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銀の魔女と七人の王子たち  作者: 蒼月葵
第二章 すごいヤツを探せ!
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8話

「うわあ、降ってきやがった……」


 むくつけき小人たちをようやく振り切ったアルバートとブライアンは、荒い息を吐きながら空を見上げた。パラパラと降り注ぐ大粒の雨に、ブライアンは恨めしげに愚痴る。

 アルバートも乱れた髪の毛をかきあげながら、ため息を洩らす。辺りは随分と薄暗くなってきた。このまま夜まで雨が止むことはないだろう。


「まったく、俺たち何やってるんだろうな。魔術師を探すどころか、魔術師ギルドにすら辿り着けず、まんまと迷子になってるなんてさ。……これじゃ恥ずかしくて城に戻れないなぁ」


「う~……。そうだ、いっそ屋根の上に登ってみるか?」


 ブライアンはヤケクソ気味に目の前の二階建ての家を見上げる。アルバートは苦笑いを浮かべると、肩をすくめて言った。


「馬鹿言うな、俺たちが屋根に上がったら穴があくだろ。あ~あ、城に戻って出直すにしても、方角も判らないし」


 周囲の建物が壁となって視界を遮っているため、街から普段なら見えるはずの丘が見えない。丘の周囲にはいくつかの大きな街があり、自分たちが居る街さえ判っていれば、普通は丘の上の王城を目印にして、だいたいの方角を把握出来るのだが。

 アルバートはローブのフードを目深に被ると、目の前の二股に別れた路地を睨みつける。


「もうこうなったらしょうがない、次に誰かに出会ったら、大通りへと戻る道だけ訊こう。今回は出直しだ」


「……そうだなあ、もう誰でもいいや、速攻で道だけ訊いて、後は明日にしよう。今日は験が悪い……」


 ブライアンも渋々同調する。魔術師ギルドには以前から興味があったのだが、今日はもうそんな気力は残っていない。一旦戻ってから、アウレウスに正確な場所を確かめて、また出直せばいいだけのことだ。気持ちを切り替えたことで、重くなっていた心も軽くなってきた。ブライアンもフードを被ると、陽気な声を上げた。


「ようし、じゃあ誰か探そう。もう変人も見慣れた! どんな濃いヤツが出てきても、どうってことないさ。ハハハ」


「そうだな。意地張ってもしょうがない、大人しく迷子ですって頭を下げてやろうぜ」


「おう。お~い、誰かいませんかー! 迷子なんですぅ」


 ブライアンは腹を決めたのか、右手を口元に添えて、大声で叫ぶ。アルバートは枝分かれした路地をどちらに進むべきか首を捻った。取りあえず右に行ってみよう、とブライアンが軽く提案したその時、まさにその右側の路地からふらりと人影が現れた。暗がりにいてよく見えないが、ローブを着た背の高い男性だろうか。石畳の上をコツコツと足音を響かせてやって来る。手を振って駆け寄ろうとするブライアンを、アルバートが引き止めた。


「ブライ、ちょっと待て!」


「なんだよ、今度はまともそうだぜ?」


「そうだけど、……ちょっと待とう」


 アルバートの声は普段と変わらず落ち着いているが、僅かに篭る緊張の色を、ブライアンは敏感に感じ取る。ブライアンは踏み出そうとした足を戻すと、アルバートの隣に立って改めて前方の人影に目を凝らす。


 次第に雨足が強くなってきた。辻に立つ二人に雨が容赦なく降り注ぐ。やがて建物の影から姿を現したのは、漆黒のフード付きのローブを纏った、自分たちよりも頭ひとつ背の高い男だった。フードの隙間からばさついた黒い髪が見える。頬のこけた土気色の顔からは、およそ生気が感じられない。だが細い目はカッと見開かれ、爛々と炎を宿している。異様な気配を漂わせるその男は、辻の手前で足を止めた。二人を値踏みするかのようにじろりと視線を這わせると、薄く笑って何事かを呟いた。ローブの下に隠されている細長い杖が、男の足元と胸元のローブの隙間から、チラリと垣間見える。それに気づいたブライアンが、アルバートを背後の路地に突き飛ばし、男へと向かって駆け出した。


いきなりのことに倒れ込みそうになったアルバートは、文句を言おうと口を開くが、いつの間にか捨てられた長剣の鞘が目前に転がっている。アルバートは察すると、慌てて体勢を整え、短剣を抜きながらブライアンの元へと駆け寄った。


