3話
「嘘だあぁぁあぁぁあぁっっ!! 俺は認めないぞ!!」
「み、みんなこのおっさんに騙されているんだっ!!」
「やかましいっ!! だから何度も言っているだろう!! いい加減現実を見つめろ!!」
悲鳴にも似た絶叫が豪奢な客室を揺らす。
ウィルドの説明をすんなりと認められる訳もなく。チャールズとディランはウィルドと兄弟たちの顔を交互に見やりながらなおも全力で否定する。
「大体、似ても似つかないじゃないか! 百歩譲って男の子だったっていうのは、まあ世の中にはそういう子も確かにちょっとぐらいはいるよなって納得出来ても、どう考えてもこのおっさんにはならないだろう!? 俺のエンジェルちゃんは綺麗な銀髪だし! それともあんた染めてんの?」
「おっさんおっさんうるさい!! 昔はそうだったが、歳を取るごとに黒が増えていったんだ! 今も少しは残っているがな!」
「えっそうなの?」
意外そうに横から口を挟むのはエリックだ。興味津々といった様子でウィルドの頭をしげしげと見物する。フランとギルバートも背伸びをして観察しようとするが、フードは背に流しているものの縛った髪はローブの内側になっているため、いまひとつよく見えない。室内には他にザカライアスとアウレウス、そして騎士団長が彼らから少し離れた位置に控えている。プラチナは別室で魔術師ギルドの面々の到着を待っている。
機嫌が最高に悪い黒衣の魔術師は、寄って来る王子たちをじろりと横目で睨む。それを尻目に応えるのは、現在最高に機嫌の良い老魔術師だ。
「母親がそれはそれは美しい銀髪でなあ。華奢なべっぴんさんだった。こいつ、ガキの頃は母親のちいさい頃とそっくりだったんだよ。だんだん父親に似てきたんだけどな。今じゃ可愛げの欠片も残っちゃおらんよ、ハハハ」
確かによく見ると、黒髪の中に時折纏まった銀色の筋が見え隠れしている。ブライアンも思わず口を挟む。
「へえ、ほんとだ。ちょっと白髪交じりなのかと思ってたけど、これって銀髪だったんだ」
「あっそうだ、じゃあ銀狐に化けるのも毛色繋がりで? そういえば尻尾の先が黒いでしょう。でも銀狐って普通、先は白じゃなかったですか?」
続くアルバートの疑問の言葉に、ウィルドの顔がますます渋くなる。アウレウスは笑いを噛み殺しながら代わりに応えた。
「こいつの家の近くに棲んでいた銀狐を模したんだけどな。そいつの尾の先が黒かったんだ。で、実はちゃんと白い部分があったんだが、いつも汚れていてなあ。だからといってそのまんま模しちまうのが、こいつのテキトーな所なんだよ。関心の無いことには大体こうなんだ。いわゆる魔術馬鹿というヤツだ」
ニヤニヤと口元を緩めながら解説する恩師を、ウィルドは憮然として睨み付ける。両腕を胸元で組み、深々とため息をついて再びチャールズたちに嫌々視線を向ける。
不毛な説得をまだ続けなければならないのかと思うと、心底うんざりする。だがかといって女の子にしか見えないとここまで執拗に言われた以上、これ以上あの姿を人目に晒す気にもなれない。ウィルドは顔を突き合わせて真剣に語り合っているチャールズとディランに、軽く咳払いをして話し掛けた。
「……あ~……、まあ、そういう次第で。潔く納得してはくれまいか」
努めて穏やかな口調で語り掛けるウィルドに、二人は語気を荒げて反論する。
「納得出来るわけないから! 俺の初恋の子が実はおっさんでしただなんて認めてたまるか! 今頃きっと凄い美魔女に育ってるはずなんだっ!! 涼やかな目元で、緩い巻き毛がこう、たっぷりに育った胸元にっ」
「え? いやあ俺が思うに、きっとスレンダーな感じじゃないかなと。爆乳よりはキリッとした美乳もしくは慎ましやかな貧乳、いや響きが悪いな、気品漂う凛乳、だな。そちらの方があの少し淋しげで、儚げで、ミステリアスな彼女にふさわしいと思うぜ?」
「お前らの頭がミステリーだ!! 本当にどうなっているのだこの考察力は!? 揃いも揃って根本的に思考の方向がおかしい!! 妄想と願望を考察の主軸に据えるのを止めるべきだ、違いますかアウレウス師!」
