵焼きが好きなので、コンビニ弁当に入っている卵焼きを勝手にかっさらう4号を黙認した。

 あれから、事態は進展しないまま、毎晩のように現れる二人と夕飯争奪戦を繰り広げるのが、なんとなく日課になってしまった。

 暦は早くも十二月を迎え、本格的に、町中にクリスマスソングが流れ始めている。

 7号は、食事には見向きもしないが、たまにコンビニの売れ残りスイーツを貰ってくると、目の色が変わるのだ。

 そして二人とも共通で目の色を変えるのは『五円玉』だ。

 ご縁がありますように、という意味で『死ね神』達には重要アイテムらしい。

 普通人間に見えない彼らが現金を手に入れるチャンスと言うと、偶然落ちているのを拾うしかないそうだが、持っていると居ないとでは「死ね!」の届き具合が段違いになると騒ぐので1枚ずつ放ってやった。

 少年自体は、そんな駄洒落めいた迷信を信じている訳では無いが、『死ね神』自体が非常識な存在だし、一応神様らしいので……賽銭とでも思うことにしている。

 だが、出会った時と変わらず元気一杯の4号と比べ、7号は、十二月に入ってから、明らかに様子が悪い方へ変化していた。

 今も部屋の片隅に膝を抱えて座り、大騒ぎしている二人を恨みがましくじっと見つめている。

「……早く、見つけてよお……。クリスマス来ちゃうよお……」

 部屋の温度が下がり、湿度はあがる。

 そんな陰々滅々とした口調に、少年と子供はたじろいだ。

「んな事いってもなあ……、もうちょっとヒントは出せねえのかよ」

「無理……。あんたが見つけてくれれば、あいつがさ……アタシに気付いてくれるかもって……思ったのに……」

 しくしく泣き始めたのに内心おたつきながら、「ああ、それで」と少年は『死ね神7号』が自分に憑いた理由に合点がいった。

 あくまでも目的は彼の親友なのだ。

 4号はともかく、7号の正体探しは容易い、と思っていただけに、少年も若干焦っていなくもないのだが。

「けど、あれから学校中探してみたけど、お前に似た女なんて居なかったぞ」

 少年が今まで出会った例から言えば、大幅に『元の姿』と違う『死ね神』は居なかった。容易いと思っていた理由はそこにもあったのだが。

 何気なく言った言葉に、少女がびくっ、と肩を震わせた。

「そ……そんなこと、ないもん。アタシ、ホントのアタシに似てるもん!」

「とりあえず、あれから判った事と言えば……。性別は、確実に女。同じ学校。生徒。甘いもの好き。女生徒ほとんど全員当てはまるじゃねえかよ」

「だっだけど……! あれから、何回か、会ってるもん。アンタが気付かないだけだもん!」

「マジか! 何で言わね……って、言えねえのか。面倒臭えなあ……」

「兄さん、ボクも! ボクも気にしてや!」

「あーあー、甘い卵焼きが好きで、性別は確実に男。小学生、と」

「ちゃいますー! もう、ちゃんと考えてやー」

 食べ終わった弁当箱を押しやり、少年は、背筋を伸ばしてぽきぽき鳴らした。

 バイトは相変わらず連続勤務が続くし、受験勉強も今更慌ててやる程ではないとはいえ、去年の出題傾向をまとめた問題集くらいは手をつけておきたい。

 いい加減、「気付いて欲しい」などと甘えた理由でまとわりついてくる連中からも解放されたい。

 4号の方はいまだに見当もつかないが、7号はもう少しで何かが掴めそうなのだ。

 やはり、決着をつけるなら、こちらからだろう。

「……何回か、ってことはまずクラスは違うんだよな。合同授業で一緒になる事もない、と」

「……知らない!」

 そんな事を言いつつ、久しぶりに生気のある表情を浮かべた少女が嬉しそうなので、正解なのが判る。

 しかし、これで判ったのは、全校のクラスから二つが除外された、という事だけだ。

 埒が明かない。

「待てよ。廊下ですれ違うなら、何回か、って事もねえだろ? ……やっぱ、下級生だな」

「知らないもーん」

 正解だ。

 彼らのルール的に「自分からははっきり言えない」と言うだけで、こちらが当てる分にあからさまに判り易く答えを返すのは構わないらしい。

 『死ね神』が見える、という自分の特異体質に便乗して彼らがルールを大幅にねじ曲げている可能性もあるが、それはこの際どうでもいい。

「……声だ! その声。絶対に聞いた事あるんだよな、そう言えば」

 実を言うと、声だけならば、だいぶ前に心当たる相手がいた。性格もかなり勝ち気で、顔立ちも……そう言えば、似ていない事も無い。

 が、彼女は隣のクラスなのだ。合同で一緒に授業を受ける事もあるし、そもそも彼の親友とも同じクラスだ。

 それに確か……去年、というか今年のバレンタイン、彼と親友に手作りのブラウニーをくれた。

 甘いもの好きの幼なじみは、感動しまくっていた。

 「あいつはタイプじゃねーけど、この味は捨て難いよな」などと失礼な事を言いつつも。

 ……毎年、貰わないこともないのだが、一人ずつでも怖がられている強面の彼らが二人揃っているところに、例え義理でも、チョコを渡す度胸のある女となると、相当限られてくる。

「……お前、手作りのお菓子とか得意だったりする?」

「知らない、知らない、知らない!」

 正解だ。

「今年のバレンタイン」

「あ……、あははっ、あははははは! 違うもん。ぜーんぜん違うんだから!」

 嬉しそうに立ち上がって、くるくるとスカートを舞い上げて踊り出す。

「けど、そうなると隣のクラスの……」

 弾ける様に笑っていた表情が一転、『死ね神7号』は真っ青になって凍り付いた。

「あ……アタシ。違……っ? あれ、あっ、アッ、アタシが……! 酷いよ!」

 叫び、一気にぶわあん、と体を膨れ上がらせ、パチン! と風船が割れる様に飛び散って、消えた。

「なんだ、あいつ。……おい?」

 間違っていたのなら、これまで通り、また正解を探せばいいだけの話なのに。

 今までとまったく違う消え方をしたのが気になって、少年が振り向くと、『死ね神4号』も表情を曇らせていた。

「7号の姉さん、もう、アカンかもしれん。最後のあれ……多分、十三号、超えとった……」

「訳判らん奴らだな……どうしてサイズがそんなに気になるんだよ?」

「ボクら、本体のお人が寂しくなりすぎると、大きゅうなりますねん。ほんまのボク、結構お気楽ーな方やから、ボクずっとこのサイズでおれるんやけど……」

 きゅ、と下唇を噛み締め、何か決心したように、小さな手が少年の腕をがっと掴んだ。

「探そ! ボクはもうちょっと大丈夫や! な、ほんまの姉さん、見つけたって! 兄さんだけが頼りやねん!」

「んな事言ったって、今まで見つけられなかったもん、今すぐって訳にゃ……」

「今すぐやないとダメやー! 十三号超えてもうた『死ね神』は重た過ぎて、もう本体からはがれられんようになるねん。今やったらボク……『死ね神』同士やから、本体に戻っとる姉さんの場所、ちょっとだけ判ると思う」

