10話
「あれ、エリック。どこ行ってたんだ?」
王城の中庭にふらりと現れたエリックに、大きな籠を抱えた三男チャールズが不思議そうに訊いた。
中庭には小さな作業小屋があり、城の廊下から続く屋根のある通路をチャールズは歩いていた。駆け寄ってくるエリックに気づき、足を止めて待つ。いつの間にか雨はかなり激しく降っている。エリックは慌てて屋根の下まで駆け込んだ。チャールズの元までやって来たエリックは、頭を軽く振って水気を飛ばす。飛び散る飛沫に、チャールズは笑いながら言った。
「あのな、俺が冷たいだろ。小屋に入れば手拭いくらいあるよ。早く行って来いよ」
ああ、と小さく応えたエリックは、滑らないよう気をつけながら石畳の通路を早足で通り過ぎる。小屋の扉はわずかに開いている。大きく扉を開けて中へと飛び込んだエリックを、素っ頓狂な声が出迎えた。
「わっ、びっくりした。なんだエリックか」
「ん? ディランじゃないか。何やってんのこんな所で」
ちょうど外へと出ようとしていたのだろう。戸口に立つディランに、あやうくぶつかる所だった。ディランはエリックの姿をじろじろと見ながら口を尖らせる。
「何もクソも、先生の手伝いだよ。ほんとはお前だってやらされてるはずだったのにな、さっさと居なくなりやがって。一体今までどこに行ってたんだよ」
非難の声を上げるすぐ上の兄を、エリックはへらりと笑って宥めようとする。
「いや、ほら、ちょっと情報収集にね」
「情報収集~? ……まあいいや、ほら」
ディランは何か言いたそうに眉をしかめながらも、近くの机の上に置いてある手拭いを手渡してやった。エリックは軽く礼を言って受け取ると、水のしたたる顔に押し付けた。続いて頭をわしわしと拭う。遅れて中へと入って来たチャールズが、抱え持っていた大籠を机の脇にどっこいしょと下ろす。中には何かの茶色の実や、木の枝らしきものがたくさん入っている。
この作業小屋は、主に薬草師が材料の加工をする為に使っている。簡素な煉瓦造りの小屋の中には、中央に作業用の長方形の大きな机があり、その周りに四つほどの丸い木の椅子が置いてある。机の上には大きなすり鉢がふたつ。中には半分ほどの大きさになった、干した赤い実がいくつか入っている。その横に置いてある籠の中に、同じ実がびっしりと収まっている。これを全てすり潰す予定なのだろう。思わずそこから視線を逸らすエリックに、ディランがニコニコと笑みを浮かべてすりこぎを渡してやる。仕方なくエリックは近くの椅子を引き寄せて、大人しくそこに腰を下ろす。すりこぎを具合の良いように持ち変えながら、木の枝を大籠から取り出しているチャールズに声を掛けた。
「あのさあ、ちまいのはどこに行ったんだ?」
「ギルとフラン? あいつらも逃げたんだよなあ。まあ、学校じゃないか?」
応えたのはディランだ。チャールズはハハハと笑って口を挟む。
「いやあ、行ってないと思うね。街に遊びに行ったんじゃないか。どうせこの雨だし、もう帰って来るさ」
チャールズはそう言うと、窓へと向かった。開け放してある窓から雨がパラパラと入っている。木製の小さな扉を閉めようとした手がふと止まる。チャールズは窓から顔を出して、小さく笑った。
「ほらほら、帰って来た。……ん? あれ?」
「どうした? あ~? なんで?」
窓の外を覗き込んでいるチャールズの後ろから、ディランが肩越しに外を覗き見る。そしてチャールズと同じくうわずった呟きを洩らす。興味を引かれたエリックが更にその後ろからなんとか外の様子を垣間見ようと躍起になる。そして、やはり二人と同様に目を丸くして呟いた。
「うわあ、プラチナおねえさまじゃん。どうなってんの」
小屋からちょうど城門を伺うことが出来る。城門から入って来たのは二頭立ての馬車だった。開け放たれた正面玄関の前に降り立ったのは、フランとギルバート、そして金の髪の馴染みの魔女だった。
馬車を御するのは、随分と地味な格好をしている男だ。町人のような身なりの長身の男なのだが、無駄の無い巧みな動作で馬車をさっと移動させる。それを見たチャールズが、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「ふーん、どうやら近衛の騎士に連れ戻されたみたいだな」
チャールズは窓から身を乗り出して、扉の中に引っ込んだ弟たちに向かって叫んだ。名前を呼ばれたことに気づいたギルバートがひょこりと顔を覗かせて、キョロキョロと辺りを伺っている。チャールズはもう一度声を掛けると、気づいたギルバートに手招きをした。
