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銀の魔女と七人の王子たち  作者: 蒼月葵
第五章 呪い破るチカラ
39/39

4話 ~エピローグ~

「先生~、まだ寝てるの~? 遅れちゃうよぉ」


「起きて起きて、もう八時だよ!」


 甲高い少年の声が冷えた廊下に響き渡る。すっかり恒例となった朝の行事だ。ギルバートは返事も待たずに扉を開けてさっさと中へと突入する。フランも咎めるでもなく、当然のごとくそれに倣う。


 部屋の主は、部屋の中央辺りにあるベッドの上だ。布団を頭まで被って穏やかな寝息を立てている。二人は顔を見合わせると、ちいさく笑って窓へと向かった。軽い音を立てて開かれた窓は、真冬の冴え渡った風を薄暗い室内へと流し込む。あまりの寒さに、布団の中で丸まっている黒髪の男はたまらず愚痴をこぼす。


「……今日は休む。そう伝えておいてくれ……」


「なに言ってんの! センセイが寒いくらいでさぼらないでよ!」


「そうだそうだ! 大体、今日はそんなに寒くないよ。雪だって降ってないし。ほら支度して!」


 フランは慣れた手つきでクローゼットの中から衣服を取り出し始める。ギルバートもてきぱきとそれを手伝う。仕方なく布団の中から顔を出したウィルドは、まだ眠たそうな眼差しでぼんやりとその様子を伺っている。


  あれから既に二ヶ月が経とうとしている。

  一体何がどうなったのか、いまだによく判らない。


 結局、揃いも揃って頑固者な七兄弟がすんなりと納得してくれるはずもなく。深夜にまで及ぶ懸命の説得にもどこ吹く風だ。翌日、諦めて家路に着こうとしたウィルドの前に現れたのは、ウィータ公のヴィンセント王弟殿下だった。


 どういう訳か、この件は一夜にして国中に知れ渡ったらしい。『跳ね馬七兄弟に呪いを掛けられた死神』の噂を聞き付けたヴィンセントは、真偽を確かめるべく自ら早馬を駆って王城へとやって来た。慌てて立ち去ろうとしたウィルドを制したのは、他ならぬ国王ザカライアスその人だ。


 その場で会議の席が設けられ、第一王子他の提案によりウィルドは新たな職に就くことが決められた。

 まずは、アウレウスの古参の直弟子でもあることから、彼の助手兼、不在のままとなっている宮廷付きの薬草師への就任。そして、魔術師ギルドの悲願ともいえる魔法学院の再建への協力の要請。魔法学院の初代の校長には、フェルムが推薦された。彼を次期宮廷魔術師にと推すヴィンセントの反応が懸念されていたが、意外にもこの提案をヴィンセントは二つ返事で了承する。


 ウィルドは途中で何度も異を唱えようと試みるが、終始ヴィンセントに無言の圧力を加えられ、仕方なく黙って成り行きに身を任せる。あれよあれよと仕事の割り当てが進んで行くが、こうなると身分の差もあり、ただ決定に従う他は無い。とはいえ自身の境遇を考えると、予想だにしなかった破格の待遇であることは疑いようもない。


 最後になってようやく発言の機会を与えられたが、既に全会一致で決定していることに今更異を唱えてもどうにもなりそうにない。それに、薬草を扱うことも好きではあるし、魔法学院の再建のために尽くすのも、悪くはないように思えた。ヴィンセントの考えが全く理解出来なかったが、会議終了間際に述べた言葉が本心なのだろう。険しい顔をした騎士団長や執政官たちも、その言葉に応じて異論を覆したように思う。


「恨みを持たれたまま他国に行かれては不都合だ。目の届く処に置く方が余程良い。最も、こんなつまらん呪いを掛けられる間抜けな魔術師が、かの悪名高き大魔術師『死神』であろうはずもない。くだらぬ因習にいつまでも付き合う必要を私は感じぬな。有能な者には有益に働いて貰う。それが国のためだ」


