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其の呂4

 僕が人を殺したいと思い始めたのはいつからだろう、そんな何気無い疑問が僕の頭の中をふわふわと漂っていた。別に誰かを特別恨んでいる訳じゃない、ただ僕は純粋に殺人を犯してみたいと思う様になっていたんだ。



 僕はこの広い世界に貼り付くゴミクズの様なものだ、それ以上に僕を賛美する言葉も無いし僕の存在意義は誰よりも分かっているつもりだ。僕はこの乱雑に溢れる鉄屑に埋もれる様に生きている、何故そうなのかと疑問には思わないし生まれた時からこれが僕にとっての世界だった。眼に映る全てが同じに見えた、木も水もビルも道路も空も人間も、僕に言わせれば世界を構成する微粒子に過ぎないんだ。

 当然僕には友達がいない、皆僕の言葉を理解する事無く離れていっていつの間にか僕は独立した因子となってしまった。それから僕を傷付ける人間が増え始めた、単細胞が見境無く触れる物を食すのに似ているがその度に感じる痛みは本物だった。僕は世界に取り残されてしまった、世界から拒絶され隔絶されてしまった僕は非常に小さく価値の薄い新たな世界へと生まれ変わったんだ。

 その時からである、僕は人を殺してみたいと思い始めたのだ。



 僕の殺人原理は恨みから来るものでは無い、確かに初めの内は傷付ける素粒子達が憎くて仕方無かったが今となっては後腐れは無い。ただ殺したいから殺す、焼きたいから焼き殺す、刺したいから刺し殺す、いじめたいから嬲り殺す、僕の原理は何より単純で殺意や罪悪を短絡化し超越した新たなる真理であると僕は思った。僕は極限から生まれた僅かな世界、大宇宙に蔓延る塵芥の万能たる一部である、ならばするべき事などとうに決まっていた。



 次に僕は誰を殺すか考えた、通りすがりの分子を消し去るのも良かったが折角なら初めては思い出深いものにしたかった。それと大事なのはなるべく簡単に殺す事だ、だらだらと流動する油の様な詰まらない殺人など興醒めしてしまう恐れがあった。そうなると殺害方法を考えなければならない、手早く手短で僕好みの殺し方を四六時中考え通した。

 そして僕は遂に殺害の全貌を企てた、内容は父親を毒殺する、長い時間を掛けて考えた割りには実に簡単過ぎる計画だった。父親を殺そうと思ったのは当初から決めていた、毎日続く暴力と暴言は退屈しのぎにはなるが流石に煩わしく飽き始めていた所だった。殺害方法は消去法だ、費用や現実性を考慮した結果これが一番気に入ったからである。僕の頭の中で入り交じっていた粒子が一つとなり新たな個体が誕生する、早速僕は計画の実行に向けて動き始めた。



 計画を始めてから一週間が経った、僕は必要な物を全て用意する事が出来て満足だった。僕はポケットに毒を仕舞う、この毒は除草剤や殺虫剤を混ぜ合わせて出来た物だ、少々心許無いが人一人を殺すには十分な量である。僕は父親の帰りを待った、これ程までに父親の帰りを待ち遠しく感じたのは後にも先にも無いだろう。

 しばらくすると父親が帰って来た、仕事もせず遊び回っている父親も僕と同じ大宇宙の欠片であった。父親は帰って来るや否や僕の顔面を殴り付ける、勢い良く飛ばされた僕の身体は壁に音を立ててぶつかった。続け様に飛んで来たのは激しい罵倒、こんなすぐに怒りをぶちまける様な世界では母親が僕を置いて逃げるのも当然である。父親はいつもの様に酒を持ってくる様に命令する、僕は笑いを押さえながら台所に向かった。台所に着くと僕は酒とコップを用意する、そして先程ポケットに仕舞っていた毒をコップの中に軽く注いだ。酒とコップを持つと僕は父親に酒を渡しに行く、その途中父親からの短い罵倒が止む事は無かった。僕の手から酒とコップを取り上げると父親は怪しむ様子も無く酒をコップに注ぎ一気に飲み干す、父親がコップに口を付ける度に僕の口角は上がっていった。そして酒を全部飲み干すと父親は横になり眠ってしまう、本当は最後に話くらいしたかったが起こすのも面倒なので放置した。

 すると酒を飲んでから五分としない内に父親は苦しみ始めた、喉を掻き毟り悶え苦しむその姿に僕はサーカスを見る様な興奮を覚えた。僕は父親の身体を揺すりながら笑った、父親の眼に明らかな憎悪と殺意が垣間見えたがもう遅い、苦しむ父親を弄ぶ様に僕は手を叩き笑い続けた。そして一分後父親は苦しみを抑える事無く静かになった、それに伴い僕の興奮も父親の体温に比例して冷めていってしまった。

 僕は遂に成し遂げた、何兆と浮かぶ大宇宙の塵の僕はようやく新たなる世界の在り方を示したのだ。僕の中で沸々と湧き上がる歓喜、享楽、そして狂騒、全てが僕の素粒子であり僕こそが世界の真理であった。僕は絶え間無く続く至福を噛み締めながら眼を閉じた、眩く視界はやがて闇へと変わり僕は静かにその闇の中へと引き摺り込まれていった。



 僕が眼を開けると辺りは塗り潰した様に赤黒く、時折鼻腔を抜ける空気は生臭い異臭を放っていた。足許を見るとそこには血の海に片身を浮かべる父親がいた、見ると身体中に刃物で刺された様な穴が開いておりそこから止め処無く血液が流れ出していた。僕は右手に持った包丁を掲げ刀身を眺める、そこに映る赤く染まった僕に顔を合わせながら僕はゆっくりと微笑み小さく言葉を呟いた。


やっぱり他の殺し方が良かったかなぁ


僕の眼から涙が零れる、視界を歪ませ焦点を捩じ曲げる涙は僕の頬を伝い足許に広がる血の海に波紋を作った。僕の手から包丁がするりと抜け落ち床に倒れる、僕は天井を見上げると世界の固体である大宇宙を嘲った。何もかもが可笑しくて仕方が無い、穴だらけで死ぬ父親も、壁を徒に血に染める血液も、血溜まりに浮かぶ赤く染まったランドセルも、僕の素粒子は何から何まで僕を飽きさせる事は無かった。

 僕は大宇宙の素粒子だ、僕は人間達の収束物だ、僕の頭を飛び回る疑問は全て吹き飛び僕は新たなる真理を作り上げたのだ。ただ僕の瞼には一つの言葉が貼り付いて離れなかった、その言葉の意味がどんなものなのか分からぬまま僕は静かに眠りに着いた。そこにはこんな言葉が記されていた、意味が分かる人は是非とも教えて欲しいのだ。


何故、人を殺したいと思ったのだろう



著 彩咲数見


『漆喰』より抜粋



++++++++++++



 先程までの曇り空がまるで幻であったかの様に青く晴れ渡る空が下界を眺めている、余分な雲を払拭したその様相は混じり気の無い無垢な赤ん坊の心に似ていた。しかし日が当たれば必然的に強い光を身体に浴びてしまう、私は特にスキンケアなどの流行り言葉に迎合する気は無いが眼を焼く日光の眩しさは少々煩わしかった。私は人気の無い場所を自ら選んだ、昨日までの乱雑は既に姿を消しており周囲に人影のいない此処は自分の存在を強調させるには持って来いの場所である。

 私は第四の殺人が起きた公園に来ている、正確には私だけでは無く篠塚が同行しているので二人で公園に出向いたというのが正しいだろう。此処に来たのに大した理由は無い、別段何かに気付いた為に赴いたという訳では無い、ただこの公園で昼食を取る為に此処に来たのだ。篠塚は非常に嫌そうな顔をするが私は気にしない、公園の敷地に足を踏み入れると私は迷い無くベンチへと向かい腰を降ろした。


「……柊さん、何もこんな所で昼食にしなくたって良いじゃないですか? 食べる所なら中学校とか警察署に戻るとか…車内で食べる選択肢もあります、どうして此処に来たんですか?」


「愚痴ばかり溢してくれるな、嫌なら一人で車に戻って食べれば良いだろう」


「…それは……まぁそうですけど……」


「なら昼食ぐらい好きな所で食べさせてくれ、偶には人集りから離れ静かに食事に洒落込みたいというものだ」


私は篠塚にそう告げると先程コンビニで購入した安価なサンドイッチの包みを開き一口頬張る、私の姿を眺める篠塚に一瞥する事無く私は黙々と食事を続けた。すると今まで否定的な発言ばかりしていた篠塚が私の座っているベンチの余りに座った、互いに間を空けて座っているが隣り合わせになった様相に私は口を開いた。


