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銀の魔女と七人の王子たち  作者: 蒼月葵
第二章 すごいヤツを探せ!
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7話

「うわ、ほんとに降ってきやがった」


 もうすぐ黒猫通りに出るというところで、ついに雨が降り出した。城に戻るまではもってくれると思っていたのだが。パラパラと降ってくる大粒の雨を、エリックは恨めしげに体から払う。今日は短衣に長ズボン、その上にはベストしか着ていない。革靴の底は厚いのだが、中までしみてくるのも時間の問題だろう。まだ夕方には早い時間なのだが、既に辺りはかなり薄暗くなっている。この雨雲の厚さでは、当分小降りにはなりそうにない。


 魔術師ギルドの前に差し掛かった時、早足で歩いていたエリックがふと立ち止まった。雨宿りをさせて貰おうか、とチラリと考えたが、右手をカルがぐいぐいと引っ張って先を急かす。

カルはフードを目元が隠れるくらいまですっぽりと被っていて、ローブの裾も地面すれすれまでの長さがある。丈夫そうな布で出来たローブの上を、雨粒はスルスルとすべり落ちていく。撥水の加工はちゃんと施されているようだ。だが、秋も深まってきたこの時期だ、夕方になってくるとこの様子ではかなり冷え込んでくるだろう。エリックはニッコリと笑うと、やや膝を屈めて言った。


「判ってるって、このまま寄り道しねーでさっさと帰るから、ついて来てもらうのはここまででいいよ。後は人通りもあるし、逃げ足には自信があるから大丈夫だよ」


「だーめ。年下のくせに生意気だ、ほら早く早く!」


 カルは再びぐいぐいと引っ張ると、まるで迷子を導いていくかのように、エリックの手を握って歩き出す。エリックは困ったように肩をすくめると、未練が残る魔術師ギルドを振り返りながら、黒猫通りを越えて大通りへと急いだ。


 大通りへと足を踏み入れたその時、エリックが唐突に立ち止まる。カルは思わずつんのめり、エリックをキッと睨みつける。小柄の上、背も負けているカルではエリックにはどうしても力負けしてしまう。エリックはちょっとだけ、と笑って応えると、緑の看板の果物屋の店先に顔を向けた。

店の前には鉄製の丸い入れ物の中に、いつもならば熱々の焼き栗がたくさん収まっていて、辺りに甘い匂いをほんわかと漂わせているのだが、今は一掴みほどの焼き栗しか中に入っていない。雲行きが怪しかったこともあり、今日はそれほど多くは用意していなかったのだろう。雨に当たらないよう、店の親父が慌てて店の中に仕舞い込んでいる最中だ。エリックは親父に声を掛けると、ベストの右ポケットから小さな巾着を取り出して、数枚のコインと一緒に手渡した。カルは呆れたようにため息をつくと、ローブの中で両腕を組んで、右足でパタパタと地面を叩く。


「もう、城に帰ったらいくらでも食べる物あるのに」


「へへへ」


 焼き栗の詰まった巾着を持って店から出てくるエリックを、カルが口を尖らせて出迎える。エリックは宥めるように軽く笑うと、栗でパンパンになっている巾着をカルに向かってポンと放り投げる。慌てて受け止めるカルに、エリックは丘の方角に歩き出しながら言った。


「それ、今日のお礼な。頑張って剥いて」


「……え。ええと、いや別に、そんなのは」


いらないよ、と言おうとしたカルの背中を、エリックは空を見上げながら軽く叩いた。


「やっべ、こりゃ本降りになるぞ。雷はやだな~、早く行こうぜ」


 ぽつりぽつりだった雨が、次第にひっきりなしとなっていく。エリックとカルは顔を見合わせると、小さく笑った。カルはまだ熱い巾着をそっとローブの中にしまうと、巾着の口を閉じている紐をぎゅっと握り締め、エリックと並んで走り出した。


 カルは急ぎ足で行き交う人々の中、エリックの後ろにぴったりとついて走りながら、耳だけを小さく動かして、背後の様子を伺う。降りしきる雨、大勢の足音、水を跳ねる音。ガラガラと荷車を引く音や、ピシャリと窓を閉める音。雑音の混沌の中に、音にならない音を感じ取る。先ほどからずっとついて回る、何者かの呼吸。カルはエリックが訪ねて来た時のことを思い出す。


