4
「……アンリは、稼動して何年になる?」
ボディ・チェックの後、アルベルトは一人でライアンに呼び出された。疲労が激しかったのか、アンリはチェックの後、通常よりも効果の高い睡眠薬を処方され、それを服用して今は深い眠りの中だ。
通常であれば、薬でコントロールされている睡眠時間は六時間だが、今回は、その倍量に近い量を処方されたらしい。それは、あまりよい兆候とは言えない部分もあったのだが、アルベルトにはそこまで気付く余裕はなかった。
ただ、いつもは事務的にチェックを行って帰るだけのライアンに呼び出されたことで、常にはない不穏な空気を感じ取ってしまったのは事実だ。所在無げに視線を彷徨わせていたアルベルトは、おもむろに口を開いたライアンからの唐突な問いかけに、咄嗟には即答できなかった。
「……え?」
鈍く反応を返すアルベルトに、ライアンは苦笑を浮かべる。
彼とて、そんなことを本当に理解していないのではない。アンリを作った《技術者》は彼であり、それは当然のこととして把握していることだった。
わざわざアルベルトに質問をしたのは、そうすることで避けられぬ事態を彼に想起させるためだった。
「……俺がレディ・アナベルに雇われたのが十五歳の時、アンリの稼動も、ほぼ同時期だったと思いますが。……違いますか?」
「君は、今年いくつになる?」
「……二十歳、です」
「……そうか」
もうすぐ、アルベルトはアンリの設定年齢の十九を追い越してしまう。最初から覚悟していたこととは言え、それは辛い現実だった。永遠に成長しないS.P.Dは、止められた時間の中で生きているからだ。
ライアンはアルベルトの答えにわずかにうなずいて、溜め息をついた。
「ということは、稼動からもうすぐ五年か。……平均的、ではあるが」
その言葉に、どきりとした。心臓が掴み上げられ、背中を冷たいものが伝うような、そんな感覚が全身を支配する。
……まさか、という言葉だけがぐるぐると回っていた。
そんなこと、ありえるはずがないと。
「そろそろ、君には話しておかねばならない時期になったということだね。……S.P.Dの、末期を」
自分が息を呑んだ音が、部屋中に響き渡るような気がした。暗闇の中に突き落とされたような、そんな気分だった。
「……それは、あの……っ」
「S.P.Dの寿命は長くても十年、多くは七~八年がせいぜいだ。そこに個体差はあるが、彼らに与えられた命の期限が極端に短いことは、君も知っているだろう。……アンリにしても、同じことだ」
「ああ……っ」
呆然と立ち尽くすアルベルトの口から、溜め息とも悲鳴ともつかない声が迸る。それを痛ましげな眼差しで見やり、ライアンは再度息をついた。
「……君には辛い話かもしれないが、S.P.Dに関わる者にとっては、避けて通れない道だ」
それは、わかっているつもりだった。
自分とアンリとの間には、決して越えられない壁があること。見た目には全く同じで、生物学的には人間であるのだとしても、アンリは、彼の意志とは別の場所にしか命の期限がないということ。
それが、S.P.Dという存在なのだという揺るぎのない事実を、今、この瞬間に初めて自覚した。わかっているつもりでも、本当はちっともわかってはいなかった現実を思い知らされ、アルベルトは悔しさに唇を噛んだ。
噛みしめた唇が切れ、鉄の味が口内に広がって行く。その苦々しさが更に深く心を抉って行くような気がして、身体が震えそうだった。
「残念だが、アンリは……」
「あと、どれくらいなんです!?」
噛み付くようにアルベルトは怒鳴った。どうにもならないことはわかっている。けれど、この気持ちだけは押し殺すことなどできなくて。
「……それは、わからない。だが、もっても二年、早ければ数ヶ月だ」
淡々と告げられる、死の宣告。ライアンにとっても、それは楽しい話題ではないだろう。それでも、それは現実だった。
「数ヶ月って……。そんな、早すぎる!」
「だから、それはたとえ話なのだよ、アルベルト。S.P.Dの末期症状は、それぞれ発現の形が違う。たとえ、同じ《技術者》から生まれたS.P.Dだとしても、全員が同じ結末を辿るわけではないんだ。現に、私の提供したアンリ以外のS.P.Dにしても、中には十年生きている者もいれば、三年で死んだ者もいる。それだけは、私たちが管理しようとしてできるものではないのだよ」
足元がふらついて立っていられなくなり、アルベルトはよろよろと傍らのソファに座り込んだ。受けた衝撃の大きさに、自分自身が驚いている。
(アンリ……っ!)
この気持ちが何と呼ばれるものなのか、気付けないほど愚かではなかった。
……それでも、これは禁忌だと、決して口にしてはならないのだと、必死に言い聞かせて来た。
「……わかっているつもりでした」
低く、うめくような声で、アルベルトはようやく言葉を絞り出す。自分の声のはずなのに、どこか遠い世界から聞こえてくるような気がして、目を閉じた。
「S.P.Dが、俺たちとは違うってことを……。だけど、俺は、本当にはわかっていなかったんですね……」
命の期限の、重みを。
二人の間に引かれた、見えない境界線を。
同じだと、思いたかった。
触れているぬくもりも、明るい笑い声も、時折見せる怜悧な微笑みも、自分と変わることのないものなのだ、と。
それが、勝手な幻想に過ぎないのだということを思い知らされ、眩暈がした。
「我々は、間違っているとは思うよ。だが、今はこの世界が全てだ」
そう、ライアンは言って、寂しそうな笑みを浮かべた。
「レディ・アナベルには、私の方から伝えておこう。……そういう事情であれば、次のS.P.Dのご用命もあるかもしれないからね」
残酷な現実。
S.P.Dは替えの効く玩具であり、役に立たなくなった玩具は用済みなのだ。知識としてわかっていたことであっても、それを目の前に示されることは、辛いことだった。
「……アンリは、どうなるんです?」
「今はまだ何もないが、初期症状が出た時点で、安楽死をさせる。それが、決まりだ。S.P.Dとして奉仕ができなければ、彼らに生きている価値はないと見なされるのだからね」
「そんな……っ! だけど、アンリは、あいつは、レディ・アナベルのお気に入りで、寵愛も深くて、他のS.P.Dとは違うのに……!」
「確かに、アンリは他のS.P.Dとは異なるだろう。レディ・アナベルは、アンリを深く寵愛している。……だからこそ、なのだよ」
「え……っ!?」
「……S.P.Dの死に様は、惨いの一言だ。いや、そんな簡単な言葉で表せるようなものでも、ないのだがね。寵愛が深かったからこそ、アンリにはそんな苦しい想いはさせたくない。レディ・アナベルは、そうおっしゃるとは思うがね」
呼吸する方法を、忘れてしまったような気がした。
頭のどこかで、誰かが叫んでいる。けれど、それが何なのかもわからない。
アンリが、遠からず死んでしまう。突きつけられたことを拒否したくて、身体が震える。
わかっていた。わかっているつもりだった。S.P.Dには、元々、それだけの年月しか与えられていないのだということを。
けれど、いざ現実になってしまったら、それを拒否しようと足掻く自分がいる。そんなみっともない真似だけはするまいと、冷静でいようと、心に決めていたはずだったのに。