男は杖を握った右手を大きく右へと突き出すと、杖の先端を駆け寄ってくるブライアンへと素早く向けた。

杖には黒い炎がちろちろと巻きついている。ブライアンへと向けられた瞬間、その炎は生き物となって杖から放たれる。何匹もの漆黒の蛇は、血の色の牙を剥いて襲い掛かる。ブライアンが初めて目の当たりにする、悪意を持った魔術。ひどく動揺する己を必死に抑え込み、更に一歩を踏み出した。


 間合いに入ったのはまず一匹、一瞬ののちに二匹、三匹!

 剣の柄を両手で握り締めると、気合の声と共に一閃する。手応えを確認する間もなく、再び、三たび白刃を翻す。

 斬ったか、とサッと視線を流す。肉を斬った感触は三度ともなかった。大きく揺らぐ黒い炎を見届ける間もなく、四匹目、五匹目が飛び掛ってきた。


「ブライ、しゃがめ!」


 背後からの馴染みの声に、ブライアンは反射的に腰を大きく落とす。丸めた背にぐっと重量が加わる。背に左手を付いて飛び越えたアルバートは、目標を一瞬見失った二匹の蛇を右手の短剣でひと薙ぎした。蛇は血を流すことなく炎へと姿を戻し、やがて宙を漂う炎の帯は、一塊の黒い篝火となって降りしきる雨の中、辺りを照らすことなく朧に浮かぶ。主たる魔術師は、剣を構える双子の姿を、愉快そうに眺めて言った。


「……なかなか。だが、魔術というものはそんなものでは破れはせぬ。武器を捨てよ、黒炎の呪いに蝕まれたくなければ、今後一切を知ろうとするな」


 怒りに気色ばむブライアンを、アルバートはぐいと後ろに押し退け、昂ぶる感情をねじ伏せながら言った。


「何を知るな、と言いたいのか。それを教えもせず、知れば呪いを掛けるだと。ああ得体の知れない呪いは怖いとも、触れたくないな、で? 何を知らなければいいって?」


 抑えた、だが立派な喧嘩口調でそう一息に言い放つ。激しく降り注ぐ雨の中、熱を帯びた沈黙が空間を支配する。やがて魔術師はニヤリと口元を歪めると、ようやく返答の言葉を発した。


「……まあいい。くたびれ損の王子に、行きがけの駄賃くらいくれてやろう。……次代の宮廷魔術師の選定は、ウィータ公に一任せよ。既に内定者がいる。何も手出しするな」


「ウィータ公? あんた、叔父貴に雇われてるのか?」


 ブライアンはぴくりと眉を吊り上げ、怒気を孕んだ低い声で呻くように言った。アルバートは逆に先ほどよりもさっぱりとした表情を見せて、後を続けた。


「ふうん、内定者って俺たちも知ってる人? で、若い男の子がそう言われて、じゃあ止めますって言うと思っているわけですか? 見たところ、あんたも相当な腕だと思うけど、名乗りを上げてみる気はありませんか。僕たちは凄腕だったら氏素性は問わないけど? ……そうだ、あんたから見て、最強の魔術師って誰でしょう。ぜひとも教えて欲しいんだけどな」


 アルバートの声は落ち着いたものだが、目は完全に座っている。いつの間にか、右手に短剣、左手にナイフを握り締めている。ブライアンはローブの隅で、濡れた長剣の柄をこっそりと拭う。目は魔術師から一切離さない。

 臨戦態勢の王子二人を、侮蔑を篭めた目で見据えながら、魔術師はクックと喉を鳴らして言った。


「そう、それよ……。最強の魔術師を知ろうとするな。最強の者には、最強たらしめる所以がある。引き寄せる禍はいずれ国を乱す。求めてはならぬ」


 黒衣の魔術師はそう言い放つと、音もなく燃え続ける黒い炎へと視線を走らせ、右手にある長剣ほどの長さの杖の石突を、濡れた石畳にカンと打ちつけた。それを合図に、炎の塊りから一条の矢が放たれる。

