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銀の魔女と七人の王子たち  作者: 蒼月葵
第二章 すごいヤツを探せ!
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5話

『黒猫通り』は街の中心部を横切る大通りから、十分ほど歩いた所にある。大通りと並行するように造られた裏街道だ。道幅は大通りの半分ほどしかないものの、両脇には負けじと様々な商店が立ち並び、それなりに賑わっている。ただ多くの商店は一般的に使う商品よりも更に専門性の高い商品を扱っているため、職人やその筋の専門家、好事家などが主な客層だ。


 そして、商店以外の団体も軒を連ねている。黒猫通りを慣れた足取りで颯爽と歩く少年――エリックは、炙ったスルメを齧りながらとある建物の陰へと足を踏み入れた。通りからは見えない位置に、緑色の地味な扉がある。看板らしき物は見当たらない。エリックは立ち止まると、軽く扉をノックした。少し遅れて、中から掠れた低い声が聞こえて来る。


「……どなたで?」


「オレっす。丘の上のエリック」


「ああ、はいはい。ようこそおいでなすったね」


 扉が開かれ、中から小柄な老婆が現れた。エリックは軽く挨拶を返すと、勝手知ったるとばかりにさっさと上がりこむ。背中に閉まる扉の音を聴きながら、馴染みの老婆に顔を寄せて囁いた。


「あのさ、兄貴たち来てるだろ、今どんなカンジ?」


「は? いいや、兄さんたちどころか、誰も来ちゃいないよ、ワシが言うんだから間違いない」


「へ? おかしいな、もう来てないとおかしいんだけど。あぁ、もしかしたら道間違えたかなぁ……」


 エリックはヘヘヘと笑って老婆の顔を見る。老婆は愉快そうに表情を崩して言った。


「最近ねえ、一見さんが迷っちまうことが多くてねえ。どうも、大通りから曲がる場所を間違えてるみたいでねぇ」


「あ~、はいはい。そういや確かに同じような店が出来てたなあ。ここ来る時、あれって思ったんだ」


「緑の看板の果物屋ね。丘の方から見て、ひとつ手前の角にも果物屋があってねぇ。前は赤の看板だったくせに、あっちの方が客足がいいからって看板を緑にしちまってね」


「看板だけ変えたって、値段も向こうみたく下げないと売れねえだろうにな。……ふーん、あそこから曲がるとなると……あーあ、オレ知らね~」


 二人揃って苦笑いを浮かべる。エリックは一度入ったことのある小路を思い出し、クックと笑いを噛み殺す。

(俺の時はあの案内所、でけえアヒルだったっけな。今はなんだろ。声がオッサンの裏声でキモいんだ。俺はあの頃はギルくらいのトシだったけど、迷子になっただなんて思っちゃいねえから、慌てて逃げ出して屋根に登ったっけな。あれに兄貴たちが引っ掛かったのかあ……ヒヒヒ)


 ニヤニヤと笑みを浮かべるエリックに、老婆が用件を尋ねた。エリックは我に返ると、少し考えてから、小声で囁いた。


「あのさ、今ここに誰が来てんの?」


「今は誰もいらっしゃいませんが、二時だから……そろそろプラチナさんがいらっしゃいますよ。あとミーティスさん。夜にはフェルム様とあと数名が来られて、定例会議が開かれる予定です」


「ふーん。プラチナねえ~……あいつと顔を合わせると、剣の稽古に付き合わされるからなあ。いいや、今日は帰るよ。そのうちアルとブライが来るだろうから、俺の分までおちょくっといてくれよ」


 じゃ、とエリックは老婆に声を掛けると、皮のベストの左ポケットから焼き栗をいくつか取り出して、老婆に手渡した。まだ暖かい焼き栗を老婆は大事そうに受け取ると、小さく手を振って去っていくエリックを見送った。