「……どうした篠塚、車内で食べるのではなかったのか?」


「…何と言うか…今は一人で昼食を取る気分じゃ無かったので…」


「…あまりこちらに近付くな、端から見たら何か勘違いされるかも知れんからな……」


「何です、その勘違いって?」


わざとらしく問い掛ける篠塚の質問に私は答える事無く無視を決め込む、青天の下で沈黙という単語だけが辺りを埋め尽くしていた。しかしその沈黙に早くも耐え切れなくなったのか、篠塚は未だ食事に手を付けず私に尋ねた。


「…此処で昼食を取るのには何か理由が有るんですか? ひょっとして何か事件について分かったとか……」


「……私の気紛れだ、大した意味も理由も無い。強いて挙げるなら少しでも長く頭を捜査に傾けたかったからだろうな…」


「……食事の時ぐらい事件の事は忘れましょうよ、折角の昼食が血の味になっちゃいますよ?」


「…そうだろうな……」


私は篠塚との会話を無理矢理途切れさせる、今は誰かと話す気など無いしそもそも食事中に会話をするのが嫌いだった。それでも篠塚は会話を成り立たせようと画策し、次の話題を私に振った。


「…そういえば柊さんが牛乳飲んでいる姿を見た事ありませんね、もしかして牛乳嫌いですか?」


「…唐突に何を言い出すかと思えば……何故私にそれを聞くんだ?」


「いや、柊さんの昼食がサンドイッチと麦茶だったんで…ちょっと合わないんじゃないかなぁ、とか……サンドイッチには牛乳かなぁ、と思って………まぁお握りに清涼飲料水っていう僕の方が合わないでしょうけどね!」


「……私は昔から牛乳は嫌いだ、学生時代給食で牛乳が出た時は残す事が出来んので我慢して必死に飲んでいたよ……」


「え、そうなんですか!? いやぁ実は僕も牛乳は大の苦手でしてね、僕は鼻を詰まんで一気飲みしてましたよ!」


篠塚は次の私の言葉に期待していた様だが私は口を閉じる、しかし余程沈黙が息苦しいのか篠塚は更に話題を重ねた。


「……そういえば柊さんって学生時代はどんな感じだったんですか? やっぱり今みたいに結構盛んな性格だったんですか?」


「……別にこれといって特徴の無い子供だった、小学校入学から警察になるまでの間は何の変哲も無い凡庸そのものだったよ……」


「…へぇ…そうなんですか……いや、でも何か目立った所は一つぐらいあったでしょう?」


私はそろそろ限界に達していた、篠塚の度重なる会話の振りに怒りが抑え切れなくなっていた私は篠塚の耳を掴むと感情を爆発させた。


「いい加減にしろ篠塚!! 私が黙って食事をしているというのに貴様はそれすらも察する事が出来んのか!!」


「ひ…柊さん、ちょっと落ち着いて…」


「何が落ち着けだ、貴様寝惚けているのか!!? そんなに話し相手が欲しいなら向こうでいる筈も無い奴と喋っていろ!!」


私は篠塚の頭を投げ捨てる様に突き放すと再びサンドイッチに口を付ける、勢い任せに食事をする私は治まらぬ怒りを食欲として発散した。これにより篠塚は勢いが削がれた様に黙り込む、しかし篠塚の言葉を継ぎ新たな人物が私に話し掛けた。


「柊さん、本当はどんな学生時代だったんですか!? やっぱり今みたいに憤慨を持て余して罪無き人々に粛清と洒落込んでいたんですか!?」


「……綾崎か……ようやく静かに昼食を取れると思っていたのに…何処から湧いてきたんだ」


「うぉわ!! な、え…ちょっと、何で綾崎さんが此処に!!?」


突然私と篠塚の間から顔を出した人物に驚き篠塚は間の抜けた声を上げる、いつも通りの腹立たしい笑顔を浮かべながら男は篠塚の問いに答えた。


「え、僕? そりゃ決まってるじゃないか君、柊さんがまた役立たずの部下弄りをしているか不安になって来たんです! 柊さん、幾ら上司でも部下いびりは程々にしないと、彼が死んだら柊さん悪人になっちゃいますよ?」


「……もし止めて欲しいなら…貴様が二度と無駄口を叩かない事だな」


「………ならいいや! 僕は不毛な発言で塗り固められた様な奴だからねぇ、わざわざ他人の為に自分が我慢するなんて専ら御免だね!」


「…何をしに此処に来た、私に戯れを所望するなら…手始めに貴様の口を縫い付けてやるぞ?」


「そりゃ勘弁ですよ! 人間口が使えなくなったら、どうやってシャボン玉膨らませろって言うんですか!?」


「……それよりいつから後ろにいたんですか? 気配とか全然感じませんでしたけど……」


「僕は昔から気配を消すのが得意でしてね、偶然この公園の前を通った時見覚えのある二人組が仲睦まじくしているのを発見してちょっと脅かせてやろうと思ったんです!」


「…偶然でこの公園の前を通り掛かるなど有り得んだろう、全く……湧いて嫌悪を感じるとはまるでボウフラの様な奴だな」


「時と場所を選ばない分、ボウフラよりも質が悪いですよ!?」


「…理解しているだけ有り難い、貴様にしては珍しいじゃないか? まぁそんな事どうでもいい、此処に来たのは何か伝える事が有るからではないのか?」


「流石は柊さん、よく分かっておられますね! まぁ此処に来たのは柊さんに伝言があるからなんですよ!」


綾崎はベンチを跨ぎ私と篠塚の間に座る、三人揃って並ぶには少々ベンチが狭く身体を寄せ合わせながら綾崎は話し出す。


「…先程聞いた事なんですけどね、一時限目で事情聴取をした秋元君が早退しました」


「……それだけか?」


「はい、それだけです」


「………それだけの為にわざわざ此処まで来たのか?」


「いやぁ柊さん、それだけと言ってもこれは大変な事なんですよ? 秋元君が泣いてるから担任の先生から何があったのか問い詰められたんです、それで仕方無く……警察が無理な事情聴取を行ってしまったと伝えました! 勿論僕は警察の無理強いに反論出来ず黙っていたと言いましたよ?」


「ちょっと…君、それって詰まり自分の責任を警察に着せたって事かい!?」


「別にいいでしょ減るもんじゃないし、てか警察は公僕なんだから一般市民の罪ぐらい引き受けたっていいじゃないですか? 自分が悪役になってでも市民を守るのが警察でしょ、なら僕にとやかく言う筋合いは無い筈ですよ!」


「貴様が善良な一般市民ならな!! 全く…勝手な事ばかりしおって、貴様はどういう教育を受けているんだ!?」


「それは僕の両親に言って下さい……もっとも僕は既に勘当されてますけどね!」


「……その理由がよく分かるよ」


私は蔑みを込めた皮肉を綾崎に投げ付ける、その言葉が綾崎にとって何の意味も持たない事は知ってはいるが反射的に口から零れていた。

 突然の出来事に私の平常心はかなり歪んでしまったが私はどうにか心を落ち着かせる、最後のサンドイッチを半分程食べ終えた所で再び綾崎が口を開く。


「…これからどうするんですか? 僕はお二人の顔を見に来ただけなんでそろそろ帰りますけど、お二人のこれからの予定は?」


「…何故それを貴様に言わねばならんのだ」


「だって気になるじゃないですか! 僕だって一応捜査に協力する立場ですよ、なら言ってくれたって別に問題無いでしょ?」


綾崎は相変わらずの明るい口調で私にしつこく尋ねてくる、その度に嫌気を増加させる私の心は限界に達し仕方無く私は綾崎の問いに答えた。


「……今までの捜査状況で分かっていたのは犯人が学校内部の人間だという事だけ、それ以外は犯人の正体は疎か犯人の手掛かりすら満足に得られなかった。しかし停滞していた時間がようやく動き始めた、それは……悔しいが…貴様のお陰だ、それについては礼を言おう」


「ありがとうございます!! やっぱり普段感謝しない人に礼を言われると面白いですね!」


「……犯人の身長は死体発見者の秋元と殆ど同じ、詰まり犯人は中学校の生徒という事になる。加えて犯人は被害者の保健医と面会していた、それも考慮すると犯人像は大体見えてくる。犯人は同中学校内の男子生徒、その動機は…」


「恐らく怨恨である……ですか?」


私の言葉を遮り二の句を継いだのは私の横で虚空を見詰める綾崎、その顔はいつに無く真剣そのもので普段の綾崎からは想像も付かない姿であった。


「…これまでに起こった事件の動機、それは怨恨と断定して間違い無いでしょう。どういった経緯で犯人が被害者を恨んでいるのかは知りませんが、あそこまで凄惨な殺し方をするなら犯人は余程恨みを持っていたか……それとも、悍ましい程の狂気を持ち合わせているか……」


