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其の以3

倉庫から聞こえる声



 ある日の部活動での出来事である、その日の校庭ではいつもの様にサッカー部が次の大会に向けて練習をしていた。日も暮れ始め辺りはすっかり暗闇になるまで練習は続き、ようやく終わったのは七時を過ぎた頃であった。そのサッカー部では一年生が片付けをするという決まりになっており、練習が終わり一年生が急いで片付けを始めた。

 しかしある男子生徒が体育館横にある倉庫でボールの片付けをしていた所、奇妙な事が起こった。倉庫の奥の方から微かに誰かの泣き声が聞こえたのだ。無論辺りを見渡しても人の姿は無く、そもそもこんな時間に倉庫で隠れている生徒などいる訳も無く結局その時は空耳と思いそのまま帰った。だが聞こえた声を男子生徒は不気味に思い、その嫌な予感は家に帰ってからも続いた。



 その翌日も練習は遅くまで続き、辺りが暗くなり始めた所でようやく片付けが始まった。そして昨日と同様に男子生徒が倉庫で片付けをしていると、またしても倉庫の奥から何者かの泣き声が聞こえ男子生徒は倉庫内をくまなく調べたがやはり誰も隠れてはいなかった。男子生徒は昨日以上に不気味に感じたが、それでも気のせいだと自分を言いくるめ倉庫を出て鍵をした。

 だがそこで男子生徒は驚くべきものを見てしまう、鍵を閉め何気無く倉庫の扉に眼を向けると扉の隙間から何者かの眼がこちらを見詰めていた。男子生徒は驚き思わず尻餅を付いてしまったが、やはり誰か潜んでいたと思い恐怖心を殺し鍵を開け扉を開いた。しかしそこには人の姿は無く再び倉庫内を調べたが人どころか人のいた形跡すら見当たらなかった。一人倉庫にいた男子生徒は急に恐ろしくなり鍵を閉めると勢い良くその場を立ち去った。そのまま男子生徒は一度も振り返る事無く家まで走った、振り返れば自分の感じた恐怖がいるかもしれないという恐怖が彼を蝕んでいたからである。



 二日も続けてそんな奇妙な現象が起こり、怖くなった男子生徒は震えながら上級生に相談した。すると意外な事に倉庫内で声を聞いたものは他にも存在しており、それはちょっとした話題となっていた。そしてその男子生徒は声の正体を突き止めようと思った、内心はとても恐ろしかったが溢れ出す好奇心に負けてしまい彼は行動を起こす事に決めた。

 その日の放課後、いつもの様に部活の練習が終わると男子生徒は早々に片付けを済ませ一人倉庫の中に隠れる事にした。こうすれば声の正体が分かると考え、他の部員が帰ったのを確認して男子生徒は倉庫の隅に身を隠した。しかしいつまで経っても声は聞こえず何者かが出て来る気配すらない、男子生徒は些か残念そうに姿を出すと帰ろうと扉に手を掛けた。だがそこで男子生徒は驚いた、鍵が掛かっていない筈の扉がいくら力を入れても開かないのだ。男子生徒は扉を叩き助けを読んだが外には誰もおらず、男子生徒は倉庫に閉じ込められてしまった。

 肩を落とし男子生徒は愕然としてしまう、そんな時倉庫の隅から聞き覚えのある声が聞こえてきた。それは二日続けて聞こえたあの泣き声だったが、今までとは違い泣き声の中に微かな言葉が聞き取れた。


 …助けて……


その声を聞いた瞬間男子生徒は思い切り扉を叩き外に向けて叫んだが、誰も来る事は無くただ寂しそうな声だけが徐々に大きくなっていった。


 …助けて……此処から出して……


男子生徒は遂に耐え切れず恐る恐る振り返った、すると先程まで自分が隠れていた辺りから人影がこちらに向かって来るのが目に入った。しばらくして男子生徒は悲鳴を上げた、自分に近付いて来る者の正体を見てしまったのだ。それは制服を着た自分と同じくらいの身長の男子生徒だった、しかし頭から血が大量に流れ顔は確認出来無い程に酷く歪んでおりそれはまさしくこの世の者ではなかったのだ。


 …イタい……いタい……オネがいだカラ…ココからダシて……


顔の無い男子生徒はゆっくりと手を前に出した、その手の指には爪が無くそこから血が溢れていた。男子生徒は扉を背にして泣き叫ぶが目の前の相手は気にせず近付いてくる、もはや逃げ場を失った男子生徒にそれは更に声を上げた。


 …おねガいダカら…キミもコこにいテ……サビしいかラ…ボくをひトリにしナイで……


男子生徒は恐怖のあまり立っている事さえ出来無くなった、そのまま気を失い掛けたその時急に後ろの扉が開いた。男子生徒は必死に倉庫から抜け出すとそこには顧問の先生がいた、まだ帰っていない男子生徒を探していた所悲鳴が聞こえて駆け付けてくれたのだ。男子生徒はようやく安心を取り戻したが、後ろを振り返ると倉庫にはやはり誰もいなかった。



 後に顧問の先生から聞いた話によると、昔あの倉庫で頻繁にいじめられた男子生徒がいたらしい。その男子生徒はある日倉庫に閉じ込められ放置されてしまった、いくら叫んでも誰も助けに来てくれず男子生徒はそのまま倉庫に幽閉されてしまった。発見された時には男子生徒は既に死んでおり顔は涙で腫れ上がり爪は扉を引っ掻いた際に剥がれ落ちていたという、その姿はまさに倉庫で見た男子生徒の姿に酷似していた。

 そんな事があって以来死んだ生徒の姿を見た男子生徒は学校を休む様になり遂には行方不明になってしまった、倉庫にいる幽閉の仕業という噂が出回ったが結局男子生徒は見付からずこの噂もすぐに衰退していった。しかし今でも倉庫内で誰かの声が聞こえたという事例が有り、その度に変な噂が校内で広まった。

 もし貴方が一人で薄暗い場所に出入りする機会があるならば、くれぐれも得体の知れない存在には用心して頂きたい……



++++++++++++



 頭を割りそうな痛みがどれだけ経っても消える気配が無い、それが此処最近に起こった一連の殺人事件によるものか或いはある個人の能弁によるものなのかは私の知る所では無く痛みは一層酷くなるばかりだ。三日続けて頭痛に悩まされ痛み止めの薬も効果が無い、まさか脳に腫瘍があるのではないかと時折考えてしまいそれがまた頭痛を激しくしていった。今の私はそれ程までに気持ちが安定しないのだ、何もかもが意味をなさなくなり眼に映る全てが気に食わなくなった。

 それは昨日の事だった、第二の殺人現場の前で連行した変人、綾崎和箕という男から情報を引き出すべく事情聴取をしたが話が恐ろしく噛み合わず刑事達を悩ませ続けた。しかも不審な事に話をする人物の指名として何故か私の名前が呼ばれた、私はようやく口を割ると思い仕方無く話をしたが結果は相変わらずで有意義な答えは一つとして出て来なかった。何から何まで私の邪魔を続ける、私の苛立ちは加速の一途を辿っていた。



 あれから一夜明けた今日の事、これ以上の事情聴取は無駄と判断し私はある場所へと向かっていた。決して落ち着く事の無い心を携えひたすら歩いた、先を示す白い壁の手筈を頼りに私は目的の場所に到着した。眼前に示された扉の上を見るとそこには『検死室』と書かれた札が付いている、込み上げる怒りを抑えながら私はその扉を開いた。

 扉を抜けると部屋の中は少し薄暗く、入って来る者を威嚇する様な空気を醸し出していた。部屋を見渡すと棚に様々な物が並べられているがそのどれもが私の興味をそそらない、寧ろこの暗さがこの部屋全てを巻き込み私に対し牙を剥いている様にも感じられた。すると部屋の奥で影が動いた、私が部屋に入った事に反応し影はその形を変え私に向き直った。


「……誰です? ノックも無しに入室するのは些か不躾ではありませんか?」


薄暗い部屋に明かりを灯す様なよく通る声が私に返答を仰ぐ、しかし私はその声を無視して部屋の奥へと歩き出した。徐々に声の主の姿が明らかになる、それに伴い声の主もこちらの正体に気付いた様子だ。


