戦国哀歌216
もう一人の幸助と笑いを共有した幸助が月の釜茹でのごとく狂い笑った。
もう一人の自分がいみじくも言う。
「大体お前の両親を殺したは柴田勝家、前田利家の手勢であろう。さすれば毒の麻痺に加担して釜茹でにしたのは信長のせいにあらず。敵討ちを為すならば、前田利家を焼き討ちにすべく燈籠となり、燃えるべきじゃとわしは思うが、どうじゃ?」
自分自身の狂気を正当な言葉として愉悦しながら、その言葉を釜茹でにして、身体を茹でられるのを愉しむように笑い、幸助は答える。
「釜茹でにされた情景を断末魔の絶叫にして、わしの両親が殺された地獄絵図がわしの仮面となり、わしは釜茹でにされて踊るのよ。それがわしの敵討ちの真の姿であり、念仏は苦痛としての快楽に過ぎぬわけじゃ。だからわしは信長になり、極楽浄土の燈籠となるのじゃ」
もう一人の己がひたすら笑う。
「釜茹では月の光の滴りに似たる愉悦なのじゃ。じゃからのう。その月の光に茹でられるは苦痛にあらず、お主の両親は織田信長自身ならば、それに敵討つは麻痺の燈籠のごとく奇襲に過ぎぬわけじゃ。じゃからのう。信長への敵討ちを愛でる綾への月を茹でるがごとく所業は、狐の嫁入りに等しい怪しげな遊戯にしかならないわけじゃ。釜茹でをしたとて、月は老いぼれにならず、汗も出ないならば、食しても味気なかろう?」
幸助が答える。
「さすればのう。船に乗って大砲の弾が破裂して目玉をえぐる月のならわしが漆のぬめるごとく月光の歎きならば、それこそが敵討ちの本懐を顕し、わしは波になって綾の眠りと永遠に組みするわけじゃ。それが脳みその流れとなる抱擁ならば、我の恋は亀の甲羅のごとく万華鏡の歎きじゃて。だからわしはみなしごになっても、ちっとも寂しくはないのじゃから、言葉を掘って敵を攻めても無駄な所業よのう。万華鏡の笑いは月光の笑いにあらずじゃしのう」
もう一人の幸助が引き攣った笑いを共有したように笑い、夜の闇を深めて行く。
「心の臓の鼓動にも似たる月の遊戯が足長を捌く討ち首を所望する配膳ならば、戦の高揚は敵討ちの快楽の静寂そのもの。砂漠に浮かぶ歎きの月光色をした砂粒のごとし哀しみならば、所業は無常の歯にあらず、そんな夢は永劫の悪夢ではないか。違うかのう?」