「…我々は今まで犯人が快楽的に殺人を行っていたと考えていた、だがそれ以外の線もこうして浮上した以上調べねばなるまい。被害者に何か恨まれる様な事象が存在するならば、怨恨の線は限り無く近いものになるが……もし犯人が相当の狂気を抱いているとすれば…済まんが私一人ではどうにも出来んぞ?」


「そんな事僕だって出来ませんよ!? まぁ当てはいますけどね、と言っても柊さんにとっては嫌な選択だとは思いますが……」


「…もしあの男を私の前に呼び出そうものなら、貴様には後悔という言葉がどれだけ重いものか存分に思い知らせてやるぞ?」


「えぇ…そうならない様に肝に命じておきますよ…」


綾崎は至って従順な返答を私にする、しかしこの男の平常時を知る私にはその返答は酷く疑わしい事此の上無かった。私が綾崎への不審感を積もらせていると、今度は綾崎から話を始めた。


「そういえば柊さん、僕が貴方に教えた事はちゃんと覚えてますよね?」


「……貴様の話など既に殆ど忘れてしまったよ」


「ちょっと待って下さいよ、それは幾ら何でも酷いですって!! 仕方無いなぁ、ならもう一度教えて上げます! 犯人は中学校の七不思議に見立てて殺人を行っているんです!!」


「あぁその事か、その件については私の見解を述べねばなるまいな…」


私はそう言うとベンチに置いたペットボトルの麦茶の蓋を開き中身を喉に流し込む、十分に喉が潤うと口を離しペットボトルを持ったまま話し出す。


「…はっきり言って貴様の言う七不思議の見立てというのは些か無理な気がする、何故ならばあまりにも穴が多過ぎるからだ。体育館倉庫の一件と言い男子トイレの一件と言い犯人は立て続けに七不思議の本来の舞台から離れた場所で殺人を行った、確かに場所という面については広い視野で見れば七不思議と一致するが……あまり七不思議というものに固執しない方が良いのかも知れんぞ?」


「そんなぁ……じゃあ仮に柊さんの言う通り七不思議とは無関係だとすれば、あの残酷な死に様は何を表しているんでしょうか?」


「…それを私に聞くか、そんな事私が知る筈も無いだろう。だが最初に殺された保健医については想像が付く、男子生徒を食い物にして自らの性欲を満たしていた事に対する罰…その悪事を暴く為だろう…」


「……何だか釈然としませんね、やっと犯人を突き止められると思ったのに……こんな牛歩戦術じゃいつまで経っても犯人の肩は掴めませんよ?」


「そんな事ぐらい言われ無くとも分かっている!! その為に我々はこれから捜査を進める重要な一手を打たねばならんのだよ!」


「…重要な一手ねぇ……具体的に何をするのか教えてくれます?」


綾崎は非常に素っ気無い態度で私に尋ねる、この男の奔放さには本当に頭を痛めさせるが私は再び麦茶を飲み込むと呼吸を整え話し出す。


「…我々はこれから殺された被害者を知る者達に事情聴取を行う、犯人の動機が怨恨という新たな可能性が浮上したならば何か被害者達にも恨まれる要因が有るだろうからな」


「……しかし柊さん、幾ら捜査の為とはいえ被害者の関係者に話を聞くのは流石に早過ぎはしませんか? 事件の傷が癒えているとは思えませんし…強引な捜査を続ければ上から謹慎を言い渡される可能性も……」


言葉を濁らせたどたどしい口調の篠塚から明らかな反発の意思が見受けられる、私は篠塚を一瞥すると眼を閉じ落ち着いた口調で話し始める。


「……篠塚、先程綾崎が言った事を覚えているか?」


「え? それは……一体何処の事ですか?」


「…『自分が悪役になってでも市民を守るのが警察』……これを言われた時は流石に頭に血が上ったが…綾崎のこの言葉、あながち間違っているとは言えないぞ」


「……と言うと?」


「確かに警察は正義の象徴たる存在だ、他人を逮捕する権利も銃を合法的に所持する権利も正義を全うする為に得たものだ。だが全ての正義が善で繕われていると言えばそれは違う、警察は時に非難される様な手段を用いてでも市民の安全を確保する……それこそが偽り無き正義というものではないのか?」


「…はぁ……すみません、ちょっと僕には難しくて……」


「…まぁこれはあくまで私個人の見解だ、貴様が否と言うのであればそれも致し方無い……要は警察は是が非でも市民を守らねばならない…言うまでも無い酷く短絡的な信念だよ…」


私はそう言うとペットボトルに残った最後の麦茶を口に含む、すると私の興醒めな熱弁に拍手を贈る者がいた。


「素晴らしい!! いやぁ凄い、実に見事な詭弁でしたよ!」


「……お褒めに預かり誠に光栄だぞ綾崎…だが半分は貴様からの受け売りだ、貴様が私を非難する道理など無い筈だが?」


「まぁいいじゃないですか細かい事は!! それよりやっとまともに捜査する気力が出て来ましたね、昨日までは干涸びた椎茸みたいだったのに……あ、こんなに早い昼食をしてたのはその為だったんですね!」


綾崎が逐一挿入する一喜一憂に私は次第に煩わしさを感じ始める、しかしちょうど昼食を終えた私はベンチから立ち上がると逸る気持ちで車へと向かった。


「昼休憩はこれくらいにするか…篠塚、さっさと捜査に向かうぞ」


「え!!? ち、ちょっと待って下さいよ柊さん、まだ僕お握り半分しか食べてませんよ!?」


「それは貴様の食べる速度が遅いだけだ、食事中に無駄話などしていると碌な事が無いぞ?」


「そ、それは……せめてこれだけでも食べさせて下さいよ!」


「あぁあ残念だね干涸びた椎茸君、勿体無いしそれ食べないなら僕が貰うよ?」


「貴方には絶対譲りませんよ! 仕方無いなぁ…だったら車の中で食べます!」


「運転しながら食べるつもりか? 警察が交通規制を守れぬとは些か頂け無いな、仕方無い……代わりに私が運転してやるか……」


「本当ですか!!? ありがとうございます、でも柊さん……運転出来るんですか?」


「……此処最近…いや、もう何年も運転して無い気が………ま、まぁ心配は無用だ、事故さえ起こさなければ良いだけの事だ…」


「……交通規制だけは守って下さいよ?」


篠塚からの嫌味とも取れる皮肉に私は怒りよりも羞恥を感じる、運転席に乗り込みシートベルトを締めると私は突如として妙な不安を抱いてしまった。深呼吸をして運転方法を記憶を頼りに思い出す、しかしその直後私の平静を阻害する言動が横から聞こえた。


「捜査頑張って下さい、謹慎処分だけには気を付けて下さいね!! あ、それともし時間に余裕があるならお土産よろしくお願いします!!」


「……今度貴様に会ったらその無駄口二度と喋らせぬ様にしてやる、覚悟していろ!!!」


私は怒りに任せてキーを回しエンジンを始動させる、一刻も早く此処から立ち去りたい一心で私はアクセルを踏み込み勢い良く車を発進させた。しばらく走らせると助手席に座る篠塚が時々怯える様な仕草をしているのを横目に見る、その原因はどう考えても私の運転にあるのだが私は敢えてそれには触れずただ一言篠塚に言った。


「…飲み物に口を付けるのは信号待ちの時だけにしてくれ…」


私は不慣れながらもハンドルを握り締め必死の覚悟で運転に励む、この時間帯は交通量が少なく無理な運転で進めるのは私にとっての僅かな幸運であった。


「……被害者を知る人間…って何処に行くんですか?」


「調理室で殺された男子生徒、その父親に話を聞く。確か当人は自営業を営んでいた筈だ、行き先は分かっているだろう?」


私は篠塚に視線を向け目的地までの道程を尋ねた、不器用な答えに心の余裕が削がれながらも私は車を進め続ける。ふと運転を続ける私の耳に不快な耳鳴りが響く、その原因が一体何なのか私には見当も付かなかった。



 公園を出発して十分程経った頃、私達は目的の場所の前に到着する。街の一角を賑わせる商店街、私はその入口付近の駐車場に車を停めた。車を降りると私は入口から商店街の吹き抜けを少し眺める、向こう側の入口から差し込む光が酷く眩しかった。此処に来た目的は当然買い物をする為では無い、一つ呼吸を置くと私は足を速めながら目的地へと進んで行った。

 入口から数えて五軒目の店で私は足を止める、上を見ると店の看板には『安藤青果店』と書かれていた。此処こそが私が目指していた場所、第二の殺人で死亡した男子生徒『安藤公男』の父親が営む店である。私は店の中に入り店長を探す、すると店の奥にそれらしい人物が立っており私は近付き声を掛けた。


