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ほむら

作者: ゆきさめ

 長月。

 あたしたちは、遥か昔に舞い降りられた美姫の御姿を守り続け、その結果としてあるこの身にて、現し世への顕現を果たす。

 畦道に佇むあたしたちは、どれもあたしたちであって、あるいは個である。もともとは皆、かの御方と同一であるともいえるのであるが、しかしながら年月とは恐ろしいもので、各々に個を獲得していた。

 つまりあたしの意思は隣人と同一であり、それというのも守り抜いてきた太古の美姫たるものゆえに、 概ねは同じといえるのである。そしてまた、あたしとはあたしの意思であり、隣人、あるいはかの御方とは僅かばかりか、あるいは大きく異なっているとも言えるのである。複雑であったが、要するに、あたしはあたしである。

 あたしは自慢の赤い髪を風に揺らす。

 もちろん隣人もまた佇むその横顔に伸びた赤毛を揺らし、あるいは天を突き上げるかのように吹かれるままとしているが、あたしの揺らされ方とは違っていた。

 天上より吹きゆく風が揺らしていくのは、名も知らぬ御方より受け継いできた鮮やかな緑の着物もまた、そうである。折れそうなあたしたちの矮躯を飾る着物は、しっかりとしたものであった。緑に、赤の差し色。なんと映えることであるか。

 それが天空の蒼とあいまって、あたしたちの姿を鮮明にさせる。その鮮明にも艶やかな、言い換えれば近寄りがたいともされるあたしたちが、こうして列を成し佇むのを、人はまるで葬列か何かのようだと言った。まるであたしたちが彼岸を眺めているかのごとく、人は忌避していった。そしてまた狐どももあたしたちを見つけると、舌打ちでもするかのごとく尾を一振りして去っていった。

 あたしたちはそれでも、それでもこの人気のない道でそっと列となり佇むのであった。赤い色は葬列などではない。あたしたちの存在は、天を突くのであるからして、この存在は葬儀の夜のぼんぼりとは異なるのである。そしてまた、狐どもの餌付けをするためにここにいるのでもないのである。

 涼やかな風にゆらりゆらりと吹かれつつ、あたしたちは待っているのだった。

 あたしたちは、この身でもって示すはずの、瑞兆を待っているのだった。

 この現し世、あのべったりと塗りつけたような青色の大空より、あたしたちと同じ御姿の美姫が舞い降りるのだろう。それが瑞兆であるのだ。この世が祝福され、そして浄化され、更生、再生、復活なされることの合図であるのだ。

 そう、あたしたちのこの姿は、かの御方を出迎えるためであった。ここが濁世であると、御方のしるべとなるがため……。


 あたしたちは待っている。

 ここでこうして佇み、時折は空を仰ぎ、待っている。


 すでに道徳という言葉も朽ち果て、その朽ちた微塵さえも失せ、濁世という言葉の相応しいこの現し世。再生と復活とにはかの御方よりもたらされる祝福が不可欠であることは、もはや自明の理であった。

 あたしたちの眺める現し世は、ひどいものであるのだ。

 あたしの向かいにいる知人はそっと抱き上げられ、そのまま連れて行かれるのを知っている。

しかしあたしたちはどうだ。

 じっと動かずなんの邪魔さえしていないあたしたちを蹴り飛ばし、踏みにじり、あるいは引きちぎっていくのだ。そして捨てて行くのだ。不吉なものだと、捨てて行くのだ。嫁にせずとも連れ帰り、侍女にでもすればいい、しかし飾りにもなれないあたしたちは、そう、捨てられるばかり。

 ああ、なんと、憎らしい濁世か。

 と、無音の悲鳴を聞く。あたしたちは繋がっているのであるから、無音であろうともあたしたちのこの耳の内側から、悲痛な叫び声はわんわんと響くのである。

 幼女があたしの隣人の袖を摘まんでいた。

 いけない、と思う。あたしと同じく折れそうに細い隣人は、風に揺られ緩やかに身を引くも、袖は摘ままれたままである。ああ、ああ、そのまま、そのまま。


「何をしているの、捨てなさい、すぐにお捨てなさい。行けませんよ。災禍です、家が燃えますよ」


 女の声が高々と響き、幼女の手は手折った隣人をなんのためらいもなく投げ捨てる。赤い髪をさらさらと青い空になびかせて、まるで尾を引かせるように緑の着物を投げ出して、千切れた身体のまま、あたしたちの合間にぽってりと落下した。

 あたしたちは無言であった。

 慣れていた。

 みな揃って空を仰いだ。早く、早くこの濁世を救わねばなるまいに。あの美しき御姿はいまだに見えないのであった。

 瑞兆は、いまだ。

 じきに長月も終わる。厳しい冬がくるだろう。あたしたちは柔らかな布団へ身を横たえ、潜り、静かに眠るだろう。

 また今年も瑞兆は見ないかと、あたしたちは遠くを見つめたまま。


 ――さて。

 長月の終わりであった。

 その日も塗りつぶしたような、あるいは貼り付けたような青空であった。その色味が失せて陽も沈み、あたしたちは闇を見つめていた頃である。

 その日もまたあたしの隣人と、遠くに見えた姿がぼたぼたと首を落としていた。一人か二人はそのまま姿を消していたが、珍しいこともあるものだ。しかしどのみち、そこらに捨て置かれるだろう。そんなことに溜め息をついて赤髪を揺らしていたものの、今は、違う。

 今、あたしたちの赤い髪を揺らしているのは、ごうごうと吹き抜ける風である。


 瑞兆である!


 空より舞い降りるか、いや、あれは空へと舞い上がるのか。どちらでもいい、どちらでもよいのだ。あたしたちの姿が、あたしたちが空へと身を躍らせているのである。

 空より舞い降りくる赤い色、かの御方であった。まるで、そうだ、あたしたちの姿。あたしたちの待ち焦がれたあの姿、吹き抜ける強い風に着物を揺らし、あたしたちはみな一同に興奮していただろう。

 しかたあるまい。

 なにせこの現し世に初めて開花した瞬間より、待ち望んだ瑞兆であるのだから!

 吹き抜ける風、熱をも伴って運んでくるそれ。それが舐めてゆく地は、祝福の歌でも広げるかのように、新たに生を受けたあたしたちの姉妹が咲き乱れてゆく。そして美しき知人たちは姉妹に飲み込まれてゆく。

 ゆらゆらとあたしたちの姉妹は身体を揺らし、くねらせ、空へ空へと手を伸ばす。おそらくは、かの御姿をついにさらしてくださった古よりの美姫を求めているのかもしれない。あるいは飲み込んだあたしたちの知り合いを己に反映すべく、空を仰いでいるのかもしれない。歓喜しているのかもしれない。

 なんにしてもそんな様子に、あたしたちは心が掻き乱されていた。ぞわぞわとしたこれは、いまだ感じたことのないものである。そうか、これが快というのであるか。

 あたしたちは哄笑をあげて見つめている。見据えている。この濁世を、あたしたちを忌避していたこの濁世を。美しいだけの知人の、飲み込まれてゆく濁世を。そして、かの美姫が覆い、そして祝福をするさまを。

 濁世は生まれ変わるのだ。

 知り合いを飲み込み、あたしたちは、そしてあたしたちの姉妹もまた、生まれ変わるのだ。


 すべては、そう。

 ほむらのごとし。


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