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銀の魔女と七人の王子たち  作者: 蒼月葵
第三章 死神の名を持つ男
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9話

 リーン、リーンと清らかな鈴の音が鳴り響く。

 ベッドの中で布団を被ったままの家主は一向に起きる気配を見せず、小雨がもたらす心地良い音と共に穏やかな寝息が薄暗い室内に流れる。聴く者がいないことに気を悪くしたのか、銀色のちいさな鈴は一旦動きを止めると、ぶるっとその身を震わせた。チリチリという焦れたような音に合わせて、鈴は一回り大きな姿へと変化する。これでどうだと言わんばかりに、リン、リン、リンと早いテンポを今までの倍の音量で奏で始める。


 頭まで布団を被っていた男は、鈴の音が枕元で聴こえ始めたあたりでようやく観念したのか、もそりと布団から顔を覗かせて宙を漂っている鈴に手を伸ばす。鈴はからかうようにくるりと上空を旋回した後、チリンと美しい音色を残して枕の上にポトリと落ちた。男――ウィルドはゆっくりと上体を起こし、邪魔な髪をかき上げながらひとり愚痴をこぼす。


「……うるさい。こんな自己主張の激しい鈴に造った覚えはないのだが。……ん?」


 よく見ると、目覚まし用に造ってある鈴ではない。サイドテーブルにいつも置いてある鈴は、行儀良く鎮座したままだ。ウィルドは枕の上の鈴を手に取った。この鈴は侵入者を知らせるための物だ。普段は自室の窓枠の上に置いてあるのだが、家の周囲に張ってある結界に何者かが触れると、こうしてうるさく鳴って知らせる。ウィルドは苦虫を噛み潰したような表情で壁掛け時計を睨む。


「……今は……十時? こんな朝早くから非常識な。魔術師がこんな時間に起きているわけないだろうに」


 アウレウスが訊いたら怒鳴りそうなことをぶつぶつと呟きながら、ウィルドは再び寝床に横になる。夜型のウィルドは夜明け近くまで研究に没頭していることが多いため、昼前に起きること自体珍しい。もう一眠りすると決めたウィルドの手の中で、沈黙していた鈴がその身をぶるぶると震わせ始める。くるみ大の大きさの鈴だけに、さすがに手の中で暴れられると痛い。ウィルドは仕方なく起き上がると、ため息をつきながらベッドから降りた。


 窓の外に何気なく視線を向ける。空はどんよりと曇っており、サアサアと小雨が降り注いでいる。道理で少し肌寒いはずだ。ウィルドは椅子の背もたれに無造作に引っ掛けてあるローブを取った。夜着の上に羽織り、厚手の靴下をはく。ベッドに立て掛けてある杖を右手で掴むと、杖の先を暖炉へ向けて何事かを呟いた。薪の姿の無い暖炉に、ぼわん、という音と共に炎の塊りが現れる。


 ウィルドはチェストから黒の長衣を取り出しながら、部屋の中央に置いてある丸テーブルの上に視線を向ける。大きな両剣水晶が昨夜使ったままの状態で置いてある。紫色の光沢のある布地に包まれた台の上に、両端の尖った六角柱の水晶がやや斜めに立ててある。ウィルドは杖をテーブルに立て掛け、水晶の上になっている方の先端の向きを右手で軽く調整する。それに合わせて、水晶の中の光景がゆらゆらと揺れ動く。


 ウィルドは一旦水晶から目を離し、暖まって来た暖炉の前でローブと夜着を脱いで着替えを始める。長衣に袖を通して再びローブを羽織り、髪をざっと梳いて茶色の紐で結ぶ。横目で思い出したように水晶に視線を戻す。透明の水晶の中に、いつの間にか外の景色が映し出されている。ウィルドは椅子を引いて腰を下ろし、目を細めながら水晶に右手で軽く触れる。


 水晶の中に映るのは、木々に覆われた崖の上、ひた走る三体の獣の姿。しなやかな漆黒の身体を弓のようにしならせ、矢のように崖を越える。深い谷底には目もくれず、長い吊り橋を使うことなく崖から崖へと飛び移る。黒豹の姿をした別の生き物であることが、その凄まじい跳躍力から伺える。ウィルドはテーブルに両肘をつき、両の指を組んで考え込む。眉間に皺を寄せながら思わずため息を洩らす。


(……ああ面倒臭い。またサルトゥスの者か。先週追い返したばかりだというのに。勧誘はいらんと言っただろうに……いや、もしかして別口か?)


 しばらく途絶えていた訪問者が、最近は何故か増えている。魔法を使って追い返すのは簡単ではあるが、あまり攻撃的な魔法を使うと、黒魔術師だとの悪評が広まり善意の狩人を招くことに繋がる。かといってわざわざこんな人里離れた山奥までやって来る者が、手ぶらで帰りたがる訳も無く。たまに旅の者が通り掛かることもあるので、強力な結界を用いて空間を歪ませることも出来ない。

 仕方ない、そろそろ住処を変えるとするか、とひとりごちた時、ウィルドの手元に一通の手紙がふわりと舞い降りた。ウィルドは怪訝そうに片眉を上げてテーブルの上に着地した手紙を手に取った。


