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銀の魔女と七人の王子たち  作者: 蒼月葵
第一章 宮廷魔術師と偏屈魔術師
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1話


 薄暗くなった室内に、ちいさな炎が唐突に現れた。


 蛍の灯火ほどの大きさだろうか。吹けばたちまち消えてしまいそうなその身を、ゆらりゆらりと揺らしながら空中を漂う。向かっている先には、飾り気のない古びた銀の燭台があり、半分ほどに溶けた蝋燭が三本、その上に立っている。炎としては一直線に目指しているつもりなのだろうが、時折室内に流れる僅かな空気の流れにすら翻弄されている有様では、蝋燭の先端に辿り着くのはもう少々先のことになりそうだ。


 目の前をえっちらおっちら通り過ぎる炎を、何か言いたそうにじぃっと見つめているのは、一羽の鴉だった。

 数分ののち、蝋燭はようやく室内を煌々と照らし始めた。鴉は簡素な真四角のテーブルの片隅から、大股で一歩二歩と中央に向かって進む。三歩目で両脚を揃えて立ち止まると、目前にある燭台の根元をコツンコツンと嘴でつつく。


『まったく、意味がわからんよ。もう少しマシな魔法を知らんのかね? 私の弟子ともあろう者が?』


 鴉は顔を上げると、大袈裟に首を傾げながら傍らの男に視線を向ける。テーブルには二脚の椅子が対面に用意されており、一人の男が腰を下ろしている。もうひとつの椅子は空席だ。鴉はトットットと小さな足音を立てながら、空いている椅子へと向かう。思いのほか大きな翼を一回はためかせ、椅子の背もたれへと優雅に飛び移った。鴉の視線が再び男へと向けられる。男は伸びた前髪を、煩わしそうにかきあげながら言った。


「……まあ、確かに貴方は希代の魔術師でありますね。

 ですが日常で使う自動発火の魔法としては、こんなもので上等であろうと私は思っておりますが?

 光そのものを発現させる手法も宜しいでしょうが、私は蝋燭が溶けてゆくのが好きなのです。

 ここは私の住処ですので、私の好きなようにさせていただきたいものです」


 男は心外だと言わんばかりに真顔で鴉の顔を覗き込む。鴉は正面に座る男の姿を、改めてまじまじと見つめた。この男のことは幼い頃から知っているが、二十の頃も、三十を過ぎた今となっても相変わらず上から下まで黒一色だ。足元まで覆いつくす黒の長衣、その上に羽織っているローブも黒。濡れ羽色のゆるく癖のある髪を、無造作に後ろで束ねている。この男にこそ鴉の姿はふさわしいように思えてならない。


 顔立ちは、まあ悪くは無い。だが愛想はどこを探しても皆目見当たらない。服装と相まって、なんとも近寄りがたい雰囲気を醸し出している。おまけに住んでいる場所は国境近くの険しい山の中だ。そういえば、この家の周りは年がら年中、深い霧で覆われているように思うが、おそらく自然のものではなく、魔術の産物なのだろう。こいつはそういう奴だ。


 これでは魔術師というよりは隠者だ。世捨て人を気取るには少々若すぎやしないか。魔術師となるような者は、大なり小なり一癖持つものだが、それにしても、もう少しどうにかならないものか。


 これだからいつまで経っても嫁の来てが――


 がっくりとうなだれる鴉を、男は怪訝そうに眉をしかめて眺めている。その視線に気づいたのか、鴉はおもむろに顔を上げると、ちいさく頷く仕草を見せる。


『ま、あれだな。日も暮れてきて、本当はこのままくら~いままでも居心地はいいんだが、本がだんだん読みづらくなってきたことだし、しょうがないからそろそろ灯りでもつけるとするか、ああ面倒だ……という、夕暮れ時のキミの素直な気持ちがよ~く現れている、実にやる気の見られない、素敵な魔法だね。