真剣な眼差しで語り合う二人に、たまらずウィルドが叫んだ。キッと睨み付けられたアウレウスは、緩む頬を右手で抑えながら軽い口調で返す。
「まあまあ、なんせ若いからなあ。頭の中の九割は煩悩で占められていても仕方の無いことだ。……昼飯を持ってこさせるから、当事者同士でゆっくり話し合ってくれ」
じゃあな、と手を振るアウレウスを、ウィルドが慌てて引き止める。その時、締め切っていた客室の扉が軽い音を立てて開かれた。入って来たのは、急遽呼び出されたフェルム並びにミーティスとペルグランデ、そしてプラチナだ。すでにプラチナから事情を訊いているのだろう、皆一様に顔がにやけている。気付いたウィルドが、苦虫を噛み潰した顔をフェルムに向けて搾り出すような声で言った。
「……フェルム殿、既に詳細をご存知のようですが、貴方の知恵でどうにかなりませんか」
「どうにかと言われてもなあ……。昨晩は徹夜したそうじゃないか。此処に来ているってことは、結局君自身ではどうにも出来なかったんだろう? まあ、原因はおそらく離脱する時に半身で済ませたことなんだろうが……」
苦笑いを浮かべながらフェルムは肩をすくめて見せる。ペルグランデもちいさく頷いて後を次いだ。
「でしょうなあ……。一体どういう術式なのか興味をそそられますが、こういう弱点があるとなると、ちょっとねえ」
「そうよねえ。でも別にいいんじゃない? あの子は確かに可愛かったし、あれはもうああいう術ということにしましょうよ。この子たちって、こう見えても結構頑固よ? 大人しく呪われておけばいいじゃない」
プラチナも茶々を入れるが、ウィルドにじろりと睨まれアウレウスの背後に忍び笑いを洩らしながら隠れる。そして不毛な討論が再び始まった。
この有様では当分収まりそうにない。三名を除き、場所を移すこととなった。国王を先頭にぞろぞろと並んで部屋を後にし、隣の客間へと向かう。既に部屋には人数分の椅子が用意されており、ささやかな旅路を終えた五人の王子とひとりの魔女には簡単な昼食が、既に昼食を終えている者たちには紅茶と菓子が振舞われた。
席に着いたザカライアスは、紅茶の茶葉を錬り込んだ風味豊かなクッキーを、早速ひとつつまんで口に放り込む。熱い紅茶には何も入れず、少し冷めるのを待つ。黙々と食事を摂る息子たちを満足そうに見つめながら、末席に腰を下ろすプラチナに笑いながら声を掛けた。
「さて、プラチナよ。ワルガキたちの御守りは大変だったろう。礼を言うぞ」
「と、とんでもございません。私は何もしてはおりません。むしろ足手まといでした。……もっと魔術の修行に励まねばと、痛感いたしました」
いつになく神妙な顔つきで応えるプラチナを、魔術師たちは目を丸くして凝視する。アウレウスが口を挟もうとした時、アルバートが僅かに早く口を開いた。
「いや、いや。むしろ私たちこそが全くの力不足でした。……短いながらも様々なことを経験出来たと思います。良い経験としなければなりません。今のままでは、とても王位継承権など頂けません。……全然、駄目です」
アルバートは静かにそう語ると、深いため息を洩らした。その隣では、ブライアンが眉根をぎゅっと寄せて俯いている。エリックもパンを千切る手を止めて、何かを考え込んでいる様子だ。フランとギルバートはそんな兄たちの様子を何か言いたそうに見つめながらも、スープをすくう匙を忙しく動かしている。
普段とは随分と違う王子たちの姿だ。アウレウスは思わずぽかんと口を開けた。父王はそんな我が子たちに柔らかな眼差しを向けている。少し冷めた紅茶を一口含み、二つ目のクッキーを齧る。だんだん沈んで来た双子の顔色に気付き、口元に笑みを浮かべながら穏やかな声で語り掛けた。
「……お前たちが、どのような経験をして来たのか、詳しいことはステラを交えて後でゆっくりと訊こう。さて、早速だがウィルドのことだ。お前たちは、彼を次期宮廷魔術師にと思っている訳か? ……当然、彼にまつわる『噂話』は、知った上でのことであろうな?」
物思いに耽っていた兄弟たちは、ハッとして顔を上げた。
