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戦国哀歌199
木津川河口での再度海戦、信長水軍の圧勝に依り、十年に及ぶ石山合戦は朝廷の勅使講和を批准、幕を閉じるに至った。
影の読み通り荒木村重は度重なる懐柔工作にも翻意せず、信長への反旗を翻したまま篭城、抗戦の布陣を崩さずに推移して行く。
信長は細部に渡る戦況を軍議に量り分析、結果戦略見直しを企て、荒木村重討伐の傍ら、再度本願寺との講和をまさぐり朝廷への打診を為して行く。
しかし本願寺包囲の要、荒木村重を欠いた事に依り、秀吉が攻めあぐねていた三木城に再度毛利勢が兵糧弾薬を支給出来る態勢となり、信長は苦汁を飲みつつ、朝廷を通し併せて毛利勢にも講和を申し入れたが、本願寺側はこれを間接的に拒絶した。
そんな最中信長の水軍は木津川河口で兵糧弾薬を本願寺側に補給するべく毛利水軍と再度衝突、号砲轟く砲撃に依り毛利水軍を蹴散らし、完全に石山本願寺への兵糧弾薬の補給路を断つに至った。
この事態を憂慮した本願寺側は朝廷を通し、屈辱とも言える恒久的な講和を申し入れ、信長との本願寺法主立ち退きの旨誓約書を交わし、十年に及ぶ石山本願寺合戦は幕を閉じるに至った。




