3話
「なあギル、ほんとに学校さぼっちゃうつもり?」
「当たり前じゃん。いいじゃん明日余計に勉強すれば」
フランとギルバートは街の大通りを並んで歩いていた。二人とも、手には先ほど買った林檎飴を持っている。細い木の軸の先端で、飴を纏った真っ赤な小ぶりの林檎が、美味しそうにつやつやと光っている。まだお腹の具合は頼りないが、きっと大丈夫に違いない。二人は大事そうに少しづつ齧りながら、大人たちで混雑する道を、慣れた足取りですり抜けて行く。
十年ほど前、街の中心部よりやや南に王立の学校が造られた。商業と海運業が盛んな街であるだけに、現国王ザカライアスの肝入りで国民に基礎的な学問を教えるための学校として創設された。いずれは増やす予定だが、今はこの一校のみ存在する。年齢ではなく教養のレベルに合わせて各学科を定められた時間数、通うようになる。
学校内の過程は、第一段階と第二段階に分かれており、第一段階では基礎的な初等教育を行う。主な教科は文学(国語)、数学、歴史だ。最初に与えられる成績表に、授業に出るたびに教師に判を押してもらい、必要なだけ集めた後に受けるテストに合格すると、第二段階へと進めるしくみだ。不合格となると補習を受けるようになる。
第二段階では更に進歩した内容となり、教科も増える。目的に応じて教科を選択出来るのも第二段階の特徴だ。両過程を全て合わせて、普通は六年ほどの期間となるが、早く進めて四年ほどで卒業する者もいれば、様々な事情で途中で退校となる者もいる。途中で中断し、復帰することも可能だ。雑多な境遇の者が集まることを想定し、履修の自由度はかなり高い。
国王が発案者ということもあり、問題点の洗い出しを兼ねて王族たちも通うことが定められている。もっとも王宮内では宮廷魔術師が家庭教師も兼ねているため、長男から四男までは、三年も通わずに卒業してしまったのだが。現在は、五男から七男までが通っている。
ギルバートは林檎を齧り終えると、名残り惜しそうに棒を口に入れたままキョロキョロと辺りを見渡した。そろそろ見えてくるはずなのだが。フランも林檎を食べ尽くしたらしく、背負っている小さな鞄のポケットに、用の済んだ棒を器用に差し込んだ。ギルバートがフランの左袖を軽く引っ張る。
「あったあった、そこの角を曲がるんだ」
「え? あのさ、そもそもどこに行こうとしてるんだ?」
「どこって! フラン~何言ってんの。ギルドに決まってるじゃない、魔・術・師・ギ・ル・ド!」
思わぬギルバートの言葉に、フランは目を丸くする。ぽかんと口を開けているフランに、ギルバートはにっこりと笑って言った。
「だって、なんか面白そうじゃん。僕たちで新しい魔法使いを選ぶのってさ! そりゃアルとブライで見つけてくるんだろうけど、他にもすごい魔法使いがいるかも知れないよ? 城に来たことない人だったら、僕らは顔も知らないんだしさ」
「う、う~ん、まあね……」
「だから、ギルドに行ってみようよ! とりあえず大事なのはだよ、僕の……にへへ、ごめんなんでもない!」
へらへらと笑って誤魔化す弟を、フランは不気味そうに横目で見る。ギルバートは目前の商店を指差すと、自信満々の笑みを浮かべて軽く咳払いをする。
「ほら、そこに緑の看板のくだもの屋があるでしょ。そこを曲がると、黒猫通りに出るんだよ。この前、学校で訊いたんだ」
「学校で~? 誰がそんなことを教えてくれたんだ?」
「先生だよ。校長先生。魔法使いになる勉強はどこでできるんですかって訊いたら、昔は魔法の学校があったけど、今はないから誰かに弟子入りしないとね、って。あとはギルドで訊いてって言うから、どこにあるのって食い下がったら教えてくれたんだ」
ギルバートは説明しながら、店の脇にある狭い小路をさっさと進んでいく。フランは足元の木片や割れたレンガを避けて歩きながら、後ろから声を掛ける。
「ふーん。でもさ、魔法使いになりたいんなら、わざわざギルドなんか行かなくたって、アウレウス先生に言ったらいいんじゃない?」
「だって、魔法使いになりたいの僕じゃないもん。友だちの妹なんだ。学校の帰りに、きれいな魔女を見たんだって!それでその子も魔女になりたいんだけど、二人ともすっごい恥ずかしがりやさんでさ、僕が一緒に教えてもらいに行ってあげたんだ」
