6話
「こんにちは~! 誰かいらっしゃいませんか~っ」
どんよりとした分厚い雲の下、薄暗い路地の片隅でノックの音がむなしく響き渡る。いくら叩いても、声を張り上げてみても、中からはなんの応答もない。はあ、と力の抜けたため息をついて、アルバートは玄関の前の三段ほどの階段を降りた。目の前にはうんざりとした表情のブライアンが立っている。二人は顔を見合わせると、もう一度深々とため息をついた。
しばらく二人は立ち尽くしていたが、やがてブライアンが左手に持っている長剣を持ち直しながら重い口を開いた。
「……な~んで誰もいないんだろうなぁ。建物は多いのに、どこを訪ねても誰も出やしない。通りがかるヤツもいないしよ~」
「う~ん、働きに出てるんじゃないか? こんな所で商売って訳にもいかないだろうし、港や商店で働いてる人たちが、こういう所に住んでいるんだろう……」
「それにしたってなあ。あ~もうなんでもいいから、とにかく大通りに出よう! もう裏道はうんざりだ」
そうだな、とアルバートは呟くと、ふと今通ってきた方向とは反対方向の路地に顔を向けた。今、かすかに足音が聴こえてきた? ここからはよく見えないが、数軒先の家と家の間に、どうやら狭い横道があるらしい。次第に人の足音がはっきりとしてくる。ブライアンも気付いたらしく、先ほどまでとは打って変わった明るい声で、駆け寄って声を掛けた。
「すみませ~ん、ちょっと教えて貰いたいんですけ――」
ブライアンは思わず息を呑んだ。横道からひょっこりと姿を現したのは、半透明で、可愛らしい丸みを帯びた妖精の羽を背負った、中年男性だった。ずんぐりむっくりとした体型で、背丈はブライアンの胸元ほどしか無い。分厚い唇を覆い隠す濃い髭に、ごわごわとした剛毛をざっくばらんに刈り込んだ頭。ちょっと押したぐらいではびくともしなさそうな重量感あふれる腹を、どっしりとした短くもたくましい両の足が支えている。
噂には訊いたことがあったが、二人ともお目に掛かるのは初めてだ。これがいわゆるドワーフなのだろう。
右手には使い込んだ斧を持っており、軽々と肩に担いでいる。色の褪せた革靴と革のジャケット、丈夫そうな短衣に長ズボン。これから木でも切り倒しに行こうかというような格好なのだが、その背中には件の物が皮の細いベルトで留めてある。
どうしよう……と困惑しきった顔でブライアンは振り返った。アルバートは強張った顔のまま、視線をその男の背後へと向けた。ポカンと開けた口が更にぎこちなく広がっていく。震える指で後ろを指すのを見たブライアンは、嫌そうに眉間に皺を寄せながら静かに振り返った。そして、ブライアンは我が目を疑った。
そのいかつい顔をしたドワーフの後ろには、更にもう一人、いや、二人、三人……ぞくぞくと姿を現す。のっしのっしと大地を踏みしめ、狭い路地はあっという間にドワーフの団体で埋め尽くされた。全部で七人だろうか……。
言葉を失って立ち尽くす二人の耳に、野太い声が響き渡る。ドワーフたちは口々に唸るような怒号を上げる。
「迷子のコはいねえかあ~? 迷子はいねえかぁ!」
「迷子のヤツぁ~俺んとこに来い~!! 俺たちゃあ妖精だぁ、心配すんなぁ~あ!」
「お? おお、お前ら迷子かあ? いいから黙ってついて来い、そこに迷子の案内所があるぞぉ、メシも食わせてやっからついて来い~」
うちの一人が二人に気づき、ドスドスと大股で近寄って来る。ブライアンは慌てて逃げようとするが、アルバートはさっと手を伸ばし、ブライアンの右腕を掴む。
「ま、待て! 気持ちは判る、俺だって逃げたい。でもこうなったらしょうがない、大人しく案内所のお世話になろうじゃないか」
「嫌だ! 俺は絶対に嫌だぞ!! もう変人はたくさんだ、俺は逃げる!」