「…『安藤康文』さんでいらっしゃいますね?」


「……はい、私ですが…貴方達は?」


「あぁ失礼、まだ名前を言ってませんでしたね。私は柊瑞波、こちらは篠塚将也…警察の者です」


私達は胸ポケットから警察手帳を取り出し見える様に掲げる、我々が警察と分かった途端に安藤の顔色が変わった。


「…警察、の方ですか? 今更何を聞きに来たんですか、話す事はもう話しましたよ?」


「確かに事情聴取は行われました、しかしまだ聞いておかなくてはならない事が有りましたので訪れた次第でして……」


「聞く事? 一体何ですか、聞く事というのは?」


安藤は怪訝そうな表情で私を見詰める、不穏な空気を察知したその顔に私は眼を逸らさずに答えた。


「…率直に申し上げます、実は今日此処に来たのは亡くなられた息子さんに恨みを持つ人物に心当たりが有るのではと思ったからです」


「……息子に恨み…ですか?」


安藤は当然の如く眉を顰める、このままでは捜査にならないので私は説明に入った。


「これまでの我々の捜査で、犯人は被害者に何かしらの怨恨を持っていたものと思われます。貴方の息子さんの前に殺された被害者は第一発見者の証言により生徒の恨みを買っている事が判明しました、その事実を辿り我々は被害者達の共通点を洗い出そうと考えたのです」


「…息子を恨む人物の心当たり……それを…私に聞くんですか!?」


「…不躾なのは重々承知しています、しかしこれは貴方以外に聞く事が出来無いのです。どんな小さな事でも構いません、教えて下さいませんか?」


「……私に残ったのは…息子が殺されたという事実だけです。息子はもういない……今更警察に協力する気は有りません!」


「…そんな事言っている場合ですか!? まだ犯人は誰かを殺そうと企んでいるかもしれないんです、貴方と同じ様に子供が殺されるのを黙って見ているというんですか!!?」


安藤の発言に篠塚は突然怒号を発する、私は怒る篠塚を静かに抑えると篠塚の言葉を継いだ。


「……息子さんを失った気持ちは察します、自分への責任感と失った者に対する茫漠感…それに警察を罵倒したい気持ちも分かります。しかしだからこそ犯人を捕まえなくてはならない、その為には…貴方の協力が必要なのです!」


「…私の…協力……」


安藤は胸を打たれた様に茫然とする、私は身体を歩幅二歩近付けると安藤に静かに告げた。


「…犯人は我々が必ず捕まえます、だからどうか…捜査に協力して下さい…」


「……分かりました……私の知っている事を話しましょう。それが…息子の為でもあるのなら……」


「…協力感謝致します、早速ですが息子さんの家での様子はどの様なものでしたか?」


「……息子はとても真面目で…よく仕事の手伝いをしてくれました。そんな息子が……まさか…殺されるなんて……」


安藤は手を眼に当て泣く素振りを見せる、その姿に心が痛んだが私は感情を表に出さず次の問いを投げ掛けた。


「…では、学校で何かあったとの話は聞いたりしていましたか?」


「……此処最近、息子と話をした覚えがありません。息子も思春期でしたから、親と会話するのが嫌だったんだと思います。もしかしたら学校で何かあったのかもしれません、最近はかなり食べる量が増えていましたが…すみませんが私には何も……」


「…そうですか……」


私はなるべく感情を吐露しない様に口を溢す、すると今度は篠塚が安藤に疑問を投げ掛けた。


「…そういえば安藤さんは公園のトイレで起こった事件の第一発見者でしたね? その日は朝からジョギングをしていたみたいですが、あの公園はいつものジョギングコースに入っていたんですか?」


「…はい、あの公園の前がジョギングの折り返し地点だったので…」


「……何故その日もジョギングを行っていたのですか? その……聞くのは失礼かもしれませんが、息子さんが殺されてからまだ一週間も経ってませんでしたよね? そんな状態で朝からジョギングは……少し不思議に思えまして…」


篠塚の発言は安藤の神経を逆撫でする様なものであった、私は篠塚に睨みを利かせるが安藤は何事も無く返答する。


「…確かにあの時ジョギングをするのは不謹慎だったかもしれません、しかし…私としては普段の日常に戻りたかった、ただそれだけです…」


「……戻りたかった、というのは…どういう事ですか?」


「…私は息子を殺されました、しかし私の時間はそれに関係無く流れ続ける、だから……だから、少しでも普段の生活を止めない様にしたんです。別に息子が死んだという事実を忘れようとした訳じゃありません、ただ……ひたすら息子の死を嘆いたら自分は二度と立ち直れなくなるんじゃないかと思って…それで……」


「……運命とは残酷なものです、本人の要望に一切応える事無く流れ続ける、そして酷く残忍な事実だけを振り翳してくる………その気持ち痛い程分かります、まぁ…気休めにもなりませんが……」


私はふと安藤の置かれた境遇に同情の念を抱いた、本人からすれば迷惑な話かもしれないが彼の発言から垣間見える心の傷は酷く痛々しい物に見えた。しかし私はそれ以外に慰めの言葉が思い付かなかった、今の私にはそんな事を言う資格が無い様に思えたからだ。

 安藤康文への事情聴取はこのくらいで引き上げる事にした、篠塚の言う通り大事な人を失った悲しみをこれ以上焼き付けるのは私も心が痛かった。


「……捜査に協力して頂き誠にありがとうございます、もし他に何か思い出した事があれば…この番号に電話して下さい」


私は自分の手帳に私自身の電話番号を書き込むとそのページを破り安藤に渡す、そのメモを手に取った安藤に私は更に言葉を続けた。


「…犯人は我々が必ず捕まえます、貴方もどうか…今をしっかりと生き抜いて下さい」


「はい……絶対…絶対に、息子の無念を晴らして下さい…お願いします……」


「…分かりました。それでは我々はこれで失礼します」


私が安藤に背を向けて店の入口に歩き出すと篠塚も私に続く、入った時にはあまり感じなかった新鮮な野菜や果物の色合いが私の視界を彩っていた。そして私が店の外に足を踏み出そうとしたその時である、突然聞こえた声が私の歩みを遮った。


「……刑事さん…すいません、一つ聞きたい事があるんですが……」


「…何でしょうか?」


私は足を止めて後ろを振り返り尋ねる、声を掛けてきた安藤は少しまごつきながら小さく答えた。


「…あの……その…刑事さんは息子の死体を見たんですか?」


「……えぇ…一応私が第一発見者なので」


「…息子は……苦しみながら殺されたんですか?」


「……それは……」


私の口から言葉が詰まる、私の見た被害者の死に様はまさに見るも無惨なもの、それを被害者の親に伝えるのは流石に無理であった。私が目線を逸らし黙り込む毎に安藤の表情も曇っていく、困り果てた私は曖昧な返答をした。


「…息子さんの死については詳しく語る事が出来ません、それが被害者遺族の為だと思いまして……ですがこれだけは言えます、息子さんの無念は…必ず晴らします」


「……はい、分かりました……すいません、唐突に変な事を聞いてしまって…」


安藤はそう言葉を溢すと私に向かい頭を深々と下げる、私はこの場所の重苦しく淀んだ空気から抜け出す様に足早に店を立ち去った。

 商店街前の駐車場に再び舞い戻ると私は急ぎ足で車に近付き助手席側のドアに手を掛ける、足許を見ると駐車場の白線に車が乗り上げており私の運転の程度が一目瞭然だった。


「あれ柊さん、今回は助手席に座るんですか?」


「喧しいぞ篠塚、私はもう二度と車のハンドルは握らんぞ!」


篠塚の冷やかし混じりの問い掛けに私は怒りを込めた返答をする、怒り任せにドアを開き車に乗り込むと運転席に座った篠塚は今度は真剣な話を切り出した。


「…次は何処に行きますか? 第二の被害者に恨みを持っている人物についての話は出来ませんでしたから……やっぱり学校で同級生に聞くのが良いですかね?」


「そうだな、しかし親が知らない事を生徒が知っているかどうかは疑問だ」


「まぁ被害者も思春期だったみたいですからね、親には言えない秘密があったのかもしれませんよ?」


「……なら次の行き先は決まったな、あの中学校にまた足を踏み入れねばならんとは…気が滅入るよ……」


「そう愚痴を溢さないで下さいよ、僕だってあそこには行きたくはないんですからね…」


篠塚は溜め息混じりに呟くと手慣れた様子で車を発進させる、篠塚の軽快なハンドル捌きが路地を縫い一分としない内に大通りに抜けた。その後も迷い無く車を操る篠塚に私は一つの提案を持ち出す。


