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戦国哀歌30
自分の無力さに思いを馳せる僧正の心。
僧正は思う。
自分の無力さを。
信長との戦いに依って失われた信者の数は余りにも多い。
そして戦場で死んだ我が寺の信者の死は全て自分のせいだと僧正は思う。
理屈で考えると、それは理不尽な理論なのだが、僧正は理屈抜きにそう感じる。
自分の信者は皆己の子供であり、家族なのだと僧正は思っている。
子供を護れない親は余りにも不甲斐ない親だと僧正は思う。
信仰が子を護る親の手足ならば、我が信仰はその手足の力になっていないと僧正は感じる。
権勢や冥利とは全き無縁な親子の絆をおもんばかる信仰こそが、信仰の真髄ならば、その親子愛を欠いた自分の信仰は無力であり、偽物だと僧正は思う。
念仏を唱え、子を護る力と成すのを真の信仰、真の祈願とするが、至らない無力感。
その無力感にうちひしがれながら、僧正は信者の命を失ったその事を、我が不徳と為し、哀しみに暮れる。
寺の伽藍で、哀しみを題目に託しながら、僧正はひたすら己の無力感に思いを馳せている。