「へえ。……魔女かあ、きれいな魔女ってどんなヒトなんだろうね。僕も会いたいなあ」
フランはうっとりとしながら、想像を巡らせてみる。女の子がきれいな魔女と言うくらいだ、きっと素敵な大人の女の人なのだろう。―そうだ、もしかしたら僕が小さい頃から探している、あの子なのかも知れない。
その子と出会ったのは、確かまだ五歳か六歳くらいの頃だったと思う。夜中に小用に行きたくなって、暗い廊下をひとりで歩いている時だった。他のことはそんなに覚えていないのに、何故だかその時の事は今も鮮明に覚えている。
月明かりが夜の廊下を窓の形にぼんやりと照らしている。
自分から二つ分向こうにある明かりの中に、見たことのない女の子が立っていた。
ゆるやかに巻いた、腰まである銀色のきれいな髪。
雪のように白い肌。冬の晴れ間のような淡い空色の瞳。
ほっそりとした長い手足。
何故かとても驚いたように自分を見つめて。
名前も知らない、誰も知らないあの女の子。背の高さから、自分よりも五歳くらいは年上のように思えたから、きっと今頃は子供よりも大人に近いのだろう。あの子が魔女なのかは判らない。でもあんなに妖精みたいな女の子なんだから、普通の人であるはずがない。
物思いに耽るフランに、ギルバートは笑いながら言った。
「あはは、あのね、その魔女ってさあ、プラチナのことなんだよ! 笑っちゃうよねえ~!」
「えっ。ぷ、ぷらちな?? なんだよ~……早くそれを言ってよぉ。全然駄目だ~」
「だ~よな~!! そりゃまああれだね、黙って歩いてるぶんにはきれいっちゃきれいだけどね! も~、ぜんっぜん駄目だよな~っ!」
ケラケラと顔を見合わせて笑う。ここに本人がいたらしこたま殴られるところだ。
プラチナはたまに王城に顔を出しにくる、確か歳は二十五の魔女だ。確かに美人であるには違いない。誰もが思わず振り返る美貌、豪華な金髪を頭の後ろ高く結い、背中まで伸ばしている。金の刺繍に飾られた、黒のビロードのローブを羽織り、金糸銀糸をたっぷりと使った腰帯を、体の線にぴったり合った黒のワンピースの上にゆるく巻いている。そして魔女らしく、白金で造られた長剣ほどの長さの杖を持ち、普段は金に輝く鎖と金具で腰に吊るしている。
問題なのは、その中身だ。二人とも物心ついた頃から知っているが、魔術師見習いであった頃も、魔術師資格を得た今も、相変わらずガサツの一言だ。よく言えば男前、悪く言えば女らしさの欠片も無い。本人も気にする様子もなく、外見だけ見ればこの上もなく女らしいのだが―
「ほんと、もったいないよなあ。あれでもうちょっと優しかったらなあ、いいんだけどなあ」
「それだよなあ、クソ厳しいんだよなあ。アウレウス先生といい勝負だよなあ。うん、あの人はちょっと止めとこうな。毎日顔を合わせてたら頭の形が変わりそうだ」
うんうん、と頷きながら、二人は狭い裏道をゆっくりと歩いていく。フランはふと空を見上げた。いつの間にか空の雲は厚みを増している。そろそろ一雨来そうだ。フランは少し前を歩くギルバートに声を掛けた。
「なあ、そろそろ降りそうだ。早く行こう!」
「え? あ、ほんとだ。もうちょっと行くと、黒猫通りのはずなんだ!」
二人はまだまだ続く小路を、駆け足で進んだ。
***
「おかしいなあ、なんでだろう」
ギルバートは立ち止まると、不安そうにキョロキョロと辺りを見渡した。相変わらず目の前の道は一本道で、交差するはずの黒猫通りに行き着かない。フランが困ったような顔をして呟いた。
「なんか、迷っちゃったかなあ。でも今までずっと一本道だったよな」
「うん……。しょうがないなあ、こうなったらエリックおにいさま直伝の方法でなんとかしよう」
「そうだな~」
ギルバートは言うやいなや靴を脱ぎ始める。フランもそれに倣う。二人分の靴をフランの鞄に無理矢理押し込むと、近くにある大木に、まずギルバートがするすると登っていく。そしてすぐ傍にある屋根の上に、ひょいと飛び乗った。フランは四苦八苦して後をついて行く。低い屋根からもう一段高い屋根に慎重に移動した二人は、街の中に幾つかある背の高い塔や遠くに見える城の位置を頼りに、えっちらおっちら進んでいった。