「なんだよ、そんな便利な事出来るんだったら、もっと早くやってくれりゃ良かったじゃねえか!」

 手早く上着を引っ掛けると、早く早くと手招きする4号の後を追って、少年は部屋を飛び出した。


 文字通り飛ぶ様な早さで目の前を行く4号に息を切らしながら「なあ」と声をかけた。

「なんですの。これ、めっちゃ集中力いるんでっせー。ボク忙しいんやけど」

「お前ってさあ……、いっつも、そう、なのか?」

「はい? むつかしい話やったら後にして欲しいんやけど……あっ! あかん!」

 二人の道筋は、いつの間にか駅前通りに差し掛かっていた。かなり夜は更けているものの、まだまだ人出の多い時間帯だ。

 何かを見つけた4号は、モモンガのように少年の頭にかぶさって、体を伏せさせた。

 いきなり匍匐前進のような姿勢になる少年は周囲のいい見せ物だ。

 OLとおぼしき女性達が「やだー、何あれー」「あ、あの子、よく行くコンビニのバイト君すよー。ちょっと可愛っしょ?」などとクスクス笑いながら通り過ぎていく。

 まったくの見ず知らずに見られてすら相当恥ずかしいところを、聞き覚えのある『マシンガン』の声まで聞こえ、顔を真っ赤にして起き上がろうとした少年を、なおも4号は頑に地面に押し付けようとする。

「てめっ、何しやがるんだよ!」

「しー! 兄さん、隠れて。アレはあかん……成ってもうた『死ね神』や……!」

「人の「寂しい」からできあがったのが『死ね神』なんだろ? これ以上何になるってんだ」

「なるんとちゃう。将棋の駒がくるーっとひっくり返って「成る」みたいに、ボクらも大きゅう育ち過ぎたら、成ってまうんや。本体からはがれられんようになった『死ね神』は、もう、「寂しい」を他の誰かにぶつけられんようになる……。本体に返すだけや。そうなったらもう最悪やで。「寂しい」「寂しい」「寂しい」。人から『死ね神』へ。『死ね神』から人へ……どんどん膨れ上がってくマイナスのキャッチボールや。見て」

(……『ゾンビ』!?)

 4号の指差す先に、酔っぱらった様に歩く一人の男が居た。少年の目には、その顔が奇妙にダブって見えた。

 不気味に肥大した、腐った様なぶよぶよした塊から普通の若い男の顔が時折覗く。『マシンガン』に取り憑いた時は、『死ね神』自身もまだ普通の人間と変わりなかったのに。

「げ……ずいぶん、グロテスクなもんだな」

「見かけだけとちゃう。ああなったら、もうボクらとは別モンや。心をどこにも飛ばす事ができんようになった『死ね神』はなあ……その「死ね!」を、ほんまにしてしまう」

「何?」


「……死ね」


 少年が4号に聞き返す前に、男の喉からその言葉がもれた。暗くぎらつく瞳で、ポケットからナイフを取り出した。


「死ね死ね死ね死ね、シネシネシネシネ……」


 騒然となる繁華街。悲鳴を上げて逃げ惑う人びとを、幸い、ぶつぶつ呟く『ゾンビ』はまだそのナイフを人に振おうとはしていない。だが。

「人を、殺してまうってことや」

「早く言え、バカ!」

 先程通り過ぎて行った『マシンガン』とその友人らしき女性が、すくみ上がって、動けなくなり、『ゾンビ』の前に取り残されている。

 少年は思わず彼女らをかばって飛び出したが、男の目線は更に容易い獲物に向けられていた。

 塾帰りとおぼしき、一人きりで歩いていた小学生だ。すでに『ゾンビ』に傷つけられなくとも今日も派手に頬の辺りが真っ赤に擦り剥けている。

(『キズオ』じゃねえか)

 冬場だというのに、少年より薄着な子供は、恐怖ですくんでいるのか、ナイフ片手の男がやってくるのを突っ立ったまま見守っている。

(くそ、間に合わねぇっ!)

 その時。何故その言葉を口にしたのかは判らない。

 ただ、誰かに気付いて欲しい、と思うのが『死ね神』だから。『ゾンビ』の『死ね神』は、『マシンガン』に取り憑くまでは、誰に取り憑く事も無く一人きりだった。

 誰にも取り憑かない……逆に言えば、誰でも良かったのかも知れない。


「あんたは、ここにいるよ!」


 ギョっと振り向く男は、長身で強面の相手がまさか中学生とは思わないだろう。手強そうな相手に、慌ててナイフを持ち直す……が、その疲れた表情を覆っていた、腐っているような肉の塊が、薄く透き通ってきた。

「俺が、気付いた。あんた、毎日うちのコンビニ来てくれるじゃねえか。立ち読みした雑誌、必ずちゃんと買ってくれる。ホットドッグのカラシは断る。辛いの苦手なんだな。肉まんとあんまんと、必ずセットで買う。ずっと、あんたが居るのに、俺は気付いてた……いいだろ、それで」

 ナイフの持ち手が緩んだ。

 その頃になってようやく到着した警察が男を取り囲み、忙しく手錠をかける間も、男は……どこか、憑き物の落ちたような、すっきりした表情を浮かべていた。

 初めて『ゾンビ』ではない、生きた目をして。


 肝心なのは、男が、誰一人傷つけることもないうちだったという事だ。


 一件の落着を見て、少年が立ち去ろうとすると、『キズオ』が、こちらを睨みつけていた。

「……あんた、丸腰で飛び出そうとしてただろ」

 シベリアンハスキー並の目つきの悪さは、少年も顔負けだ。この寒空に、薄着どころか、裸足で。

 そこで、少年はその小学生が靴下に靴を詰め込んだ即席のブラックジャックを手にしている事に気付いた。……どうりで、裸足の筈だ。

(……なんちゅう、物騒な奴だ!)