「…ひ…柊さん! 此処を訪ねるのは久方振りですね…何故またこの様な所に?」


「訳など聞いても仕方あるまい、それよりも私の用件を手短に済ませたいのでな。どうせ時間はあるのだろう、悪いが少し話をしてもらうぞ?」


「話って…そんな事いきなり言われても、まだ私もやらなければならない事があるんですよ? 此処最近起きた連続殺人の死体の解剖だってつい先程終わった所ですし……」


「奇遇だな、私もその殺人事件で死亡した被害者について聞きたい事があるんだ。書類を纏める暇が省けるだろう、次の反論を考える暇が有るならば言う通りにしろ」


私はほとんど怒り任せな口調で男に食い付いた、端から見れば私の行為は最早我欲極まり無いものであろう。だがこの言葉に男は半ば諦めた様に肩を落とし項垂れる、眼で見て取れる落胆を見せ付けられた後男は渋々とした様子で口を開いた。


「……相も変わらず、といった具合ですかね……まぁ仕方ありません、貴方は一度決めた事には決して首を横に振りませんから……」


「文句なら幾らでも聞いてやる、だがこちらとて暇では無いんだ。早く用件を済ませたい、監察医としての見解をお聞かせ願えるかな?」


「分かりましたよ、まぁ立ち話じゃ辛いんでどうぞ座って下さい」


私は目の前に佇む椅子をこちらに寄せると静かにそれに腰掛ける、腕と足を組み姿勢を整えると多少気になっていた事を口にした。


「……そういえば先程の台詞、随分と横柄な物言いだったな。貴様はいつも客人に対してあの様な言葉遣いなのか? それとも私が来客と知っての発言だったのか?」


「どちらも違います、寧ろ後者に関しては恐ろしくて出来る筈がありませんよ……」


「…成る程…確かに、言われて見ればそうかもしれないな…」


私は何気無くたわいのない事象に思わず口許が緩む、椅子に座り言葉に困った男の姿を私は静かに見据えていた。

 今私の目の前にいる男は『文島泰彦』、この薄暗い部屋で監察医という職に就いている男だ。長目の黒髪と眠たそうで覇気の無い眼が特徴的で、この部屋の暗さがよりこの男の異様さを強調している。辛うじて白衣を着ている事でこの暗い部屋でもその存在を確認出来るが、それだけが目立ち顔の暗さがより際立つ為に不気味な感覚は拭えそうにない。そんな薄気味悪いこの男とは旧知の仲だが正直言って私はこの男をあまり好いてはいない、いつも暗くなよなよとした雰囲気が私の神経を矢鱈と逆撫でるからだ。


「…まぁ無駄話もこれくらいにして、早速本題に入るとしましょう。それで、何を知りたくてわざわざこんな辺境の地を訪れたんです?」


「それは先に言った通りだが更に加えるとすれば…一連の事件の被害者に何か関連性は無いか、被害者の身体を解剖した結果何か異様な物が検出されたのか、そしてそれらを踏まえ監察医としての事件の見解を教えてもらいたい」


「……突然やって来た割りには結構な要求ですね、貴方らしさは健在してますか……取り敢えず話しましょう、私が答えられる範囲までは…」


文島は机の上に置かれた書類の束を手に取るとその独特の眼で私に視線を合わせる、そしてすぐに視線を書類に移すと話を始めた。


「まず一連の被害者達の関連性ですが……残念ながら死体を見る限りではこれといった繋がりは見当たりませんでした、強いて挙げるならば二つ共見るも無惨な死に様だという事ぐらいですかね……」


「…被害者の繋がりは未だ分からず、か……まぁ仕方あるまい、連続殺人の関連性など考えるだけで虫酸が走る…」


私はまるで他人事の様に小さく言葉を吐き捨てた、その小言に触れる事無く文島は口を開いた。


「さて、次に司法解剖の結果ですが……因みに聞きますけど、柊さんは食事は済ませましたか?」


「……朝食は既に食べたが、それがどうかしたのか?」


「…朝食を食べてからどのくらい経過していますか?」


「……また訳の分からん設問だな、こちらの質問に質問で返すとはどういう了見だ?」


「取り敢えず聞いておかなければならないからです、これから話す内容は…その……結構凄惨なものなので、気分を害されては困るので…」


「…要らぬ心配をしてくれたものだな、今の私にとっては貴様の存在自体が気分を害してくれているぞ。取り敢えず食後四時間は経過している、それだけ経っていれば十分だろう?」


私は歯に衣着せぬ物言いで文島を罵倒する、しかし罵倒を受けている男は顔色一つ変える事無く話を続けた。


「…第一の被害者は発見時に全裸である事と局部から腹部にかけて鉄棒が突き刺さっている事を除けば普通の死体でした。死因も喉を掻き切られたもので間違い無いですし、死後鉄棒が身体を貫いた事以外では体内及び体外において怪しい所は何一つありませんでした。ただ……」


「ん? ただ…その先は何だ?」


「……問題なのは第二の被害者です、こちらに関しては私も口に出すのが恐ろしい程の凄惨です。殺されたのは『安藤公男』、事件が起こった中学校の生徒みたいですね。その被害者には腕がありませんでした、捜査記録には死体の横に置いてあった鍋の中から見付かったとあります」


「そんな事は言われずとも知っている、その事件の第一発見者はこの私なのだからな」


「…ならば死体の凄惨さはよくご存じの筈です、衣服に付着した血の量と傷口の具合から見て死因は恐らく出血多量でしょう。鍋に入っていた腕も調べましたが指の切断面と腕の切断面の具合を比較すると指は腕を切る前に既に切断されていた事が分かりました、そして…」


文島はそこで一度口を閉じた、身体を走る小さな震えに私は気付いたが一つ深呼吸をすると再び同じ調子で話し出した。


「……此処からが問題なんです。鍋に入っていた腕には指はありませんでした、刑事や鑑識が調べた限りでも被害者の指だけが見付からなかったんです。しかし死体を解剖した際に消えた筈の指が見付かりました、開腹をした後に取り出した胃にメスを入れると…切り落とされた指が五本、全て胃の中から見付かりました…」


「………それって、まさか……」


「えぇ…死体には私が開腹した以外の外傷はありません、加えて見付かった指には僅かに歯形が残っていました、つまり……被害者は切り落とされた指を自分で食べた、という事になります……」


私は息を呑んだ、男の口から出された残酷な真実は悪寒と共に私の心の奥底に根付く嫌な恐怖を再び揺り起こしたのだ。消化した筈の朝食が食道を逆流した様な吐き気を催す、耳を疑いたくなる様なその言葉が持ち前の頭痛に酷く響いた。まさにあの死体は狂気の塊だった、私が感じた直感的な意識の正体が何であるのかを私は否応無く知らされる事となった。私は自分の頭の中で入り組んだ言葉の羅列が現実味を帯びた映像として作り出されるのを感じた、その映像はあまりに凄惨で出来れば目を瞑り見過ごしてしまいたかったが脳内の映像ではそうはいかず残酷な描写を強制的に見せられる事となった。自分の指を自分の口で食した被害者、その事実は想像するだけでも恐ろしく話を聞いた事を後悔している程だ。無論被害者が自主的に指を食べた訳ではあるまい、犯人によって切り落とされ犯人に強要されて食べたと考えて間違いは無いだろう。そうともなれば犯人は完璧に狂っている、昨日今日でこれ程までに凄惨な殺人を平然と行っているというだけで寒気が止まない。犯人の非道と恐ろしさにより生じる震えを身体で押さえ付けていると、文島は私の心境を無視して話を始めた。


「……さて、私が教えられるのは此処までです。司法解剖の結果を有りのままに話しただけですが、また何か分かり次第柊さん宛てに書類を配送します」


「ま…待て、まだ話は終わっていないだろう! 最後に監察医としてこの事件についてどう見るか、それを聞くまで帰れるものか!」


「……しかしそうは言われましても…あくまで私は監察医ですから、事件の手掛かりを示すだけでその見解を示す為のものではありませんよ」


「そんな事は言われなくとも分かっている!! 私は手に入るだけの情報を集めているだけだ、その為に私はわざわざ来たくもない場所に出向いているんだ!!」


私は椅子から立ち上がると勢い良く怒号を放った、またしても私の捜査の邪魔が入ったと思うだけで私は我慢する事が出来無かった。そんな私の様子に文島は初めは驚いていたが、時間が経つに従い表情を戻し怪訝そうな顔を浮かべ私に問い掛けた。


