4話
黙々と狭い路地を歩いていたブライアンが、ふと立ち止まった。後ろを振り返っているブライアンに、アルバートも立ち止まって声を掛ける。
「どうした?」
「……いや、ちょっと。なんか、後ろから人の気配がしたかなと思ってさ」
ブライアンは今通ってきた小路を、不思議そうに小首を傾げて眺めている。誰かが通りがかってくれると助かるのだが、薄暗い路地に人の気配は感じられない。
途中で一本道は右へと直角に曲がっていた。相変わらず他の道と交差する気配もなく、ただ古びた簡素な建物が両脇に立ち並んでいるだけだ。壁が崩れ落ちてきそうな煉瓦の壁を見上げながら、アルバートが言った。
「それにしても、大通りから少し裏に入っただけで、ここまでややこしくなっているとはな。訊いてはいたけど、想像以上だった」
「そうだなあ……今まではここら辺には興味なかったしな。えらく家が密集してるよなあ。ほんと、後から後から隙間に建てていったんだろうな」
「前にそう訊いたよ。建物自体、増築に継ぐ増築で、中もややこしいらしい。どんどん継ぎ足していって、元からあった横道なんかも占領していったんじゃないか?」
二人は顔を見合わせて、うんざりとしたため息をついた。これで何度目か判らない。いらついたようにがしがしと頭を掻くブライアンの手が、ふと止まった。パッと明るい笑顔を見せて、アルバートの肩を叩いて続く道の先を指差して言った。
「おい、見ろよ! 向こうに店っぽいのがある!」
「えっ、あ、本当だ。なんだろう、ここからじゃよく見えないな」
「この際何の店でもいいから、入って訊こうぜ! トネリコ通りだっけ?」
「違う、黒猫だ!」
二人はやや道幅が広くなった小路を、並んで駆け出した。まだまっすぐに道は続いているが、少し先に何かの看板が見える。この小路に店を出しているのだろう。近寄ってみると、看板には熊のぬいぐるみの絵が描いてある。これでは何の店かよく判らない。玩具屋とも思えないし、手芸用品屋というのも場所柄そぐわないように思う。アルバートは怪訝な顔をしながら、扉の横にある窓から店内を覗き込む。そんなアルバートを放っておいて、ブライアンは軽く扉をノックし、中にさっさと入っていく。
「すみません、誰か――」
「あら、いらっしゃ~い! 迷子さんですか~?? あらまぁあらまぁ、可愛らしい子が二人もいらっしゃいましたよ~! ささ、こちらへどうぞ~っ」
店内の光景を目の当たりにした二人は、思わず凍りついた。出迎えたのは、巨大なピンクの熊のぬいぐるみだ。背は長身の二人よりも更に頭ひとつ高く、図体の大きさに似合わぬ可愛らしいおどけた仕草と、甲高く裏返った男の声が絶妙な不気味さを醸し出している。右手を大袈裟に突き出して、店内に入るように盛んに勧めて来るが、とてもではないがそれに従う気にはなれない……。二人は気まずそうに沈黙しながら、素早く店内を見渡した。古い煉瓦造りの店内は、ピンクを基調とした調度品で埋め尽くされている。豪華なフリルをあしらったカーテンは、白地にピンクの小花柄だ。大きな真っ赤なリボンで優雅に搾ってある。中央に置かれた丸テーブルには、菓子が山盛りのバスケットと、茶器のセットが用意されている。白い兎の着ぐるみが、二人分のティーカップに、紅茶を注ごうとしているところだ。嫌な汗が背中を流れる。アルバートは必死に頭を働かせるが、なかなか口が動いてくれない。肩を小刻みに震わせながら俯いているブライアンの頭を、ピンクの大熊があやすように撫でながら言った。
「だいじょうぶよ~! ここはねぇ、迷子の案内所なのよぉ~。ぼくたちもう心配いらないからね? おうちはどこかな? パパとママは一緒じゃなかったのかな~?」
更に白い兎が菓子の入ったバスケットを両手で抱えて近づいて来た。
「ほらほら、おなかすいたでしょ? 一口どうぞ♪ あっちにはお茶もあるわよ~。ミルクとお砂糖はどうしよう?」
下を向くブライアンの顔を、兎はその場に屈んで首を傾げながら覗き込んでくる。……兎の耳には真っ赤なリボンが飾られている。その下、首の辺りには隙間があり、中に入っている男と目が合ってしまった。男はブライアンと視線が合うと、ニヤ~と造り笑いを見せる。ブライアンは強張った笑みを浮かべると、アルバートの耳元に顔を寄せて囁いた。
(怖ぇよここ……やべえ絶対やべえ)