「落ち着くんだ! ほら、俺たちだって現にこんなに迷ってるじゃないか、こんな所に子供が紛れ込んだら大変だ、やっぱり大事な仕事なんだよ。ちょ、ちょっとぐらい不気味、いや、ふ、不自然でもしょうがないじゃないか」
アルバートは顔を寄せて、耳元で囁いた。ブライアンはキッとアルバートを睨みつけると、彼らが持っている斧を指差した。
「あれ、使い込んでないか。やばいよこいつら、きっと追いはぎも兼ねてるんだ。人相も悪いし」
「に、人相は、ほら、ドワーフだからじゃないか?」
いつの間にか二人をドワーフたちが取り囲んでいる。彼らは二人を見上げながら、口々に言った。
「心配いらん! 斧は曲者撃退用じゃ!」
「そうじゃそうじゃ、ほれ見ろ、ワシらかわいい妖精じゃ。本物の妖精じゃぞ、ほれ、触ってみるか、ん?」
ひとりのドワーフがそう言うやいなや、ブライアンの右手を掴み、無理矢理顎鬚に押しつける。まるでイノシシのような筋金入りの剛毛の感触に、ブライアンは長剣を握る左手で熱くなって来た目頭をそっと押さえる。
「お、お前いっちょまえに剣を持っとるんか。どれひとつワシらが腕前を見てやろう。――おう、帰るぞ!」
おお、と残りのドワーフたちが一斉に頷く。アルバートとブライアンは、七人の小人たちに腕や腰を掴まれ、えっさえっさの威勢のよい掛け声とともに、横道へと連れ込まれて行く。
「に、逃げようっ! なあ逃げようよアル!!」
「ど、どうやって、ちょ、そこは掴むなっ、うわあ!!」
穏便に済ませようとしていたアルバートだが、ついに音を上げたらしく体のあちらこちらを掴む手を強引に振り解く。必死に助け合いながら、二人の王子はほうほうの体で逃げ出した。
***
「うわあ、ひゃあ!」
屋根と屋根の間を飛び越えようとしたフランが、なんとか屋根には飛び移れたものの、バランスを崩して落っこちてしまった。少し先を行っていたギルバートが、慌てて屋根の上を走って近づいて来る。下を覗き込んでみると、フランは運良く積み上げられた麻袋の上に落ちたようだ。山のような形に積み上げられていたため、そのまま地面まで転がり落ちる。痛そうに頭を抑えてはいるが、目立った怪我は無さそうだ。ギルバートはホッと胸を撫で下ろし、自分も麻袋の山の上にひょいと飛び降りる。スルスルとリスのように降りて来るギルバートを、フランは尻餅をついたまま恨めしそうに睨む。
「……もう、どうして僕の方が年上なのに、負けるんだろうな」
「へへへ。フランって頭はいいけどちょっとどんくさいもんね~」
よっこらしょ、と立ち上がるフランの尻を、ギルバートがパタパタと叩いて埃を落としてやる。フランは背中の鞄から二人分の靴を取り出すと、一組をギルバートに手渡した。靴を履き終えた二人は、改めて周囲を見渡した。
どうやら倉庫と倉庫の隙間らしい。狭い空間に麻袋の山と、あとは木箱が大量に積み重なっている。木箱の上に落ちなくて良かった、と二人は顔を見合わせて呟く。一メートルほど先に、明るい空間が見える。二人は間に立ちふさがる木箱の上を、互いに引き上げながら進んで行く。先に通りに辿り着いたのは、やはりギルバートだ。フランも少し遅れて後に続く。
二人の目の前に現れたのは、大通りよりも狭い商店街だった。道幅は半分ほどだろうか。だが道は遠くまで続いており、立ち並ぶ商店もそこそこ賑わっている。大荷物を持って歩く大人たちでいっぱいだ。二人は顔を見合わせてにっこりと笑った。ギルバートが誇らしげに胸を張る。
「ほら、ここが黒猫通りだよ。僕の判断は正しかったのだ」
「すごいすごい! ええと、それでここからどうやって行くの? 魔術師ギルドって」
フランは素直に賞賛すると、キョロキョロと商店街を見渡した。だが大人たちが邪魔であまり見通せない。ギルバートも少し困った顔を見せる。正直、ここから先はよく判らない。ふとギルバートは、目の前にある商店が本屋であることに気がついた。顔をパッと輝かせ、フランの袖を引っ張った。