「……貴方は昔から気性が荒く自分勝手な面が多くありました……ですがこれ程酷くはありませんでした、何が貴方をそこまで焦らせるのですか!?」


「…う、うるさい!! そんな事…貴様が知るべき事では無い!!」


「……今の貴方はとても事件が解決出来る状態とは思えません、もう少し冷静になって物事を…」


「そんな誰にでも言える様な言葉など私は求めていない!!」


私はそこで言い終えると肩で息をして一度冷静になる、結局私には自身の怒りを吐き捨ててしまうこの性格を捨て切れていなかった。目の前の関係の無い男を巻き込んだ私の怒り、彼の言う事は確かかもしれないがそれを否定するのが必然の様に私の怒りは牙を剥いてしまう。気不味く居心地の悪い空気が辺りに蔓延し始める、何か言いたいが何も言えない息苦しさが目立ちだした時私のポケットから聞き慣れた電子音が鳴り響いた。


「…電話だ、少し席を離れるぞ」


私はそう短く告げると急いで携帯電話を取り出し通話に繋げる、携帯電話に映し出された番号は私もよく知る人物のものだった。


「……こちら柊です、鬼村警部どうかなされましたか?」


『おう柊、突然呼び出しして済まない。早速だが至急取調室に来てくれ、容疑者がお前さんを指名しているんでな』


「…綾崎ですか……仕方ありません、すぐに向かいます」


私はなるべく短い言葉で早々に話を終えると、訪れてまだ間も無い監察室からの退却に乗り出した。座っていた椅子を戻し扉から外へ出ようとした時、この息苦しさに終止符を打つ為に私は振り向かず文島に一言告げた。


「……済まなかったな…忙しい中私の我が儘に付き合ってもらった挙句、怒鳴り散らしてしまって……」


「別に気にしてませんよ、私も柊さんの気持ちも分からず軽はずみな事を言ってしまいました……こちらも謝るべきなのでしょう……」


二人の間で再び気不味い沈黙が流れ始める、互いに身を引いてしまう状態ではこの一件を締め括るのは困難であり時間が経つ毎に口内に嫌な味が広がった。私が扉に手を掛けると外の廊下が視界に映る、身を乗り出しこの部屋から退室する間際沈黙を破る声が聞こえた。


「…犯人の目的は恐らく殺人の結果ではなく過程だと思われます、愉快犯でも無い限りこの事件を起こすのは不可能でしょう……私に言えるのはこれだけです、しがない監察医の意見ですが頭の片隅にでも置いて下さい…」


その言葉に後押しされ私は監察室から抜け出した、後ろを振り向くと平凡な色の扉が背後に佇んでいるだけであった。扉を開けたかったが私には到底開けられそうにない、鍵の掛かっていない扉だが今の私には堅牢な城門の様に感じられた。名残を扉の向こうに置き去りにしてしまったが私には気にしている暇など無い、腕時計を確認すると私は駆け足で廊下を蹴り歩くと次の目的地へと向かった。



 いつまで進んでも色の変わらぬ壁の間を擦り抜ける、息を切らしながら走り続け私はようやく目的の場所へと辿り着いた。私はふと腕時計の文字盤に目をやる、少し時間を消費してしまった事を知り扉の前で息を整えると私は平静を装い扉を開けた。

 先程よりも薄暗い部屋に入室すると中には複数の刑事の影が立ち尽くしており、皆揃って部屋の片側にある硝子戸を眺めていた。その中の一つの影に私は駆け寄り、私はなるべく落ち着いた調子で口を開いた。


「…鬼村警部、遅くなって申し訳ありません」


「おぉ来てくれたか柊、着いてすぐで済まないがあの男の取り調べをしてはもらえんか」


「あの男…綾崎が私を呼んでいると言われてましたが、一日跨いで何故また私を呼んだのでしょう……」


「…それは俺にも分からん、あの男が考えている事など万に一つも見当が付かない。昨日からずっと取り調べをしてはいるんだが奴の言っている事の意味が分からん、他の刑事も担当したが支離滅裂な発言ばかりで収拾が付かない状態だ。俺も多少取り調べはしたが……やれ『呪い』がなんだの『欲』がどうだのと解釈出来ん事柄ばかりだ…」


「…それで私を呼んだという事ですか、私ならあの男から何等かの情報を聞き出せると……」


「実際に名前を聞き出せたのはお前のおかげだ、篠塚が一時間掛かっても『名前』の『な』の字すら出せなかったのにお前にはすんなりと教えた……奴はお前を話し相手に選んだ、どうしてもお前さんの力が必要なんだ」


「私の力だなんて買い被り過ぎですよ。私はただ名前を聞き出せただけです、何もあの男を術中に嵌めた訳でもないですし……」


私はそう言うと硝子の向こうで一人静かに座っている男に視線を合わせる、見ると男は昨日とは違いとても不機嫌そうな顔を浮かべ力無く項垂れていた。


「……あの男…綾崎はどうかしたんですか? 昨日までへらへらしていたのに、まるで不貞腐れた様な顔に変わってますが……」


「あぁあれか、俺も何故かは分からんが今日取り調べをしていた時突然不機嫌になり出して支離滅裂な発言もしなくなったんだ。全く…本当に分からん男だよ、あいつは」


「……やはり私の出番ですか、もうこれ以上頭痛を長引かせたくはないんですけどね」


私は軽く愚痴を溢しながら綾崎がいる狭苦しい部屋の扉に手を掛ける、しかし中に入る前に私は鬼村警部に言葉を投げ掛けた。


「…私が行ったとしてもあの男が口を割るという保証はありません、恐らくは無駄骨になるでしょう。それでも構いませんよね?」


「元よりお前さんにそこまで期待しちゃいない、だが何としても奴から事件に関する情報を聞き出すんだ」


「…必要に応じてやむを得ず暴力的になるやもしれませんが…」


「…多少の事は目を瞑る、だがくれぐれも警察署内で傷害事件だけは起こしてくれるなよ」


鬼村警部の低く落ち着いた口調に背中を押され、私は取調室に滑り込んだ。部屋の中には十分な明かりが詰め込められており、その中央を陣取る一つの影が人工灯に照らされ静かな憂いが部屋一面をその一色に染められていた。私の入室を知らせる扉が閉まる音に気付いたのか、部屋中央に居座る男は項垂れていた首をゆっくりと上げると私に視線を合わせ答えた。


「……あぁやっと来た、貴方の顔を見れるのをずっと待ってたよ」


「私は出来れば二度と顔を会わせたくはなかったよ、貴様の面を見るだけで頭痛が悪化する……」


「まぁまぁそう言わないで、狭苦しい所ですがどうぞお座り下さいませ」


不貞腐れた無愛想な表情を変える事無く綾崎は私に座る様に指示をする、この男に指名された挙句指示まで受けるこの事実に些か腹立たしく思えてくるが事態を拗らせない為に私は仕方無く男に従った。椅子に腰掛けると綾崎は一息入れる事もなく、私の顔を浮かぬ顔で眺めながら話し出した。


「…まずはおはよう。今日朝起きてみたら背中に翼が生えてたんだ、右は白鳥みたいに白い羽だったんだけど左は蜻蛉の羽をしていたんだよ。それで空を飛ぼうとしたんだけど床から五センチしか浮かべなくて悩んでいたら、壁を突き破って現れた頭に蝙蝠を乗せた太いおじさんに『化学式を三十秒以内に全部言わないと空が飛べないどころか、擦り下ろして蒲鉾にするよ』って言われたから仕方無く化学式を言ってみたらカルシウム以降が言えなくなっちゃって、うなされていたらちょうど眼が覚めたんだ。いやぁ夢中夢で良かったよ、もし現実だったら僕は今頃蒲鉾板の上だったよ」