 ヴィンセントはそう締めくくると、ウィルドの返答も待たず用は済んだとばかりに席を立った。その後姿をウィルドは呆然としたままただ見送るばかりだ。従者が開けた扉の前でヴィンセントはふと立ち止まり、チラリとウィルドを振り返った。それは一瞬の目合わせだったが、その目に宿る強い意志をウィルドは確かに見て取った。


(……貴方がこの私を信頼に足ると判断なさるのでしたら。私は貴方の意志を信じ、従うことに致しましょう)


  もはやこれ以上の固辞は、謙遜を越え罪悪となるだろう。

  国王に返答を求められたウィルドは、静かに承諾の言葉を紡いだ。


 それから歳月は瞬く間に走り去り、いつの間にか季節は真冬、あと三日ほどで新しい年を迎える頃となっていた。

 布団を被ったまま物思いに耽るウィルドを、年少の王子たちは呆れたように見下ろしている。早く、早くとギルバートに急かされ、ウィルドは仕方なく上体を起こす。ベッドの上で夜着を脱ぎながら、ぶつぶつと文句を垂れる。


「……確かに薬草師は引き受けた。魔法学院再建の手伝いも引き受けた。だが、一般の学校の教師になった覚えは全く無いのだがな……」


 ごそごそとやる気なく着替えながら愚痴をこぼすウィルドの耳に、愉快そうな笑い声が飛んで来る。ケラケラと笑いながらギルバートが応えた。


「え~? だって、普通の学校のことも知っておかないと駄目だってアウレウス先生も言ってたじゃない」


「そうだよ、それにウィルド先生の授業って判りやすいから、みんな受けたいって言ってるよ」


「……どうも。しかし、やっぱり腑に落ちんな……。どうしてこうなったのだろうな……」


 確か最初は、手始めに学校運営の現場を視察するという話だった。経営の手法や授業の展開の仕方を把握し、今後の参考にする。そのためにひと月ほど学校に通う予定だった。だが蓋を開けてみれば、いつの間にか教壇に立っている自分がある。しかも、それが既に二ヶ月ほど続いていて、今後変わる気配も無い。


(う~む、学校に行くようになって二日目だったかな、確か歴史の教師が体調不良で休んで。仕方なく数日の間私が穴を埋めて、気がつけば教師たちのローテーションに組み込まれてしまっていた……。まあ、確かにそれなりに参考にはなるのだが……)


 学校には初等科と中等科があるのだが、雑多な教科のどこに割り振られてもそれなりにこなせるので、今ではすっかり重宝がられている。空いている部屋を一室研究室として割り当てられているので、授業の無い時はそこに篭って当初の目的のための報告書を作ったり、私的な研究を行ったりして過ごしている。


 最初は街の住民や学生たちの反発があるかと身構えていたが、どうも好奇心の方が勝つらしく、面と向かって敵意を剥き出しにされることはほとんど無いまま今日に至っている。学校の中や周囲に、近衛の者が潜んでいるのは知っているが、今まで特に荒事は起きてはいない様子だ。


 潜んでいるといえば。ウィルドは長衣に袖を通しながら顔をしかめた。少し上向いていた気分がどん底まで落ちる。


(……ったく、どうしてあいつが居るんだか! いくら年齢職業不問とはいえ、盗賊ギルドの長が学校に通っているなど意味がわからん! しかも初等科にだ、明らかに遊びに来ているんだろうに!! ああいう輩は書類の段階ではねるべきだ!)


 思い出しても腹が立つ。最初に教壇に立った日、教室の最後列に何食わぬ顔をして混ざっている姿を見た時は、真剣に目がおかしくなったのかと思ったものだ。『迷子案内所の所長』は、子供たちと肩を並べて行儀良く学生を決め込んでいた。しかもそれがずっと続いている。初等、中等のどの教科の教室に行っても、何故かイグルスが混ざっている。満面の笑みを浮かべたイグルスを何度教室から叩き出そうと思ったか判らないが、隣の子供が難しい問題で困っていると、さり気無く助けてやっているので最初は怖がっていた子供たちも今ではすっかり仲良しになっている。


 何しろ迷子の道案内が商売だからな、とカラカラと笑うイグルスが、ウィルドは鬱陶しくてならないがこうなると追い出す口実も思いつかない。むしろお前こそが教師になれ、と言ってやりたい気持ちもあるが、あっさりと乗って来そうな性格の上に本職が本職なので口に出せずいる。