ギルバートはわかった、と応えると、手をひらひらと振って扉の中へと引っ込んだ。
しばらく待ったのち、濡れた石畳の上に三つの人影が現れた。激しい雨音に、ちいさな足音はたちまち掻き消える。ほどなく狭い小屋の中は、三人の来客と三人の先客でいっぱいとなった。
チャールズとディランは、大きな木箱と樽に腰を下ろし、他の者たちは丸い椅子に腰を下ろす。その時、閉めたばかりの扉から、茶器を携えた従者が顔を覗かせた。近くに居たディランが立ち上がってそれらの乗った盆を受け取ろうと手を伸ばす。遠慮する従者からひょいと盆を取り上げて、にっこりと微笑んで礼を述べる。
ディランはテーブルの上にティーカップをざっと並べ、さて茶を注ごうかとティーポットに手を伸ばす。だがティーポットはすっと横から伸びた手に奪われた。
「ふーん、さすがに良いお茶使ってるわねえ」
湯気とともにふわりと広がる高貴な香りを楽しみつつ、プラチナがティーポットを慣れた手つきで傾けていく。腰を下ろしたディランに、隣に座るフランがクッキーを手渡した。フランの手には、クッキーがいくつか入っている小さな包みが収まっている。フランはクスリと笑った。
「もうすぐ夕飯だから、お茶菓子が無いんだよね。これはさっき馬車の中で貰ったんだ」
フランはそう言うと、包みをテーブルの上に置いて、皆に食べるように促した。ギルバートがさっと手を伸ばして自分の分を確保すると、ぽんと口に放リこむ。ほのかに漂うバターと蜂蜜の味を堪能しつつも、あまり良い機嫌ではないのか盛んに文句を口にする。
「……あーあ、せっかくもうちょっとだったのにぃ。なんでこれからってとこで邪魔するかなあ?」
「しょうがないじゃん、さっきからそればっかりだなあ。こんな大雨になるなんて思ってなかったし、良かったじゃんか」
困ったような顔でフランが応える。エリックが口を挟むよりも早く、ギルバートが反論する。
「だって! 迷って悩んでがんばって道を見つけて、さあ都合よくプラチナにも会えたぞってところで、城に帰れ、だよ!?てか、うちの近衛って変じゃない!? なんで忍んでるの、びっくりするじゃん!!」
盛んに主張するギルバートに、フランも頷いて同意する。
「びっくりだよね~。いきなり現れるんだもん。知らない街の人だと思ったら、近衛だって言うんだもんなあ」
うんうんと難しい顔で頷きあう年少組を、三人の兄たちは苦笑いを浮かべて眺める。エリックもクッキーを齧りながら言った。
「忍んでるよなあ~。たま~にいきなり声掛けてこられて、すんげえびびるんだよな。ぜんっぜん判んねえんだもん。普通に護衛してくれりゃいいのに、なんで潜んでいるんだろ。密偵も兼ねてる訳?」
「いやあ、単に父上の趣味だと思うよ。俺らだって護衛を連れてぞろぞろねり歩くのは嫌だし、いいんじゃないか? 周りも気を使うだろ」
応えたのはチャールズだ。エリックは納得いかないのか、更に食い下がる。
「あれってさ、いつも居る? せめてさあ、今日はこの辺に居ますよとかさ、教えておいて欲しいんだけどな~」
「居るんじゃないかなあ……。なんせ、近衛だしな。でも、俺も全く判らないよ。何人居るのかも知らないしな。そうだ、そもそもどこに行ってたんだよ。プラチナまで居るってことは、魔術師ギルドに行ったのか?」
チャールズの疑問に応えたのはフランだ。フランはティーカップを両手に包み込んで暖を取りながら、簡単に説明した。
「ええとね、最初は迷子になったんだけど、なんとか魔術師ギルドまであとちょっとってところまで行ったんだ。道を訊こうと思って入った本屋さんで、プラチナに会ってさ。それで、さあこれからギルドだぞってところで、いきなり声を掛けられてさ、城に早く戻りましょうって」
「そうそう、なんだこのおっさんって思ってたら、近衛騎士団の印の入ったナイフを見せられてさ。それでそのまま馬車に乗せられて、帰ってきたってわけなのさ」
話を継いだギルバートが憤慨したように鼻を鳴らす。
そして、ギルバートとフランによる、ちいさな冒険譚が身振り手振りを交えて語られる。途中、エリックが愉快そうに口を挟む。チャールズとディランは三人の話に興味津々の様子だ。しばらくエリックによる、街の探検講座が繰り広げられる。ひとしきり街の解説をしたのち、再びギルバートに語り部が戻る。そしてプラチナとの出会いまで話が進むと、また近衛騎士団の話題となる。
延々と繰り広げられる、終わりの見えない話に呆れたのか、紅茶を口に含んでいたプラチナがティーカップを置いて横から口を挟んだ。