「………その話を聞いて私は何と言えばいいんだ? 貴様の的の外れた戯れ言を聞いてやる程私は暇じゃない、早く用件を話せ」


「……つれない人だなぁ、まぁ早朝から呼んだんだから仕方無いね。取り敢えず話をしよう、えーと………椿…榎じゃなくて……楸さん?」


「…柊だ、貴様わざとやっているだろう?」


「えーそんな事無いですよ」


そう言うと綾崎は薄い笑みを浮かべる、今日初めて見た笑顔は私には怒りと嫌悪を誘発させるものであった。


「…それで、例の用件って一体何なの? まさか僕に愛の告白とか…」


「率直に言おう、今起きている殺人事件について何を知っている?」


「……それ昨日も聞いたよね? まさかとは思うけど僕が君達に協力する気が無いって事分かって無いの?」


「そんな事言われ無くとも分かっている、貴様がこちらを完全に愚弄して非協力的なのは当の昔に察しているさ。だがそれでも聞かねばなるまい、貴様が口を割るまで私は諦めんぞ」


「……また随分と強情だね、まるで一度噛み付いたら離れない野犬みたいだよ。でも僕は口を割らない、初見で僕を容疑者に祭り上げる様な警察に従うつもりは毛頭無いよ。例え君達が僕を容疑者として監禁した所で証拠不十分なら残り二十日弱で釈放される、なら僕は下手な事は告げずにひたすらその時を待つだけで済む訳だ」


「……成る程、それが貴様の本性という事か。変人奇人の皮を被っただけで中身は頭の切れる男、その演技のせいで私はかなり苛立ちが溜まったぞ……」


「その解答は半分正解、これはあくまで僕の顔の一つに過ぎないし昨日見せていた顔が僕の本当の顔とも限らない……たまには貴方もはっちゃけちゃった方が良いよ、そんなしかめっ面ばかりぶら下げてたら眉間の皺が跡に残るよ?」


「余計な世話だ、それに私は貴様の様に馬鹿をやっていられる程暇じゃないのでな……」


「…本当に君はつれない人だよ、でもそこが実に君らしい所だ……硝子の向こうの連中とは違って面白い人だよ、暇潰しには最適な人材だ…」


「…暇潰し、か……答える気が無いのであれば仕方無い、少々痛い目に合わなければ分からん様だな」


「僕を痛い目に合わせるって何をするつもりだい? 言っておくけど僕は被虐愛好者じゃないから、もしやるんなら…」


私の怒りは最早理性などという陳腐なものでは抑えられない程肥大化していた、綾崎が言葉を言い終える前に私の身体は自然と行動を起こしてしまっていた。私は机に拳を叩き付けると綾崎の胸倉を掴み無理矢理椅子から立ち上がらせる、そして力任せに綾崎を押し出すと取調室の壁に思い切り背中から叩き付けた。だがその間綾崎は何一つ抵抗を示さなかった、まるで流れに身を委ねるかの様に男は冷たい表情を浮かべ壁にぶつかった。しかし私の手は止まる事を知らず、掴んだ胸倉に力を込めながら私は男に問い掛けた。


「…これで少しは話す気になったか? 貴様を刑務所送りには出来んが手は幾らでも出す事が出来る、これ以上痛め付けられるのは貴様も期待はしないだろう?」


「…これは非常に参ったね、流石の僕でも此処から先の無間地獄は臨んでいないよ……君は加虐愛好者なの? それとも個人的な僕への怨み?」


「考えるまでも無く後者だ、だがこれ以上貴様と会話する気は無い! 知っている事を全て話せ、さもなくばもっと酷い目に合わせてやるぞ?」


「…その酷い目ってのが非常に興味をそそられるけど、僕はそっちの趣味には疎いからまた今度の機会にさせてもらうよ」


「……それが貴様の結論か? もっと他に言うべき言葉がある筈だが?」


私は手に力を込め綾崎の首を押さえ付ける、感情に身を任せた警察らしからぬ暴挙だがこの男の口を割らせるには多少手荒い真似をするのは仕方無い事だった。しかしその暴挙が意外にも功を奏したのか、綾崎は息苦しそうに口を開閉すると私の手を掴み力無く答える。


「…分かったよ……僕も男だ…潔く負けを認めて……口を割るとするよ……」


「その言葉に嘘偽りは無いか? この手を離した場合、貴様は我々警察に全面的に協力すると誓うか!」


「……出来れば誓約書が欲しい所だね…物忘れが激しい僕には辛い条件だ……けどまぁ仕方無い…乗ってあげるよ、その条件…」


男の掠れたその言葉を聞くと私は手の力を弱め綾崎を解放する、先程まで息苦しそうにしていた筈の綾崎だが呼吸を整える様子も無くただ乱れた髪とずれた眼鏡を直しただけだった。


「…では早速だが事件に関して知っている事を全て話してもらおうか、仮に変な真似でもしようものなら貴様が日の目を拝める日が二度と来ないと思え」


「せっかちだなぁ、急がば回れってよく言うでしょ? 取り敢えずお茶でも頂こうかな、茶柱が立っているのでお願いします」


「……済まんが我々は貴様の様に悠長に構えてられんのだ、茶はまた今度にしてくれ」


「えー、それは条件違反じゃないの? 暴力振るうだけじゃ飽き足らず今度は兵糧攻めですか、お茶が駄目ならオレンジジュースで我慢するよ」


綾崎はまたしても子供の様に駄々をこね始めた、つい先程まで大人染みた口調を振るっていた男と同一人物とは思えない程の豹変振りであった。だが子供の様に見える姿を見せていても、私を見据えるその眼は未だ底知れぬ黒を閉ざさずにそこに存在していた。

 ふと私は部屋に張られた硝子に眼を移す、そこに映るのは当然私の顔であるが硝子の向こうの刑事達の動向が気になった。この壁の先は歓喜に包まれているのだろうか、それとも悲哀の渦を生み出しているのだろうか、自分の仏頂面を幾ら眺めてもそれが分かる事は無く私の疑問は意味を成さなくなり静かに消えていった。私は不意に胸苦しい感覚に見舞われる、この狭苦しい部屋で得体の知れない人間と二人きりでいる事実が私の本能に影響を及ぼしているのだろう。私の手から解放され机の上に座る男と眼が合った、私の眼を通して映る男の黒が私の中の正常を無慈悲にも蝕んでいった。



 未だ晴れぬ寒空の下をひた走る白と黒に塗られた車、頭上に示される外灯がその存在を誇張し何者も近付き難い空気をより強く現していた。私はこの車が嫌いじゃない、有無を言わせず相手を威嚇し腑抜けた連中を黙らせるのには最も適した物だと言えるだろう。私はその車の助手席に腰を下ろし流れる風景を眺めながら目的の場所へと向かっている、もし私が警察でなければ嫌でも行かない場所に向かう旅路は酷く嫌悪を抱かせた。


「…まだ着かないの? 僕そろそろこの車と車窓の風景と君の顔に飽きてきたんだけど……」


「我慢してくれないと困るよ、こっちだって好きで君を乗せて運転してる訳じゃないんだ。そもそも事情聴取をするだけに何でまた学校に行くんだい、そんなにあの取調室が気に食わなかったのかい?」


「そりゃあんなむさ苦しい連中の巣窟みたいな所に連れていかれたら、誰だって逃げたくもなりますよ。紅一点のこの椿だか榎だか楸だか分からない人も不機嫌そうだしさ、これじゃまるで生き地獄だよ」


「それはこっちの台詞だって……それにこの人の名前は柊さんです、そんなふざけた名前間違いしていると今に恐ろしい事になりますよ、ねぇ柊さん」


唐突に私は名前を呼ばれ私は嫌悪で塗り固めた顔を篠塚に向けた。私の顔を見た篠塚は少したじろぐとそのまま沈黙し運転に集中し始める、しかしその様子を見ていた筈の綾崎は全く意に介する事無く話し相手を私に変えて話し出した。


「…柊さん…だったっけ、いい加減これ外してもらえませんか? これじゃ腕も広げられないし、まるで僕が犯罪者みたいじゃないですか!」


そう言うと綾崎は助手席と運転席の間から両手を突き出した、見ると両手首には銀色の輪が嵌められておりその二つは鎖で頑丈に繋がれていた。それは私が綾崎に掛けた手錠だった、怪訝そうな表情を私に向ける綾崎に私は冷静な見解を述べる。