 そもそも、あの話が一夜にして巷に広がったのは――


 問い詰めたい気持ちはあるが、知るのも恐ろしいように思う。生来の性格を考えると、穏やかな迷子案内所の所長を決め込んでいる間は、あまり刺激しない方が良いようにも思う。ウィルドは痺れを切らせたフランに濃紺のローブを着せられながら、憂鬱な面持ちで銀のブローチを留めた。


「……ああ、学校に行きたくない……」


 今日も今日とてあの男に好きなようにいじられるのかと思うと、ベッドから降りる気力も無くなって来る。再びベッドの上に突っ伏そうとするウィルドを、そうはさせまいと二人掛かりで押し留める。その時、扉を開ける音がちいさく響いた。現れたのはエリックだ。エリックは笑いながら腰に片手を当てて言った。


「も~、また朝からごねてるわけ? あんたって本当~に朝に弱いんだなぁ。今までどういう生活してたんだか。あんたが一緒じゃないと、俺たち馬車に乗せてもらえねーんだよ、ほら行くぜ!」


 そうだそうだ、と二人分の声が重なる。ウィルドは今度は観念したのか、嫌々ながらもようやく腰を上げた。枕元に立て掛けてある長い杖を取ると、くるりと器用に指先で回す。一周した途端、杖は羽ペンほどの長さに縮まった。ウィルドはそれを丁寧にローブの内ポケットに仕舞うと、ぼさぼさの長い髪にざっと櫛を通し、後ろで簡単に縛った。

 厚手の靴下に足を通しているウィルドを尻目に、エリックが陽気な声で弟たちに言った。


「そういえば、今日くらいブライとディランが帰って来るらしいぜ」


「えっそうなの。ちゃんと宝石を掘り当てたかなあ」


「そりゃ大丈夫、手紙に書いてあったらしいぜ。サファイアだったかな。ピンクのと、紅いの。着いて行ったルージュがピンクを御所望らしいから、紅いのは母ちゃん行きだ」


「へえ、ピンクはプラチナが持ってるから見たことあるけど、紅いサファイアって珍しいんじゃない? 綺麗だろうねえ」


 目を輝かせるフランに、ウィルドは靴を履きながら『それはルビーだ』と突っ込みを入れる。廊下に出た三人の王子は機嫌良く鉱物についての講義を始めたウィルドと共に、正面玄関前に横付けされている馬車に向かって急ぎ足で歩き始めた。

 


***



「よう、アル! 帰ったぜ~!!」


「あれ、早かったな! 夕方の予定じゃなかったか?」


 城の中庭にふらりと顔を出したのは、旅に出ていたブライアンだ。

 いつの間にか太陽は天高く昇っている。この辺りは薄い雲が掛かるだけの快晴だが、遠く東の空は白い雲に覆われていて、その寒々しい色合いからその下では雪が降っているものと思われる。


 ふとブライアンの足元を見ると、革の長靴は水を含んで見るからに重そうだ。旅用のローブは随分と汚れ、ところどころ繕った跡が見て取れる。ブライアンは背中に負ったリュックを軽く担ぎ直し、ぼさぼさに伸びた栗色の髪をざっと右手で整える。アルバートは久しぶりに会う双子の弟の姿をまじまじと見つめるが、あることに気がついてキョロキョロと辺りを見渡した。


「あれ、ディランは?」


「ああ、あいつはさっき玄関から入ったよ。俺はお前の頭が見えたから、こっちに来たんだ。てか、お前ここで何やってんだ?」


「え? いや、さっきまで剣の稽古をしてたんだ。そろそろ街に行ってみようかなって、ぼけっと考えてたところさ」


 確かに言われてみれば、アルバートは腰に長剣をぶら下げている。ブライアンは白い息を吐きながら、街のある方に視線を向けて言った。


「そうだ、あの後どうなったんだ? 俺はあの人がまんまと学校に通うことになったとこまでしか知らないけど」


「ああ、それなあ。なかなか面白いことになっているよ。そうだ、今から行ってみるか? ちょうど昼時だし、今行ったら食堂の食事にありつけるぞ。あっでも、お前疲れてるか」


