戦国哀歌120
信長を現代風の価値観で精神病と断じるのは早計、無理が有りすぎるのでは?
人は多かれ少なかれ、心に闇を持っているものだと思う。
信長の残忍過ぎる気質は現代に於いて様々な角度からの分析アプローチが為され、信長は統合失調症、神経症、分裂被害妄想、誇大妄想であったという推測もなされいて、囂しい。
信長公記、ロイスフロイスの伝承等を鑑みても、こう言った鑑定は裏付けを為されている感があるが。
さて、通り魔などが罪の無い子供を猟奇的に殺す現代に眼を向ければ、信長の狂気猟奇性などまだ理に適っていると感じてしまうのは私だけだろうか。
信長は再三臣下の者や他勢力の裏切り、謀略に悩まされ、心病んでいた事は間違いない事実であろう。
だから人に相対する時、その者に信があるかどうかを見抜く神経叢は鋭敏だった事が窺い知れる。
上下の格差や身分制度に関係なく、信長はこの信を重んじた事が窺い知れる。
尊大なる態度を示しながら、彼は相手の心にある自分への信の分量を目敏く見抜いたのだ。
自分の神経叢の琴線に照らし合わせて、そこに信が無ければ、信長は敵と見做し断罪したのだ。
その神経叢の琴線が縦横無尽に信長の周囲には張り巡らされていた。
つまり信長は誰よりも鋭利に目敏く周囲を観察、洞察していたのだ。
神経過敏な程に。
人の心には闇がある。その闇の深さは、その心を持った人の人生に深くおもんばかり、計るしかない。
そして現代社会の尺度を戦国時代に当て嵌めて、信長の精神は病み、猟奇的であったと断じるのは早計、無理があり過ぎると思う。
何故ならば現代の精神科医が戦国時代に行き、信長の精神鑑定を図るのは絶対に不可能だからだ。
残念ながら。
 