「それは貴様を外に連れ出すに際した場合の最低限の処置だ。もし貴様に逃げ出されでもしたらこちらもただでは済まされない、仮に逃げ出そうものなら二度とその減らず口言わせられん様にしてやるぞ。それに…今の貴様にはそれがとてもお似合いだ…」


私は此処ぞとばかりに皮肉を吐いた、その言葉の意味を感じ取った綾崎は突き出した両手を下げ再び後部座席に背を付けた。しかし余程暇なのか或いは癇癪を誘っているのか、綾崎は躊躇う様子も無くまたしても私に言葉を向ける。


「…柊さん、失礼な質問かもしれないですけど……今まで好きになった人って何人ぐらいいます?」


「……そんな事、わざわざ貴様に話す事じゃない…貴様は人の感情というものを理解しようと努力はしないのか?」


「そんなまどろっこしいものの為に大事な人生潰したくなんてないですよ、人の気持ちを考える前に自分の気持ちを出さないといけませんよ? という訳で、今度は付き合った人の数を教えて下さいませ!」


どうやらこの男は人の話を素直に聞く前に頭から早急に投棄してしまうらしい、まさに餓鬼同然の行いに私の忍耐はすぐに捩曲がってしまった。


「…恋人として付き合った事があるのは私の人生一度きりだ、それ以降は誰一人とも付き合ってはいない……」


「本当ですか!? 僕はてっきり今まで恋人と手を繋いだ事も男の温もりを感じだ事も無かったんだと思いましたよ!」


「……これで満足したならいい加減黙ってくれんか? 貴様のせいで私は酷く疲れているんだ、それでもまだ喋り足りないなら……篠塚、話し相手にでもなってやれ」


「え!!? そんな困りますよ、こんな厄介者どうやって対処すればいいんですか!?」


「おーい心の声が口からだらしなく溢れちゃってるよー……これだから警察は陰気臭いんだ、どうせ捕まるなら不思議の国のトランプ兵に捕まりたいよ…」


相変わらず綾崎は意味の分からない事を言葉にして並べ立てる、聞くだけで嫌気の差す文字の羅列に私は翻弄されていた。この男が本気でふざけているのかそれとも我々を愚弄する為に芝居をしているのかは分からないが、私にとって気掛かりなのはこの男の信頼性がどれ程のものなのか計り知れない事だった。私はふとルームミラーを覗いた、そこに映る綾崎は話していた声とは違い何処と無く詰まらなさそうな顔をしていた。

 脈絡も統一性も見当たらない三人を乗せた車はひたすら目的地へと足を早めている、車窓に映る景色は先程とは違う姿に変わっていた。私は自分に手首を示し時間を確認する、あとどのくらいこの時間を過ごさせられるのか多少の不安が心積もった。



 束の間の休息が無情にも行き過ぎてしまった後、車窓を覗くと私達が目指していた場所がすぐ目前にまで迫っていた。まるで何事も無くただ通常をひたすら繰り返している様なその姿からはその体内で発生した凄惨さを微塵も感じさせない、しかしその悠然とした姿が私の心を冷たく逆撫でた。此処には二度と足を踏み入れたくはなかった、踏み入ればまたしても血を見る結果に成り兼ねないという悪夢に苛まれてしまうからであった。

 学校の敷地内に進入するとこの中学校の壮観を否応無く知らされた、この場所に来るのは三度目であるが我々の訪れがまるで凄惨な殺人の引き金になっているのではないかという錯覚に追いやられてしまう。無論そんな事など万に一つも有り得ない妄想であるが、この事件の異常性と猟奇性がそんな正常な判断を無惨に食い散らかしてしまうのだった。外観を見る限りではこの中で二度起こった血生臭い事件の様相は全く感じられない、だがこの建物から滲み出る異様な雰囲気が我々を威嚇しているのは紛れもない事実であった。それがこの学校に存在する何から発せられるのかは分からないが、これ以上我々の訪問を歓迎する虐殺は絶対に見たくないという気持ちだけは確かである。


「…結局また来てしまいましたね…やはりこれも警察の運命なんでしょうか?」


「そう易々と運命など口にしてくれるな、我々は先を選んで此処に来たのだからな。もし運命があるとすれば……いや、これ以上は止そう」


「別にどうだっていいよそんな事、運命なんてその気になれば針金みたく簡単に曲げられるんだからさ…」


綾崎はそう呟くと車を降り私達を残し一人で足早に昇降口へと向かった。その姿を見た私は車を運転する篠塚を一人残すと綾崎の後を追う、多少の肌寒さが私に襲い掛かるが気にせず白い吐息で視界を曇らせながら足を早めた。昇降口に辿り着くと綾崎の背中が私を出迎える、進行の妨げである事に些か苛立ちを覚えると後ろを振り返り綾崎が答えた。


「此処から先は流石の警察でも土足厳禁です、必要であればその辺の来客用の下駄箱から適当にスリッパでも取り出して下さい」


「随分と偉そうな物言いだな、貴様自分が未だ容疑者の一人である事を忘れてくれるなよ?」


「忘れたくても忘れられませんよ…何せ今の僕には警察の権力の象徴である手枷が付いているものですから…」


綾崎は両手を繋ぐ手錠をわざとらしく見せびらかした後、手慣れた様子で上履きを取り替えると私の事など気にしていない様子で廊下を進んだ。私も靴を脱ぎ上履きに履き替えようとしたその時、その存在をすっかり忘れてしまっていた男の声が聞こえた。


「…ち、ちょっと待って下さい! 二人揃って僕を置いていくなんて酷過ぎやしませんか、駐車するのに時間が掛かったとはいえ先に行くのは流石にいけませんよ?」


愚痴を溢しながら一足遅れて到着した篠塚、そんな篠塚を振り返り樣に見た綾崎は怪訝そうに答える。


「……君、誰だっけ?」


「篠塚ですよ、昨日散々名前教えたでしょう?」


「…僕は別に君の名前を聞いた訳じゃない、ただ僕は君が気に入らないだけだよ。それに君みたいのが学校に踏み込んだら僕達不審者みたいじゃないか」


「両手に手錠を掛けられて平然としている君の方が余程不審者に見えるよ、よくそんな理屈口に出来るものだね」


「僕に盾突くつもりかい? 君って見るからに危ないからね、本来なら学校の敷地内に入った時点でほぼ終わりなんだけど……悪いけど此処で一人物悲しく待ち惚けしてくれ、此処から先は関係者以外立ち入り禁止だよ」


「は!!? 何だよその身勝手な理屈は!? 僕はこれでも警察なんだ、捜査の為には僕も中に…」


「それは僕が許さない、ただでさえこの学校は知能指数の低い連中のオンパレードなのに君が入ったりしたら知能指数が一桁無くなるじゃないか! そういえば君って犬っぽいよね、犬は犬らしく寒空の下で因数分解でもしていれば?」


「そうやって意味不明な発言で本来の話題を煙に巻くのは止めてくれ! どうせまともな話が出来無いんなら、もっと理屈の通った言葉を…」


「篠塚!!」


私は耐え切れず声を上げる、その声に反応した篠塚と綾崎は口を閉じ私に視線を合わせた。その場に緊迫した空気が渦巻き始めた頃、私は一つ呼吸を置き声の調子を抑えて話し出す。


「…篠塚、言いたい事は私も身に染みて分かる、だがこれ以上言い争いを聞いてやる程私も寛容ではない。此処は私とこいつ二人だけで行く、悪いがお前は車で待っていてくれ」


「そ、それはあんまりじゃありませんか!? 僕にだって警察の使命がありますし、柊さん一人だけでは…」


「その程度の心配は無用だ、この男の子守は私一人で十二分に事足りる。それにこの男は逃げ出さない、逃げ出すのならばわざわざ殺人の起きた場所に行きはしないからな」


「…ですが、それでも…」


「何か起こればすぐに連絡する、それに……この男が口を割ると言っているんだ、この深刻な状況を脱する手掛かりが何かあるかもしれない……」


私は首を横に曲げ綾崎を見る、見た限りでは至って普通の男でしかないが何か重要な事を知っているという事実を持ってすれば非常に大事な存在だ。私の言葉に対し篠塚は不満に固めた顔を見せると、しばらく無言だった口をゆっくりと開いた。