「いやあ、そうでもない。学校の食事って結構美味いよな。日替わりのスープがいいよなあ。今日はなんだろう」


「漁港が近いから、漁師さんたちがよく差し入れしてくれてるもんな。新鮮な魚介ほど美味しいものはないよ。きっと城よりいいもの食べてるぜ」


 それは言える、とブライアンがケラケラと笑う。ブライアンの姿に気付いた従者が数名慌ててやって来る。ブライアンは彼らに軽く挨拶をすると、荷物を受け取ろうとする従者に『部屋に着くまでが旅路です』と愉快そうに告げて颯爽と歩み出した。アルバートも並んで歩きながら、久々の雑談を心行くまで楽しんだ。


 手早く身支度を整えたブライアンは、先ほどまで乗っていた馬は厩舎に戻し、代わりの馬に跨った。アルバートはいつもの愛馬に跨り、穏やかに晴れた冬の空の下、二人連れ立って街を目指す。馴染みの馬場に馬を預け、昼下がりの賑やかな大通りを肩で風を切りながら並んで歩く。


 こうして二人揃うのは随分と久しぶりのような気がする。ほんのふた月ほどの期間だったが、産まれた時から共に過ごして来た二人だけに、これだけ長い間離れていたのは初めての経験だ。アルバートは少し日焼けしたブライアンの横顔を、眩しそうに眺めながらぼそりと呟いた。


「……なんか、悔しいな。よし決めた、もう決めた。今度は俺が旅に出る。誰にも文句は言わせないぞっと」


「へ? いや、それは文句出るだろ。お前は駄目だよ、ああそうだ……もうそろそろ例の会議があるんだっけ」


「例の? ああ、王位継承順位審議会か。確か毎回年末だから、明日か明後日じゃないかな」


 アルバートは特に感慨も無い様子で、さらりとそう告げた。ブライアンは目を丸くして訊き返す。


「いや、俺はともかく、お前はもっと気にしろよ。先月、俺たちハタチになっただろ? 俺は辞退するつもりだけど、お前はきっちり立候補して叔父貴から一位をもぎ取れよ。そもそも、そのために凄腕の魔術師を探しに行ったんじゃないか」


「そうなんだけど。……俺も、今回は辞退するつもりなんだ。やっぱりさ、あれから色々考えたんだけど、俺こそ実際にいろんな処に行って、いろんな人たちと直に会って、いろんな経験をしなきゃ駄目だなってさ。そうだな……取り合えず、少なくとも二年は欲しい。それでも全然足りないと思うけどさ。で、王位継承権持ちだと、それがなかなか出来ないだろう? だから、今回は辞退して、次の二年後に立候補しようと思ってる。……けど、やっぱり皆反対するかなって思ってさ、今まで誰にも言ってないんだよ」


 第一王子として、王位継承権を放棄するつもりは毛頭無い。だが、今のままでは何もかもが足りないと思わずにはいられない。せめて、あと二年の勉強の時間が欲しい。

 王位継承権を与えられたからといってすぐさま王位に就く訳ではないが、継承権を持たない内にしか出来ないことがきっとあるはずだ。――それこそが、この制度が設けられた理由なのだろう。


 決意を篭めた眼差しを彼方へと向けるアルバートを、ブライアンは穏やかな笑みを浮かべて静かに見つめている。しばらく二人は無言で歩いていたが、やがてブライアンがちいさく呟いた。


「……俺は昔から決めてるんだけど、俺が継承権を求めて立候補するのは、お前が俺より先に死んだ時だけだよ。そりゃ、他薦されたら受けるけどさ。俺はむしろ、騎士になりたいんだ。護るために、最前線に行きたい。……昔、叔父貴がそうしてたようにさ。あの人は昔から厳めしくて無愛想で、俺は苦手だけど……国に何か危機が起きた時には、真っ先に動いた人だって訊いているよ。今回だって、噂を確かめるために使いを寄越すんじゃなくて、自らがやって来た。だからこそ、あの会議でも皆あの人の言葉に納得したんだ。……やっぱり、そうやって体張って生きて来た人の言葉は重い。俺は、ああいう人になりたいなって思った。非情だとか冷血だとか、いろいろ巷では言うけどさ、なんていうか……かっこいい生き方だと思うよ」