 呆れるより前に、『キズオ』が「ばっかじゃねえの!」と憎まれ口を叩き、少年の臑をしたたかに蹴り付けて走り去った。

「……~~っ! 痛~~!!」

 4号とはまるで違う、急所を心得過ぎの一撃だった。

「……えろう、すんまへんなあ」

 入れ替わりで、ふわふわと神妙な顔をした4号が、少年の前に舞い降りてくる。高みの見物をしゃれ込んでいたらしい。

「いいよ。お前じゃ生身の人間には何にも出来ないんだろ。教えてくれただけで助かった……つか、わざとこっちに連れて来ただろ?」

「え? いやいや……まさか、そんなー。ボク、そない悪いことしませんで? めっちゃルール違反ですもん。けど、さすがほんまのボクが見込んだお人や、カッコ良かったわあ」

「どうだか……! だいたい、他の『死ね神』の後追える事だって黙ってたじゃねえかよ」

「えへへ、そこは大目に見たってくれますう。ほな、急ぎまひょ! ボク、姉さんにはあんなになって欲しくないですもん」

「……だな!」

 おかしな奴だ。あれが『死ね神』の末路ならば、4号だって呑気な事は言ってられない筈なのに、仲間の事ばかり必死で気にして。

 ルール違反までして救おうとして。

(……本当のお前は、どんな奴なんだろうな)

 やっぱり、こんな、底抜けにお人好しな奴なんだろうか。

 初めて、少年が感じた4号への好奇心だった。

 今更小っ恥ずかしくて、お前の事もちゃんと見つけてやる、などと口が裂けても言えなかったが。


 やがて、少年が辿り着いたのは、駅向うの閑静な住宅街だった。

 似た様な作りの家ばかりで道に迷いそうだが、4号は子犬のように時折すんすんと鼻を鳴らしながら一直線に進んで行く。

「わっかんねえなあ……」

「ええ!? ボク、ちゃんと姉さんの所に連れてきましたで! ここで正解に決まっとりますやん」

「だから判んねえんだよ」

 表札にでている名字は、知っている名前だ。

 それこそ、隣のクラスのあの女の。

 だが、7号は、あれほどはっきり、その答えを拒絶したではないか。

「ま、まったく無関係じゃなさそうな事が判っただけで収穫だ。こんな時間じゃ呼び出す訳にもいかねえしな……明日だ。明日には決着つけてやるよ」

「ホンマでっかー! 頼みまっせ!」

 嬉しがってくるくる宙を回るのは『死ね神』の習性なのだろうか。7号もよく、くるくる回っていた。

「……あれ?」

 しかし、その姿に、若干の違和感があった。

(あいつ……、なんか白っぽくなってないか?)

「兄さん、ほな、また明日ー!」

 本人はまったく異常を感じていないらしい。いつもの通り、はち切れんばかりの勢いで元気な笑顔を見せると、ぶんぶんと手を振りながら、すうっと闇に溶けて消えた。


 ◆ 4 ◆


 翌日の昼休み、少年は隣のクラスの女を呼び出した。

 珍しく昼間から『死ね神4号』も顔を出し、少年の後ろでふわふわと漂っている。よほど、7号の行く末が心配だったのだろう。

「あのよ、結構前のことだけど……バレンタインの」

 持ち出すと、少女はぱあっと顔を輝かせた。


「やだ、嘘。マジい? あんた、あの時、礼も言ってくれなかったじゃーん。あのさ、あたし」

「あれ、手作りっつってたけど、作ったの本当にお前?」

 放っておくと面倒臭い方向に誤解されそうだったので、慌てて少女の台詞を遮り、ずばり、と要点を突いた。

 しばらく口をぱくぱくさせて、少年の顔を見上げていた彼女は、ややあってふてくされた口調で認めた。

「……嘘は言ってないよー。妹が作ってたけどさ、別に誰にあげるつもりもないって言ってたから……」

「妹かよ! もしかして、ここの中学来てるか?」

「ん、うん……2年だけど。図書委員だからさ、時々、こっちにも来るよ。今日も確か当番」

 この学校は、1、2年生の棟と、3年生と特殊教室の棟に別れている。図書室は、3年と同じ棟だ。

「図書……ああ、どうりで」

 少年の部屋に来た時、雑誌が順番通りに並んでいないのが気になるようで、よく、並べ替えていた。

 ささいだが、それもヒントの一つだったのか。

「サンキュ! それだけ聞きたかったんだ。じゃな」

「ちょ……! 何よう、もう! 言っとくけど、あの子、すっごいぶー子だからね! 見たってガッカリするよー!」

「姉貴がそれ言うかよ」

 苦笑しながら、きーっと地団駄を踏む女を後ろに、図書室に向かって走り出した。


 昼休みも終わりに近い図書室は、貸し出しを待つ生徒で意外にも盛況だ。

 図書委員なら、腕章をつけているのですぐに判る。

 名札を頼りに、ぶらぶらと図書委員の女子の間を歩く少年は、親友の姿をそこで見かけた。

「え、お前も本なんか借りるのか?」

「ちっげーよ! いや、違わないけど! ……可愛い子がいるんだよ、図書委員!」

 ひそひそと囁く親友が指差す、その先に。

「……見つけた!」

 にわかには、信じがたいが。薄茶の柔らかい髪は、無理矢理ひっつめているせいで、返って後れ毛が散らばり、納まりがつかなくなっているし、少年が知っていた7号とは、まるで違う……親友言うところの「ぽっちゃりを拡大解釈しすぎのふっくら」した体型だ。

 どうりで、『死ね神7号』があそこまで、自分のサイズに固執した訳だ。

「ちょ! 後から来てなんだよ、俺の天使ちゃんに手を出す気かよー!」

「うわっ、寒……!」


 なんだよなんだよ、と騒ぐ友人を尻目に、少年は笑いを堪えきれなかった。

 バカだな、7号。

(お前、遠回りし過ぎだったんだよ)

 今は、暗い表情でうつむいて座る少女。貸し出し帳を閉じたり開いたりしているが、まるで上の空だ。

 彼は、本棚から一冊の本を取り出して、それを少女に差し出した。

 弾かれたように顔をあげる少女の顔が、夕べの『ゾンビ』のように奇妙にダブって見える。……囚われ、絶望した『死ね神』。

 その部分だけが、少年を認めて、嬉しそうに何かを話しかけて来る。

 もう、その声は聞こえないけれど。

「あ……。すみません。貸し出しですか?」

「いや、俺じゃなくてさ。あいつに、教えてやってくれねえか? これの作り方とかさ」

 基本のお菓子の作り方。表紙には、前のバレンタインに貰ったブラウニー。

 これは独り言だけど、と空々しく呟いた。

「あいつさあ、痩せてる女の子って嫌いなんだって」

 幼なじみに、くい、と顎をやって差した。

「おい! いい加減にしろよ! お前ばっかり、何喋ってんだよー……! 俺なんか、本借りる時しか……あ、ども」

 言いかけ、真っ赤になった親友の顔を見て、少女の顔もぼうっと一瞬で真っ赤に染まり、そして。

「……死ね! 死ね! 死ね!」

 最後の挨拶か。くすくすと幸せそうに笑いながら、『死ね神7号』が、少女の体から、すうっと抜け出して来る。今は本体のままに、ぽっちゃりふっくらした姿で。

 くるくると、図書室の日だまりの中で軽やかに踏むステップ。解けてゆく真っ黒な毛皮のケープ。


「……死ね!」

(あ、り、が、と、う)


