3話
「アウレウス様ぁ、まだですか~!? アウレウス様―っ」
ドンドン、と固い物を叩く音が響く。
ベッドの上でくぐもった呻き声が聴こえるが、なおも続く激しい物音にたちまちかき消される。アウレウスは仕方なくのそりと身を起こすと、やれやれとため息をつきながら部屋の扉へと向かう。激しすぎるノックの音が、途切れることなく続いている。アウレウスはいらつきを抑えもせず扉の向こうを怒鳴りつける。
「やかましい、聞こえとるわ! 壊れるだろうが!!」
ガチャリと音を立てて扉が開かれる。いきなりのことに、扉を叩いていた者はたまらず室内へと転がり込んだ。ぶつかりそうになったアウレウスは、寝起きにしては俊敏な動きでそれを交わす。床に倒れ込んだ従者を、アウレウスが見下ろしながら一喝する。
「何事だ! この夜更けに」
「ああ、やっとお戻りですか、さっきから大変なんですよ! 殿下たちが具合を悪くなさってて!」
「殿下たちぃ? 何番目と何番目が?」
アウレウスは右手を腰に当て、呆れたように言った。
従者は立ち上がると、呼吸を落ち着けるように大きく深呼吸をひとつする。そしてアウレウスの顔色を伺いながら、おそるおそる言った。
「それが、その……ぜ、全員なんです……」
「はあ?」
深々と頭を下げて必死に詫びる従者の背中を、アウレウスは軽く叩いて案内するように促した。二人は真夜中の暗い廊下を、バタバタと大きな足音を立てて並んで走った。
従者に連れられて向かった先は、王城内の地下室の一角、薬草師の研究室だ。もっとも現在はアウレウスが薬草師を兼任しているため、正式な薬草師は在籍せず見習いの者しかいない。見習いを務める青年が、慌ただしく入って来たアウレウスの姿を見るや、涙目になりながら木杓子を手に持ったまま駆け寄ってくる。
「アウレウス様~、どどどどうしましょうっ!!」
「熱っ!おい垂れてるぞ、何混ぜてたんだ!?」
アウレウスの手の甲に木杓子から何かの飛沫が飛んできた。慌てて手を振って払いながらアウレウスは室内をぐるりと見渡した。かなり広い室内で、四方の壁には古びた薬品棚と本棚、そして大きな特注の棚があり、大小無数の引き出しが天井すれすれから床上までびっしりと並んでいる。普段は中央に大きな机が置いてあるのだが、今は部屋の奥へと移動してある。
そして、空いた中心部に置かれた大きく簡素な寝台の上に、男の子が二人ぐったりとして横になっている。
その傍らには、もう少し歳が上と思われる者が二人、背中を寝台に預けて並んで床に座り込んでいる。床の上に寝転がっているのが一人、棚にもたれて胡坐を掻いてうなだれているのが一人。こちらは青年と呼べるくらいの背格好だ。
アウレウスは彼らの顔色を観察しながら、うんざりとした声で薬草師見習いを振り返った。
「おい、一人足りんぞ? 全員だろ、長兄は?」
「ええと、先ほどから用足しに行って帰って来られないんですけども……」
「ここは最新式のボットン便所だからなあ、落ちてるんじゃないか? もういっそ肥やしにしちまうか」
み、見てきます、と言い残し、戸口に立っていた先ほどの従者がパタパタと廊下を駆けて行く。アウレウスはあちこちから洩れる苦しげな呻き声を知らぬ存ぜぬと聞き流しながら、背後で右往左往する従者たちに、投げやりに指示を出す。
「もういいや、ほっとこう。こいつらヒトヨタケ食ったんだろう。ワシはもう知らんわ」
「せ、せんせ~い! たすけてぇ~おねがい……!」
情けない声が背後から聴こえてくる。ベッドの上の、六男のようだ。弱々しい声が後に続く。
「……さっきから、吐き気が止まんなくて死にそうなんですよぉ。便所で出すもん全部出したのに、まだ出そう~」
「うえぇ……もうやだ……。薬ちょうだい~クスリ~!!」
「せ、先生、僕ら反省してます……もうしません……この通りれす、なんとかしてくらさい……」
床を這いずりながら近寄ってきて訴えるのは、もうすぐ二十となる次男だ。アウレウスは両腕を組んで、あさっての方角に視線を向けながら訊いた。
「なんか焦げ臭い匂いが残ってるぞ。この匂い、ヒトヨタケを炙って食ってたんだろう。それだけならまだしも、兄弟揃って酒盛りしてたなあ?」
「な、なんでバレるんですか、先生は探偵さんですね……」
「やかましいわ! ヒトヨタケは毒キノコではあるが、一応食える。しかも美味い。けどな、それは酒を呑まなかったらの話だ! 酒と一緒に摂ったら地獄の悪酔いだ!! お前ら全員未成年だろうがっ!! 毒キノコ食っといて子供同士で酒盛りか、このクソバカどもがっ!!」
「も、申し訳ありません、私が悪いんです~!!」
慌てて横から見習いが平謝りをする。足元で次男が彼の言葉を遮ろうと口を開くが、どうやら吐き気がぶり返してきたらしく慌てて口元を抑えてうつむいた。
アウレウスはチラリとその様子を伺いながら、やや怒気を抑えた声で訊いた。
「で、何がどうなってるんだ? まあ大体想像はつくがな」
「はあ、その、実はチャールズ様が中庭でキノコ狩りをして来られまして。それで念のため調べてみましたところ、ヒトヨタケとニガクリタケでした」
「両方とも毒キノコじゃないか。まあ食おうと思えば食えるけど。ニガクリタケの方はどうした?あれ毒抜きすると割といけるんだが……」
「捨てましたよ。他にも二種類あったんですが、よく判らなかったのでそこに置いてます。で、ヒトヨタケは飲酒をしなければ安全ですので、どうしても食べたいと皆様おっしゃるし、私も興味がありましたので……その」
申し訳ありません、とがっくりとうなだれながら消え入りそうな声で呟く。アウレウスは床に転がっている葡萄酒の空瓶をじろりと睨むと、傍らで火に掛けたまま放置されている大鍋に近づきながら言った。
「まったく! どいつが持ち込んだんだか。解毒薬を作ろうとしていたのか?」
「は、はい! これを参考に、煎じ薬をと」
見習いは机の上に置いてある本を掴むと、挟んでいる栞のある頁を開き、アウレウスに見せる。ほっそりとした茶色のキノコの挿絵の横に、煎じ薬の調合法が記されている。アウレウスはさっと目を通すと、完成したばかりの解毒薬の出来具合を確かめようと見習いに向かって手を差し出した。見習いは持っていた木杓子を慌てて手渡す。
アウレウスはテーブルの上の空の椀を取ると、品定めしたばかりの煎じ薬を掬って入れる。さて、と振り返ると、いつの間にか背後に王子たちが七人揃っており、きちんと整列して待ち構えている。―もっとも、皆立っているのは辛いのか、床に両膝をついた状態なのだが。キラキラと目を輝かせて行儀よくしている。
アウレウスは長兄から順番に、葡萄酒の瓶で額を小突いて回る。次は七男から五男までに、だらだらと時間を掛けて煎じ薬を施してやる。轟々と抗議の声を上げる年長組に、栞を抜いた本と木杓子をそっと手渡すと、空になった大鍋を残し、大あくびをしながら自分の部屋へと去って行った。