「……まあいいじゃないの、お陰で歩いて帰らなくて済んだんだし。私はそのままギルドに行く予定だったんだけど、今日の定例会議はギルドじゃなくて王城で行うから、一緒に来るようにと言われたのよね。なんでも、アウレウス様が忙しくて行けないからって。で、一緒に馬車に乗せられて来たって訳なのよ」
へえ、と呟くのはエリックだ。エリックは久々に対面したプラチナに若干の違和感を覚えた。今日のプラチナは、いつもと違ってどこか物静かな気がしてならないのだが、それは雨で体が冷えたせいだろうか、それとも何か他に理由があるのだろうか。
ふいに先ほど別れた友人のことを思い出す。元々警戒心の強い性格ではあるが、今日は特にぴりぴりしていたように思う。……何かが、起こっているのだろうか。訊いてみようか、と思ったその時、紅茶をすすっていたギルバートがふいに顔を上げた。
「そうだ、プラチナ。本はどうしたっけ? 僕、馬車の中に置いてきちゃった気がする……」
「本? ああ、あれなら近衛の人が預かってくれたわ。今晩は雨が止みそうにないし、ギルドのメンバーには個室を用意するって。……そうね、一冊先に読みたい本があるし、アウレウス様にご挨拶して来ないと」
プラチナは飲みかけの紅茶を飲み干すと、軽く微笑んで立ち上がり、静かに部屋を後にした。去っていく後ろ姿を、三人の兄たちは首を捻りながら見送った。皆エリックと同様に、違和感を持ったのだろう。そんな兄たちに、フランが真顔を見せて小声で囁いた。
「……あのさ、実はすごい秘密を知ってしまったんだ」
「あ、そうそう。びっくりするよ、僕どうしようかと思ったよ。早く誰かに言っちゃわないと、きっと今晩寝られないよ。あのね」
ギルバートも神妙な顔つきで身を乗り出してくる。顔を寄せてくる兄たちに、もうちょっと近くにと手招きをする。
その時、バシャバシャと水を跳ねる音が遠くから聴こえてきた。兄弟たちは顔を上げて窓を振り返った。今は窓は閉めている。ディランが立ち上がると、そっと窓を開けて外の様子を覗き見る。
城門をくぐって駆け込んで来たのは、熱気を立ち上らせる馬二頭と、ローブを着込んだ双子の兄たちだ。フードは被っているものの、遠目にもなんの役にも立っていないのが見て取れる。頭から足元までずぶ濡れの二人は、開け放たれた正面玄関の前で、くしゃみをしながら重そうなローブを脱いでいる。
ディランはためらいつつも窓から身を乗り出して、二人の兄に一応声を掛ける。先に気がついたのはアルバートだ。
アルバートは従者から受け取った手拭いで顔を拭いながら、苦笑いを浮かべて片手を挙げて応える。ブライアンはその隣で、大きなくしゃみを幾度も重ねている。鼻をすするブライアンにアルバートは何事かを呟くと、そのまま城の中へと入って行った。
パタン、と窓を閉めたディランは、小さく笑いながら席へと戻り、一同に説明してやった。エリックが最後のクッキーを頬張ると、少しぬるくなった紅茶を煽って言った。
「今帰って来たのかあ、ギルドには辿り着けたのかな。あのさ、俺も一応、報告があるんだよ。メシ食った後で、また集まろうぜ。……長い話になるかも知れないからさ」
エリックはそう言うと、さっさと席を立つ。ギルバートが反論しようとするが、チャールズがまあまあと宥める。ディランも肩をすくめて言った。
「そろそろ戻ろう、いい加減作業も飽きたし。言っておくけど、俺らは昼からず~っとここで地道に手伝いしてたんだからな。後は夜だ、今日中にそれを粉にしないと、後の作業が間に合わないんだってさ」
「そうそう。それを全部すり潰す大事な役目は、お前らに丁重にお譲りしますよと」
ハハハと笑いながらチャールズも席を立つ。ギルバートとフランはまだまだ残っている赤い実の山を、うんざりとした顔で覗き込む。いつの間にやら二人の前にすりこぎが置いてある。ギルバートは先に部屋を後にするエリックを追うと、後ろから腕を回してぎゅっと抱きついた。
「もう、逃がさないよ! 同罪なんだからね!!」
「そうだそうだ、三分の一ずつだよ!」
二人の弟に羽交い絞めにされたエリックは、へらりと笑って反論する。
「いいや、違うね、あと二人合わせて、ひとり五分の一だ」
「それ凄く不公平じゃないか、俺らに」
前を歩くディランが振り返って言った。扉の鍵を閉めたチャールズも背後から何か文句を言っているが、三人の逃亡犯は聴こえないふりを決め込むことにして、こそこそと城の中へと逃げて行った。
ようやく第二章が終了。次回から第三章、『死神の名を継ぐ男(仮)』です。