 そう、聞こえた。

 真っ白で柔らかな衣をまとったその姿が、陽射しの中で柔らかく溶けて、消えて行った。

「良かったなあ。姉さん、『死ね神』卒業や……。ほんま、良かったなあ」

 はばかることなく、うれし涙を滂沱と流す『死ね神4号』はどこからともなくとりだしたハンカチで頬を何度も拭っている。見ている方が恥ずかしい。あっちも。こっちも。

 不覚にも、ちょっとだけ、鼻の奥がツン、となって少年はさっさと図書室を後にした。

「さ、次はお前だろ。頑張ろうぜ」

「え? 兄さん、今なんや言わはりました? ボク、ちょっとあっちの二人の話立ち聞きするんに忙しゅうて……」

「……なんでもねえよ!」

 きょとん、と見返して来る姿は、やはり、以前と比べて白っぽい。黒というより、灰色だ。


 なにか、ヒヤリとしたものが心をよぎった。


 ◆ 4 ◆


 嫌な予感は当たるものだ。

 その日の夕方、いつものようにバイトを終えた少年の元に現れた4号は、昼間の喜びとは打って変わって、しょんぼりとうつむいている。

「……なんだよ、辛気臭ぇな……。ほら、卵焼きやるよ」

「喜んでー!」

 割り箸でつまんで「あーん!」と開けられた口に放り込んでやる。

「んー、相変わらず、このベッターとした甘さ。堪りませんなあ」

 その瞬間だけは嬉しそうに笑っているものの、どこか無理をしているのが窺える。

「で、何があったんだよ。7号が居なくなって寂しいのか?」

「いやいや。寂しくないってゆったら嘘になるけど、そこはめでたい事やもん。ボク、平気や。せやけどなー、今回のルール違反が上のヒトにバレてもおてわややー。もお、あかーん!」

「上司いんのかよ!?」

「おりますよう、お仕事やねんから。はーあ、減俸や、きっつー」

「減俸って、そもそも、お前ら時給いくらだ?」

「はーあ、さもしいさもしい。すぐにお金に換算しようとするんは、現代人の悪癖でっせー」

「つまらんボケは拾わんぞ」

 くったりとちゃぶ台につっぷし、ため息をつく子供の背中をうりうりと突っついた。毛皮の弾力が相変わらず心地いいが、その色はごまかしようもなく灰色だ。

「だいたいルール違反ってなんだよ」

「ああ……こないだ、姉さんの居場所、教えたやんか。あれ、ほんまはあかんねん。ほとんど直接教えたに近い行為やから、バレたらごっつい厳しいお仕置きされるねん」

「わかんねえな。具体的には」

「ボクが兄さんにヒント出せるんは、後一回や」

 幼い顔一杯に悲壮感を浮かべ、4号は更にちゃぶ台の上で平たくなった。相当なへこみようだ。

「一回? だけど、お前……」

 4号の事は今回の件までまともに取り合うつもりもなく、主に調べてきたのは7号の事ばっかりだ。

 今までの会話をどうにか脳裏に浮かべてみる。

「男で、甘い卵焼きが好きな……小学生」

「ちゃうちゃう! 前にも答えたさかい、そこはもっぺん言えるけど、兄さん、出発点がちゃうで!」

「女か?」

「言われまへん。うっかり答えてもーたら終わりですやん。兄さん、もっとちゃんと考えてくれまっかー」

 両手で口を塞いで、むーむーうなりながら子供は首を横に振った。

「……一つか……。7号と違って、お前とは学校が同じ訳でもねぇしな……。ところで、一回以上答えちまったらどうなるんだ?」

「一回以上は答えられませんの。そしたら、自動的にボク、お口にチャーックされてまうんや。喋れんようになる訳とちゃうけど、ヒントっぽーい事言おうとしたり仕草しようとしたら、その瞬間はよう動けへんようになりますん」

 今までのように、判り易く「違う」と答える事さえ封印されてしまうらしい。

 しくじったが最後、その正体探しが困難を極める事は間違いない。下手をすれば一生……この小さな人外につきまとわれかねない。

 どんなに呑気者と言えど、そんなにも長期に渡って人に取り憑いていれば、いつか十三号を超える日が来ないとも限らないだろう。

 こんな事になってさえ、4号の大きさはまったく変わらないので少年は少し安堵していたが。

「つか、お前、判ってただろ? こうなるって?」

 あの時。何か決心しているように見えた。……気付いてやれなかった。

 自分の心の中に何か冷たい、黒い塊があって、そんなささいな気遣いをしてやれない。

 後悔するのは性に合わないと、いつも深く考えることを切り捨てて来た。


 だから。


 だから、彼の。


 嫌なものが押し上げられてきて、少年はぐっとその塊を飲み下した。

「せやかて、ボク、7号の姉さんの事、大好きやったもん。全然後悔とかしてへん!」

「そうか……。強いな、お前」

「ちゃいますー。兄さんの事信じてるだけですー」

「……買いかぶりすぎだろ」

「いやいや、短い間やけど一緒におらせてもろて兄さんの事、ボクだいぶ判ってきましたで。こうやって一日べったーってされとったら、よう我慢できんようになるハズやー!」

「そっちかよ!」

 鬱陶しく膝の上にあがりこんでこようとする子供の頭をぺしっとはたいた。

 そこそこの衝撃があった筈だが、すっかり灰色になってしまった帽子はびくとも揺らがないので、改めて本当に『人外』なのだなあ、と思う。

 膝の上にのってくる熱い様な体温も、埃っぽい毛皮の匂いも、まるで生きている人間と変わらないのに。

「ぶったらぶたに良く似てるー! あと、はたくんやったらハリセンで!」

「やかましい!」

(ハリセンってどう作るんだっけか)

 本当にこの鬱陶しいチビを派手にスパーン! とやれたら、すっきりしそうだ。4号の望みだからではなく。

 なんとなく自分に言い訳しながらも、少年はハリセンを作ろうと決心した。


 そして、冬休みが始まった。

 当てにされているせいもあるし、連休は生活費を大幅に増やすチャンスでもあるので、逃せない。

 結局バイトを連日目一杯詰め込んでしまったので、4号の正体探しはどうしても中途半端な時間にならざるを得ない。

 言葉で推理するチャンスが限定されてしまった以上、「本体と似ている」らしい『死ね神』の顔を頼りに足で探すしかない。

 バイト後夜道をうろつきつつ、ここまで面倒臭い事になるのなら、もっと早く関心を持ってやれば良かったと少年は溜め息をついた。吐く息は盛大に白い。

 今までいい加減に聞き流していた4号の情報の断片を繋ぎ合わせるならば。

 少年とはどこかで会っている。……取り憑かれる『きっかけ』はハロウィーン寸前。

 この近所に住んでいる。……あのラーメン屋を良く知っている。

 甘い卵焼きが好きで、男で、小学生。……この認識が、違うと言う。

 どれか一つなのか、全てなのか、……聞き出すチャンスがある時に聞いておけばという後悔は後の祭だ。

(あ、あの女……)

 少年があの中学の学生だ、と言う事は知らないらしいので、通学路近辺は外せるだろう、と、ラーメン屋を中心に近所を探索するうち、祖父の持つアパートの一つに出た。

 すでに住民は全員退去し、来月にも取り壊し予定のものだ。しかし、その中から、一人の女が現れた。顔を見れば、『キズオ』に取り憑いていた『死ね神』だ。


 『死ね神』は『死ね神』の居場所が判る。


 脳裏をよぎった瞬間、少年は思わず女に声をかけていた。

「なあ、あんた、取引しねえか?」

「誰……っ?」

(まずい、本体の方だ!)