 ブライアンの声が次第に熱を帯びてくる。少し伸びた髪のせいか、あるいは強い意志を宿す双眸のせいか、今日はいつになく大人びて映る。アルバートはひと呼吸置いて話し掛けようと口を開いたが、ちょうど学校の門が前方に見えて来た。二人はニヤリと顔を見合わせると、颯爽とした足取りでかつて通った学校の門を肩を並べてくぐった。



***



 ちょうど昼時ということもあり、食堂は大勢の学生や職員でごった返していた。それなりの広さがある食堂だが、空いている席は少なそうだ。長い机が何列にも渡って並べられており、背もたれの無い丸椅子に腰を下ろした者たちが、窮屈そうに身を縮め合って食事を摂っている。揃いの盆に三つほどの食器を載せた者たちが、空いている椅子を見つけては慌てて確保に向かっている。


 久しぶりに来た食堂だが、どうも思っていたよりも混んでいる。ブライアンは軽く首をひねりながら呟いた。


「あれ、こんなに居るもんだっけ?」


「う~ん……昔はそうでもなかったと思うよ。たぶん、学生が増えたんじゃないか?。それに、代金を払えば部外者でも入っていいしな」


「まあ俺らもそうだしな」


 食堂の奥に厨房があり、その手前のカウンターで食事を注文する仕組みだ。メニューは日替わりで二種類ほど用意されているが、頼めば料金上乗せで他の品も注文出来る。ただし忙しい時には後回しにされてしまうため、よほどのことが無い限り日替わりの品を頼むのが普通だ。


 今日はどうやら一種類しか残っていないらしく、海老と烏賊のスープとライ麦パン、それに炙った豚の腸詰めとふかしたじゃがいもという組み合わせだ。注文を訊く係を担当するのは、四人の学生だ。年齢は上は十五歳ほど、下は十二歳くらいに見える。賃金を学費の足しにするために、希望した学生が担当することが多い。彼らの向こうで忙しく動いているのが、近隣住民の中から雇った、通称『食堂のおばちゃん』たちだ。


 アルバートとブライアンは、彼女たちの姿に気付き、思わず苦笑いを浮かべる。そういえば、この食堂の中にはウィルドの姿は見えない。ブライアンは混雑する列に並びながら、アルバートの耳元で囁いた。


「なあ、ウィルドさん居ないなあ。来てるんだろ?」


「そのはずだけど……。あれ、エリックたちも居ない。もう終わったのかな」


 キョロキョロと辺りを見渡すが、此処に居るはずの姿がひとつも見当たらない。不思議に思ったアルバートは、自分の後ろに並ぶ教師らしき年配の男性に声を掛けた。


「あの、すみません。此処にウィルドっていう人、居ませんか?」


「え? ああ、あの人ね。……う~ん、たぶん混んでるから、自分の部屋に持ち込んでるんじゃないかなあ。彼は研究室を持ってるからね。仕事も多いみたいだしねえ」


「はあ、そうなんですか。ありがとうございます」


 簡潔に礼を述べながら、アルバートはさり気無く相手の表情を伺った。ウィルドの名前を出しても、特に変わった反応は見られなかった。ごく自然な声色が、何故だかとても嬉しく思う。ブライアンも同じ気持ちなのだろう、再びアルバートの耳元に顔を寄せて囁いた。


「ちゃんと馴染めてるみたいだな」


「そうだな。食べたら、ちょっと覗いてみようか」


 久々の食堂の味は、思い出と寸分変わりの無い美味しさだった。魚のアラから丁寧に取った出汁もさることながら、魚介の下拵えも完璧だ。腸詰めはウィータの名物で、食べ盛りの胃袋にはたまらないご馳走だ。