***


 扉を閉めたエリックは、大通りには戻らず反対方向へと裏道を進む。複雑に交差する道を、やや早足で迷うことなく進んで行く。途中、何度かキョロキョロと辺りの様子を伺いながら、やがて唐突に現れた十段ほどの階段を一気に駆け上がる。階段は崩れそうなほど年代物の建物に行きつき、玄関らしきボロボロになった木の扉をギィッと音を立てて開けて、中へさっと入る。


 中はがらんとした何も無い部屋で、四方の壁には扉がある。玄関の扉以外は三つとも錆びた鉄の扉だ。エリックは左側の扉を三回ノックする。重い音を立てて、扉はひとりでに開く。エリックが中へと入ると、再び勝手に動き、大きな音を立てて閉まる。ここから先は真っ暗だ。エリックは通路の壁に右手を当てて、何も見えない空間を慎重に進んで行く。

 その時、目の前にちいさな明かりがふわっと灯った。

 蛍の灯火のようなちいさく青白い光は、二度ほど明滅したかと思うと、ぼわんと一気に拡がり、煌々と光を放つ。

『こっちだよ』とどこからか子供の声が聴こえて来た。エリックは小さく頷くと、すぐ横にある扉を軽く押した。鍵の掛かっていない扉はキイと音を立てて開き、エリックを中へと誘う。

奥の漆黒の空間に、猫の目のような光がふたつ浮かんでいる。闇夜に浮かぶルビーの色の妖しい輝きにじっと見つめられ、動じることなくいられるのは、エリックの他にはせいぜいどこかのギルド長くらいだろう。


エリックが室内に入る前に、背後の青白い光の球がするりと中へと入った。次第に部屋の全容が照らし出される。

古びた石造りの部屋の中には、簡素なベッドと木製の丸テーブル、そして椅子がひとつ置いてある。壁には細長い棚が十ほど打ち付けてあり、不思議な形をした石がびっしりと並べられている。中には半透明の美しい物もあるが、奇妙な模様の石や、何の変哲も無い石ころの方が多い。


そしてベッドの上には、ひとりの少年が胡坐をかいて座っている。真っ赤な目をした、黒髪の少年だ。髪は後ろで紐で縛り、肩甲骨の辺りまで伸ばしている。背格好は十四歳のエリックよりも頭ひとつ小さく、十歳ほどの子供に見える。だが黒髪を押し退けている両の耳が、その推測を疑問に変える。生粋のエルフを彷彿とさせる、異質な形。エルフの血をいくばくか引く者は、耳の先がやや尖るが、少年のそれは明らかに人のものではなく、エルフそのものだ。そして、煌々と照らされてなお光を拒む浅黒い肌。紅の瞳と相まって、知る者に不安と恐怖を抱かせるには十分だ。


ダークエルフ――人々にそう呼ばれている種族だ。


いつからこの街に棲んでいるのか、誰も知らない。エリックが初めて出会ったのは十歳くらいの時だろうか。その頃と、彼の外見は全く変わりがない。だが、出会った時から今まで、二人は少しも変わることなく仲の良い友だちだ。


界隈では『カーバンクル』と呼ばれているが、エリックは縮めてカルと呼んでいる。カルは組んでいた足を解くと、勝手に椅子に腰を下ろすエリックに、うつ伏せになって頬杖をつきながら言った。


「久しぶりだね、ここまで来るの。何か用?」


エリックはほのかに暖かい焼き栗を三つほどベッドの上に放り投げ、二つほど机の上に置いた。うちの一つを剥きながら言った。


「近くまで来たからさ。魔術師ギルドに寄ってたんだ。ホントは上の兄貴たちがギルドに用があるって言うから、様子を探りに来たんだけどな。俺より早く出たくせに、まだ着いてなかったんだ。それでね」


「へえ。じゃあ今頃迷路の中で遊ばれてるんじゃない?」


 クスクスと笑うカルに、エリックが苦笑いを浮かべる。


「やっぱり? あれさあ、悪質だよなあ。自分らで迷子量産してるんだもんな。出口を教えて貰やぁぼったくられる、自力じゃいつまで経っても出られないってさあ。いい商売だよな、道塞いでるんだもんな。ギルド長って変人? ほんと意味わかんねえし」