「……篠塚、中学校での捜査は二人別々で行わないか?」


「え? どうしたんですか突然、そりゃ言われればそうしますけど…何か理由でも有るんですか?」


「…いや、別にこれといった理由は無い。ただ…二人が分担した方が効率的だと思っただけだ……」


私は何とか篠塚を言い包めようとする、しかし私の想像に反し篠塚は訝しげに首を捻った。実の所私が別行動を志願した理由は単に一人になりたかっただけ、そんな事は当然ながら他人に言える理由では無かった。


「はぁ……まぁ柊さんの提案なら逆らえませんね、それで僕と柊さんの役割分担は?」


「……篠塚は第二の犠牲者『安藤公男』の同級生に話を聞いてくれ、私は……第三の犠牲者『石飛義巳』を知る人物を当たるよ」


「…確かその石飛って生徒は野球部に所属していましたね、という事は同じ部活の生徒に話を聞くんですか?」


「……確かにその方法も有るがそれでは時間が掛かり過ぎる、それに被害者の事を知っていそうな人物とは既に出会っているだろう?」


「え…誰ですか?」


篠塚は不思議そうな声を溢し私を見る、私は篠塚に一瞥もせず答えた。


「…石飛義巳の死体が運ばれた際に死体に寄り添い泣きじゃくっていた女子生徒がいただろう、彼女なら何か知っている可能性は有る」


「…じゃあ、その女子生徒の身許は割れているんですね?」


「……身許が割れている様に思えるか?」


「……結局、手探りな感じは拭い切れませんね…」


篠塚のその一言が私の頭を叩く、部下である篠塚からの頭痛い呆れた言葉に私は返す言葉が無かった。私は胸に突っ支えている表現に難いわだかまりを忘れる為に車窓を眺める、眼が追い付かない速度で流れる街並みが私の心を漠然へと誘った。



 商店街を出発してから十分程経っただろうか、我々はまたしても忌まわしい惨劇の舞台へと足を踏み入れてしまった。この場所で起きた三つの惨劇の事などまるで遠い過去の様に忘却している校舎が我々を出迎える、その後車を降りた我々は互いに別事項の捜査の為に一旦単独行動に移った。

 私は初めに職員室に立ち寄る、中は清潔と粗雑が入り交じった様な姿で何とも言えない重圧感が場の空気を支配していた。私の行動に自身への異物感が深く浸透していたが、あまり気にする事無く取り敢えず手近にいた教員に話し掛けた。


「すみません、警察の者ですが…この学校の野球部の顧問を担当しておられる方はいらっしゃいますか?」


「野球部の顧問ですか? それなら吉井先生ですね、少しお待ち下さい」


教員はそう言い残すと少し離れた席にいた教員を呼ぶ、それに応じて呼ばれた年配の教員が私の前まで歩み寄った。


「どうも初めまして、私野球部の顧問を任されています吉井という者です。警察の方でしたよね、何のご用件でしょうか?」


「はい、実は殺された石飛義巳という生徒について二三聞きたい事が有るのですが…宜しいでしょうか?」


「えぇ、私で良ければ話しましょう」


「ありがとうございます、では早速ですが……殺された石飛義巳君はどの様な生徒だったのですか?」


「……彼はとても優秀な選手でした、野球部のエースと言える存在で…まさかあんな形で亡くなるとは……」


野球部顧問の吉井はそう言うと酷く暗い表情を浮かべる、このまま彼が漆黒に溺れるのを恐れた私は次の質問に移った。


「…では、被害者を恨んでいた人物に心当たり有りますか?」


「…恨み、ですか……確かに野球部は皆やんちゃ者ばかりで、度々喧嘩が始まる事もありました。それで恨みを持った生徒もいても不思議じゃありませんが……だからといって犯人が彼を殺すとは思えません」


吉井は安藤と同じく曖昧な返答をする、これでは埒が明かないと考えた私は本題を切り出した。


「……殺された石飛君には付き合っていた女子生徒がいるらしいのですが、ご存知ですか?」


「付き合っていた……それは恐らく『長井可憐』さんでしょう、石飛君と彼女はいつも二人で楽しそうにしていましたから」


「…その長井という生徒を此処に呼んではもらえませんか?」


「はぁ…それは構いませんが……ですが……」


「…ですが…何です?」


「……彼女は石飛君を失って以来塞ぎ気味になりましてね…とても警察の捜査に協力してくれるとは思えません。それに彼女は今酷く心を痛めています、あまり話をするのは……」


「その事は承知しています、ですが生前被害者と親しくしていた彼女だからこそ知り得る事もある筈なのです。そんなに長くは掛かりません、五分…いや三分だけで構いません、彼女と話をさせて下さい」


私は頭を下げ頼み入る、するとそれに呼応する様に吉井は口を開いた。


「……分かりました、そこまで言うのであれば仕方ありません。ただし話をするのは三分だけです、それ以上は彼女の心を痛め付ける事になるかもしれませんので注意して下さい」


「…分かりました」


「では私は長井さんを呼びに行ってきます、場所は…奥に個室がありますのでそこをお使い下されば……」


「いえ、話するのは廊下で構いません。誰かに聞かれたく無い話をする訳でもありませんし…個室では彼女に尋問していると捉えられてしまいます、彼女が心を痛めているなら尚更控えるべきでしょう」


私の言葉に吉井は小さく了解の意を示すと職員室の入口に向かう、この場を後にして立ち去る後ろ姿を私はただ見詰めていた。僅かに暇を持て余した私は職員室を見渡す、既に四つも事件が起きているのにも関わらず通常に作動し続ける職員達の姿に私は妙な寒気を覚えた。



 野球部顧問の吉井が件の女子生徒を呼びに行くと言ってからおよそ五分後、私の前に見覚えのある人物がその姿を現した。私と同じく黒い長髪と年相応の幼い顔をした女子生徒、髪に留めたヘアピンの装飾が彼女の好みと性格を写し出していた。しかし今の彼女は悲哀を塗り固めた様な顔を浮かべ見るからに悲劇の片鱗を垣間見せる、彼氏が死んだという事実を踏まえれば当然の事だがそれに作用して黒い学生服がまるで喪服に見えた。互いに口を開けずしばらくは膠着が続く、この気不味い状況を打破するべく私は沈黙を切り捨てた。


「…君が長井可憐だな?」


私は彼女にそう問いた、しかし聞かれた当の本人は眼を伏せたまま沈黙を守っている。


「……久し振りとでも言うべきだろうか、先週君に出会った者だ。刑事の柊瑞波とは名乗ったが……覚えているかい?」


私は彼女にそう尋ねると彼女は一言も発さず首を縦に振る、だが悲愴感を漂わせる顔は一向に晴れる様子は無く私は次の話を振った。


「…今日君に会いに来たのは他でも無い例の殺人事件についての話をする為だ、君には少しばかり辛いかもしれないが……捜査に協力してほしいのだが…」


長井可憐は事件の話を切り出すと眼を開き眉を顰め顔色を青く染める、その顕著なまでの心境に私は横柄にも更に協力を願い入った。


「君にとってはただあの悲劇を思い出させるだけの事象かもしれない、だが君の協力で凶悪な殺人犯を逮捕出来るかもしれないんだ。非常におこがましいとは思っているが…殺された石飛君の無念を晴らす為にも是非とも協力して頂きたい」


私は自分の心の内を長井に伝える、私のこの言葉で彼女の心の在り方を少しでも変える事が出来ればと私は願った。しかし長井は未だに凍てついた表情を崩そうとはしない、私は辺りの妙な視線から逃れる為に仕方無く彼女の手を取り廊下に移動した。

 職員室を出て廊下を一直線に進むと学校の最も南東に位置する場所、人気の無い廊下の終着点に辿り着く。私はそこで彼女の手を離すと彼女の顔に視線を合わせる、相変わらず暗い顔の長井に私は声を掛けた。


「…此処なら人の通りも少ない、これで人目を気にせず静かに話が出来るというものだ」


私は何とかして彼女から言葉を出させようと試みる、まるで屍の様に物を言わない長井に私は尚も交渉を続けた。


「…君の協力が必要なんだ、この陰惨な事件を食い止める為に君の知っている事を話してほしい。このままではまた新たな被害者が出るかもしれない、それに君の身にも危険が及ぶ可能性だって…」


「……うるさい…」


「…え?」


小さくか細い声が私の鼓膜が確認する、その声は私の眼前に存在する女子生徒の声であった。ようやく私は彼女の口を開く事が出来た、だがその口から零れたのは私の予想に反する言葉であった。