 満腹になった二人はしばらく近くの席の学生と雑談を楽しんでいたが、やがて校内に響き渡る鐘の合図と共に彼らは食堂を去って行った。残された二人は、空になった皿を盆に乗せてカウンターへと向かった。三角巾をした小太りのおばちゃんに礼を述べながら盆を手渡す。懐かしい顔を見たためか、彼女は軽くウインクをして二人に炙った海老を一尾ずつ振舞う。二人とも慣れた手つきで殻をむしり、まだ熱い海老を口の中に放り込む。もう一度礼を述べた二人は、ついでにウィルドの研究室の場所を訊ねた。


 彼女から教えて貰った場所は、大体自分たちが予想していた処だ。二人は並んで廊下に出ると、一列に並び替えて狭い廊下を進む。勝手知ったる学校の中を迷うことなく目的地へと向かう。奥にある階段を下り、地下に連なる木製の扉を眺めながらゆっくりと歩く。アルバートの後ろでブライアンがぼそりと呟いた。


「ええと、何番目だっけ。あれって階段から数えて、で良かったっけ?」


「多分な。階段を降りて、五番目……だったかな。ああ、此処だ」


 板を張った廊下を軋ませながら歩いていたアルバートは、やたらと古ぼけた扉の前で立ち止まった。まだ学校は造られてから十年ほどしか経っていないはずだが、どうやらこの辺りは中古の資材が用いられているらしい。ブライアンも足を止め、扉に掛けられた金属製のちいさなプレートを見る。そこには研究室の表示と共に『ウィルド』と記されている。ブライアンは早速扉を軽くノックした。中から聞こえる返事と共に、扉が内側に開く。ひょこっと覗いた意外な顔に、アルバートとブライアンは驚きの声を上げた。


「わ、ギルじゃん。なんで??」


「なんだ、みんな居るのか」


「あれ~?? ブライ?? いつ帰ったの~?」


「てかなんでブライが此処に居るんだよ」


 一斉に上がるバラバラな発言に、部屋の主は思わず眉間に皺を寄せる。部屋の奥に設けられた大きな机の上は書物と書類の山で埋め尽くされており、その谷間には食器を載せた盆が所在無げに収まっている。椅子に深々と腰を掛けたウィルドは、既に食べることを放棄しているらしく、盆の手前に書類を置いて何かを書き込んでいる最中の様子だ。

 半分ほどしか減っていない皿の中身を見咎めたブライアンが、匙の代わりに右手を占める羽ペンを取り上げた。


「まったく、食事の時くらい研究から離れてくださいよ」


「うるさい。……味は良いのだがな、量がいかんせん多くてな……。お前たち、まだ食事が済んでいないのなら」


「要りません。さっき食堂で満腹食べてきました」


 にべもないブライアンの言葉に、ウィルドは憂鬱そうな顔を見せる。仕方なくパンの欠片に齧りつくが、既に口元にはやる気が見られない。固いパンをこのまま齧っていてはいつまで経っても減りそうに無い。アルバートは苦笑いを浮かべながら声を掛けた。


「本当にもう入らないみたいですねえ。しょうがないから、お前たちが手伝って差し上げたらどうだ?」


「もういらないよ~、だっておばちゃんたち、僕らにはいつも余計に盛ってくれるんだもん」


 心底うんざりとした顔を見るに、どうやら大人並の量をたいらげた後らしい。エリックも横から口を挟む。


「俺は腸詰めは有り難く貰っておいたけど、芋はもういらねえ……。残すとまた折檻されるからさあ、スープだけ食って、芋はパンに挟んで後で食えば?」


「ま、またって……折檻されているんですか?」


 呆れたようなブライアンの言葉に、エリックは沈黙するウィルドに代わって応えた。


「折檻てか、囲まれて懇々とお説教されるんだ。ひとりが言い出すと、どんどん割って入って来るしさあ。でも、おっさんもぜんぜん食わねえのな。おばちゃんたちじゃねえけどさ~、酒ばっか呑んでる生活は今の内に止めたほうがいいぜ?」