「あはは。変人っていうか、愉快犯ってやつだね。筋金入りの愉快犯さ。でもいいじゃん、盗賊ギルドの表の顔が、肉屋とか旅籠とかの方がいい?」


「なんの肉かわかんねえ~ぞっと! ハハハ、おっかねえ。ん、もしかしてお前、直に会ったことあんの? 噂じゃエルフって訊くけど、ほんと?」


 エリックは椅子に腰を下ろしたまま、椅子をベッドの傍にずりずりと近づける。カルは栗を頬張ると、剥いた栗の殻を器用に重ねながら、声を少しひそめて質問に答える。


「……あるけど。そんなには会ってないよ。エルフねえ、う~ん、半分くらいじゃないかなあ、エルフの血は濃いけど、人間の血も結構濃いカンジ? とにかく魔力が馬鹿強いんだよね。僕もちょっとかなうかどうか自信ないなあ」


「そ、そんなに?? お前より上ってアリ?」


「ぜんぜんアリだよ。たぶん魔術もかじってるね。エルフは普通、人間の魔術は使わないけど……。それに、剣がヤバイ。剣っていうか、武器ならなんでもだね。僕はあの人に出くわしたら、さっさと逃げるね」


 へえ、とエリックは間の抜けた声を上げる。カルはエリックに顔を向けると、笑顔を見せて言った。


「あっでも、あの人が肉屋やるんならちょっと興味あるなあ……。なんか珍しいのが食べれそう。解体の仕方も見物してみたいなあ」


「やめろって! それシャレになんねえから!」


 ほの明かりの室内に、愉快そうな笑い声が響く。ふとエリックが真顔になって呟いた。


「あっそうだ、魔術師としての実力ってどうなんだ?」


「そんなこと訊いてどうすんのさ。まさか王宮で雇おうなんて言わないよね?」


「……ちょっと思ったけど。あれ、もしかして知ってる?」


 言ってから、まさかね、とエリックはへらりと笑うが、カルはこくりと頷いた。


「宮廷魔術師を探してるんじゃないの。アウレウスさんが隠居したがってるってのは、耳にしてるけど」


「……そうだけど。なんつう地獄耳なんですかこのお耳は」


「へへ。だって、この前も王弟殿下がわざわざ魔術師ギルドに顔を出していたしね。使者も結構頻繁に来てる。フェルムに用があるんだろうね、ってもっぱらの噂」


「ふ、ふ~ん……さっすが」


 カルは昔から街の噂はなんでも知っている。街どころか、下手をすれば隣国の情報まで持っていることもある。これでは王宮内のことも筒抜けなのだろう。エリックは心の中で舌を巻いた。カルは気を良くしたのか、更に続けた。


「まあ、今から探しても、フェルム以上の魔術師ってなると難しいだろうね。諦めて、他のところで点を稼いだほうがいいと思うよ。どうせ世襲じゃないったって、なんだかんだで直系男子は優先されるって。いくら有能でも、家系以外から抜擢することがあるとは思えないね。たとえ本当に王弟殿下に王位がいったって、十年もすれば六十越えだろ。心配しなくても、すぐ長兄に戻ってくるよ」


 男の子特有の可愛らしい声で、外見に似つかわしくないことをスラスラと口にする。こういう時、年齢不詳というのを改めて実感する。エリックは複雑な表情だ。栗を口に放り込むと、ほっくりとした風味を堪能しながら言った。


「そこはほら、男のプライドってヤツなの。最高の魔術師を捕まえてくるって大見得切ったことだし、手ぶらって訳にはいかないのさ。……マジで、どこかのギルド長って、無理っぽい? 高給でも?」


「論外だよ。エリックはまだヤクザもんってのがわかってないね。……ああ、そういえばもうひとり、アレなのがいるっけな」


 カルが心当たりがあるのか、視線を斜め上に飛ばしながら呟いた。カルが大きな目を僅かに細め、視線を彼方に向けている時は、頭の中で素早く情報の検索をしている時だ。エリックはそれに気付くと、更にカルに顔を寄せた。