 よくもまあ心情をそのまんま具現化できるものだよ。さすが私の愛弟子、ウィルド君だ』


「……どうも。

 あ~、わが師アウレウス。今日はいつになく機嫌が宜しくないように思えてならないのですが。私の思い違いでしょうか?」


 そっぽを向いている鴉に、男――ウィルドは、苦笑いを浮かべながら丁寧な口調で話し掛ける。鴉は横目でチラリとウィルドを一瞥し、再び両の翼をバサッとはためかせた。背もたれからフワリと浮かび上がったかと思うと、みるみるうちに鴉の輪郭が崩れていく。ぼんやりとした黒い煙となったそれは、次第に別の形を創り上げていく。上下に広がり始めた煙は、やがて亡霊のような輪郭を取り始めた。


 黒い煙であったものは、淡い灰色となり、血の通った肌の色となる。鮮やかな紺碧を帯びている部分も現れ始めた。その変貌の様を、ウィルドはテーブルに片肘をついて興味深そうに見物している。


 燭台と一冊の本しか乗っていなかったはずのテーブルに、いつの間にか陶器製のゴブレットが置かれている。それに気付いたウィルドがおもむろに席を立った。酒がまだあったかどうか思い出せない。前に買出しに行ったのはいつだったか。もう台所にはなかったような気がする。

 部屋の壁の一面を占領する薬品棚の前に立ったウィルドは、ガラス戸を開けながら一番下の段を見下ろした。厳重に封をしてある大壷や未開封の木箱の陰に、葡萄酒の瓶が二本ほど隠れている。長身の部類に入る彼は、膝と腰を大きく屈めて瓶へと手を伸ばす。


「おい、ウィルド。ゴブレットがひとつ足りないぞ。お前ついに禁酒することにしたのか?」


 ウィルドが手に取った瓶のラベルを確かめつつ姿勢を戻した時、背後からやや枯れた、老齢の男の声が聴こえて来た。――今しがたまで聴こえていた声と、同じものであるはずなのだが。随分と鮮明に聴こえる?


 ウィルドは訝しげに眉間に皺を寄せながら、声のした方を振り返った。背もたれに止まっていた鴉の姿はもはや影も形もなく、代わりに初老の男が腰を下ろしている。紺碧の仕立てのよいローブをゆったりと纏い、古木で造られた長い杖を左肩に持たせ、中ほどよりやや下を手で軽く押さえている。右手はゴブレットをくるくると回して所有権を主張している最中だ。


 白髪の方が多くなった髪は、前髪は眉の下あたりで無造作に切り揃え、後ろはばっさりと潔く刈っている。髭は鼻の下だけだ。宮廷魔術師という立場なのだから、髪も髭も伸ばせるだけ伸ばした方が貫禄も増すように思うが、本人はそういう格好には興味が無いらしい。小柄で痩身ではあるが、老いを感じさせない姿勢の良さと、豊かな眉の下で鋭い光を放つ双眸が、決して侮ってはならない男なのだと相対する者に思わせる。


 最も今日は、思っていたよりも虫の居所は悪くはないようだ。いつもよりは幾分柔らかな視線の先にある物を、早めに提供しておくとしよう。ウィルドは再び棚へと手を伸ばし、中段に伏せて置いてあるゴブレットを取った。席へと戻る前に師匠に取り上げられた葡萄酒を、着席しながら自分の器にも注いで貰う。

 葡萄酒を一口煽ったウィルドは、椅子に腰を掛け直しながら言った。


「……先ほども不思議に思ったのですが、もはや別物となっておりませんか。

 私が知る限り『化身』の魔法は、実体は伴わないはずなのですが。それに以前は確か鴉ではなく隼だったと思うのですが。一度得たかりそめの姿は、生涯代わらぬものであるはず。しかも今のお姿。空間移動の魔法を完成させたのであれば、ぜひご教示賜りたいものです」


「ん? 別物はお互い様だな。お前も跡形も無くこねくり回しているだろうが。それは魔術師ならば当然のこと。そして、それを詮索しないのも魔術師の不文律」


 鴉から本来の姿へと戻ったアウレウスは、技を見極めようとするかのごとく、自分を凝視しているウィルドに気をよくしたのか、二杯目の葡萄酒を一息に煽る。空になったゴブレットを持った手を、ウィルドの方へと差し出した。三杯目を注ごうにも、瓶はアウレウスの傍にある。意図が読めず、ウィルドは首を傾げながらゴブレットへと手を伸ばそうとした。