 おびえた表情で振り向いた女は、思ったより若く少年と大差ない。高校生……下手すると同じ中学生かもしれない。

 宵闇のせいで黒っぽい服装を『黒』と勘違いしてしまった。ラーメン屋で容赦なくお笑いコンビの批評をしていた明るい表情と違い、こちらはずいぶん沈んだ表情で……足が悪いのか、松葉杖をついていた。

「あ、あー、悪い! うちのじいさんがこのアパートの大家でさ。知り合いと勘違いした」

「そう、大家さんの」

「……もう誰も住んでないはずだと思ってたとこ出て来たからさ」

 少年もいい加減愛想がいい方ではないが、少女はそれ以上に素っ気ない。もちろん、こんな時間帯に知らない若い男に声をかけられれば警戒するだろうが、少年の言葉を信じたにしても、短く言い捨てるとあっさり背中を向けた。

 『死ね神』の方が取っ付きやすそうに見えたのは……そういう自分だったら、という願望のせいか。

「……うちも、夏休み中に引っ越したの。ここに、忘れ物、したような気がして」

 独り言のように言いながら、こつ、ぱた、とぎこちなく歩き出す。

「ふーん、見つかったかい?」

「よく考えたら、鍵、持ってないもの。……大家さんの孫って言った?」

「ああ。あ、鍵借りてきてやろうか?」

「いらない。多分……物じゃないから」

 どうにも、会話のテンポが掴みづらい。変について行くのもおかしな奴だと思われそうだが、この独り言のような呟きは、どうやら彼女的には話しかけているつもりらしいので、立ち去るのもためらわれた。

 結局、1m程離れた微妙な距離で一緒に歩くことになってしまった。

 しかし、考えてみればこれはある意味最大のチャンスだ。『死ね神』自身は本体の情報を語る事は出来ないが、彼女が『キズオ』に気付かれたいと思っている事は間違いない。

 まず彼女から彼女と『キズオ』の情報を得て……、そして、どうにかして『キズオ』に憑いている『死ね神』の注意を引く。五円玉でもちらつかせれば一発だろう。

 そして彼女の『死ね神』に4号の居場所を探してもらい、彼が『キズオ』を彼女に紹介する。少年は4号から解放され、彼女は気付いて欲しい相手に振り向いてもらう。おまけに2体の『死ね神』もその物悲しい職業を卒業できる。まさに一石二鳥だ。

「変な事聞くけどさ。あんた、キズ……怪我ばっかしてるチビ、知り合いにいねえ?」

「……取引って何?」

「いや、それは、その……人違いだったんだって。俺の探してる奴の情報を知ってる奴かと思ったんだ」

 あながち間違いではないのだが、『人外』の話など持ち出せる訳もない。

「そう……」

 繋がらない会話で何一つ情報を得る事が出来ないまま、気のない様子で返事をする彼女についてゆっくり歩くうち、少女は大通りに出て手を振った。父親が車で待っていたらしい。

「これ」

「……え?」

「大家さんの孫なら、渡しておいて。……忘れ物」

 車に乗り込む寸前、唐突に、手紙を押し付けて来た。可愛い封筒に入っているが、何度も握りつぶしたのかぐしゃぐしゃだ。

「怪我ばっかりしてる、ヒーロー気取りの馬鹿が。もし、このアパートに来たら」

 うつむき、小声の早口で。

「ごめんって。……あんたは悪く無いよって、私。言う前に引っ越しちゃった、から」

 言うなり、バタン!とドアを閉め、そして今度こそ車は走り去って行った。

 少年の手に最大の武器を残して。

「……よしっ!」

 我知らず、彼は小さくガッツポーズを決めていた。


 コンビニで流れているジングルベルは、少年のアパートまで聞こえて来る。

 今日も遅くまでバイトのシフトを入れてしまったが、少年は珍しく鼻歌混じりだ。

 部屋の明りを点すと、むくれた顔の4号が、ちょん、とすでにちゃぶ台の前に陣取っている。

「おっそーい! 兄さん、何ですの。休みに入ったら気合い入れてボクを探してくれるとばっかり思うてましたのに」

 ぷんぷん、と口で言いながら人差し指を立てておでこにあてる。角のつもりらしい。

「うっせえ。俺は俺の生活の方が大事なんだよ……っと」

 言いながら、袋からあれこれと食べ物を取り出した。結局バイト先の商品ばかりになってしまったが、ちゃんとクリスマスらしいものを選んだつもりだ。二人分。

「わー、わー、どうしましたん? 兄さんのバイト先大丈夫ですぅ? イブやのに売れ残りがこないに!」

「違ぇよ! これは、ちゃんとバイト代で買ったんだ。売れ残りじゃねえっての」

 最後に、小さいがちゃんとホールのケーキを一つ。小さな『死ね神』は、あっさり機嫌を直して目を輝かせている。

 実はこっそり、クリスマスプレゼントも用意していたのだ。ピカピカの5円玉を5枚。

 二重に、ご縁がありますように、と。

「クリスマスくらい、忘れようぜ?」

「喜んでー!」

 それに、どうせもうじきお別れだ。『キズオ』に取り憑く『死ね神』の本体を探し当てた事はまだ4号には言っていない。

 先に別の『死ね神』と話をつけて、それからびっくりさせてやるつもりだったのだが、『死ね神』達は取り憑く取り憑くと言いながら二十四時間側にいる訳でもない。

 コンビニに『キズオ』がやって来る時は、あの『死ね神』は居ないので、結局話はつけられないままだ。

 またあのラーメン屋に行けば会えるだろうか。

 大喜びでチキンをぱくついている4号に何の気無しに尋ねてみた。

「お前らってさ、どーゆー理屈で出て来る訳? それもヒントになるから言えねぇ?」

「嫌ですわー。それ、最初に言いましたやん。ボクらは本体のお人が「寂しい」「寂しい」「あの人に気付いて欲しい」って心から生まれて来る神様やで、てー」

「けど、二十四時間居る訳じゃないだろ? なんで居ねぇ時間があるんだって思ってな」

「ああ……それはあくまでもイッパンテキな『死ね神』の話ちゅう訳ですな?」

 一般的な話でっせーと言いながらキョロキョロ周りを見回す4号。何かしら電波を受信しているらしい。謎の業界の謎の上司と話がついたのか。

「まー人は生まれた時から「寂しい」のバケツを持っとると思ってもらえます? バケツの大きさは人それぞれやし、中身も減ったり増えたりしますん。そいで、そのバケツの水がざぱーって溢れた時に、ボクらが生まれるんや。「寂しい」の中身が減れば水も溢れへんさかい、ボクらも現れへん。小さいバケツの人やとあっという間に洪水になって十三号になってまうのも早いってこっちゃ」