「なあ、誰か心当たりあるんなら、本当、真面目に、なんでもいいから教えてくれよ。魔術師ギルドに訊いたって、どうせフェルムさん一押しだろうしさあ」


「……ええと、要するに、どんなのがいいの? やっぱりアウレウスさん系の、頑固一徹研究者肌の人?」


「ええ~……。いやあ、そこは別に外してもいいかなあ。そうだなあ、俺の好みとしては、やっぱあれだね、最強ってのは外せないね」


 エリックは自信満々な笑みを浮かべて断言するが、カルは呆れたように眉根を寄せる。


「最強ったって……。別に魔術師同士で騎士みたく一騎打ちすることは無いんだけど。そりゃ魔力の強い弱い、あと知識の差はあるけどさ。それに、宮廷魔術師だよ? あんまりややこしい性格じゃあ、駄目だろ~?」


「魔力が強い、知識がすごい、だな。あとは細かいことさ。俺たち兄弟は、性格はバランバランだけど、たぶんこういうことは思うことは同じなんだ。最強一択さ! だからさ、頼むよ~、兄貴たち、頼りねえからさあ? 俺がひとつどうにかしてやりたいんだよ~」


 お願い、とぺこりと頭を下げるエリックに、カルは困ったような笑顔を浮かべて言った。


「う~、しょうがないなあ……。じゃあ、魔術師ギルドで、こう訊くといいよ。今の時代で、『メルクリウスの鍵』を持っているのは、誰かってね。その持ち主が、今の最高位の魔術師だよ。僕が知っているのは一人。他にいるかどうかは僕は知らないけど、もしかしたらいるかもね」


「……なにそれ、え、メルクイウス?」


「メルクリウス。の、鍵ね。面倒くさいから詳しいことはギルドで訊いて。ちなみに、その僕が知ってる奴は、宮廷魔術師はまず無理だから」


 どうして、と間近に顔を近づけて詰め寄るエリックに、カルはいつになく憂いを宿した目を見せて、静かに応えた。


「だって、その魔術師は国が追放したんだからね。まあ、ありえないよ。……あんまり関わろうとすると、それこそ継承権剥奪じゃあすまなくなるかもよ」


 カルの声は淡々としたものだが、有無を言わせない強い意志が篭っている。これ以上訊くな、と深紅の目がきっぱりと伝えてくる。エリックはそこを更に食い下がるべきかと迷ったが、カルがツンとそっぽを向いてしまったことだし、今日はここで引き下がることに決めた。思わずため息を洩らしながら、エリックはぼやく。


「……な~んか、思ってたよりずっと大きな話に首を突っ込んじゃった気がしてきたなあ……」


「うん、突っ込んでるね。僕は知らないよ。尾行されていることにも気がついてない王子さまは、早いとこ忘れたほうがいいと思うよ」


「へ? うそん。それって俺のこと? アルたちじゃなくて? ほんとに?」


 目を丸くして素っ頓狂な声を上げるエリックに、カルは悪戯っぽく笑って言った。


「……ほんとだよ。送っていくよ、ちょっと危ない蛇が出てきたみたいだ。ま、気にすることはないよ。いちいち正体なんて気にしてたら、病気になっちゃうよ」


 カルはベッドからよっこらしょと起き上がると、ベッドの支柱に引っ掛けてあるフード付きのローブを手に取った。

 エリックはまだ信じられないといった顔をしているが、早くしろとカルに急かされ、重い腰を上げた。


「……なあ、いっそカルが宮廷魔術師ってどうだろう?」


「冗談。そうだ、美人の魔女がいるじゃない。彼女はどうなのさ」


「美魔女? ……ああ。いやあ……。カーバンクルさん、美女ってのはねえ、遠くにありて想うものらしいですよ」


 ケラケラと笑いながら、子供らしからぬ会話を交わしながら、二人は提灯ほどの灯火を引き連れて部屋を後にした。


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