いつの間にか父王の表情から笑みが消えている。さりとて嫌悪の色が浮かんでいる訳ではなく、ただ静かに返って来るであろう言葉を待っている。老齢ながらも、その双眸には他者を跪かせずにはおかぬ威厳が篭められている。息子といえども、偽りの言葉を述べることなど到底出来はしない。アルバートは改めて王たるものの風格を肌で感じ、畏怖にちいさく身を震わせた。背筋を正し、応えを待つザカライアスに真っ直ぐに顔を向ける。一晩考え続けたことを頭の中で整理し、そっと深呼吸をする。背中を軽く叩くブライアンの手を感じながら、ゆっくりと想いを告げた。
「……私は、彼こそがその職にふさわしい者と確信しております。因習についても、彼から直に伺いました。直接会って、話をして。彼の魔術の力もこの目で確かめました。途中、襲って来た他国の魔術師がおりましたが、まるで格というものが違いました。その魔術師は、自分が死神として成り代わってやろうと持ち掛けておりましたよ。そしてそんな魔術師は山の様に訪れるそうです。
彼はその魔術師を圧倒出来る力を持ちながら、自滅する未来を見越して追うことはしませんでした。実際に接していて、彼に対して恐れを抱くことはありませんでした。むしろ血の繋がりを持つ者を『メリクリウスの蛇』を招くための生贄として殺めた敵の魔術師こそが恐ろしく思いました」
アルバートはそこで一旦言葉を切った。興奮して来た自身を落ち着かせようと、紅茶をゆっくりと口に含む。向かいの席に並んで腰を下ろす魔術師たちが、アルバートの言葉に深々とため息を洩らしている。互いに顔を見合わせ、再び重い息を吐いた。アウレウスが苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てるように呟く。
「……全く、居るんだなそんな馬鹿が。そんな連中こそ死神と呼ぶにふさわしい下衆なのだ」
「さようですな。そんな輩が居るから、我々まで世間の偏見に晒されるんです。大多数の魔術師は、大人しく研究に明け暮れているだけですのに。……それはウィルドも同じでしょうに」
フェルムはそう応えると、大きく肩をすくめた。魔術師たちは一様に困惑と憤りの表情を浮かべている。アルバートはようやくいつもの調子を取り戻し、少し緊張を解いて更に話を続けた。
「……私も、彼らにこそその名がふさわしいように思います。ですが、ウィルドさんはこう言いました。そんな連中を知ってなお、死神の所業を知ってなお、……そのために巻き添えとなった大事な存在があってなお、書物をめくる手を止めることが出来ない。それでも魔術師としての己を棄てられない――だからこそ、自分は死神と同じ魂を持つと確信するのだと。それこそが、死神と呼ばれた魔術師の本質であり、業。……ウィルドさんは、そう解釈しているのです。だからこそ、宮廷魔術師に就くことなど出来ないとも」
淡々と紡がれるアルバートの言葉に、呻きにも似た声がかすかに重なる。アウレウスは強張った口元を動かそうと躍起になるが、言葉を発することが出来ずにいる。ふとザカライアスの様子を伺うと、いつもの穏やかな表情に戻っている。やんわりと先を促す父王に、アルバートはちいさく頷いた。
「それで、私はその話を伺って……思ったんです。学ぶことは、決して悪ではないはずだと。高名な魔術師であったはずの男が、何故死神と成り果ててしまったのか。勝手な想像かも知れませんが、ひとりで狭い場所に閉じこもって、ひたすら研究に明け暮れるというのは、もしかしたら危険なことなのかも知れないと思いました。人間が人間であるためには、他者と関わっていかないと駄目なんじゃないかと。……ウィルドさんは、研究の合間に仕事を引き受けるのは特に嫌ではないようですし、性格もそんなに問題がある訳でもなさそうです。ですが、この先何十年も、ずっとひとりで山奥に閉じこもって研究生活を送るとなると、どこかで歪みが出来てくるかも知れないなと思いました。そこで、私はひとつの案を思いついたんです」
アルバートはそこで一息つくと、自信満々といった様子でにっこりと微笑む。居並ぶ者たちが思わず注目する。クスクスと顔を見合わせて笑うフランとギルバートに、アルバートはコホンと咳払いをひとつし、高らかに言った。