「……ふん。必要な量は私が最も判っている。余計なお節介だ。まあ、言い分も正しくはあるのだが……そうは言ってもな……食えんものは食えん……」


 ウィルドは観念したのか、残りのスープを嫌そうに飲み干すと、余ったパンに匙で潰したじゃがいもを載せる。スープの具の海老もその上に埋め込み、机の隅にある粉の入ったちいさなすり鉢の上に置いた。ようやく空になった皿を、フランが盆ごと取り上げる。既に戸口の横の棚の上に、三人分の盆と皿が重ねて置いてある。フランはその上にカチャカチャと重ねていく。その様子を眺めながら、アルバートはエリックに訊いた。


「そうだ、お前たちは此処で何やってるんだ? いつも此処で一緒に食事を摂っているのか?」


「いやあ、今日はなんでか人が多くてさあ。多分今日で学校が今年最後だからだと思うけど。気候が良ければ庭で食うけど、今日はさすがに寒いからさ。そんで、急遽此処を思いついて、押し掛けたってわけさ」


「へえ。……あっそうだ、もう授業が始まるんじゃないのか。さっき鐘が鳴っていたぞ」


 アルバートの言葉に弟たちはあっと声を上げて顔を見合わせる。慌てて盆に両手を伸ばすフランから、エリックは片手をさっと伸ばして取り上げる。


「俺が片付けとくから、お前らは早く行けよ」


「う、うん、ありがと!」


 ギルバートとフランは大急ぎで廊下へと飛び出して行く。へらへらと笑いながら見送るエリックから、ブライアンが素早く盆を取り上げた。


「いいから、お前も行けよ。このままさぼるつもりだろう」


「な、なぜばれたし」


 ウィルドからジロリと睨まれ、エリックは仕方なく部屋を後にする。笑いながら見送りながら、ブライアンは開けっ放しの扉をそっと閉めた。


 急に静かになった部屋を、ブライアンは改めて見渡した。


 壁を埋め尽くす書物の山は、あの山奥の家とまるで変わらない。床にも実験用の器具とおぼしき物が所狭しと積んである。大きな机の上は言わずもがなだ。エリックたちが作ったらしい、木箱を二つ重ねた簡単な椅子が三つほどある。ブライアンはアルバートに目配せをして、近くにあるその椅子にそれぞれ腰を下した。

 再び羽ペンを手に持ったウィルドに、アルバートが静かに語り掛けた。


「ええと、今日は授業は無いんですか」


「……午後は無いな。午前には三つほど受け持ったが。今日は久々に本来の仕事に戻れる」


 本来の、という言葉に妙に強いアクセントが篭められている。くっくと喉の奥で笑う二人の王子を、ウィルドは横目で睨みながら愚痴をこぼす。


「どうも誰かにカタに嵌められた気がしてならないが、お前たちも一枚噛んでいる様子だな。この借りは必ず返す、覚えていろよ」


 憮然とした顔を見せるウィルドを、ブライアンはしげしげと眺めた。


 部屋に入った時、纏うローブにまず気が付いた。綺麗な濃紺のローブは黒の長衣をやんわりと包み込み、彼の印象を柔らかなものとするために一役買っているように思う。胸元でいぶし銀の光を放つ二体の丸まった蛇は、英知の色の眼差しを主にそっと向けている。カリカリと乾いた音を立てて動く羽ペンの音が、静寂が満たす部屋に心地良く響く。ふと気になり、ブライアンは静かな声で訊いた。


「……あの、今の生活は……その、どうですか?」


 遠慮がちに紡がれる言葉が、ひどく柄にもなく思える。不思議に思ったウィルドは、手を止めて顔を上げた。神妙な顔つきをしている二人に気付き、少し考えてゆっくりと応えた。


「ああ、まあ……悪くはないと、思っている。少し前までは、考えられないような生活ではあるな。だが……こういうのも、あ~……良いと思う」


 途切れがちな声で、だが噛み締めるように言葉を紡ぐ。視線がそっぽを向いているのは、照れ臭さゆえだろう。アルバートも穏やかな声で訊いた。


「でも、研究の時間は随分と減ったでしょう。それが少し気になっています。……最初予想していたよりも、随分と忙しい生活になってしまっているようですし。城に戻っても、自分の時間はなかなか取れないでしょう?」


「あ~、まあそれはあるが。……だが、お陰で新たな研究の題材に巡り会えて、それなりに充実しているからな。それは此処でも出来るし……喜んでも貰えるので、まあ、やりがいはあるな」


