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 湖上を吹き抜けて行く風に、木々が揺れる。適度に湿り気を帯びた冷気を含むそれは、心地よく感じるものだった。

 旧ヨーロッパ区域、かつては、スイスと呼ばれた場所。その景観は古き佳き時代の面影を残してはいるが、今となっては全てが近代化しており、どこでも趣とはかけ離れた無粋な建造物が立ち並んでいる。

だが、その周辺だけは昔の雰囲気がそっくりそのまま残され、ひときわ異彩を放っていた。

 レマン湖。彼の地が誇る、美しき湖。その畔に佇むのは、在りし日のままに姿を残す古城。最新の技術を駆使して修復されてはいるが、外観は元の形をとどめている。古ぼけた意趣を持つ古城でありながら、一歩中に入れば、そこは最新技術の粋を集めた施設でもあった。

 元々は街並みがあったのであろう城の周辺部は、四季の花が乱れ咲く庭園と姿を変えていた。

 喩えて言うのなら、楽園とも呼べそうなほどに美しい趣を持った、その場所。

 けれど、その楽園は見た目通りのものでは決してなかった。湖に向かって開けた部分以外を取り囲むのは、決して乗り越えることのできない壁。人が一人の力で這い上がることを拒む材質で作られ、高さも同じようにそれを阻む。たとえ這い上がれたとしても、その上に張り巡らされた高圧電流に触れれば、確実に命を落とす。

 そう、ここは、楽園の姿をした檻だった。

 世俗的には〝白い牢獄〟と称される、場所。

 膨大な面積を有した、この古城と庭園。ここに住むのは、わずかに二人でしかない。……いや、人間として数えられることのない奴隷階級を含めば、かなりの人数がここに住んでいることはいる。だが、それは、彼らにとってさほど重要なことではなかった。この豪奢な庭園、そして、昔の面影をそのままに残す古城が、たった一人の好みのために誂えられた。その事実だけがそこにあった。

「……アンリ」

 庭園の片隅で、木陰の昼寝を決め込んでいた一人の青年は、顔に影を落とすように覗き込んで来た人影に、うっすらと目を開けた。

 覗き込んだ相手は、不機嫌そうな表情を浮かべている。その態度にムッとしたように起き上がり、アンリと呼ばれた彼は憮然とした顔で問いかける。

「何だよ?」

「お前がいくら特別待遇で、この庭園内なら外出自由の身だからって、直射日光の下で昼寝なんかするな。何かあったら、レディ・アナベルに怒られるのは俺だぞ」

 言っている内容は相手を咎めてはいるが、口調はそれほど刺々しいものではない。どちらかと言えば、心配が含まれるそれを邪険にするほど、彼は浅はかではなかった。

「……ああ、ごめん。今日は風が気持ちよかったからさ。つい、外で昼寝を……」

「確かにそうかもしれないが……。何なら、湖にでも出てみるか?」

「いや、城に戻る」

「……そっか」

 素っ気無く返事をして立ち上がり、着ていた服についた土埃を軽く払う。城の方へと踵を返すその姿を追いかけるように、もう一人が動き始める。

「明日は、一日ボディ・チェックだってさ」

「……了解。まあ、何もないと思うけど?」

「当たり前だ。何かあったら困る」

 眉をしかめてそう返すと、彼は苦笑した。

「だーいじょーぶ。アルベルトにお咎めが行くようなことはないからさ」

「バカ、そういう問題じゃない」

 聞いているのかいないのか、彼はすたすたと歩いて行ってしまう。何とはなしに溜め息をついて、その後を追いかける。

 木陰の昼寝という優雅なことを決め込んでいた、明るい髪色の青年。太陽のような、と形容されるその髪の色は、彼の創造者がそれを好んだからだ。そして、その瞳は鮮やかな蒼穹のごときブルー。その色の取り合わせは、彼を作った創造者が好んだものであることは間違いない。

 アンリ・コーエン。それが、彼の名前だ。

 言うなれば、彼は、ここの主だった。この古城も庭園も、彼の好みゆえに存在していると言っても、間違いではない。だが、それを所有する彼自身が他の人間の所有物でしかないのだ。この箱庭のような楽園は、お気に入りの人形である彼のために作られた、巨大なドールハウスだった。

 彼、アンリは、S.P.Dだった。

 S.P.D……正式名称を、Speciality Dollsという。

 女権革命と呼ばれる大規模な革命が起き、男女の性の格差による差別化が徹底してから、既に一世紀以上。人権を剥奪された存在による人体実験を繰り返し、女性のために奉仕することを目的として生きる存在が合法化され、世の中に定着してからもかなりの年月が経っている。

 生まれながらにその容姿と設定した年齢を与えられ、成長することさえも止められた、歪んだ命。ドールと呼ばれる彼らの寿命は極端に短く、彼らは短い時間を駆け抜けるように消費して、短い生涯を終える。

 きっと、アンリも例外ではないはずだった。

 そして、そんなアンリといつも共に在る、一人の存在。S.P.Dには、大抵専属の担当者がついていて、彼はアンリの専属としてここにいた。

 アルベルト・フォルトナー。くせのないやわらかな金髪と、時折ブルーにも見えるグレーの瞳。理知的な表情を見せる雰囲気は、かなり大人びて見える。だが、彼の年齢は、アンリの設定年齢である十九歳とほぼ同じ年回りだった。

 S.P.Dを世話する担当者には、S.P.Dと同じ年回りの者が選ばれるのが通例で、アルベルトも例外ではない。S.P.Dは意識を持ったその時から死ぬまで、最初の年齢設定が有効で、成長することはない。だが、だからと言って、精神的な成長がないわけではなかった。共に学んで成長して行く相手として、また、心を許せる友人として、最初は二、三歳年下から始まるような相手が選ばれるのが通常だった。そして、S.P.Dがその短い生涯を終える頃には、数歳年上になっているのが基本だ。