(おかしいな、普段は近くに近衛の者が潜んでいるんだけどな。エリックは知らないみたいだけど。今日はそういう気配は無いんだよね。長兄たちの方に行ったのかな。う~ん、それとは違うんだよね~……。まあいいや、どうせ死ぬんだし、いちいち素性を探る必要はないね)


 最近、魔術師ギルドの周辺でおかしな気配を感じることがある。出入りする者を、何者かが探っているのだろう。時期的に、おそらく次代の宮廷魔術師選びと無関係ということは無いだろう。その前を通らないと出歩けない自分としては、それがうっとうしくてならない。棲み家の近くで殺人事件を起こすつもりはないので、今まで知らぬ顔をしてきたが、エリックに目をつけたとなると話は別だ。カルは少し考えると、やや足を早めてエリックの横に並ぶ。


「あのさ、城まで続く一本道があるじゃない。その左手にさ、野っぱらがあって、その向こうに林があるよね。その中に、城からの抜け道の入り口があるねぇ?」


「……あの、カルさん? なんでご存知ですか?」


 思わず苦笑いを浮かべるエリックに、カルは悪戯っぽく微笑むと、大通りから枝分かれした路地を指差した。


「そっちから行くと、近いよ。抜け道使うと、そんなに濡れなくて済むし、僕も早く帰れるし、ちょうどいいね」


「……そっすね~……ははは~……。あ~よかった、カルとお友だちで」


「だね~」


 たははと力なく笑うエリックの隣で、カルは実に楽しそうだ。いつの間にか辺りには明かりが灯り始めている。二人は暗くなってきた路地を、大きな水音を立てながらひた走った。



***



「じゃ、またね」


 丘のふもとにある林の中で、カルは別れの挨拶を送ると、エリックに向かってひらひらと手を振った。エリックは林の中にある、草むらに覆われた井戸から顔を覗かせて、手を振り返す。


「明日また行くわ。今日はありがと。……じゃ、また」


 井戸の中はそれほど深くはなく、縄梯子を少し降りるとすぐに底に辿り着く。

 石造りの井戸の底には朽ち果てた桶があり、よく見るとその下は地面ではなく、分厚い木の蓋で覆われている。ここを開けると、その下は深い穴となっており、水の溜まった最深部には鉄製の先の尖った杭が何本も沈められている。エリックは底板を踏み抜かないよう気をつけて、大股を開いて底板の上に降り立つと、慎重に左側の下の方の石壁のひとつをゆっくりと外す。そこには錆びた鉄製の小さな舵輪が隠してあり、回していくと右側の壁の一部が奥へとずれていく。そして、その中に下へと降りる階段が現れるしくみだ。階段はそのまま地下道へと続いている。

 エリックはカルに井戸の中からもう一度礼を言うと、縄梯子を器用に外して井戸の中ほどの窪みの中に隠す。


エリックは昼に通った時に置いておいた、小さなカンテラを手探りで見つけると、指先で胴体のガラス部分をチンと軽く弾く。ポッとちいさな音を立ててカンテラの中に火が灯る。アウレウス謹製のカンテラを軽く撫でると、エリックは狭い地下道を大急ぎで走り抜けた。


 地面の下で響くかすかな足音を確かめると、カルはようやく井戸の傍から腰を上げた。やれやれ、と小さく呟くと、木々の狭間をじっと見据える。


 街から城へは道幅の広い一本道が通っているが、その脇道は周辺の田畑や少し離れた街や村への街道へと続いているため、ふもとを行き交う者は多い。小高い丘は、野原と林で覆われているが、林の中に入るとがらりと変わって人気もなく、近くを通る脇道もない。


 カルは顔を覆い隠すフードをゆっくりとめくる。深紅の瞳が暗い空間にゆらりと灯る。


 ばさり、と重い衣擦れの音がして、フードが背中へと落とされる。遠目にもはっきりと浮かぶ人ならざる影絵に招かれ、漆黒の影が大木の影より別れる。―その数、二つ。

 影は影のまま、漆黒のその身を音もなく閃かせる。

 音もなく、一息に間合いを詰めるその姿を、カルはすっと目を細めて捉える。人ならざるその疾さは、人ならざるが故に。しなやかな黒い筋肉が形作るは、黒い豹。

 二体の黒豹は、刃を持った疾風となる。


 迎え討つのは、闇の申し子。


 右の人差し指を立てたカルは、静かに後ろへと右腕を逸らし、そのままサッと横から前へと差し向ける。その動きに、二体の黒豹の身が一瞬揺らぐ。ナイフを投げたわけではなく、ただ空を切ったのみと悟った黒豹は、最後の跳躍に力を篭める。