「…柊さんの意見なら仕方ありません、なら此処は諦めて大人しく手を引きましょう。何かあったら必ず連絡下さいね、僕も警察の一員なんですから」


篠塚はそう言うと口許を緩め顔に笑みを浮かべる、その表情で私の心も冷静さを取り戻し始め僅かな間の緊迫もその色を落ち着かせた。しかしこの状況を理解出来ていない約一名は、またしても険悪な空気を引き連れて口を開いた。


「…やっぱり君は僕の予想通り此処から先には入れないみたいだね、その方が僕も安心して呼吸が出来るってものだよ。話が終わったんなら早く向こう行っておくれ、君の顔を見ていると身体中の不快指数が上昇しちゃうよ」


相変わらず不躾で淀み無く流れ出る悪態を無表情で坦々と口にする綾崎、その言葉を引き金に私の身体は条件反射の様に素早く行動を起こした。私の手は意図せずとも突発的に綾崎の胸倉を掴んだ、この突然の出来事に眉一つ動かさない綾崎に私は低い調子で言い放つ。


「貴様…どうやら自分の置かれている立場が未だに分かっていない様だな。我々は警察だ、もう二度と茶化す様な真似はしないでくれ。もしそれが出来ぬ相談と言うのであれば……此処から先の言葉、語らずとも分かっているな?」


「……分からないからやっている、という見解は見出だせなかったのかな? もし僕が警察への妨害を止めたら僕は一体誰を妨害すれば良いんだ? まぁでも……此処は引き下がる方が吉と見るね、僕だってまだ首から上と首から下が繋がっていたいからね…」


綾崎の言葉から反省の色は微塵も見られないが取り敢えず私の意見を承諾する気にはなったのであろう、私は掴んでいた胸倉を離し綾崎を解放した。


「…案内するならさっさと行ってくれ、私もこれ以上貴様の冗談には付き合えないからな」


「そんな事は百も承知ですよ、貴方が僕を殺さない純真な人間だって事は他でも無い僕が知ってます……まぁ会って二日と経ってはいませんが…」


「……早く案内しろ…」


尚も低い調子で綾崎を威嚇する私に飽きた様子で綾崎は一言も発する事無く歩き出す、手錠で両手の自由を奪われた男の後ろ姿はこれから断頭台へと向かおうとしている死刑囚と同じ程度の悲哀が感じられた。私は篠塚を昇降口に取り残すと、一際哀愁漂う男の後を追った。この男と同じ時間同じ場所にいるという現実自体が私を少なからず苛立たせていたが、子鴨が親の後に付いて行く様に私は先を歩む男の先導に従うしかなかった。



 歩いてまだ三分と経っていないだろうか、綾崎の先導に従い私はようやく男が求める目的地の付近を歩いていた。此処に来るまで私達は大変時間を無駄にしてしまったと思われる、高々歩いて三分足らずの場所に着くまでに無用ないざこざが勃発したのが大きな原因であろう。本当に綾崎には憤慨の言葉しか見当たらない、もうこれ以上の紆余曲折は精神的にも堪らないものであった。

 私は何気無くから左右を見渡した、右には廊下と共に延びる白い壁が眼に映り左にはまだ溶け切らない雪化粧が施された外の風景が窓を通じて眼と共有した。此処は校舎の端に位置する場所、四階という事もあってかあまり人気が無く空気により遮断されている様な気がしてならない。私は向こうに見える部屋の札から名前を知ると、独り言の様に呟いた。


「……放送部…か、貴様が先導した割りには特にこれといって変わった所は見当たらないな。しかし放送室は一階職員室の横にあった筈だが……何故こんな遠くに放送部室があるのだ?」


「詳しくは僕も知りませんが、元々校内放送は部活動の一環だったんですけどつい数年前に新しく放送委員が出来て仕事を奪われた以降はその名残だけが未だに存在している感じですね」


「成る程……つまり今は居場所を追われ倉庫代わりになっている普段は使われない場所を拠点に活動しているのか」


「まぁそう言われると否定が出来ませんが……これでもまだ活動はしています! 物好きな男子生徒二人で健気に持ち堪えているんですから」


「そして貴様はその顧問という訳か、ようやく貴様と放送部を繋ぐ糸が見える様になったよ」


「今日は土曜日で本来なら授業も部活もありませんが、今日は来てくれと切に願ったのでいると思いますよ……多分」


綾崎の最後の結びが少々気にはなるが、そんな私の心境など全く感じていない綾崎は放送部部室の前で足を止めた。


「…彼等もきっと貴方の事を気に入ってくれる筈です、貴方みたいに可憐な人物は地底を幾ら掘り下げたって出ては来ませんからね」


「そいつは有り難い言葉だよ、能書き垂れている暇があったらさっさと開けろ」


「まぁそうからかわないで下さいよ。この人生に一期一会やもしれない出会い、膨れっ面じゃ失礼ですぜ?」


綾崎は軽い調子で言葉を並べると放送部部室の扉に手を掛ける、そして一つ間を置く事も無く勢い良く扉を開いた。

 突然の事に私は驚き思わず瞬きを繰り返す、この男の奔放さに私は終始振り回されている気がして仕方が無い。だが突然の事に驚いたのは私だけではなかった、扉の向こうに座っている人物が扉が開かれると同時にこちらに視線を向けてきたのだ。そこに座っているのは二人の男子生徒、両方共冴えない顔をしているが片方は眼鏡を掛け片方は髪留めを付けた特徴的な人物であった。扉を境にあちらとこちらで無言の睨み合いが続いたが、先に動きを始めたのはあちらの方であった。


「…た…隊長!! よくぞご無事で!」


「隊長、お怪我はありませんか!? 僕達隊長が捕まったと聞いてから本当に心配で心配で……ってこれ手錠ですか!? やはり本当は隊長が連続殺人犯だったんですか!!?」


(た…隊長だと?)


「おぉ、二人共未だに何事も無く元気そうで何よりだ。僕の事なら心配いらない、大した拷問も辱しめも受けず粉骨砕身していたよ。それと僕は犯人じゃないから、その辺勘違いしないでくれよ?」


「そ、そうですか…それは良かった………さて早速ですが隊長、生徒会の会計役員がこの部活を本格的に潰そうとしているんです!!」


「このままじゃ開校初期から存在した我等が放送部が切り捨て御免されてしまいます!! 放送部存続に関わる一大事、どうしても隊長の力が必要なんです!」


「えー、そうは言われても僕はただの臨時教員だから…悪いけど僕にはどうにも出来無い、諦めて腹括ったら?」


「そんな殺生な、俺達を見殺しにするんですか!!?」


「どうにも出来無いのは分かっています、だからこそ僕達も無理を承知で頼んでいるんです!! どうか、どうかお情けを一つ…」


「ま…待て、待つんだ!! えぇと、その……何と言えば分からんが取り敢えず静かにしろ!」


私は声を発しこの場所一帯に渦巻く空気を一旦抑止させる、あまりにも突拍子も無い事態が眼前で発生し私の頭はそれらを上手く纏められず困惑していた。私は頭を掻き一度冷静になると再び落ち着いた口調で話す。