「そこに本屋があるよ、あそこで訊こう! こんな時は、通りすがりの大人じゃなくて、お店で訊いたほうがいいんだって。それに、本屋だったら魔法使いもよく来るんじゃない?」
「おお~、さすがギル!」
パチパチと手を叩くフランを連れて、ギルバートは本屋へと向かって颯爽と歩き出した。
***
「こんにちは! あの……あれ??」
店の扉をくぐったギルバートは、店の出入口にあるカウンターに釘付けとなった。カウンターの前に、ひとりの女性が財布を手に持って立っている。カウンターの中には、年配の男性の姿がある。カウンターの上には、分厚い背表紙の大きな本が三冊ほど積んである。財布から代金分のコインを取り出したその女性は、カウンターの上の木製のトレイにコインを置くと、ふと出入口を振り返った。
金の髪のその女性は、涼やかな目を意外そうに大きく見開いて言った。
「あら~? 悪餓鬼七兄弟のチビじゃない。こんな所で何をやってるの。というか、ひとり?」
「……ああ、見つかっちゃったかあ……。ワルガキは僕じゃなくって、五番目のEのつくヒトだと思いますう~」
ギルバートの後ろからひょいと店の中を覗き込んだフランが、あっと声を上げる。
「ぷ、プラチナさん?? なんで??」
「あのね、なんでじゃないでしょ。むしろあんたたちがなんで、よ。私はギルドに行く前に、頼んであった本を取りに来ただけよ。ああ、もしかしてあんたたち、迷子?」
「違うよ~だ。僕たちは魔術師ギルドに行きたいんですう。それで、本屋さんがあったから、道を訊こうと思って」
ギルバートが口を尖らせて反論する。ここまでがんばって辿り着いたのに、いきなり迷子よばわりは心外だ。そこは訂正しておかねばならない。
プラチナは今日はいつもの黒のワンピースの上に、濃い灰色のローブを羽織っている。フードの無いローブの縁には、銀糸で優雅な螺旋状の文様が刺繍されている。細かな細工を施した楕円の象牙のピンが、胸元でローブを慎ましく留める。くるくると巻いた長い髪は、今日は肩の位置で黒いレースのリボンで纏め、背に流している。
改めて見ると、ほっそりとしていながらも、たっぷりと存在感のある豊かな胸といい、ワンピースが美しく描く腰から足元までのラインといい。大人の男でなくとも、間近で見上げているとつい触りたくなってしまう。ちょっとぐらいならいいかなあ、とギルバートは思いながら、無意識の内につい手を伸ばす。
その可愛らしい小さな手に、プラチナはそっと左手で触れると、その手に買ったばかりの本を一冊押しつけた。とても十歳の子供が片手で持てる重さではない。いきなりずしりと重圧の加わった手に、ギルバートは思わず情けない声を上げる。
「うひゃあ、なにこれぇ!?」
「いいから両手で持ちなさい。フランはこっちね」
「……ふわ~い……」
もちろん二人とも紳士なので、こんな重い本を三冊も女性に持たせるわけにはいかない。フランは仕方なく、背負っている鞄よりも大きな本を、手の汚れを服で拭ってから受け取ると、胸元でよいしょ、と抱えこんだ。
フランとギルバートは、先に店を出る魔女の後ろを、疲れた体と重い本を引きずって、ふらふらとついて行った。
店から少し歩いた所で、プラチナはくるりと振り返った。後ろを歩く二人を立ち止まらせると、プラチナは腰に下げている杖を取り出し、大慌てで何事かを呟く。杖の先で本を一冊ずつ軽く叩いたその時、空から大粒の雨が降り始めた。やれやれ、とほっとした表情を見せるプラチナに、二人はジトりと見上げながら口を尖らせて訴えた。
「……あの~……。それ、雨避けの魔法?」
「本だけじゃなくってぇ、僕らにも使ってほしいんですけど~……雨え、冷たいっていうか~あ」
非難の目を向ける二人の子供に、プラチナは笑いながら杖を振るった。