 次の瞬間、ゴブレットがアウレウスの指先からするりとすり抜けた。ウィルドは慌てて手を伸ばし、テーブルに落ちる寸前のゴブレットをなんとか掴んだ。アウレウスは椅子の背もたれに用の済んだ右手を回しながら、満足そうな笑みを浮かべた。――ゴブレットを掴んだ瞬間、ウィルドの目がスッと細まるのを見逃さない。


 その後、ウィルドは何事もなかったかのようにゴブレットをテーブルに置くと、腰を椅子から浮かせて手を伸ばし、瓶を取る。三杯目の葡萄酒を師に注ごうとはせず、自分の物にだけ黙々と注いでいる。

 ウィルドは二杯目の葡萄酒を美味そうに飲み干すと、ふと思い出したように言った。


「そういえば、今日は何が目的でいらしたのですか」


「目的? ……ああ、そういえばまだ言ってなかったな」


 アウレウスは堪え切れず、クックと喉の奥で笑った。先ほどまでの、愛弟子の成果を喜ぶ余裕は既に消え去っている。背筋を伝う冷たいものを感じながら、静かに目を閉じた。口元が自虐の想いに歪む。


(もはや訊くべきことは何も無し、と。

 ……まったく、恐れ入るよ。私がどれほどの時間を、『影』に物質に干渉する作用を持たせるために費やしたと思っている? この歳になって、ようやくここまで漕ぎつけたんだがな……。術式も、補うべき点も、全て見抜いたか)


 魔術師ならば、誰もが知る『化身』の魔法。


 決してたやすく成せる魔法ではないが、ある程度の水準に達した者ならば難なく使いこなせる。

 一見、動物に変身する魔法のように映るが、実際は肉体から精神と霊体を離脱させる魔法だ。もっとも完全に肉体から切り離されるわけではなく、僅かな繋がりは残している。限定された時間内に肉体に戻る必要があり、それを過ぎれば元に戻ることが出来ず、そのまま亡霊として彷徨うこととなる。


 離脱している間に肉体に危害を加えられると、やはり戻れなくなってしまうため、離脱していることを他者に悟られないための用心として、動物に偽装し本来の姿を隠す。霊体を別の姿に変えること自体かなり難しい技術であるため、自身が最もよく知る、身近な動物の姿を模すのが一般的だ。――古来より魔術師の間で受け継がれ続け、それゆえに『もはや改良の余地は無し』と誰もが疑うことのない、洗練を極めた英知の粋。


 アウレウスの場合、必要に迫られての、また持ち前の多大なる反骨心ゆえの難問への挑戦であったのだが。

 それを、この男よくもまああっさりと!


 齢六十を越え、我ながらいい加減老いてきたなと思っていたが。この期に及んでまだこれほどまでに他者の才能に嫉妬できるとは。

 生涯現役であれと誓った我が人生のためにも、愛する我が祖国のためにも、やはり当初の予定通り、犠牲が必要だ。

 悪いがな、と心の中で呟く。

 アウレウスはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、あからさまに訝しげな視線を向けているウィルドに、努めて穏やかな口調で言った。


「いやな、実はお前に頼みたいことがあってなぁ。勿論、訊いてくれるだろう?」


「お断りします」


 用件も言っていないのに、即答だ。さすがに勘が良い。

 まあ、こいつはこういう奴だ。百も承知だ。

 アウレウスはハッハと愉快そうに笑う。だが目は全く笑っていない。笑っていないどころか、これはまるで獲物を射抜く猛禽の眼光だ。ウィルドは続くであろう言葉を、仕方なくといった面持ちで待ち構えている。


 アウレウスは先ほどよりも更に存在感を失った指先を、愛弟子に突きつけて続く言葉を容赦なく紡いだ。


「残念ながら、そうはいかん。――私の代わりに、宮廷魔術師に就いてもらう」



***



 ゆらめく灯火に煽られて、蝋燭が熱い滴をとろりと零す。

 静寂に包まれた室内にひそやかに流れるのは、満足そうな大きな鼻息と、地を這うような深い深いため息だった。


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