「ええと、因習というのがいかに根強く人々の心を支配するか、我々はよく知っているつもりです。だからこそ、私たちは暇さえあれば街に出掛けるようにして来ました。昔は双子であることで、随分と陰口を叩かれたりもしました。ですが、今ではそんな人は少なくとも大勢ではありません。そこで、ウィルドさんも実際に大勢の前に放り込んでみたいと思います。……たとえば、学校とかどうでしょう。学校の先生として勤めてもらうんです。学校に通った我々の結論は、ウィルドさんでは食堂のおばちゃんたちに決して太刀打ち出来ないということです」
「なにしろ、俺たちの呪いすら破れないくらいですしね」
横からブライアンが満面の笑みを浮かべて相槌を打つ。突拍子もない発言に、客室の中はしんと静まり返る。さすがのザカライアスも呆気に取られて目を丸くしている。アウレウスも、あんぐりと口を開けて唖然としている。目を丸くする一同の中、一足早く我に返ったのはザカライアスだ。はあ、と気の抜けた声を洩らし、愉快そうに笑った。
「ハッハッハ! なんとまあ大胆なことを思いつくワルガキどもだ! 馬鹿王子七人に呪いを掛けられた『死神』か! そんな看板をぶら下げた男が学校に居るとなったら、世界中から入学希望者が殺到しそうだな!!」
「無理だ……ウィルドでは絶対に勝てない……。見える、食器洗いまでやらされている図が見える……!! ワシだってスープのワカメを無理矢理増量されちまったんだ、あのおばはんどもめ、ハゲ始めてるから食いなとか平気で言いやがるんだ……! ちくしょう、隠していたのに、ちくしょう……!! ワカメ食ったぐらいでなあ……!!」
嫌な記憶が蘇ったらしいアウレウスが、ギリギリと歯軋りをしている。創立当初に学校運営に携わっていたのだ。
フェルムも神妙な顔つきで考え込んでいる。
「そうですな……死神を怖れる者は今も多いですが、呪いを解くために王子たちに危害を加えてはいない訳で。真面目な話、それこそが死神と別人であると知らしめるうってつけの材料になりそうです。その上で、学校で無惨に虐げられている姿を見れば、誰もが別人であると納得するでしょう。……私はウィルドが出て来るのなら、推薦してくださる方はいらっしゃいますが謹んで辞退させていただきますよ。ウィルドがいきなり宮廷魔術師になるのは問題が多いと思いますが、十年後なら世間での評判も変わっているかも知れませんね」
フェルムは顔を上げて魔術師仲間たちに視線を向ける。怪訝な顔を見せるミーティスの横で、プラチナが意気揚々と提案した。
「そうね、じゃあその間抜けな構図を作るために、仕込みを入れてみたらどうかしら。実際にウィルドが勤めたら、おばさまたちだってびっくりして遠巻きにするかも知れないじゃない。それじゃあ逆効果だわ」
「ない、それはない」
幾つもの声がぴたりと重なる。沈痛な面持ちのザカライアスが震える声で呟いた。
「ワシだってなあ……。食えないって言ってるのに、あの昔のお嬢さんたちはワシのスープ皿にマグロの目玉を入れるんだよ。いや、そのとろっとした部分が年寄りにはいいというのは知っておるんだ、でもあれだけはワシはキモいんだよ……食えんのだよ……。目玉のとろっだけはワシは無理なんだと言っても、ご馳走だから是非と言ってな、ふ、ふたつも入れるんだよ……。珍味をぜひ献上させてくださいなんて言ってるけどな、お嬢さんたちは明らかにワシがおびえているのを楽しんでいるのだ……」
「オヤジ……いや、父上までもがですか……」
「最強すぎるだろ……」
やべえな、とエリックがぼそりと呟く。まだ現役で通っている身としては、だんだん他人事と笑っていられなくなって来る。フランとギルバートも真顔になって考え込んでいる。今のところ彼らに好き嫌いは無く、食堂のおばちゃんたちと揉める事態には陥ったことは無いが、気が付けばじゃがいもの皮を剥かされていることは多々ある。
対人技能がほぼゼロの彼を、そこに放り込むのか――
室内に重苦しい沈黙が流れる。
気まずい空気が支配する中、威厳に満ちた国王の声が朗々と響き渡った。
「……まあ、彼も魔術師であることだし。きっと自身でなんとかするだろう」