「まず初めに聞かせてもらうが、綾崎こいつ達は一体何なんだ!?」


「え? 見て分かりませんか、どう見ても僕の部下じゃありませんか! それ以外の何と見受けすれば良いというのでありましょうか!」


「貴様此処の顧問だろう、何故隊長などという訳の分からん名前が付いているんだ」


「それは俺達が呼ばせてくれる様に志願したからです!」


私の問い掛けに応答したのは私が視線を合わせる綾崎ではなく、此処の原住民である眼鏡を掛けた男子生徒であった。


「俺達のずっと前からの憧れだったんです、これだと思う人を称えて『隊長』と呼ぶ事が! 前の顧問はどうも今一つというか……と、その前に自己紹介がまだでしたね」


私が発する怪訝そうな空気と視線にようやく気付いたのか、男子生徒は眼鏡の位置を整えると姿勢を正し口を開いた。


「俺の名前は『風間大政』、この偉大なる放送部の部長をしています!」


「その横にいる僕が『宮武明宏』、この崇高なる放送部の副部長をしています!」


「今の所はまだ俺達二人だけですが、いつか必ずこの部室を埋め尽くすくらいの部員を確保してやろうと思っています!」


「という訳で現在部員と彼女募集中です、もし良ければ仮入部も出来るのでぜひお楽しみ下さいませ!」


「………ちょっとよく状況が飲み込めないんだが……取り敢えず大声を出さないでくれ」


私は頭を抱え今起こった事象の一部始終をどうにか私の頭で解読しようと試みるが、あまりにも密度と濃度が濃い時間の分析は私の頭には到底無理な相談であった。


「…その…お前達が何者であるかはよく分かった、この綾崎と同類で少々変わっている所が目立つのも非常に似ている」


「ちょっと柊さん、僕をこの二人と同類だとは言わないで頂きたいですね! 僕は彼等以上の変わり者です、その事実だけは何があっても変えられたくはありません!」


「……自分で言って悲しくはならないか? 要するに此処は厄介者の溜まり場という事だな…」


「……そういう貴方は何者ですか? さっきから俺達を非難ばかりしてますけど、人に名前を聞く時は自分から名乗るものじゃなかったんですか?」


「…その言葉…前に何処かで聞いた様な気がするよ。第一名乗ったのはお前達が自発的にやった事じゃないか?」


「……聞きましたか部長、これだから最近の大人は嫌なんですよ」


「全くだよ、俺達を子供扱いしちゃってさ……」


「……『柊瑞波』という者だ、お前達にはどう見えてるかは知らんがこれでも刑事をしている。今日此処に出向いたのは参考人である綾崎の要望だったんだが…」


「刑事? 隊長、この人刑事なんですか!? 凄いよこの出会い、まさか本物の刑事に会えるなんて!!」


「刑事ってあの手帳出したり手錠掛けたり発砲する人だよね!? こんな体験中々ないよ!」


「そうでしょそうでしょ! 僕も君達が気に入ってくれると思ってわざわざ出向いたんだよ、こんな偶然滅多にないから記念に写真でも…」


「済まないが!!」


私は言葉を発せずにはいられなかった、私の苛立ちに比例して増殖する変人達の興奮と高鳴りがこの場所で悪循環となり私に重くのし掛かった。私は怒りに任せ鋭い視線を男達に向ける、それに反応してようやく男達は静まり返った。


「…私には貴様達の様な脳髄の部品が半分以上無くなっている連中の戯れ言及び世迷言を聞いてやれる程の時間も寛容さも持ち合わせてはいない、このまま無駄口叩ける気力があるなら貴様達を纏めて取調室に閉じ込める事も出来るぞ!!? 私が貴様達に求める条件は一つ、大人しく事件に関する手掛かりを述べるんだ、それが出来無い様な馬鹿ではない筈だ!!」


私は腹の底から声を上げる、僅かにではあるが私の理性は一瞬その存在を私の中から無くしてしまっていた様だ。純粋な怒りを十分に吐き出し再び冷静さを取り戻すと、自分の前には先程までの興奮を見事に切り落とされた男達が小さく項垂れながら立っていた。


「…怖いからそう無闇矢鱈と噛み付かないで下さいよ、折角二人に貴方の事を気に入ってもらおうと思ったのに……」


「余計な気遣いは御免被る、私と貴様の本来の目的を忘れてくれるな」


綾崎は私に眼を向けると静かな口調でそう言い放つがその言葉の存在を私は言葉で握り潰す、私は綾崎を強い目付きで睨み付けるがそれに負けじと綾崎も鋭い眼差しで私を睨んだ。綾崎と睨み合いを続けると私はあの存在を男の眼光に垣間見る、それは昨日の殺人現場にいる時に見掛けた綾崎の深い黒だった。何もかもを飲み込み食い尽くす様なその眼窩に私は一瞬たじろぐ、すると綾崎はすぐに眼を閉じいつもの言葉で話し始める。


「…まぁ此処は一つ大人になって素直に従うとしましょうか、あまり与太が過ぎるといい加減僕の首が切り落とされちゃいそうだからね。という訳で二人共、僕の為に洗いざらい吐いてもらおうじゃないか」


「吐く? 隊長、吐くと言われても一体何を…」


「詳しい事は今から話すからちょっと待ってくれ、という訳で立ち話も何なんでどうぞお入り下さい!」


綾崎は恭しく頭を下げると私を中へと誘導する、綾崎の言う目的の場所への到着を私は精神の疲労と共に達成したのであった。部室に入ると私はまず部屋を見渡した、放送部の活動と見られる原稿が中央の机に置かれているがその横には種類に統一性の無い本が山積みにされていた。そして部屋の至る所には部活とは関係無さそうな道具や用具が陳列されており、先の綾崎の発言通り此処はほとんど倉庫としてその姿をなしていた。


「どうぞ、狭くて汚くて息苦しい場所ですがお座り下さいませ」


見ると先に椅子に座り未だ呪縛から解放されていない両手を組む綾崎が私を机の向かいの椅子に座るよう指し示している、しかし椅子は二脚しかなく溢れた風間と宮武の男子二人は机の横で姿勢良く立っていた。私が椅子に座ると綾崎は一度深く呼吸を行い、その後前のめり気味の姿勢で話し出した。


「まずはようこそ、こんな狭苦しい所ですが勘弁して下さい。貴方を此処に呼んだのは他でもありません、今この学校で起こっている凄惨な殺人事件について僕の知り得る情報を貴方に伝える為です」


「前置きなど必要無い、無駄な話を続けるのは止めてさっさと貴様の知る情報とやらを提示しろ」


「まぁそう食い付かないで下さい、何にでも順序というものがあるんですからね。今第一と第二の殺人が起きていますが、僕の知る事柄から察するに……事件はまだ続きます、それも一回や二回じゃない、恐らく……後五回は……」


「ご…五回だと!!? そんな…何故そう言い切れるんだ!!!」


「…理由はちゃんとあります、全てはこの……ん、あれ? おい君達、早くあれを」


「あ、はい分かりました!」


机の横に立っていた男子生徒二人は突然駆け出すと、部屋の隅から何かを取り出し机の上に置いた。取り出されたそれは小さな冊子であり、綾崎はそれを手に取ると私に見える様に示し話し出す。


「…改めて、これが僕が知り得る情報です。これが何か…見当が付きますか?」


「……表紙を見る限り…七不思議……か? 恐らく貴様達が作り上げた悪趣味な物だと思えるが?」


「そうです、それこそが僕の知る情報なんです! これを一度見て下さい、その意味が分かる筈です……」


「ちなみに装丁は隊長が、中の話は俺達二人が作りました」


綾崎はその冊子を私に手渡すと静かに私を見詰め始める、黒い紙に白い文字で『学校の七不思議』と書かれた表紙を捲り私は中身を眺めた。

 そこにはとても秀逸とは呼べない怪談が書き連なっていた、『何かが潜む保健室』『血塗れの調理室』とあまり味気の無い題名の話が載っていたが私は話の内容ではなく話自体に私は違和感を感じた。そして私は綾崎の言わんとしている事を知った、一番目と二番目の話に私はある関連性を垣間見たからであった。


「……この話は……これって…まさか……」


「ようやく御理解頂けたようですね、僕の知っている事とはその冊子に書かれている事の通りなんです。第一の殺人は保健室、第二の殺人は調理室、これらを考慮して導かれる答えは一つ……犯人は七不思議の見立て殺人を行っているんです!」


「七不思議の見立て、だと……そんな…そんな事が……」


私の頭の中で嵐が巻き起こる、今の私の許容量ではとても処理しきれない事態が発生したからであった。綾崎の言った事柄ははっきり言って非常識であった、七不思議の見立て殺人など私にはとても理解出来無い事柄であるがこの事件がそれを指し示している事は確かだった。


