6話
まだ早朝ということもあり、街の大通りにはいつもの賑やかさはなく、立ち並ぶ商店はどこも扉を閉ざしている。アルバートとブライアン、そしてプラチナは馬から一旦下りて大通りをぐるりと見渡した。プラチナが乱れた髪を軽く手櫛ですき、三つ編みに結いながら言った。
「ところで、何をしに此処に来たの? まだどこも開いてないわよ。あと一時間くらいは掛かるんじゃないかしらね」
城で借りた旅用のローブのフードを被るプラチナに、アルバートが肩をすくめて応える。
「そうみたいですね。手土産を買いたかったんですけど。あと、出来ればあの人に挨拶をしたいんだけどな」
アルバートは傍らのブライアンに顔を向けた。ブライアンは頷くと、昨日の出来事を振り返りながら自嘲気味に口元を歪める。
「……けどなあ、道を覚えていないんだよな。ほら、途中からヤケクソだっただろ?」
「そうだけど、最初の案内所までは一本道だったよ。あそこで教えて貰えるんじゃないかな」
アルバートの言葉に、ブライアンは『あっそうか』とちいさく呟く。プラチナが怪訝な表情を浮かべてアルバートに訊いた。
「ねえ、それって誰のこと? ギルド長って魔術師ギルドの長じゃないわよね」
「違いますよ。あれ、そういえば魔術師ギルド長って誰ですか」
「フェルムさんよ。あの人は忙しいから、あまり本部には顔を出さないけど」
へえ、と二人とも同時に呟く。ブライアンは話してもよいものかと眉根を寄せながらアルバートに視線を向ける。アルバートは苦笑いを浮かべて頷いた。そして、プラチナに簡単に昨日の出来事を説明した。迷子になった部分は端折ったが、話の大筋が伝わればいい。魔術師に襲われたことを話すべきか迷ったが、これから遭遇するであろう事態を考えると、今の内に話しておいた方がいいだろう。前方から来る荷馬車の邪魔にならないよう、道の端に移動しながらアルバートはその部分はありのままを話した。プラチナは目を丸くして時折質問をしながら、アルバートの説明に真剣に耳を傾ける。やがて全てを訊き終えると、プラチナはほぅっとため息をついて言った。
「……あの迷子の案内所って、そんなことになっていたの。知らなかったわぁ……。盗賊ギルドだったなんて思いもしなかったわ。だって、馬鹿馬鹿しすぎて。そんなヒマなことをやってるなんてねえ……」
「あれ、貴女も引っ掛かったんですか。意外だなあ」
ブライアンが含み笑いを口元に湛えて言った。プラチナはジロリと睨むと、それはいいから、と告げて話の先を促した。アルバートが笑いながらそれに応える。
「ハハハ。いや実は俺たちも酷い目に遭ったんですよ。かっこ悪いから言いたくなかったんですけどね。ええと、それでそんなこんなで盗賊ギルドの長に会って、最高位の魔術師の存在を教えて貰ったんです。それで今こうやって実際にその人に会いに行くことになって。だからちょっとお礼がてら会いに行ってみたいなと思ったんですよ」
「ふぅん。義理堅いのね。……で、どんな人だったの?私もちょっと興味あるわぁ」
ふふ、と悪戯っぽく笑うプラチナに、昨夜のエリックの姿が重なる。盗賊ギルドの長の詳細を広めるのもどうかと思うが、興味を抱く気持ちも判らないでもない。ブライアンは簡単に容貌と性格を説明した。プラチナはその特徴を頭に思い描きながらうんうんと満足そうに頷いている。
「いい感じねえ。エルフの血が入ってるのは意外ね。長い白髪ってどんなカンジになるのかしら。……ああ、あんなカンジ?」
プラチナはまたやって来た荷馬車の横を歩く男を指差して言った。見ると、随分と長身の男がこちらへと向かって歩いて来る。地に届くほどの白髪を軽く風になびかせ、纏った紅の長衣の裾を颯爽と払いながら悠然と歩を進める。アルバートとブライアンは、唖然としながら言った。
「いや、あんなカンジも何も……」
「あれがそうなんです」
はあ? とプラチナは眉間に皺を寄せて訊き返すが、棒立ちになったままの二人の姿に気付くと、片眉を上げてもう一度前方の人物を見た。明らかにこちらへと向かって近づいて来る。口元にはニヤリと笑みを浮かべている。よく見ると、その背後にもう一人男の姿が見える。女装をした大男だ。名前は忘れたが、先ほどの話の中の人物なのだろうか。オレンジ色のワンピースに身を包んだ彼は、両手に野菜や果物などが大量に詰まった籠を抱えている。彼もまたアルバートたちに気が付いたらしく、籠を抱えたまま軽々と右腕を上げて振っている。