「……うるさい…うるさいうるさいうるさい、うるさいわよ!!! さっきから勝手な事ばかり言って、一体何様のつもりよ!!」


「ど…どうしたというのだ急に、何か気に触る様な事でも…」


「言ってるじゃない、さっきから偉そうな事ばかり言って!! 何が捜査に協力よ、何がヨシくんの無念を晴らすよ…そんな事あんたに言われる筋合いなんて無いわよ!!!」


突然の長井の豹変振りに私は終始圧倒される、女子生徒はまるで溜め込んでいた鬱憤を解放する様に私に怒号を発した。


「…あんたはヨシくんを救えなかった、何の罪も無いヨシくんを見殺しにした……それは私にとってヨシくんを殺したのと同じ事なのよ、分かる!? ヨシくんが殺されるのを止められなかった警察……私にとっては犯人の共犯と同じ様なもの、それだけはどうしても変えられないの!!」


「…取り敢えず落ち着いてくれ、君の言いたい事も分かるが今は…」


「全然分かっていないじゃない、私によく平気でそんな事言えるわね!! そもそも警察がもっと真面目に捜査していればヨシくんは死ななかった、ヨシくんが死ななかったら私もこんなぬ悲しむ事も無かった、全ての原因はあんた達警察の責任よ!!! それなのにまだ犯人を捕まえられないなんてとんだ役立たずね、そんな…そんな警察に何を協力するってのよ!!」


「……我々とて捜査を進めている、そして逸早く犯人を捕まえる為には君の協力も…」


「そんな事してもヨシくんは帰って来ないじゃない!!!」


私はその一言で胸を貫かれる、彼女の言葉通り確かに死んだ人間は帰って来ない、私はその事実を否応無く突き付けられた。私は完全に思考を停止さる、空虚となった頭には独壇場となった長井の怒号だけが響いた。


「…ヨシくんは……ヨシくんはもう帰って来ない、なら警察に協力したって何の意味も無いじゃない!! 私には…ヨシくんが全てだったの、なのにそのヨシくんが死んだ……あんたに…この悲しみが本当に分かるっていうの!?」


私は最早語る言葉すら持ち合わせていない、私はただ彼女の心の叫びを黙って聞いているしかなかった。


「……私は大切な人を失った、残ったのはこのどうしようも無い苦しみだけ……ならいっそ…私は死んでしまいたい、誰でもいいから殺してほしい…犯人でもいい……天国にいるヨシくんに…会いに行きたい……」


「…死にたい…という言葉だけは流石に聞き過ごせないな、君が死ねば君と同じ思いをする人間が増えてしまう。悲観的になるなとは言わない、しかしまだ生きる希望も残って…」


「無茶な事言わないでよ!!! 恋人が殺されたのよ、どうやって生きる希望を持てって言うのよ!! 大人はいつだって子供に無茶を要求する、そんな事…出来る筈も無いのに……やっぱりあんたは私の気持ちなんて分かっていないのよ!!!」


どの様な言葉を用いても激昂する長井に立ち向かう術は無い、私が力無く明後日を向いていると彼女は俯き呟いた。


「…私は、もう……何もしてほしくない………これ以上…戻らない過去を思い出したくない………だから私は警察に協力はしない…もう放っといてよ……」


彼女はそう言葉を言い残すと手で顔を押さえ廊下を走り去る、途中彼女と擦れ違った生徒は私の方を向き怪訝そうな目付きで私を見詰めた。今のこの現状だけ見れば私が彼女を泣かせてしまったと思われても仕方が無い、何とも居心地が悪くなってしまった私はその場を立ち去ろうとした。しかし私が廊下を歩き始めたその時である、私の行く先を遮るかの様に廊下の陰から男子生徒が現れたのだ。短髪で眼の細い男子生徒が私の前に立ち塞がる、突然の事に動揺しながらも私はその生徒に話し掛けた。


「…き、君は誰だ?」


「……あんた…警察なんだってな……」


「…あぁ、そうだが…君は何者だ? 私に何か用でもあるのか?」


私は疑わしくも怪しいこの男子生徒にそう尋ねる、尋ねられた男子生徒は悪い笑みを浮かべながら話し出した。


「…俺は『守口昌幸』、さっきあんたが事情聴取してたあの長井って奴の同級生だよ。別に俺は怪しいもんじゃない、ただそこを通り掛かって偶然話を盗み聞きしてただけだ」


「……盗み聞きとは感心せんな、まぁそんな事どうでもいいか。私に何の用がある、事と次第では事情聴取をする羽目になるぞ?」


「それは勘弁だよ、別に俺はあんた達の話が面白かったから此処にいたんだ」


「……面白かった、とはどういう事だ?」


「いや、そんな大した事じゃないけどな……さっきの長井が言ってたろ、石飛の野郎が『何の罪も無い』だの『天国にいる』だのってさ、それを聞いたら……ハハッ、何だか可笑しくってさ!」


私は鋭い目付きでこの守口という生徒を睨み付ける、しかし疑惑に満ちたこの男は笑いながら話を続けた。


「…そういえばまだ俺の用件を言って無かった、俺はなぁ……密告者だよ…」


「……密告者?」


「あぁそうだ、ちょうどあんたに聞いてほしい話があったんだ。まだ警察には伝わって無いと思うからさ、あんただけに教えてやるよ……」


男子生徒はこちらに近付くと口許を手で覆う仕草をする、酷く滑稽な図になるとは分かっているが私は腰を屈め耳を男子生徒の口許に近付けた。


「……此処だけの話、殺された石飛義巳って奴はなぁ…同級生や下級生を脅して金を巻き上げていたんだよ」


「何!? その話…本当か?」


「あぁ間違いねぇよ、俺はその現場を見たんだからな、あの野郎はとんでもないクズだ! 奴は罪を犯しているし天国にも行かねぇ、優秀な野球部エースの裏の顔はただの卑怯な猿って事さ」


私は驚くべき事実を知らされた、この男は未だに信用出来無いがその話だけは真実味を帯びていた。私は顔を離し守口の顔を見詰める、私が話を聞いた中で浮かんだ疑問を彼に投げ掛けた。


「……その話が事実であるならば……何故野球部顧問はそれを知らない、一生徒さえ知っている事を知らんのは些か妙ではないか?」


「別に不思議でも無いさ、教師が単に生徒に関心を持たないだけ、連中が知らない事なんて生徒全員が知ってるんだぜ? それに……恐らく顧問は知ってて何も言わないんだ、そうすれば不祥事にもならないし自分に責任を喰らう事も無い、いわば確信犯だ」


「…そんな事がこの学校で行われているのか、全くもって…嘆かわしい事だ……」


「別に珍しい事じゃないぜ? 今日だって同じクラスの男子が他のクラスの奴にいじめられてた、だが教師は何一つ気付いていない…皆悪いとも思ってないし気付こうともしていない、まさに此処は不良と非行の天国だ!」


「……これが現代の学校事情か、道理でいじめや自殺が無くならない筈だ…」


私は嘆きのあまり眼前の関係無い男子生徒にまで愚痴を溢した、手を添え頭を抱えると私は更なる疑問をぶつける。


「……何故それを私に話した、話すべき人間なら職員室に…あぁそうか、教員には言っても無駄だったな…」


「…俺があんたに話をしたのは別に捜査協力って訳じゃない、ただ俺は石飛を善人で終わらせたく無かっただけだ」


「……何故善人だと思う、そもそも何故殺された男子生徒をそうまでして恨んでいるのだ?」


「……あの野郎…俺を脅して金を奪いやがったんだ! 俺はその事を野球部の顧問に伝えたが…一切表沙汰にならなかった、それどころか野郎は今でも真面目な好青年として名を残していやがる! そんな事させねぇ……奴の犯罪を徹底的に炙り出してやるのさ!!」


「…詰まり密告の理由は復讐の延長という事か……あまり誉められたものじゃないな……」


「うるせぇ、あんたには関係ねぇだろうが!! 俺は正しい事をしたまでだ、チクったとかそんな事言われる筋合いはねぇ筈だ!!」


「……もっともな意見だ、最近では告発をチクると罵り仲間内で責め立てるらしいが…私もそうは思わんな。悪事とはいつか必ず暴かれるものだ、その発端を非難するとは碌で無しも甚だしい、君の意見には少なからず賛同しよう…」


「……話が分かる刑事さんで安心したよ、どうやらあんたは正常らしいな……」


この男から正常と言われると不快感を覚えずにはいられない、私は意見には賛同したがどうにもこの男自身には終始不審感を抱いてしまった。男は尚も不気味な笑みを浮かべ続ける、私からすればこの男もこの中学校の不審を形作る要因の一つであった。

 守口からの密告を聞いた私は顎に手を添え考える、これまで入手した情報を繋ぎ合わせると被害者達の共通点が見えてきた。第一の被害者は児童淫行の容疑が有り第三の被害者には恐喝の疑いが知らされた、犯人は被害者達にそれぞれ違った恨みを持っている可能性が高かった。しかし第二の被害者には犯罪の片鱗が見当たらない、私が考え込んでいると聞き慣れた声が耳を突いた。