(ど、どうしよう、一応、案内所だろう? ほら、迷子のための施設だから、こ、こうなるんだろう……。立派な仕事だよな、だから……)
とりあえず道を教えて貰おう、と続けようとしたアルバートだが、熊のものと思われるキャーッという悲鳴に思わず言葉を飲み込んだ。熊はなおもキャーキャー騒いでいる。
「あらま、あらまー! どこかで見た子たちだな~って思ったのよぉ! あなたたちって、王子様じゃなくって~?」
「え、うっそ。……あら~? ほんとねえ、上のおにいさまたちじゃない! まあまあ、迷子なの~! うさたんたちがお城に連れて行ってあげましゅよ~♪」
「ち、ち、ちっちちち違います、人違いです!!」
お邪魔しました!!と大声で叫んだ二人は、大慌てで店内を飛び出した。一目散に駆けて行く二人を、熊と兎は名残惜しそうに手を振って見送った。
***
煎れたばかりの紅茶を、大股を開いて座る熊と兎がすすっている。兎はぬいぐるみの手で器用にクッキーを掴むと、首の隙間に押し込みながら言った。
「どうする、お頭に一応報告しとくか?」
「そりゃ、久々の大物だしな。これを見逃してちゃ俺たちの首が危ねえってもんだ」
「飛んじまうよな~……どれ」
熊はよっこらしょと立ち上がると、壁の煉瓦をひとつ外し、中に収まっている小さな手鏡を取り出した。鏡面に向かって呼び掛けようとした時、鏡面に映る人影があった。
床に届こうかという長い白髪に、血が通っている気配の無い土気色の肌。痩身ではあるが、線が細いというよりは、余計な肉のついていない引き締まった肉体と表す方が相応しい。そして豊かな髪の狭間から、ナイフのように尖った耳が先を覗かせている。エルフの血が濃く流れているのだろう。鳶色のきつい双眸が、今は愉快そうな色を湛えて鏡の中で光を放っている。
お頭と呼ばれる者――名をイグルスという。この国の盗賊ギルドを統べる男だ。慌てて鏡に映る首領に、熊は手短に挨拶の言葉を述べる。鏡の中の男は今日はすこぶる機嫌が良いらしく、大きな椅子に座ったまま、クックと笑いながら言った。
『久々にい~いオモチャが飛び込んで来たなあ? 今のはなかなか面白い絵面だったぜ。お前ら、もうちょっとあいつらと遊んでやりな。そうだな、パターンBを用意してやりな。しばら~く迷路ん中を転がしとけ』
低く響く良い声で、当人たちにとっては迷惑極まりない指示を与える。熊の承知の声を合図に、手鏡の中の男の姿は掻き消え、代わりに熊の顔が映る。熊は兎に指示を伝えると、慌ただしく隣の部屋へと入って行った。
イグルスは満足そうに椅子の背もたれに背を預けると、目の前の壁一面に並ぶ大小様々な鏡に、さっと目を通す。
鏡の中には、大通りに面した商店や、瓦礫の山、狭い小路など商店街を中心とした色々な場所が映っている。その中の一枚に、小路と小路の十字路に差し掛かった二人の青年の姿が見える。彼らの前にある道は、そのまま進むと大通りへと続いているのだが、今はあいにく木で出来た塀に道を塞がれている。少し離れた別の道では、煉瓦の塀が地面からせり上がっている最中だ。すぐ横にある大木の影で、備え付けの大きな舵輪を太った男が大慌てで回している。
早くしないと間に合わない。小言を言ってやろうかと考えたその時、その隣の鏡がふと目に留まった。
やや遅れて走る長剣を持った青年の後ろに、何かの影が映り込んだ。一瞬だったが、イグルスの目は誤魔化せない。イグルスは顎に左手を当ててしばらく考えを巡らせる。
(……黒いローブを着込んだ奴? 黒っていやあ、あいつだが。こそこそ後を尾けるってのは、流儀じゃねえよなあ。ま、その内、また出てくるだろうよ)
人のささやかな楽しみを邪魔するような無粋なヤツには、死んでもらう。縄張りを荒らす余所者なら、もう殺してくれと叫ぶまで生きてもらう。派手な暇つぶしを提供してくれるようなら、ここで死ぬまで働いてもらうとしよう。
(長く生きてるとよ、暇でしょうがねえんでなあ)
面白きこともなき世を面白く、とは遥か異国の武人の言らしいが、なかなかに良いことを言うものだ。
これでしばらくの暇潰しが出来そうだ。存分に楽しませてくれるようなら、見合うだけの景品を与えてやっても良いかも知れない。何が良いか考えながら、二人の王子の珍道中を堪能するとしよう。ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりの中で、イグルスは愉快そうな忍び笑いを洩らした。