三人の目前までやって来たイグルスは、まだ呆然としている彼らの前で立ち止まると、軽く笑って朝の挨拶の言葉を送る。三人とも慌てて挨拶を返し、遅れてやって来たシャロンにも挨拶をする。ようやく我に返ったアルバートが、イグルスに不思議そうに首を捻りながら訊ねた。
「あの、どうしてこんな朝早くから街中に?」
「ん、いやな、昨夜呑み過ぎてな。そろそろ寝るかと思ったら朝だったんで、こいつの朝飯食ってから寝ようと思ってな。ついでに挨拶回りもして来たんだよ」
「あ、挨拶回りですか……」
どこへですか、と訊こうとしたものの、あまり詮索しない方が良さそうな気もする。言いよどんでいるアルバートに、イグルスはクックと喉の奥で笑いながら言った。
「たいしたもんじゃねえ、今ちょいと港に同業者が来てるんでな。挨拶ついでに美味そうな海老を貰って来たんだ」
「お頭って海老大好きですものねぇ。ところで、貴方たちはどうしたの?」
シャロンはにっこりと微笑んでアルバートとブライアンの顔を交互に見つめる。二人は顔を見合わせてちいさく頷くと、イグルスに向き直って言った。
「俺たち、今から宮廷魔術師候補の処へ赴くところなんです。……教えて頂いた、最高位の魔術師の元へ。彼女を必ず連れて戻ります。楽しみにしていて下さい」
「貴方のお陰で、今まで知らなかった彼女の存在に気付くことが出来ました。感謝しています」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げる二人の王子を、イグルスはじいっと見つめると、視線を軽く宙に向けながら言った。
「……あ~……。止めとけっつったのに、行くわけか。今ちょいと面白いことを口走った気がするのは、酒が残ってるせいだろうかな……」
「そうだと思います。あまり呑み過ぎてはいけませんね。蜂蜜をお土産に買って行こうと思ったのに、まだ店が開いてなくて困っていたところなんですよ。蜂蜜が好きだなんて、やっぱり女の子ですね。そうだ、貴方は昨日の銀狐と魔女の姿を見ていたんでしょう? 回りくどいことを言ってないで、普通に教えて下さったら良かったのに。あれが死神、ウィルドなんでしょう?」
アルバートが昨日訊いた話を思い起こしながら言った。確かイグルスは狐の姿を見ていたはずだ。ならば、その後に現れた銀の髪の少女の姿も見ているのだろう。問われたイグルスは、昨日の出来事を頭の中で忙しく振り返りながらそれに応える。
「……そういや、女の子くさいのがいたっけな。ふぅん、魔女ね。そうか魔女か……その発想はなぁ、なかなか筋がいいぜ。……うむ、やっぱりな、初めて見た時からこいつらはちょいと違うなと思ったんだよ」
イグルスは視線を二人に向けると、大きく頷きながら歩み寄り、アルバートに向かって右手を差し出した。意図を悟ったアルバートは、右手を伸ばしてイグルスの手を握り締める。イグルスは満面の笑みを見せて力強く握り返して来る。がっしりと固い握手を交わした後、次はブライアンへとイグルスは右手を差し出す。両手で握り返すブラインの手に、イグルスは左手を添えてしっかりと握り返す。彼らは熱い想いをしばし無言で伝え合う。
やがてイグルスは拳を解くと、双子の王子の背を交互に叩きながら力強く言った。
「俺はな、お前らが国王となる姿を早く見たいぜ。ああそうだとも、お前ら以外にはもはや考えられないね。いい目をしやがるぜ、それでこそ漢だ。行って来い、囚われの魔女ちゃんを見事助け出してみせろ。お前らがやらずに誰がやる。俺は決めたね、お前らがこの国を治めるのなら、俺は全力で尽くしてやるよ。なんでも相談に乗るぜ、今後とも宜しくな。……ああ、心配するな。ドジ踏んで捕まった手下を帰せだのは言わねえ。そういうのは俺の流儀じゃねえんでな。……そうだ、蜂蜜な。ウチにあるから持って行けよ」
イグルスはそこで言葉を切ると、傍らのシャロンに視線を向けた。気付いたシャロンは苦笑いを浮かべながら少し考えて応えた。
「ええ、一昨日に買ってあります。でもあれはお頭が仕事の依頼をするために用意したものでしょう」