 アルベルトは、十五歳の時からアンリと一緒に過ごしている。そして、今年十九歳の誕生日を迎えた。後どれだけの間、アンリと一緒にいられるかはわからないが、アルベルトは、いつでも明るさを失わないこの友だちが、とても好きだった。

 S.P.Dにとって、死はとても身近なものだ。それを気にすることなく、自分の与えられた今を精一杯生き抜こうとするアンリは、アルベルトにとって大切な存在だったのだ。

 逆らえば、殺される。

 いや、それは彼らS.P.Dに限ったことではなく、特権階級に属さない者は同じ条件下に生きている。支配階級に逆らえば命がないのは、アルベルトだって同じことなのだ。

 それでも、S.P.Dのように無理な遺伝子操作で命の期限を決められている存在とは、違う。それがアンリと自分との間に横たわる、違う時間の流れだった。

「アンリ」

 先を行くアンリを呼び止めると、彼は振り返った。

「……あ? 何?」

「今日は、後で業者が来るから……。サイズ合わせの」

「……あ、そうなの? うーん、じゃあ、もっと派手なの作ってもらおうかなぁ? ほら、この前見た昔の映画のさ、きらきらした服。王子さまーって感じの」

「そんなもん、実用性ないだろ」

「だって、それくらいしか楽しみないし……」

 本来なら、こうやって庭園を散歩することすらも許されないはずのS.P.D。外出の自由もない彼らにとっての唯一の楽しみは、食事と、衣装替えくらいのものだった。それだけが、自分の希望が通る可能性のあるものだからだ。

 とは言え、アンリには外出の自由がある。そこに様々な制限は存在しているものの、その行為を許されているのは、彼がここの持ち主のお気に入りであり、それだけの奉仕を彼がしているからだった。

 本来、S.P.Dには人権がない。

 いや、人権という言葉すら、彼らに使うのは適当ではないだろう。彼らは、人形なのだから。女性に奉仕するためだけに作られた、人工の命である彼らは、与えられた場所から外に出る権利さえも自分の物ではないのだ。生まれた建物の中から一歩も外に出ることなく、管理された空気の中で一生を終えるのが普通のことだった。

 そうであるがゆえに、アンリに対する特別扱いは破格のものであることは否定できない。いるべきはずの支配階級の居住区から離れた場所に専用の住居を与えられ、塀の内側だけとは言え、外出の自由を持つ。そんなS.P.Dは、片手の指で数えられる程度にしか存在しないだろう。

 だが、それが彼らにとって幸福なのかと言えば、おそらく違うはずだった。ただ、彼らは、それしか知らないから従うのだ。与えられたものの中でしか暮らしたことがない彼らは、そこ以外で生きて行く術を持たない。

 それは、アンリも例外ではなかった。

 諦めという感情の中で生きているのは、何もアンリに限ったことではない。S.P.Dだけではなく、この世界で自由に生きる権利を持たない誰もが、同じように考えているはずだった。

「……アルベルト」

 ふと足を止め、アンリはアルベルトの名を口にした。

「ん?」

「次にレディが来るのって……いつかな?」

「さぁな。連絡がないってことは、近いうちには来ないってことだろ」

「そっか……。だとしたら、もう少しの間は気楽にしていられるかな」

「そうかもな。だからって、気を抜くなよ。お前に何かあれば、文字通り俺のクビが飛ぶ」

「はいはい、大事なアルベルトに死なれちゃ俺も困るしね。……でも、さ」

 と、アンリは不意に表情を翳らせて、笑みを零す。その微笑みはとても寂しげで、アルベルトは胸を突かれたように黙り込むしかなかった。

「俺が死んじゃった方が、アルベルトは楽になれるのかな……?」

「バカ言え。俺は労働階級なんだ。別に、働くことに苦労なんか感じてないよ」

 彼の言おうとしていることの真意を推し量ることはできなかったけれど、わざと明るく声を張り上げて、彼の負担を軽くさせるように振舞って見せる。

 そんなことは、造作もないことだ。彼と出会ってからずっと、アルベルトはそうすることを心がけて来たのだから。

「だってさぁ、俺の世話なんてめんどくさくない?」

「面倒だと思っていたら、とっくに逃げてるよ」

 バカ言ってんじゃない、とアルベルトは苦笑した。

 それは、アルベルトの本音だった。

 ここにいて、アンリの世話をするというのがアルベルトの仕事だ。それでわずかなりとも報酬は貰っているし、労働階級に生まれた身としては、破格の待遇で生活していると言っても間違いではない。けれど、そんな報酬だけでできるほど、この仕事は甘いものではなかった。

 物質的に充足した生活と引き換えに待ち受けているのは、辛い現実を見せ付けられる日々。決して認められてはいない人権のことを、痛感させられる現実。報酬への義務感だけでやり過ごすには、少しばかり心身への負担の大きすぎるものであることは否定できない。

 おそらくは、アルベルトだけが特別だということではないだろうと思う。多かれ少なかれ、アルベルトと同じ立場にある者は、自分の管理下にあるS.P.Dたちと、何らかの信頼関係を築いているはずだった。そうでなければ、この仕事を勤め上げることなどできないからだ。

 城の入口を入りかけていたアンリは、アルベルトの言葉に振り返り、そして笑みを浮かべる。

「……そっか。なら、いいや」

 俺は部屋に戻っているからなー、と言い置いて奥に入って行くアンリを見送り、アルベルトは何とはなしに溜め息をついた。

以前に書いていたものを、少しだけ手直しして上げてみました。

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