戦国哀歌115
信長の人間臭が森欄丸の謀略に依って演出され、油断し、信長は本能寺で暗殺されたと言う、同性愛的怨恨説は珍説、余談か?
馬廻りや、黒母衣衆、殿隊の主を思い庇う決死の奮戦に依って、信長は夜には一向宗の追撃を振り切り、大垣城に到着、難を逃れている。
この追撃戦の背景には当然信長勢の対一向宗戦の戦略見直しがそこはかとなく生きている事が窺い知れる。
第一次長島一向一揆戦に見られた知略とも呼べる伏兵戦の出現に依り、一向宗は圧倒的な物量と、それに見合った人海戦術に依る力攻めを最も得意とするであろうという見識の見直し。
それに加えて信長は過去暗殺されかかっており、それが経験値を為して、所謂現代風に言えばボディーガード、警護により一層の細やかな配慮が為され、どんな不測の事態にも対応出来る態勢が整っていた事は想像に難くない。
だから信長は難を逃れたのだ。
この辺りの警護事情を類推して、本能寺の変に着目すると面白い。
信長の親衛隊は主君思い、強力無比であるとする事のアピールはこの追撃回避の事実で再認識された筈だ。
増してや本能寺は防備要害の城に匹敵する寺であり、親衛隊がそれを護れば盤石であろう筈なのに、信長は周知の通り暗殺されてしまった訳だ。
この辺りの事情はタイミングの問題として捉らえれば、合戦時ではないから油断が有ったと片付ければ、それで話しは済んでしまうが。
包囲網を脱却し、信長は高を括って、もう自分を暗殺する者はいないと判断したのだろうか?
それともそのエアーポケットのような油断は謀略に依って巧に側近が催眠術のように作ったものなのか?
その辺りは歴史推理としても興味津々だ。
信長は癇癪持ちと言う唯々に与すれば、光秀怨恨説が一番頷けるが、信長が包囲網を抜け、ふと息をついてしまったエアーポケットと言うか、その油断には魔王信長にはない人間臭さえ窺い知れるわけで、逆に好感が持てるわけだが、そんな好感と言うか人間臭をも、側近に依って演出されたと考えると、(これ珍談だが小姓の森欄丸辺りが裏切っていたと考えると下剋上らしく)尚且つ面白いと思うが、諸兄はどう思う?
またしかめっつらを続けられず、又しても予談になってしまったが、先を続けよう。
 