「なんか花粉症みてぇだな」

「そうそう、くしゃみ鼻づまりの代わりに、「死ね死ね」と呟く『死ね神』という症状が……って、ちゃいまんがなー!」

「いっちょまえに、ノリツッコミとかするんじゃねえ!」

 これも4号には内緒で作っておいたハリセンを座布団の下から引っ張り出すと、すかさずパシーン! と頭をはたく。

 いい音だ。

「兄さん、ほんまにハリセン作ってくれはったんやー! 律儀というか……ここまで来ますと律儀過ぎて、ただの変な人ですわ」

「てめっ! 用意させといてそういう事言うんじゃねえ。もうあったま来た。ぶっ殺す! 死ねっ!」

「いやいやいや、それ、ボクのセリフや。お仕事取らんといてくれますう~」

「知らねぇよ。もう一発くらわしてやるからじっとしてろ」

「喜んでー!」

「いいのかよ!?」

 ドタバタと追いかけ回したり、料理をぱくついたり、思い出した様に料理のパッケージを部屋のあちこちに吊るしてクリスマスっぽい模様替えをしてみたり。

 生まれて初めてだった。

 笑い疲れるまで、笑った事など。

 4号の話が本当なら、『キズオ』に憑いている『死ね神』に、いつ会えるかの見当もつけられない。となると、お別れはもう少し先になってしまうのだろうか。

 少年の中のどこかが、ほっとしていた。


 あれから、少年の親友と7号の本体だった少女は付き合うようになったらしい。帰り道3人で歩く事もあったが……7号の積極的な明るさや慣れ慣れしさはなく、喋り方も「先輩」に対するもので、どこか堅苦しい。

 似ているけれど、7号ではない。時折、あのほっそりした姿と甘えたような喋り方が懐かしくなる。

 4号の本体を探し当てて知り合っても……今知っている4号は消えてしまうのだ。

 思えば、最初から、自分はこの図々しい子供が気に入っていた、んだろうか。

 だから、積極的に探す気になれなかった。

(は! 何甘えたこと考えてんだ、俺は)

 ケーキを切り分けようとしたが、4号がどうしてもロウソクに火をつけてくれとねだるので、部屋の電気を落とした。

 サンタクロース型をしたロウソクの帽子からオレンジ色の光が、淡く彼らを照らす。

「えへへ、そんなら吹き消してお願い事言うんはジャンケンでー!」

「それは誕生日の時じゃねえ?」

「そうですのん? いやー楽しい! こない、楽しいもんやったんやなあ。ボク、クリスマスお祝いするん、初めてです……あー! しもうた!」

 うっかりともらした4号が、自分の失敗に気付いて叫んだ時に、炎も消えた。

 慌てて少年が電気を点け直すと、4号の身に付けている毛皮は真っ白に変色していた。

「あーあ、毛皮も真っ白だな。ま、気にすんな!」

 しょんぼりとうつむく4号を元気づけるように、少年はその毛皮の肩をぽんぽん、と叩いた。

「……これは、『死ね神』のペナルティとは、関係ない事ですねん……」

「そうなのか? どっちにしろ、関係ねえよ。実は、さ。お前を見つけるアテはもうついてんだ。ほら、ケーキ食えよ」

「ホンマでっか!? 兄さん、人が悪いなあ。そう言うことやったら、喜んでー!」

 言われれば、いつものようにはち切れんばかりの笑顔を浮かべて、さっそく生クリームをぱくり、とやるが、どうやら空元気のようだ。

「これ、な。……別の『死ね神』の本体から預かった。だからさ、次にその『死ね神』に会ったらお前の本体の場所探してくれって交渉するつもりなんだ。ま、うまくいくかどうかは判らねぇけど」

 くしゃくしゃになった手紙を取り出してみせる。

「あーあ、もう、面倒臭いったらないぜ! 俺は他人と関わるのが嫌いだってのに、よくもここまでかきまぜてくれたよな。けど、それもこれももう終わ……4号?」

 安心させるつもりだったのに、少年が見たのは、ケーキを噛み締めながら、ぼろぼろと泣く子供の姿だ。

「人と関わるのが嫌いなんて、嘘や。兄さん、ただ、強いお人やねん。ボクにも7号の姉さんにも、成ってもうた十三号にも、ちゃんと向き合うてくれはった。ボク、兄さんがめっちゃ好きや」

「んだよ、いきなり気味悪ぃ」

「……せやから、このままにしといたら、ボク、ボクが嫌いになる。あんなぁ、ボクらはたいがい人が生まれてすぐに発生するさかい『死ね神』は本体と同じくらいの歳なんやけど……。ボクは、ちゃう。ほんまのボク、めっちゃお気楽な人やから、生まれたばっかやねん」

 これが、ほんまのラストヒントでっせー、とクリームとスポンジと涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が笑い、幼い指先が、とん、と少年の胸元を突いた。……が、それは初めて少年の内側にすうっと入り込んで来る。

 ほたり、と温かい。いつも、冷たい塊のある、その部分。

「兄さん。……兄さんが嫌いなんは兄さんを「関わらせてくれん人」。そやろ? せやけど、兄さん、兄さんは強くて……そいで、優しいから。うんと、小さい時に……」

 ドクン、と何かが蠢いた。

「我慢し過ぎて……自分で、自分の『死ね神』殺してしもうたんや」

 小さな掌から流れ込んで来る、温かい、温かい、何かが、冷たい塊を溶かし始めているのが判る。

「それが、兄さんが『死ね神』を見れる理由や」

 欠けていた。

 つらい、とか、哀しい、は、うっすら感じてはいても、上滑りをして心の芯まで届く事はなかった。その部分が、柔らかくなりかけている。

「馬っ鹿……! 別に居なくたって困りゃしねえんだよ! 俺はそんな甘えた理由で人に関わったりしたくねえ!」

「甘えても、ええんでっせ。なあ『死ね神』を持てへん人は、その冷たい冷たい塊がどんどん大きくなって……いずれ、人やのうて、兄さんの『心』全部を壊してしまいますんや。……ボク、そんなん、いやや」