「まあな。……実はちょいと造って貰いたい魔法の品があって、近々仕事の依頼をするところだったんだよ。それは別に急ぐもんじゃねえから、蜂蜜はお前らに譲ってやるよ。代わりに手紙を届けてくれりゃいい」
イグルスは踵を返すと、着いて来いと二人に声を掛ける。二人は困ったように顔を見合わせるが、彼らは早足で去って行く。アルバートは肩をすくめて言った。
「……まあ、ここは好意に甘えておこうか。旅の途中で店があったら、そこで俺たちの分を買えばいい」
「そうだな。それにしても、有名なんだなあ、蜂蜜の話」
そうよ、とプラチナが軽く微笑んで口を挟む。三人は、数軒先まで行ってしまったイグルスたちの後を走って追い掛けた。
***
昨日とは違う道を通って盗賊ギルドの本部へと辿り着いた三人は、先ほどから玄関前で立ち尽くしている。狭い路地のため、馬は塀沿いに一頭ずつ寄せている。それぞれ手綱を握っているため、立ち話をするには少し距離がある。ブライアンが何事かを呟こうとした時、ようやく玄関の扉が開いた。中から現れたのはイグルスだ。イグルスはアルバートに手紙を一通手渡した。
「これは、彼女に渡してくれ。返事はいつでも構わんと言っておけ。……あと、これも渡しておこう」
イグルスはちいさな素焼きの壷と、金色の綺麗な鈴を手渡した。壷の中身は蜂蜜なのだろうが、鈴はどういう意味があるのだろうか。
金色の細い棒の先に大きさが少しずつ違う鈴が五つほど、やはり金色の短い鎖で繋がれている。金の鈴はクルミほどの大きさの物と、それよりも一回り大きな鈴がひとつずつ、どんぐりほどの大きさの鈴が三つ付いている。不思議そうに見つめている三人に、イグルスは簡単に説明した。
「これは、竜鈴という。これを振って鳴らしながら、なるべく楽しそうな歌を歌うと竜がやって来るという代物だ」
「竜ですか……本当に、こんなもので?」
半信半疑といった顔つきでアルバートが訊ねる。イグルスはニヤリと笑うと、更に話を続けた。
「これは二百年ほど前に、大陸のとある竜使いの部族が使っていた物を、ウィルドが蘇らせたものだ。今はもうその部族は滅んでいてな、現存する物はこれだけさ。竜の種類によって鈴が違ってくるんだが、これは風竜に合わせて調律されてある。ここらだとそうだな、港の外れに丘があるだろう。あの辺りで使えば呼べるんじゃねえかな」
イグルスの表情は真面目なもので、茶化しているような雰囲気は無い。にわかには信じられない話だが、実際に竜を呼べるのならば是非とも試してみたい。プラチナが馬をブライアンに預け、アルバートの元へと近寄って来る。しげしげと鈴を見つめながらイグルスに質問をする。
「あの、具体的にはどうやって扱うんですか? 呼んで本当に竜が来たとして、その竜を使役することが可能なんでしょうか」
「ああ。風竜ってのは図体がでかいわりに臆病でな。鈴の音だけじゃ来ねえんだ。敵意が無いことを歌うことで示さなきゃならねえ。歌ならなんでもいいんだが、そういう意味があるんでなるべく陽気なのがいいな。……で、納得して姿を現したら、あとは頼んだら乗せてくれるから、そのままウィルドちゃんの処に連れてって貰えばいいのさ。ああそうだ。場所は知ってるのか」
イグルスはアルバートに視線を向けた。アルバートは頷くと、ローブの内ポケットに入れてある地図を取り出した。それは旅立つ前、アウレウスから渡された物だ。なお、共に預かった紺のローブは丁重に木箱に収めて布で包み、馬の背に載せてある。イグルスはチラリと地図を確認すると、愉快そうに笑いながら背後を親指で指差した。
「こいつを連れて行きな。なかなか良い声で歌うぜ。こいつとハモりながら鈴を鳴らして呼ぶといい。……じゃあな、楽しみにしているぜ」
いつの間にかイグルスの後ろにシャロンが控えている。手に持った大きな浅い籠の中には、具を挟んだパンが幾つも入っていて、シャロンはそれを一同にひとつずつ手渡しながら微笑んだ。
「お姉さんもどうぞ。貴方たちと一緒に歌えるなんて嬉しいわ。そうね、馬は置いて行ったらいいわ。街外れの馬場にいつも預けているでしょう。あそこに後で連れて行っておいてあげるわ」
「何から何まで、お世話になります」
二人の王子はパンを手に持ったまま、丁重な礼を送った。手綱を指示された場所に繋いだ後、香ばしい匂いを立ち上らせるパンを齧りながら一行は海岸沿いを目指して歩き出した。




