2話
夜更けの王都の一角に、豪快な笑い声が響き渡った。
薄暗い室内に所狭しと並べられた大小様々な鏡が、カタカタと音を立てて揺れる。部屋の主は至極ご満悦の様子で、椅子から腰を浮かせる勢いで大笑いしている。定時報告のために訪れていた二人の部下は、突然笑い出したギルド長に呆気に取られている。イグルスは堪え切れず薄っすらと涙を浮かべながら、呆然としている部下たちに言った。
「……ハッハ、たまんねえや。さてと……まずはどこから手を付けるかな。よし、王国中に噂話でも流してやるか。特にウィータには早急に、念入りにばらまいてやろうかね。おい、お前ら。今夜中に広めたいネタがある。幹部を集めな。あと、入学届けを手に入れろ」
「はあ??」
「に、入学届けっすか?? そりゃあ、どこのですかい」
素っ頓狂な声を上げる部下たちに、イグルスはニヤリと笑みを浮かべて応えた。
「学校だよ。俺しばらく学校に通うことにするわ。ああそうだな、入学届けは三枚だ。こいつを学校に放り込んだら愉快そうだってヤツを、二人用意しな。……やっぱりあの王子どもは最高だな。俺の目に狂いはなかったぜ。今後三十年、いや五十年は遊べるおもちゃが手に入るかどうかの瀬戸際だ。きっちりカタに嵌め込んでやるぜ!」
一体何を考えてのことなのかさっぱり理解出来ないが、満面の笑みを浮かべるイグルスに逆らえるはずもなく。新たな標的とされた哀れな犠牲者に同情を覚えつつも、二人の部下はさっと踵を返して戸口へと向かった。
椅子に深々と腰を掛け直したイグルスは、満足そうに背もたれに背を預けながら、なおも含み笑いを洩らす。
王子たちに預けた手紙には、ちょっとした魔術が仕込んであった。手紙の文面は告げた通りに仕事の依頼なのだが、封蝋には細工が施されており、手紙の近くで起こる状況を、イグルスの頭の中に直に伝える。ウィルドに感付かれるかと思ったが、さすがにそこまで気が回らなかったらしい。
(……まさか、こんな笑える展開になるとはな。王子たちに呪われる『死神』か。いやあ、実にいいねえ。ウィータ公がどんな顔をするかねえ。……まあ大方、化身を半分で済ませたのがまずかったんだろうな。それで強い思念に対し防御力が落ちたんだろう。術に対してはそれなりに警戒していたんだろうが、まさかそんな訳の判らんところから呪いが飛んでくるとは夢にも思わなかったんだろう。クック、げに恐ろしきは青少年の煩悩ってか)
こんな楽しい話を独り占めするのは罪悪だろう。国中の良き民たちにも伝えて差し上げなければ。シャロンに早速詩を作らせよう。巷の吟遊詩人にも高値で売りつけよう。味付け次第でコミカルにもシリアスにもなる題材だ、きっと数年もすればどこの酒場でも聴ける定番となるだろう。
それを知った時、あいつはどんな顔をするだろう――
(いやいや、それだけで俺は満足しねえ。やっぱりあれだな、肝はなんつっても学校だよ。いいねえ~……。実際に会ってみればいい、実に素晴らしい発想だな。これはなんとしても実現させなければな。あいつが子供相手に教師やってるのも見ものだが、なんせ学校は年齢職業不問の建前だ。盗賊ギルド長のイグルスくんが通ってたって何も問題はないのさ。ああどんな顔をするだろうなあ……)
邪魔をする無粋者は、総力を挙げて叩き潰す。
未来の国王陛下に栄光あれ。
イグルスはおもむろに立ち上がると、階下に響く幾つもの足音に耳を傾けつつ颯爽と部屋を後にした。
***
昼下がりの王城は、思わぬ来客にどよめいていた。
まずは、二体の風竜。滅多に見る機会の無い美しい竜は、背中に馴染みの顔を幾つも乗せて城門の前の丘に舞い降りた。取り囲もうとする兵士や騎士たちを王子たちはなんとか宥め、空へと帰っていく風竜たちに盛んに手を振って別れを惜しんだ。
「じゃあね、フライング・ベル! また会おうね!」
「ありがとうね~! 楽しかったよ!!」
「元気でな~ブルー・インパルス!」
ひらひらと手を振るエリックに、アルバートが苦笑いを浮かべながら訊いた。
「おい、なんだその名前。どこから出て来たんだ?」
「え~、かっこいいじゃん、碧い衝撃。全速力がすげかったからさ。それよりそっちこそなんだそれ」
「なんだそれってなにさ! 僕たち一生懸命考えたんだよ! 声が鈴の音みたいにきれいだったからだよ」
茶化すようなエリックの声に、ギルバートとフランが反論する。まあまあとブライアンが宥め、空を見るよう促した。見上げると、空高く舞い上がった風竜たちは城の上空でくるくると輪を描いて飛んでいる。嬉しそうなその姿に、見上げる者たちの顔も思わず緩む。やがて去っていく二体の風竜を、人々は名残惜しそうに見送った。
そんな中、面白くもなさそうに立ち尽くしている男の姿があった。黒のローブを纏い、フードを目深に被っている。長い杖を左手に持ったまま両腕を組み、所在無さげな様子だ。風竜が去ったことで、兵士たちの注目も彼に集まって来る。何と紹介したものか、と思案の表情を浮かべるアルバートの耳に、馴染みの声が飛び込んで来た。
「はあ!? ウィルドじゃないか! お前ら本当にウィルドを引っ張って来たのか!?」
仮にも王子殿下に対して無礼千万な物言いではあるが、言葉の主に眉をひそめる者はこの国には居ない。老齢の宮廷魔術師殿は、信じられないといった面持ちでつかつかと歩み寄って来る。ウィルドはバツが悪そうに視線を逸らしながら、不機嫌さを隠そうともせずぼそぼそと言った。
「……用があり、仕方なくやって来た次第でありまして。用が済めばすぐに帰りますのでご安心を」
「いやいや、せっかく来たのだから、ゆっくりとして行けばよいぞ。私も君とは話したいことがたくさんあるしな」
憮然とした声で応えるウィルドに、横から快活な声が掛けられた。ウィルドは思わぬ声に驚いて振り向いた。そこに佇んでいたのは、国王ザカライアスその人だ。柔和な笑みを浮かべたザカライアスは、豪快に笑いながら居並ぶ者たちに高らかに宣言した。
「彼こそが、我が国最高位の魔術師、ウィルドだ。皆の者、丁重にもてなすようにな。――遠路はるばるよくぞ来てくれた。このまま住み着いてくれても一向に構わんのだがな」
ハハハと笑いながらウィルドの肩をがっちりと掴む。困惑のあまりウィルドはアウレウスに顔を向けて助けを求めるが、アウレウスは素知らぬ顔を決め込んでいる。国王に半ば引きずられて行くウィルドの姿に、アルバートたちは顔を見合わせてちいさく微笑んだ。
「……まあ、俺たちのオヤジだもんな」
感慨深げなブライアンの言葉に、兄弟たちは大きく頷いた。客人の素性に思い至ったのであろう騎士たちが、複雑そうな表情を浮かべて国王の後に続いている。和やかな雰囲気の中、ぴいんと張り詰めた糸が見え隠れする。アルバートもその後に続いて歩きながら、困ったような顔でザカライアスの言葉に受け答えするウィルドを、決意を篭めた眼差しでそっと見つめた。