 まっすぐこちらを見つめる、小さい小さい『死ね神』。だが……その姿は白い毛皮のまま、だんだん成長を始めていた。

「こんなケース、初めてでなあ、上の人もよう判らんそうですわ。ボク、兄さんと一緒におれて、ほんまに、楽しかった。『死ね神』卒業できてまうくらい」

「だから! 余計な真似すんなよ! 兄さん兄さんって鬱陶しいんだよ。いいか、俺の名前はっ」

「聞いても、無駄や! ほんとのボクが兄さんの名前、知らんのですもん。『ボク』は兄さんと一緒にいて楽しい。でも『ほんとのボク』は、今、この時間、独りっきりで寒くて、寂しいけど、『ボク』の楽しいが届いてるから、そんなに哀しくない。けど、寂しくなくなったら消えるんがボクらや。……どうなるんやろ? 兄さんと、ほんとのボク、知り合わん前に、『死ね神』のボクだけが兄さんに沢山の『楽しい』もらって消えたら、ボクは何の為に生まれてきたんやろ? ボクは、ほんとのボクは、兄さんにも、姉さんにも会えへんまま……寂しい、めっちゃ、寂しい。でも、これは『ボク』の『寂しい』や。なあ、兄さん、『死ね神』の寂しいは、どこに……いくんやろ?」

 白い毛皮に包まれた、幼い子供のすがたは、みるみるうちに成長を遂げて行く。

 成長に合わせてさらさらと伸びて行く髪。

 子供から、少年へ、少年から青年へ、そして、最後に綺麗とも言えない事も無い大人の顔を見せ……ザアッと、雪が水に変わる様に溶け崩れて消えた。

 めまぐるしい一瞬、確かに知っている顔を見た、と思ったのだが。


 残されたのは、食べかけのケーキと、狭い部屋なのに、恐ろしい程大きく感じる空白。

 こうこうと照らされた蛍光灯の明りが白々しく、そして、他人の部屋のように寒々しい。

 少年は、呆然と立ち尽くしたままだった。

 胸の中で育ちつつあるぬるぬるした熱いような塊が、ただ、気持ち悪い。

 我に帰って、カーテンを開ければ夜の闇に黒く染まったガラスから少年の顔が見返して来る。……母親、そっくりの顔が。


 胸が、痛い。熱い。


 自分が生まれた時の話等、責任の取りようがないではないか。だが、それは生まれた時に始まったのだ。

 難産だったという。少年自身は帝王切開で無事に生まれたが、母親の入院はずいぶん長引いた。もとから神経の細い女性で、お産の苦痛と、その後の入院生活は堪え難かったらしい。ようやく退院を許されて来た彼女の中では……自分の産んだ子は死産で、少年は『父親が他で産ませた子供』とされてしまっていたのだ。

 仕事に忙しい父親は、子供の世話は金を払って他人に任せればいい、と面倒臭い誤解を正す事もなく放置し……そして、少年の弟が産まれた。

 今度こそ自分自身の子と、弟ばかりを溺愛する母と。

 親らしいことは何一つせずに、ただ経営者の跡継ぎとして子供らしい甘えを一切許さず、勉強のみさせる父と。

 母の言う事を真に受けて、幼い頃から少年を「イソウロウ」と呼んではばからない弟と。

 長じるにつれ、どこからどう見ても母親似に育って来た少年を見れば 恐ろしい自己欺瞞に気付かずにはいられない、と判って来た母親は、日増しに「顔も見たく無い!」とヒステリックに絶叫するようになってきていた。

 そんな母を頭から軽蔑して、面倒臭い関わりはごめんだ、と少年は家を飛び出したのだったが。

(寂しい、寂しい、寂しい、寂しい)

 気付いて欲しい。本当の子供なのに。ずっと、ずっと一緒に居たのに。


 母さん………!


 胸の奥で何かが目覚め、ずるり、と這い出そうとしていた。

「あの、馬鹿……っ!」

 少年の『死ね神』を再び目覚めさせるような真似をしなければ、4号の本体を見つける事等容易いことだったはずなのに。

 どこまでお人好しなんだと思う。それで、あんな中途半端に居なくなって。

 胸を押さえつけたが、無駄だった。

 思うまい、とすればする程、一度募った柔らかい切ない想いは狂った様に羽ばたき出す。ついに、すう、と何かが指の間をすり抜けて行くのを感じる。

「頼む! あと少し……っ、二度とお前を殺したりしねえから! あいつを探す力を貸してくれ、頼む! 頼む……俺の『死ね神』!!」

 産まれたばかりの『何か』は、すこし湿ったような感触をしているが、胸元に目を落としても、もう何も見えない。以前の少年だったら、かなりグロテスクな状態を目にしていただろうか。

 しかし、その湿った感触もすぐに消えて、残るのは、わずかな引っ張るような、力。

 これに賭けるしかない。

 少年は、手紙をジーンズのポケットに押し込みハリセンを握ると、その力にすがるように、部屋を飛び出した。


 右も左も確認せずに、感覚のあるうちに、と走る。

 ハリセンを持ったおかしな少年を、何人かすれ違う酔っぱらったサラリーマン達は、クリスマスの罰ゲームとでも思ったらしく、笑って指差していたが、そんな事も気にせずに必死でわずかな気配を辿って走ったが……間に合わなかった。

 住宅街のど真ん中で、行き先を見失って少年は荒い息を吐きながら、両手を膝について、立ち止まった。

 もう、なんの感覚も残っていない。

 見覚えもまったくない家が建ち並ぶだけの場所で、最後のか細い糸が切れてしまった。

 いや、唯一、この先に、少女から手紙を預かった廃アパートが近くにあるが……もはや、取引する必要もなくなってしまった。

(くそ……! ほんとに、あの馬鹿……!)

 汗が冷えて、体が凍えてきても、少年は立ち去れなかった。背中を伝う汗はとうに冷たいのに、ただ、頬を伝い、顎を滴る汗だけは、いつまでも熱い。

 こんなに、馬鹿みたいに泣いた事はないので、少年はしばらく、それが涙だと気付かなかった。

 もらったもの、ばっかりだ。

 二人でいると暖かかった部屋や、馬鹿みたいに笑った時間や、もう一度柔らかくなった心。……こんなにも、熱い、涙。

 何一つ、返せないまま、もう二度と会えない。


「……何いうてマンネン! 亀だけにぃ。かめへん、かめへん! なんちゃってー!」


 こぼした涙が一瞬で乾く程、つまらない駄洒落が聞こえて来た。イラつく特徴のあるエセ関西弁、決定的に違う自己流のイントネーションは、誰に真似しようもない。

 アパートの前で、街路灯の明りに照らされた小さな影が、なにやら芸を披露しているらしい。

「あれ? これも受けへん? いやいや、俺はあきらめへんで! お笑いの星を掴むまで! 星、ほしーい!」

「やかましいわ!」

 気がつけば、力の限り、ハリセンでその後頭部をどついていた。

 夜空にスパーン! と景気のいい音が鳴り響く。

「……うおっ、ナイスツッコミ!? って、あんた……」

 ぽかん、と口をあけて見上げて来るシベリアンハスキー顔負けの三白眼。今日はおでこにおおきな絆創膏を貼っている。……『キズオ』だった。

 なんだ。

(俺も、遠回りし過ぎ、だったのかよ)

