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戦国哀歌103

信長は包囲網を突破すべく背水の陣で第二次一向一揆決戦を断行した。

信長は性急な性格であったかと問われれば、答えは非ずとなるだろう。




浅井朝倉討伐を終えたばかりで、この時期の信長の軍勢は疲弊し切っていたにも関わらず、不利な条件の下、一向一揆との第二次決戦を信長は断行している。





信長包囲網を突破すべく信長は戦況状況を的確に把握前進あるのみの様相を呈していた事が窺い知れる。




配置、勢力分布を鑑みても石山本願寺は信長包囲網の要的存在であり、信長にしてみれば眼の上の瘤であり、これを中央突破しなければ、窮地を脱する事は出来なかった事をも窺い知れる。




石山本願寺は朝廷をちらつかせ、表面上、信長との和睦調停工作を為すその裏側で、武田、毛利、将軍たる足利義昭等と密約を交わし、信長に圧力を掛け、包囲網を狭めている。




石山本願寺との決戦は信長にしてみれば正に背水の陣、決戦と呼ぶに相応しい戦いだったのだ。





間者を使っての熾烈なる情報戦をまさぐり、大湊での大船の調達もままならず制海権をものしていない信長は包囲網を前にして、怯む訳には行かなかった事が類推出来る。




信長は不退転、身を呈しての決意を胸に、第二次一向一揆決戦を断行したのだ。




だが現実問題船の調達が不備な信長は河の向こう側にもやって見える長島本城を前にして、大軍を擁しているのにも関わらず、手をこまねき、第一次決戦の時と同じように臍を噛み、撤退を余儀なくされた。




そんな信長の背中を見ながら、数万に及ぶ信長の軍勢は長島を後にしたのだ。

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