「新たな研究の題材?」


 アルバートは思わず首をひねる。ウィルドは羽ペンを指先でくるくると回しながら机の上に積んである書類の束を手に取った。口元に満足そうな笑みを浮かべながら、注目する二人に説明した。


「そう、自分だけでは思い付きもしないことだ。まずは、鍋の汚れを落とす方法。従来のたわしではなかなかこびり付いた焦げや汚れを落とすことが出来なかったのだが、たわしの素材からまず見直すことにした。試作品は食堂で試して貰っているが、現場の評価はかなり良い。だがまだ改良の余地があるな。石鹸もそれ専用の物を造る方が良く、焦げを溶解させつつも手荒れを引き起こさない成分が同時に求められる。既に実験段階にまでこぎつけているのだが、なかなか忙しくて時間が取れなくてな。それと、今後の予定としては繊維に沁み込んだ汚れの除去だ。先の石鹸とはまた別の成分が必要となる。そこで来年からは石鹸の製法そのものを抜本的に見直すことに決めた。それにより、用途に応じた効果を効率よく付加することが可能となる。それに付随して――」


 まだまだ続くウィルドの講釈を、アルバートとブライアンは呆然としながらも、話を振った手前仕方なく訊き続ける。延々と語られる内容は誰がどう考えても魔法とは全く関係の無いものばかりだ。『どうしよう……』とブライアンはアルバートにそっと目で訴える。困惑を隠せない二人の王子は、熱く語るウィルドから気まずそうに視線を逸らし、ゆっくりと床へと落とす。


 本人が嬉々として取り組んでいるのは、その溌剌とした声からも伺える。だが、その内容が――


 これが、死神の異名を持つ孤高の魔術師の成れの果てか。


 あまりの落差に、二人の王子は思わず頭を抱えた。

 大変な才能の無駄遣いとなっているような気がするが、その原因を作ったのは紛れもなく自分たちだ。


 これで本当に良かったのだろうか――


 思わず自問してしまうが、こうなったら信じるほかはない。きっとその内その研究にも飽きて、違う題材に取り組んでくれるに違いない。今はただ、目新しい題材に夢中になっているだけなのだ。冷たい汗が背を伝うが、今は難しく考えなくても大丈夫だろう。


 その時、軽く扉を叩く音が聴こえて来た。返事を待たず入って来たのは、先ほどの食堂のおばちゃんだ。にっこりと笑みを浮かべ、両手で盆を持っている。盆の上にはちいさな皿と、上品な花の柄のティーポット、そしてティーカップだ。皿に盛り付けられているのは、琥珀色の蜂蜜がたっぷりと掛かった焼き林檎。


 アルバートとブライアンは、慣れた様子でずかずかと机に向かってやって来る彼女に戦慄を覚えた。案の定、ウィルドの目が先ほどまでとは打って変わった歓喜の色に満ちている。彼女は机の端に置いてあるパンには何ひとつ小言は言わず、華やかな笑みを浮かべて食後のデザートと紅茶を机の上に並べていく。


 学校に赴任して二ヶ月。既に陥落しているのか――


 かつて死神と怖れられた黒衣の魔術師は、今や主婦たちのお抱え魔術師の身に堕ちているらしい。


「……こ、怖えよ、このヒトたち……!!」


「ま、まあそう言うな……。ず、頭脳の有効活用なんだよ、本人が幸せなら、それでいいじゃないか。あの、淋しげな瞳の子は、もういないのさ、それでいいじゃないか……」


 アルバートは引きつった頬を右手で抑えながら、必死に愛想笑いを浮かべようと試みる。


 運命を動かすことの困難さを、改めて思い知らされる。


 ほぐしたはずの運命の糸は、どうも違う方向に絡み始めたような気がしないでもない。

 良き未来へと向かうか否か、それは神のみぞ知ることなのだろう。

 人の子の身で出来ることは、取り合えず果たせたように思うが、神の返答やいかに。


 遠くに響く鐘の音をぼんやりと聴きながら、二人の王子はそっと部屋を後にした。



―END―


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