 その目指す先には、長剣の持ち主。

 魔術師へと向けていた刃を、慌てて迫る矢へと向ける。

 間に合わない、と悟った瞬間、何かが空から舞い降りた。唐突に割って入ったそれは、黒い影としか目には映らず。

 剣を構えたまま硬直するブライアンは、目の端にふわりと広がる何かの影を、未だに把握出来ずにただ立ち尽くす。


 止まる二つの呼吸を、再び動かしたのはその黒い影であるもの。――ふさふさとした長い尾を持つ、銀の狐だった。空より叩きつけられる雨粒よりも疾く、ふっと地へと降り立つと、四本の足ですっくと石畳を踏み締める。その口には、黒い炎で造られた一本の矢。それを見て取った魔術師は、血相を変えてもう一度杖の石突を鋭く打ちつける。放たれた矢は三本。


 一本はシュンと音を立てて煙となり、一本は再び銀狐の口に挟まれ。そして最後の一本は、美しい獣の尾に深々と突き刺さった。突き抜ければブライアンの顔へと届くが、銀狐は貫通する前に尾をひと振りし、矢は全て煙へとなって宙へと消えた。


 その時、銀狐の姿がゆらりと揺らぐ。


 豊かな尾は消えうせ、体は次第に色を失っていく。

 宙を漂う墨汁のような滲みは、徐々にその形を変えていく。すらりとした四肢は、みるみるうちにほっそりとした人の物となっていく。大きな三角形の耳は消えうせ、尖った鼻は影を潜め、次第に可愛らしい少女の顔を形作る。凛とした輝きを放つ瞳は静かに矢の主へと向けられる。


 薄暗い雨の路地に浮かぶ、白い衣の銀の髪の少女。

 風の流れとは無関係に、長い髪がたゆたっている。


 突然、なんの前触れもなく現れた神秘の少女に、アルバートとブライアンは声もなくただ呆然と立ち尽くすのみだ。

 君は、と重なる震える声を聞き流し、少女は魔術師へと向き直った。声なき声が、その場に響く。


『……子供に使うには、やや過ぎる術ではないか。死神は動かぬ。案ずることもなし』


 その言葉と同時に、宙にあった黒い炎は全て消え去った。フードの下の土気色の顔が、畏怖に歪む。手足ひとつ動かさず、その場にただ浮かんでいる少女の姿を、男は荒くなる呼吸を必死に抑えつつ睨みつける。


 その時、何者かが水を跳ねる音がかすかに聴こえてきた。次第に大きくなってくるその音は、どうやら二股の路地の左側から聴こえてくるようだ。次第に大きくなってくる足音に、男は小さく舌打ちし、右の路地の奥へと駆け出した。

 アルバートとブライアンは、後を追おうとすら思いつかず、ただぽかんと口を開けて目の前の少女の姿に釘づけとなっている。

 二人の視線にようやく気づいた少女は、ずぶ濡れとなっている二人の王子の姿をまじまじと見つめた。やがて小さく微笑むと、再び銀の狐の姿となり、重苦しい雨雲がとぐろを巻く空へと音もなく消えていった。



***



「ああいたいた、あんたたち、こっちにいらっしゃい!」


 早く、早くと盛んに急かす声を、二人はぼんやりと聞き流す。二人の前に現れたのは、赤紫のフード付きのローブを被った巨漢の男だった。ロールに巻いた燃えるような赤毛が、フードの中で揺れているのが見える。フリルをあしらった深紅のワンピースが、ローブの隙間からチラリと見える。男は小指を立てながら、ハンカチでそっと二人の顔を拭いてやる。


「あらまあ、可哀相にこんなに冷えきっちゃって。ほらほら、こっちにいらっしゃいな。暖かい飲み物と、そうそうお風呂も用意してあげるから。もう、ボスったら悪戯っ子で困っちゃう。ほらほら、遠慮しないでついてらっしゃい」


 謎の大男はそう優しく語り掛けると、腰を屈めてまだぼんやりとしている二人の腰に屈強な腕を回し、両肩に軽々と担ぎ上げる。アルバートとブライアンは、陽気な鼻唄を遠くに聴きながら、小声でぼそぼそと呟いた。


「……ああ、もう、どうでもいいや……」


「は~……もう少し、余韻に浸っていたかったなあ……」


 ようやく初恋の君に出逢えたというのに。

 夢にまで見た、銀の魔女。


 やっと巡り逢えた幸せを、もう少し噛み締めていたかった。二人は魂の抜けた、長いながいため息をついた。


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