 この手紙は魔術師同士で広く使われている連絡手段で、とある魔法の品を漉き込んだ封筒に手紙を入れ、封蝋に印を押すと、印の持ち主の処に瞬時に転送される。

 魔術師ギルドに所属している魔術師は、加盟の際にあらかじめ自身の印を預けることが定められている。ウィルドは加盟した覚えはないのだが、アウレウスが勝手に登録したらしく、知らない内にこの国の魔術師ギルドに加盟させられていた。印も提出した覚えは無いのだが、そういえばアウレウスが無くしたからと言って新しい印を要求したことがあったような気もする。お陰でギルドから仕事の依頼の手紙がひっきりなしに届くようになったのだが、嫌がらせのつもりで提示した相場の倍額の報酬要求に意外にもあっさりと応じられてしまい、以後仕方なく仕事を引き受けている。


 白い封筒に、青い封蝋が施してある。送り主の署名を確かめるまでもなく、この封蝋はアウレウスの物だ。ウィルドは先日会ったばかりの師の姿を思い出しながら、ローブの内ポケットに仕舞ってある細身のナイフを取り出した。封筒の一片を開きながら愚痴をこぼす。


「……間の悪い。だから私はこの魔法は嫌いなのだ。便利ではあるが、これが届く時に場所を探知されることを皆判っていない。まあ、身を隠す必要が無ければどうでもよいことではあるがな」


 印を造った時のことを思い出す。普通は家紋や凝った図案を使うものだが、面倒だったので適当に頭文字のWを刻んだだけの簡素な造りだ。その時に篭める魔力のせいで、少々腕の立つ魔術師ならばその気配を辿って持ち主の居場所を特定することが可能だ。案の定、両剣水晶の中の黒豹の脚が止まっている。目つきから察するに、おそらく何らかの指示を待っているのだろう。再び躍動を始めた黒豹に、思わずウィルドは深いため息をついた。恨めしげな眼差しを手紙に滑らせる。見慣れた筆跡は今日は幾分荒れ気味だ。一枚だけの手紙は用件のみを手短に綴っている。


 親愛なる我が甥っ子へ


 前略、悪いがウチの馬鹿がそっちに二人ほど向かったぞ。

 今さっき馬で出て行ったから、まあ三日くらいは掛かるだろうな。着いたらなんか食わせてやってくれ。

 ……どうもやっぱり、我らが王子は馬鹿ばかりのような気がしてきた。いや、違う。そう見えて本当はアホなだけなんだ。うむ、きっと馬鹿ではない。たぶん馬鹿じゃないと思う。馬鹿じゃないんじゃないかな。ま、ちょっとは覚悟はしておけ。そんなわけで後は任せた。煮るなり焼くなりいてこますなり好きにしていいから。     草々


(……………随分と機嫌が悪いな、何があったのだろうな。いや……正味、馬鹿だと思いますよ。アホではなく馬鹿だ)


 ウィルドは手紙を丁寧に畳んでそっと封筒に戻す。昨晩垣間見た七兄弟を思い出す。子供ながらに真剣に悩んでいるものと思いきや、出した結論が全てこちらに丸投げと来たもんだ。思わず口を挟んでしまったが、あの場合仕方のないことだろう。僅かな時間で随分と情報を集めたものだと感心したのだが、どうも思考力に問題があるように思えてならない。


 そういえば、あの時彼らは『ギルド長』という言葉を発していなかったか。話の流れを思い起こす。確か盗賊ギルドの長の話をしていたように思う。ウィルドは頬杖をついて眉根をぎゅっと寄せる。うんざりとした眼差しを彼方へと向けて何度目か判らぬ大きなため息をついた。


(……また厄介な奴が絡んできたものだ。私は苦手なのだ、彼は。冗談じゃない、うっかり宮廷魔術師を引き受けようものなら、あの馬鹿兄弟に更にあの男まで付いてくるのか。……ふん、今も面白がっているに決まっている)


 どうしたものか、とウィルドは仏頂面で考え込む。実力で劣る気は無いが、どうにもあの性格が苦手でならない。アウレウスに呼びつけられて、何度か魔術師ギルドに顔を出したことがあるのだが、その度に決まってあの男が道中に現れる。どこからかは判らないものの、視線のようなものを感じることが多いので、おそらく何らかの方法で街中を監視しているのだろう。黒猫通りに必要な物を買出しに行く事もあるのだが、彼に見つかるのが嫌で最近は狐の姿でしか訪れていない。支払いは魔術師ギルドを通して行うことが可能なので、そういう時はギルドに所属していると便利ではある。


 ウィルドはしばらく両剣水晶の中をぼんやりと眺めていたが、やがておもむろに水晶の下に敷いてある布地をめくり上げ、木製の台に付いているちいさな取っ手を引いた。マッチ箱ほどの引き出しの中に入っている、親指の先ほどの大きさのちいさな両剣水晶を、指先でつまんで取り出した。その水晶には銀色の細い鎖が巻き付けてあり、鎖を首に掛けるとちょうど胸元辺りに水晶が収まるように長さを調整してある。ウィルドは空になった引き出しを元に戻し、布地を再び台に掛ける。


 ウィルドはすっくと立ち上がると、ちいさな水晶を首から下げた。軽く意識をその水晶に集中させる。唐突に脳裏に割り込む光景と、テーブルの上の水晶の中の光景がぴたりと重なる。ウィルドはふん、とちいさく鼻を鳴らすと、テーブルに立て掛けてある杖を取り、小雨の降りしきる外へと足を踏み出した。


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