 同時に地を蹴った黒豹は、吹き抜けた一迅の風を虚ろな眼で振り返る。朱に染まった風は、激しい雨の中へと消えていった。




***



「あ~……困ったな、これだから雨は嫌いだ」


 カルはあ~あ、と落胆の声を洩らす。

 二体の黒豹が、草むらの中に横たわっている。時折木々が大きく揺れ、そのたびに雨が固まりになって降ってくる。

 カルの左右に倒れ伏している黒豹は、二体とも喉元を首の皮一枚を残して切り裂かれている。辺り一面、血の海だ。

低い方へと流れていく様を横目で一瞥すると、改めて足元の黒豹を見下ろす。いつの間にかしなやかな漆黒の筋肉は、ごわついた黒い布となっている。鋭い鉤爪は土気色の人の手に、牙を剥いていたはずの豹の首は、頭髪の抜け落ちた痩せた男へと変わっている。


 目論見では、一人は重傷に、一人はかすり傷程度に加減してやるつもりだった。そう風に細工を施したのだが、結果はこの通りだ。


(死体を作るのは簡単だけど、その後が面倒だから嫌なんだよなぁ。だから一人は生かしておいて、連れて帰らせるつもりだったんだけど。まあいいや、財布を盗っとけば夜盗の仕業ってことになるな、うん。ああそうだ、エリックが明日見つけたらどうしよう。う~ん……)


 状況的に自分が殺したということは察しがつくだろう。今更という気がしないでもないが、そういう所はまだ見せたくはない……と柄にもなく思ってしまう。

理由を訊かれても困る。素性はおろか目的すら訊き出していない内に殺めているのだから。襲ってきた時は黒豹だったのだと説明しても、今は人間なのだから信じられないだろう。先に襲ってきたのは相手の方なのだから、特に悪かったとは思わないが、このままにしておくのもどうかとも思う。カルは屈んでごそごそと男たちの服の中を弄ってみる。取りあえず財布らしき物を失敬し、ついでに転がっている意匠を凝らしたナイフを手に取った。なかなか使い勝手が良さそうな、高価な品だ。だが自分には少し重い。その時、ふと傍らの井戸が目に入った。


(あっそうだ、この中に沈めとけばいいや)


 カルは井戸の中を覗き込むと、井戸の中へと手を伸ばした。少し間を置いて、井戸の底からガタガタと重い物を押し上げる音が聴こえてくる。やがてガタリ、と大きな音を立てて、井戸の中から丸い木の蓋がせり上がってくる。

 細く伸びた井戸の中の水に押し上げられた蓋が、井戸の外へと大きな音を立てて放り出される。その蓋を両手で持ったカルは、水で出来た蔓を男たちへと差し向けると、そのまま井戸の中へと引きずり込んだ。流れた血は朝までには雨が洗い流していることだろう。


 ほどほどに辺りを片付けたカルは、木々の間をすり抜けて降り注ぐ雨の中、しばらくぼうっと立ち尽くしていた。

 纏うローブは雨を含んですっかり冷たくなっている。カルは思い出したようにぐっしょりと濡れたフードに手を伸ばし、半分ほど水気を追い払い目深に被る。ローブの中もだいぶ冷たくなってきた。もう少し水の力を弱めようとした時、腰の辺りに暖かいものがあることに気がついた。

 走る邪魔になるからと、ベルトに巾着をくくりつけていたのを忘れていた。カルはごそごそと巾着の紐を解くと、ローブの中で、まだほんわかと暖かい巾着を両手で包み込んだ。栗のころころとした丸い感触が気持ちいい。カルは近くの木の下に移動すると、濡らさないように気をつけながら巾着をローブの中から取り出して、ゆっくりと巾着の口を開けた。


 中からほわんと漂ってくる甘くやさしい湯気を、カルは大事そうに胸いっぱいに吸い込んだ。


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