「あれ? ひょっとして……柊さんじゃありませんか!?」


「あ、本当だ! でもこんな所で何やってんですかね、トイレならすぐ向こうにありますけど…」


偶然かはたまた必然か、私の前を通り掛かったのは綾崎の忠実な部下である風間と宮武であった。二人は私の顔を見るとまるで幼子の様に無垢な笑顔を浮かべる、しかし私のすぐ近くにいる男の姿を見た途端明るい表情は一気に暗くなった。


「……守口…何でお前が此処にいるんだ?」


「別に何処にいたって構わないだろ、この時間は昼休みだしお前等馬鹿二人に怒られる義理は無い筈だぜ?」


「ば、馬鹿二人とは何だ!! 僕も部長だって真面目に生きてんだよ、そんな事お前に言われる筋合いは無いぞ!!」


「うるせぇよ宮武、お前は馬鹿なんだから無意味に口を開くな! それにお前等を馬鹿と言って何が悪い、他人に有り余る程迷惑掛けやがってよぉ、正直いなくなった方がこの学校の為だぜ?」


「…お前……もう一遍言ってみろ……」


「あぁ? 何だ聞いて無かったのか、なら何度でも言ってやるよ! お前等はなぁ、生きてる意味が分かんねぇ馬鹿だって言ったんだよ!」


「……てめぇ…調子に乗ってんじゃねぇ!!!」


突如怒りを露見させた宮武が腕を振り上げ守口に襲い掛かる、その姿は平素の宮武からは想像も付かない程に荒々しい姿であった。私は本能的な怯えからか声が出なくなる、宮武の態度の変わり様は私も襲われている守口も恐怖を抱いた。しかし宮武の振り上げた腕を掴む人物がいた、それは厳しい面持ちをした風間であった。


「…何故止めるんだ風間!! こんな野郎、殴らなきゃ気が済まねぇ!!」


「落ち着け宮武!! 確かに先に言い出したのはあの野郎だが殴ればお前が悪者になる、お前に理性ってものが有るんなら此処は耐えるんだ!!」


「ぐっ……チクショウ!!!」


風間の説得もあって宮武は怒りを押さえ腕を下ろす、しかしそんな二人の姿を嘲笑う男が私の眼前にいた。


「…ハ…ハハッ、何だよおい! お前等は殴りたい奴も殴れないのか、随分と根性の無い連中だな!」


「うるさいぞ守口、お前は黙ってろ!!」


「うわぁ怖い怖い、これだから野蛮人は嫌なんだよなぁ、二人揃ってとんでもない野郎だな! お前等いつもそんなに仲が良いのか、ひょっとして付き合ってんじゃないのか?」


「何だとてめぇ、何なら本当に殴ってやろうか!!!」


守口のからかいに放送部の二人は振り回されていた、自分に手が出せないのを良い事に誹謗中傷を繰り返す守口の姿は彼自身の言うクズと変わり無かった。止まない罵倒に遂に宮武は涙を浮かべる、その様子を見た守口はまたしても調子に乗り出した。


「…あれぇ宮武君、何泣いてんのかなぁ? お前本当は女なんじゃないか、マジで気持ち悪ぃわ」


「……俺達を馬鹿にするのもこれくらいにしろ、さっさと何処かに消えてしまえ……」


「何勝手に命令してくれてんの、言われなくてもそうさせてもらうぜ? じゃあ刑事さん、俺はこのくらいで退散しますわ!」


守口はそう告げるとポケットに手を入れ立ち去ろうとする、途中風間の横を抜ける際にわざとらしく風間の肩に自身の肩をぶつけた。


「……邪魔だよ、変人…」


まさに典型的な不良少年のやりそうな下らない行動である、私は見るに見兼ねて守口の後ろ姿に声を掛けた。


「……楽しいか…他人を陥れて……」


「…楽しいよ、俺は気に入らない奴は徹底的にいたぶる質なんでねぇ…」


守口のその言葉に私は何も言い返さず黙って守口の後ろ姿を睨み付けていた、あの男は私がこの数日間で見てきた人間の中で最も下等な存在であった。やがて男の姿が廊下の先に消えるとこの廊下の一角に緩んだ風が吹き抜ける、泣き止まない宮武の肩に手を添えながら風間は優しく声を掛けた。


「…いい加減泣き止めよ宮武、中学生にもなって人前で泣くなんて恥ずかしくないのか?」


「…だって…だってよぉ風間、あんだけボロクソ言われたのに……殴れもしないなんて…理不尽だろ……」


「……確かにそうだな…だがお前は手を出さなかった、その点を踏まえれば今回は俺達の勝ちじゃないか?」


「……そんなの……分かんねぇよ……」


どうやら宮武は相当傷付いているらしい、これまで彼等の変人としての面ばかり見てきた私だがやはり彼等も一介の中学生、そう思うと同情の念が滲み出した。私が哀れみを持った眼で二人を見詰めていると風間が私の視線に気が付く、風間は先程までの厳しい表情を解くと少し気恥ずかしそうに呟いた。


「…すいません柊さん……嫌なものを見せてしまって……」


「いや構わない、寧ろあの状況下で止めに入れなかった私こそ済まなかった。しかし……大変な生活だな、あんな事を毎日言われてるのか?」


「いえ、毎日という訳じゃありませんが……会う度に何かしらの嫌味は言われます、今日のは特に酷かったですが……」


「…そうか………あの不遜な男、守口とは誰に対しても先程の様に振る舞うのか?」


「…自分より強い立場の人間には何も言いません、本当に卑劣な野郎ですよ……」


「……よく教員もあんな馬鹿を放置しておくものだな」


「守口は先生達の前では真面目を装うんです、だから奴の裏の顔は全然知られてません。それに奴はああ見えて成績が良いんです、あまり勉強してないのに常に成績は学年上位、それで先生達からの信頼も厚い……それを鼻に掛けて他人を見下す嫌な野郎ですよ!!」


「……何処の世界にもああいった奴がいるんだな、全く…世も末だよ……」


私は放送部二人の醸し出す淀みに精神を侵食される、だがそんな曇った空気を払拭すべく私は彼等に語り掛けた。


「…しかし貴様等はそんな毎日から逃げる事無く生きている、普通の人間なら今頃登校拒否か転校しているだろう……それに耐えるとは畏敬に値するぞ」


「…別に俺達はそんなに誉められたものじゃないですよ、守口の野郎が言う様に俺達が変人である事に変わりは無いですし…俺達はただ嫌がらせをしてくる奴等の思い通りにしたくないだけです……」


「……何故そうまでして学校に通い続ける、痛みと苦しみしか生み出さないこの場所にいる道理など無い筈だが?」


「…それは……此処には痛みや苦しみ以外にも生まれるものが有るからです。例えどんなに酷い迫害を受けても…俺達には『放送部』という居場所がある、それに俺達を理解してくれる人間もいる、幾ら希望が少なくても…此処が俺達のいるべき場所なんです」


私はその言葉に胸を打たれた、私の見る限り絶望しか存在しない場所でさえ彼等は希望を生み出し耐え抜いている、その姿勢は愚行とも呼べるがこの荒廃した世界では何よりも価値の有る行為であった。私は目頭が熱くなるのを感じる、だが私は泣くのを抑えながら彼等に言った。


「…成る程……そこまで強い意志があるとは思わなかったよ、ならば私には口出しする義理は無いな……」


私は二人に歩み寄ると彼等の頭に手を当て撫で擦る、私の行為に顔を驚きに満たしている二人に私は優しく呟いた。


「……疲れ果てない程度に頑張るんだな……それと宮武はこの髪留めを外す事だ、これを付けているとまた謂れの無い暴言を言われるぞ?」


「…これは…僕のチャームポイントなんです……だから…外す訳には…いきません…」


「……また随分と変わった理由だな、まぁ本人がこれで良いというのであればそれで良い……」


私は顔を綻ばせ笑顔を見せる、此処最近では全く見せる事の無かった微笑みを私は浮かべているのだろう。

 風間と宮武の二人に微笑み掛けているとまたしても聞き慣れた声が聞こえる、私は視線を廊下に移すとまるで次の展開を指し示す様に篠塚が駆け寄って来た。


「柊さん、こんな所にいたんですか!? こんな人気の無い場所で見慣れた二人組と一緒なんて……まさかまた僕一人に捜査押し付けて遊んでいたんじゃないでしょうね?」


篠塚は怪しむ様に私を睨み付ける、私は希少な笑顔を崩すといつもの厳しい表情で篠塚の問いに答えた。


「…遊んでいたとは無礼千万な奴だな、これでも私は捜査進展に繋がる事実を掴んだというのに……」


「……とてもそうには見えませんけどね。それで今そこの二人と何やってたんです、まさか柊さん…仕事の鬱憤から二人を泣かせたんじゃ…」


「そんな訳無いだろう、貴様は私を何だと思っているのだ? そこまで強気に言えるのならば、第二の被害者の情報は得られたというのか?」


「それが聞いて下さいよ!! 先程まで僕がずっと話を聞き続けていたんですが、生徒の誰一人として被害者の事を全く知らないって言うんですよ!? 毎日同じクラスで過ごしている筈なのに…絶対変ですよ!!」