「…そんな馬鹿な、そんな事有り得ない、なんて言葉は言わないで下さいね? これは紛れもない、疑いのない事実です、そうでなければ連続殺人の関連性が見当たりません」


「…だが……しかし動機は…動機は何なんだ!!?」


「……え?」


「だから動機は何だと言っているんだ!! 何故犯人はこんな事件を起こしたんだ、何故犯人は七不思議になぞって殺人を起こしたんだ、その理由は!!!」


私は混乱を抑え切れなかった、そして私は自身に直面した問題を眼前の綾崎に激しく問い掛けたのだった。しかし綾崎は表情を変えない、混乱に陥った私が食い入る様に睨み付けるとゆっくりと口を開いた。


「…それは……僕の知る所ではありません」


「は!!? 何だそれは!!」


「だから知りませんってそんな事、僕には知ったこっちゃないですよ!」


「…き……貴様が七不思議が犯行の要因だと言ったんだぞ、それを知らないとは一体どういった了見だ!!!」


私は怒りを完全に解放した、元々不安定だった理性は散り散りとなり私の行動を抑制するものは何一つ無くなった。私は手を伸ばすと綾崎の胸倉を掴み掛かる、幾度と無く行ってきた行為に自然と身体が動き私は綾崎の身体を引っ張り上げた。


「貴様……わざわざ時間を掛けてやって知っているのはそれだけか!! 我々に幾度と無く無駄足をさせおって、何処まで警察を馬鹿にするつもりだ!!」


私は激昂を遺憾無くぶちまける、しかし綾崎は全く動じる様子も無く冷静な対応を見せた。


「……貴方は自身の意見を間違い無く正論だと思っているんですか? 僕はあくまで警察の捜査に協力しようという寛大な心を示しているんですよ、それを貴方は怒りで返すなんて図々しいにも程がありますよ? それに犯人の動機を考えるのは僕の責務ではありません、人に責任転嫁するなんて少々お門違いじゃないです?」


「ぐっ………貴様のその言い種は未だに腹立たしく感じるが…突然怒りを見せた事は悪かった……」


私は目線を横に逸らしながらそう謝罪する、だが私自身の勝手な責任転嫁について口にしなかったのは単に自分のプライドを守る為の保身であった。綾崎は私の顔を眺め続けると突然口角を上げまるで何事も無かったかの様に笑い話し出した。


「アハハハハッ、別にいいってそんな事、僕は気にしてないし貴方だって年下の野郎に頭下げるなんて嫌でしょう? それより二人共彼女って可愛いと思わない? 今時風に言うと癒し系って所かな?」


「………俺はその……ノーコメントでお願いします……」


「僕も右に同じで……下手な事言うと首が飛びそうな気がするんで……」


「ちぇっ、何だよ連れないなぁ……まぁ取り敢えず僕の推理が正しいなら次に犯行が行われるのは……」


綾崎は私の手から七不思議の冊子を取るとページを何回か捲り私に見える様に机に置いた。


「……この『倉庫から聞こえる声』の舞台になった場所、校庭用の体育館倉庫です」


「…成る程……なら早く行動を起こすべきではないか、こんな狭苦しい所で話している場合ではないぞ」


「心配は無用です、そこは抜かり無くちゃんと用意はしています。おい君達、例の物を…」


綾崎が手で合図をすると立ち並んでいた男子生徒はまたしても部屋の隅から何かを取り出した、それは至って普通のノートパソコンでそれを綾崎に手渡すと綾崎はパソコンを開きその画面を私に見せた。


「これは体育館倉庫に設置してある監視カメラの映像です、これで犯人の姿が目撃出来ると思い毎日記録しているんです」


「…確かに抜かりは無いようだな、成る程……ん? ちょっと待て、何故体育館倉庫の監視カメラの映像を貴様が持っているんだ? そもそも体育館倉庫に監視カメラなど設置してあるのか?」


「いえ、これは僕達が学校に内緒で設置したカメラから送信された映像です。誰かに知られたら監視カメラの意味が無いじゃないですか!」


「……なら貴様は…勝手にカメラを設置した訳だな……この大馬鹿者が!!! それは盗撮にあたる立派な犯罪だぞ、貴様そんな事も知らんのか!!」


「知ってますよ、でもだからと言って今更止めるつもりはありません。もう既に犯人は二人の人間を殺しているんです、多少の犯罪が怖くて犯人が捕まえられるのかって話ですよ」


綾崎は全く意に介する様子は無くすらすらと話し続ける、その姿を何度も見てきた私は怒りの無意味さを否応無く身に染みており溜め息をするとぶっきら棒に言い捨てた。


「……今の出来事は全て忘れておいてやる、だがこの事件が解決し次第思い出し貴様を必ず逮捕してやるぞ!」


「……だったら今捕まえた方が良くないですか? この先僕はどんな事を仕出かすのやら……」


綾崎はパソコンを自分の手元に戻すと画面を自身の正面に向ける、私の脅し文句は見事に的を外れ私は一人心の中で悔しさで埋め尽くされていった。


「…では話の続きですけど、この映像を見る限りでは犯人はまだ殺人を犯してはいません、つまり僕達は先手を打ったという事です。仮に怪しい人物が此処に写っていればそいつを問い詰めてあれやこれや恥ずかしくて言えない様な事も全部吐かせてやろうと思っているんです!」


「…まぁそう洗いざらい吐き出してくれる人間がいるかどうかは別として、客観的に見て貴様のその理論には穴があるぞ。そもそも違法に取り付けた監視カメラの映像など何の役にも立たん、盗撮等の違法な手段で入手した物には証拠能力が……ん?」


ふと私は首を横に向け廊下に面している扉に視線を移す、徐々に近付いてくる足音と焦燥を生む得体の知れない気配を私は感じ取ったのである。私の視線の先を辿り綾崎と男子生徒も同様に扉を見詰める、次の瞬間扉は勢い良く開き焦燥を駆り立てる者がそこに立っていた。


「…こ…此処でしたか……柊さん、大変な事になりました!!」


「あれ、誰かと思えば年中球拾いに明け暮れていそうな万年補欠枠を獲得してる何とかさんじゃない。どうしたの急にこんな所で、言っとくけどポアンカレ予想ならとっくの昔に解かれているよ」


「篠塚……前から言っているが部屋に入る前はノックはしろ、突然入って来て一体何の用件だ?」


「何を悠長な事言って……ほ…本当に大変なんですって!!」


篠塚は肩で息をして荒い呼吸を無理矢理整えると、私に向かって大声で話し出す。


「し…死体が……新たな被害者が発見されたんです!!!」


「…新たな……被害者…だと……」


「そうです、最も怖れていた事態が起こってしまったんです!!」


私は自身の耳を疑った、今篠塚から発せられた言葉が幻聴ではないかと怪しむ程であった。私は無意識に立ち上がると震える口から言葉を絞り出す、それは私から冷静という感覚が掻き消された瞬間であった。


「…ば、場所は……場所は一体何処だ!!?」


「それが…体育館倉庫で発見されました、とても……酷い死に方で……」


「た…体育館倉庫だと……そんな…馬鹿な……」


私は立っていられなくなり再びゆっくりと椅子に腰掛け項垂れる、それ程までに今私は残酷な現実のその苦さに憔悴を極めていたのだった。私は首を上げ正面を見詰める、そこには先程の話を聞いていながら眉一つ動かさず虚を眺める綾崎の姿があった。綾崎は何度か瞬きを繰り返すと両手を縛る手錠の鎖を鳴らしながら静かな言葉を口から溢す、それは聞こえない程の小声であった筈だが私には脳裏を貫く確かな言葉だった。


「…面白くなってきたね……」


私は綾崎に恐怖した、正常も異常も飲み込んでしまうこの男の存在に私は本能的に寒気を覚えてしまうのだった。この男は何かが違っている、その考えに至るのに大した時間など当然掛からなかった。

 ようやく見えたと思われた突破口は無惨にもその意味を失ってしまう、まるで希望あるものが現世から淘汰されてしまう様な物悲しさを私は肌で感じ取った。我々の行動は全て裏目の出る結果を辿っている、何一つ好転しないこの世界の在り方を私は心から呪った。それは私の前にいる者が原因なのかと疑ってしまう、血生臭い腐臭を纏っているのがこの男だとすれば全てを納得してしまう自分がいた。止む事の無い流血の惨劇、今の私にはその血の濁流に身を任せるしかなかった。



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