戦国哀歌212
深夜、幸助は自分自身ではない、もう一人の自分自身に刃向っている。
左手足の痺れが激しくなり、力が入って行かない。
それに伴って心が萎え、気力が湧かず死への希求が激しさを増して行く。
幸助は感じる。
後ろにもう一人の自分がいる気配を。
その者が幸助に「お前は親殺しの罪人なのだから死ぬしかないのだ」と語りかけて来るのだ。
その声の主は背後にいて、それは明らかに黒い影の姿をしてはいるのだが、他人ではない自分自身の分身なのに、その声を制御出来ない、そんなもどかしさが、益々生きる気力を萎えさせて行く。
その声に従い、死ななければならないという脅迫観念に押し潰され、左半身の痺れの広がりを苦に自害して果てようという熱望があるのだが、信長暗殺、ひいては綾の為に生き抜かなければならないという義務感もあり、両者のせめぎ合いのその葛藤が、辛うじて生きる意味を為し、幸助は生きている。
そんな状態が続いている。
死への誘惑は甘美で、そこには極楽浄土のイメージがあり、生きる事の辛さを責めて来るのだが、死んでしまえば綾とは二度と会えなくなるという相矛盾した脅迫観念もあり、そのせめぎ合いが自分自身の事としてあるのに、その中に他人を感じ、制御出来ないもどかしさがあり、生きる事と死への誘いの中で喘ぎ、その分裂状態が左半身の麻痺を誘発し幸助は苦しみもがいている。
深夜、幸助はそんなもどかしい分裂状態の中で己自身に小声で問い掛けて行く。
「綾の為にも死ぬ事は許されないのだ」
背後にいるもう一人の自分が答える。
「いや、綾はやがて死ぬ。死ねば極楽浄土で会えるではないか?」
幸助は自分自身ではない、もう一人の自分に刃向かう。
「いや、そんなのは嘘だ。綾に会う為にも死ぬわけに行かぬ」
その言葉をもう一人の自分が嘲笑い、その笑いが幸助自身の口から漏れて行き、幸助は笑っている。
そんなもどかしい状況が何時果てる事もなく続いている。