「ここらで、毎晩つまんねーギャグ聞かされてるって苦情があったんだよ。ほら」

 この時間帯にほぼ毎晩4号が現れていたと言う事は、きっと……毎晩、こんなことをしていたのだろうか。おそらく、あの少女の為に。

「ごめんって。お前は悪くないってよ」

「……俺が、怪我させたようなもんなのに」

 くしゃくしゃになった手紙を渡すと、『キズオ』も、くしゃっと顔を歪めて一瞬泣きそうな顔になった。

「あれから、笑ってくれなくなって。学校にも来なくなって……俺、笑ってもらおうと思って。毎晩、ここに来てたけど、もう顔も見せてくれなくってさ。ケンカで泣かすのなんて、すげー簡単なのに、笑ってもらうのって、難しい……」

「え? お前聞いてないのか? 夏休み中に引っ越したって言ってたぞ」

「嘘つくなよ! 少なくともハロウィンのちょっと前まで居たぜ! 笑うまで、ここに来い、死ね死ね! って……俺、そこまで恨まれてたのかって。頑張っても頑張っても笑ってもらえなくて、それで……」

 それで、あのタイミングか。

「正直、俺もピン芸には、限界を感じてたとこやー! 兄さん、思ってた通りええツッコミ持っとる! 見込みあるで。どや、俺と一緒にお笑いの星目指そうやないか!」

「着地点がそこなのかよ!」

 スパーン!

 痩せて、傷だらけで、物騒な目つきのこのガキに、もうあの4号を重ねて見ることはできないけれど。

 ほんとのボクは、お気楽な人やから。と小さく聞こえた気がする。

 だから『キズオ』は、あの少女の『死ね神』の姿を少女本人と信じてずっと見ていたのだろう。……いつまでも、笑ってもらえない、その寂しさが自分自身の『死ね神』を生み出してしまうまで。

 人に気付かれず、気付かれても、気付いた人を寂しくさせて、結局またその存在を気付かれなくなってしまう。

 哀しい、愛しい、『死ね神』達。

 人が人として生きる限り、彼らは生まれ続けるけれど。

 人が人の絆を紡いでいく限り、心の柔らかい、どこかを癒して、空に孵っていけるのだから。

(なあ、俺は今度こそお前を、空に孵してやれただろ)

 なあ、4号。

「兄さん兄さんって呼ぶな、気色悪い。いいか、俺の名前は……」

 ちゃんと、覚えろよ。


 ◆ 最終章 ◆


 師走の喧噪に包まれて、彼がマンションに帰ると、居候が犬のように飛び出して来た。

「ケーキ買ってきたぞー。これでいいのか?」

「そうそう、これこれ! コンビニスイーツ特有のべったーとした甘さがたまりませんなあ!」

「それ、すっげー不味そうに聞こえるぞ」

 大はしゃぎの居候は、結局大人になってもあまり背が伸びなかった。

お笑いの為にとか馬鹿な理由で始めたエセ関西弁もすっかり普段の生活に定着してしまっている。

 あれから、もう、十年。

 知り合った時、同じ中学3年生だと知って、お互いに驚いたのも今は昔。

 ケガばかりしていたのは、実家が武芸の道場を営んでスパルタ教育を受けていたせいと知ったのもその時。

 ラーメン屋で、お笑い番組を見ながら「つまらない」とツッコミまくっていた少年の姿を目撃されて、それ以来、「コンビを組むなら」と目をつけられていたのに赤面したのも、その時。……あれ以来、一人で外食する時は、あまり独り言を言わない様に気をつけている。

 そう言う自分は結局、高校卒業後、実家に戻って本格的に父の会社を継ぐべく勉強を再開させた。

「こないだの、結婚式のDVD受け取ってきたんやけど、今から見る?」

「お前のつまらん芸の部分早送りにしていいなら見る」

「ちょ……っ! 何言うてまんねん! 亀は万年ー」

「やかましい!」

 親友は、中学の時から付き合っていた彼女と、つい最近結婚した。

 ウエディングエステとやらで、すっきりと痩せた彼女は、どこか見覚えのある姿。

 話し方も、すっかり硬さが取れ、聞き覚えのある懐かしい口調。

 親友も、痩せたら痩せたで今度は痩せてる女がいいと言い出している。結局、彼女だったらどうでもいいらしい。……ごちそうさまだ。

 社長に就任した彼が、ボディガードを募集した時、そこに『ゾンビ』の姿を見つけて驚いた。……今は、恐ろしいくらいしっかりと頼もしく仕事を果たしてくれている。『マシンガン』とサバゲー友達になったと最近聞いて更に驚いた。そこは色恋沙汰になんねぇのかよと。

 コンビニのバイトは中学卒業まで続けたが、『ドラクエ』達はいつのまにか本当に4人になり、『ヘングレ』は母親と一緒にやってくるようになった。

 そして、『キズオ』……4号は、いつかの少女とコンビを組んで、お笑い芸人を目指している。食えないからと、一人暮らしの彼のマンションに転がり込んできて随分立つ。

 意外とこまめに家事全般こなしてくれるので、便利だからと、彼もそのまま放置して、もはや、家族よりも家族のようになってしまった。

「もうちっといいもん買えるんだぞ。つーか、このコンビニのチェーン店、ここらにないから遠回りするから面倒くせぇんだよ」

「いやいや、これが好きなんやって! ほら、えーと……いつやったかいな。俺ら、一緒にクリスマスパーティしましたやん? 俺、初めて食うたクリスマスケーキがこれで」

「……覚えてる、のか?」

 DVDをセットしていた彼の動きが、一瞬止まった。

 『死ね神』は、人に気付かれず、いつか空に孵る。だが、その記憶は。

 いつの間にか、本物の記憶として、そっと紛れ込み、その人間のものになるものなのか。……無駄じゃなかった、のだ。

 彼らが生まれて、過ごす、その時間は。長い時間をかけて『本物の時間』になる。

(なんだ……)

 ずっと、そこに、居たんだな。4号。

「覚えとるに決まっとるやん。せやから、初心を忘れんためにもー!」

「ほんとだよ。さっさと売れて、出て行ってくれ」

 言いながらも、彼は笑いを堪えきれなかった。

「初心ついでに、これも、な」

「なんやねん? 5円玉が5枚……」

「二重にご縁がありますように、ってな」

「……つまり、それは彼女いない歴年の数の俺への挑戦かー!?」

「やかましいわーっ!」

 居間に常備してあるハリセンが、スパーン! と威勢良く鳴った。


 大人になってもまだ小さい、その掌に転がるピカピカの5枚の5円玉。

 それは、十年前に渡し忘れたクリスマスプレゼント。

読んでいただきありがとうございました。

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