「……詰まり…情報は得られなかったという訳だな?」


私の問いに篠塚は強気な口を閉じる、しかし私はその時怒りでは無く憂いの念が強く込み上げた。


「……他人を裏面まで知っている者もいれば…他人の表面すら知らない者もいる……一体此処はどうなっているんだ?」


「…え? 柊さん、今何か言いました?」


「……いや、何でも無い…しかし情報が全く無い事は無いだろう、被害者に何か変わった事がなかったのか聞いてないのか?」


「…聞きましたけど……少し前から食欲があるのか毎日の様に菓子パンを買い漁って食べていた、という話は聞きました。けどこれが捜査に関係するとはとても思えませんが?」


「…何にせよ情報は多い方が良い、それが例え一見して無価値な物であってもだ。しかし捜査は相変わらず行き詰まりだな、何か決定打となる物でも有れば良いが……」


「…あのぅ……ちょっといいですか?」


「? 何だ風間か…一体どうしたというのだ?」


私は突然の事に驚く事も無く尋ねる、見るといつの間にか風間の手には携帯電話が握られておりそれを私に差し出してきた。


「…隊長からの電話です、柊さんに変わってくれと……」


「…綾崎か、こんな時に…何の用だ?」


私は風間から携帯電話を受け取ると耳許に当てる、するとすぐに気障りな明るい声が私の鼓膜を刺激した。


『あ、柊さんですか!? いやぁお疲れ様です、捜査の方は至って順調そうですね!! そういえば僕へのお土産はどうなりましたか、正直言って僕は食べ物以外貰わないんですけど…』


「唐突に電話を寄越されて一番に聞かせる話がそれか? 無駄話を聞いてやる時間は無い、貴様の用件を話せ」


『……冷たいなぁ、折角僕が楽しみにしてたのに……まぁどうでもいいや、早速本題に入ります!』


電話の向こうの綾崎が深呼吸をするのが聞こえる、その後話し始めた声は先程までとは違う低いものだった。


『…はっきり言いましょう、柊さん……僕は一連の事件の捜査を抜けます』


「………は? それは……意味が……」


『だから僕は一抜けするって言ってるんです、なので柊さんはこれから僕のいない悠々とした捜査をして下さい…じゃ!!』


「……待て待て待て、ちょっと待て綾崎!! 貴様一体どういった風の吹き回しだ、貴様…自分が何を言っているのか分かっているのか!!? 貴様から勝手に捜査協力を願い出て今度は勝手に捜査を抜けるだと、どういう了見か説明しろ!!!」


『…逐一説明しなくても分かる筈でしょう、まぁ分かんないなら教えて上げますよ。僕はね……本当に今更ながら気付いたんです、今僕達がしようとしている行為の意味…その価値の無さに、ね……』


「……意味だと? 何をまた馬鹿な事を言っている、警察が捜査するのに込み入った意味など…」


『それはあくまで貴方達警察の意見です、だが僕の意見は残念ながら平行では無いんです。いいですか…最初に殺された保健医の『長山泉』は男子生徒を肉欲を満たす道具にしていた、三番目に殺された『石飛義巳』は自分より弱い人間を恐喝して金を強奪していた、言わば殺された被害者達は何かしらの罪を背負っているんです』


「……待て、何故貴様が石飛義巳の恐喝の事を知っている!?」


『…まぁ風の噂って奴ですよ、今はそんな事どうだって良いじゃないですか? それで僕は……こう思ったんです、殺された被害者達は主観的で無く普遍的な罪を背負っている、ならば僕達は何の為に事件を解決するのか……とね…』


私は綾崎の言っている意味がよく分からない、私の頭は困惑に埋もれているが尚も綾崎は理解不能な言葉を積み重ねる。


『…僕は殺された被害者達の無念を晴らすという思いと面白半分という思いで捜査協力を志願しました、ですが蓋を開ければ中身はとんだ見当違い……被害者達は未だ不明ですが罪を背負っている、詰まり僕達は罪人の無念を晴らそうとしている訳です……そんな馬鹿な事誰がしますか? 僕は善人に対してなら一肌脱ぎます、しかし悪人の自業自得の仇討ちをわざわざしてやる程僕は優しくありません。なので僕は捜査を抜けます、風間君と宮武君にもそう伝えて下さいね』


綾崎の言葉はまるで理に適わない独断だった、そんな意見を私が許す筈も無く私は込み上げる怒りを爆発させた。


「そんな身勝手な話が通るとでも思っているのか!!? 我々警察を此処まで愚弄しながらまだ我々を虚仮にするのか、貴様は一体どんな神経しているんだ!!」


『……正直言って僕は貴方達の意見など聞く気はありません。僕が抜けるというのは決定事項…それを今更覆す訳にはなりませんよ?』


「……あぁそうか、分かったよ……そんなに辞めたいなら勝手にしろ!!!」


私は最後にそう叫ぶと乱暴に通話終了のボタンを押す、そして怒りに任せ携帯電話を投げ付けない内にそれを風間の手に返した。私は先程とは全くの別人になってしまったのだろうか、風間も宮武も篠塚も凍り付いた表情になっており恐る恐る風間が問い掛けてきた。


「……あの…隊長は何と……」


「図々しくも勝手に捜査を乱した男は勝手に捜査から抜けたよ、全く……何を考えているんだあいつは!!!」


「ひ…柊さん、落ち着いて下さい!」


篠塚は私を落ち着かせようとしている、しかし自分では落ち着いているつもりの私にとっては酷く煩わしかった。どうやら私は混乱の極致に立っているらしい、しかし私は心の中で怒りを喜びに切り替えると私に言い寄った篠塚に指示をする。


「…いや待て…綾崎が捜査を抜けたのは願っても無い好機かもしれん、これで奴の自由奔放な振る舞いに踊らされずに済むというものだ! 肩の荷を降ろす時が来たか……ハハハッ!! 行くぞ篠塚、次は第四の被害者の自宅に向かう、場所は分かっているか!?」


「え? あ、あぁはい…ちゃんと調べましたが……」


「そうか、ならば急いで向かうとしよう!!」


私は半ば自棄になりながら溢れ出る激情を昇華させようとする、まさに空元気の様なもので私は怒りを誤魔化していた。私は足早に校内を立ち去ろうとする、しかしその前に風間が困惑しながら私に尋ねた。


「…あのぅ…柊さん、俺達は一体どうすれば……」


「……まだ宮武は授業が出来る状態では無いな、取り敢えず職員室で休ませておくのが良いだろう。それと風間は昼の授業にはちゃんと出席するんだ、学生の責務が勉学である事を忘れるな!」


「…はい…分かりました…」


私は風間にそれだけ伝えると急ぎ足で昇降口へと向かう、途中生徒の間を数回横切りながら私は急いた心のままに走った。そして昇降口の前に着くと急いで靴を履き替え校外に出る、まだ薄く冷たい風を肌で感じながら私は篠塚を待たずして車に向かった。

 しかしその時である、外気よりも冷たい一陣の風が私の焦る心を掠めたのである。私はふと立ち止まり胸に感じた冷気を確かめる、それは何とも形容し難い妙な胸騒ぎであった。私が足を止めていると私の前方から私の名前を呼ぶ声が聞こえる、私がそちらに顔を向けるとそこにはいつの間にか私を追い抜いた篠塚の姿があった。


「どうしたんですか柊さん、早く第四の被害者の自宅に行きましょう!」


「……あぁ済まない、今行く…」


私は再び足を動かし始めると篠塚が先に乗り込んだ車を目指す、しかしその間にも私の中で小さく芽生えた胸騒ぎに私は困惑を拭え無かった。


(…何か良からぬ事の前触れか? 全く……不吉な事此の上無い……)


私は心に侵食し始めていた不安を急ぐ気持ちで塗り潰す、今必要なのは非科学的な第六感では無く論理的な捜査であった。私は先に篠塚が乗り込んだ車へと乗車する、私がシートベルトを締めたのを確認すると篠塚を勢い良く車を発進させた。どうやら私の急く気持ちが篠塚にも伝染したらしい、中学校の敷地を出ると車は速度を上げて道を進んだ。だが幾ら心を落ち着かせようとしても胸底に咲いた予兆は萎える事を知らない、速度を上げて回る車のタイヤに連動し私の心の不吉は私の中で絶えず渦を巻き続けていた。



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