洞窟
成政は、谷底の深い霧に包まれた洞窟の中で、死の淵をさまよっていた。
崖から落ちた衝撃で左肩の傷が再び裂け、太ももから血が止まらず、岩にぶつかった頭の傷からは血が額を伝って視界を赤く染める。
魔導銃は落下の途中で手から離れ、霧の底に転がっていた。
結晶の青い光はすでに消え、銃身は泥と血にまみれてただの鉄の塊のように見えた。
成政の意識は薄れ、息は浅く、指先は冷たくなっていた。
微かな呼吸音のみが、洞窟の壁に虚しく反響する。
体は、岩床に沈み込んでいる。
血だまりが広がり、視界が暗くなる。
どれだけ時間が経ったか。
洞窟の奥から、複数の足音と低い声が近づいてきた。
「…誰かいるぞ。
血の臭いがする」
松明の火が揺れ、数人の影が成政の周りを囲む。
先頭の女性が、しゃがみ込んで成政の首に指を当てる。
「…脈はある。
だが、瀕死だ。出血多量。
頭も打ってる」
少女が慌てて駆け寄る。
「ええっ! この人……血まみれじゃん!
なんか傷だらけだし…
しかも、これは…まさか日本刀?」
大柄な男が重い声で言う。
「話は後だ。
まずは命を繋げ。
ここは王の魔力が薄い……まだ間に合う」
女性は素早く指示を出す。
「担架を用意しろ。
傷口を縛って、止血薬を塗れ。
洞窟の奥の温泉まで運ぶ。
湯に浸かせば、出血も抑えられる」
戦士たちが成政の体を慎重に持ち上げ、担架代わりの毛布に載せる。
太刀は少女が拾い上げ、大事に抱えてついてくる。
「こんなにボロボロになっても手放さないなんて、きっと大事な物なんだよね…」
洞窟の奥、熱水が湧く小さな温泉に到着。
湯気の中で、女性が成政の服を脱がせ、傷口を洗い、薬草を塗り込む。
傷に沁みるのか、成政が呻き声を上げる。
成政の体は熱い湯に浸かり、血が湯に溶け出す。
「おじさん!大丈夫?」
成政の意識はまだ戻らない。
だが、湯の温かさが体をゆっくりと蘇らせていく。
傷口の出血が止まり、息が少しずつ安定する。
女性は湯の縁に座り、成政の顔を見つめる。
「まさか、とは思ったが…
初対面がこんな形になるとはな……
王都で焔鱗を倒した男が、崖から落ちて死にかけているなんて。
本当に無茶をする男だ」
男が苦笑いを浮かべる。
「だが、生きてる。
これで……俺たちの希望が、繋がった」
少女が湯に足を浸しながら、無邪気に言う。
「起きたら、びっくりするよね!
『ここはどこだ』って顔してさ。
『おぬしらは誰じゃ』って、刀構えてきそう!」
女性は小さく笑う。
「構えられたら、構え返してやるさ。
この男が起きたら……ようこそ、鎖断の徒へ、って言ってやる」
湯気の中で、成政の指が、わずかに動いた。
洞窟の温泉で、死にかけていた男は、静かに、しかし確実に、生き延びようとしている。
どのくらいの時間が経っただろうか。
成政は、洞窟の天井から滴る水滴の音で、ゆっくり目を空けた。
冷気が肺に染み込み、吐く息が白く凍る。
…まだ、生きている。
体は重いが、手足は動く。
肩の傷は包帯の下で疼くが、動かせる程度には回復している。
女性の声が、洞窟の奥から響いた。
「起きたか。
だが、無理はするなよ。
丸3日は眠っていたんだからな」
声に反応し、成政は上半身を無理に起こす。
全身が軋むかのように痛むが、声を絞り出す。
「…おぬしは」
「エレナ・ヴォルテール。
フランスの元軍人だ。
お前と同じ、『転移者』だよ」
成政には聞き慣れぬ単語ばかりであったが、一先ず最大の疑問をぶつける。
「ここは一体なんだ。
俺の傷の手当はおぬしが?」
エレナが、成政のもとへブーツの靴音を鳴らしながら近づく。
遠くにいた時は気付かなかったが、成政よりも頭一つ分背が高い。
「ここは我々『鎖断の徒』のアジトのひとつだ。
成り行き上、私が首魁のようになっているがね。
王の圧政に反抗し、奴を討ち果たすことを目的としている。
そのアジトに、血塗れの成政、お前が倒れていたので、治療したんだ」
傍らにあった太刀を手に取り、壁を背にして無理矢理立ち上がる。
立ち眩みがするが、何とか体を支える。
「…なぜ、俺の名を知っている」
成政は太刀に手をかけながら問いかけた。
エレナは、身じろぎもせずに続ける。
「知っているさ。
なにせお前は王家の守護獣を殺した有名人だ。
そして、我々の希望でもある」
成政は話が飲み込めない。
「希望だと?」
「まあ、ついてくるがいい」
エレナは踵を返し、洞窟の奥へと進む。
渋面を浮かべながらも、成政は彼女に続いた。
冷気が首筋を這うが、無視して奥へ進む。
洞窟は意外に広く、天然の岩棚が階段のように続いている。
壁には鎖を断ち切った短剣の紋章が刻まれ、松明の火が揺れている。
奥の広間に着くと、そこに十数人の男女が集まっていた。
粗末な毛皮の服、傷だらけの鎧、異世界の服を着崩した者たち。
皆が成政の姿を見ると、静かに視線を向ける。
好奇、警戒、期待――様々な感情が混じった目。
エレナが中央に立ち、成政を紹介する。
「紹介しよう。この男が、佐々成政だ。
王都で焔鱗を倒し、王の『眼』の猿を追い詰めた男。
そして、魔導銃の持ち主」
ざわめきが広がる。
少女が目を輝かせて飛び出してきた。
彼女は、佐伯ミラと名乗った。
「良かった!気が付いたんだね!
私、日本の高校生だったんだけど、本物のサムライ見たの初めて!
ねえ、いつの時代の人?
織田信長とかに会ったことある?」
成政は、鬼の如き形相でミラを睨みつける。
「…娘。次に御館様をそのように呼べば、小娘と言えど容赦はせぬぞ」
成政はこう吐き捨てると、視線を正面に戻した。
ミラは何かを言いたそうにしたが、口ごもる。
次は、ガルド・クロムウェルという大柄な男が、ゆっくり近づいてくる。
元王都騎士団長と名乗る彼は、左目の傷跡が痛々しい。
「成政とか言ったな……
お前が魔導を纏った銃で王の守護獣を仕留めたというのは事実か?」
成政は低く答える。
「……事実だ。
だが、銃は、彼奴らに追われる最中に失った。」
広間に静寂が落ちる。
エレナが静かに笑った。
「これは、やはりお前のものだったか。
仲間が川緑で見つけて拾ってきたものだ」
彼女が持っていたのは紛れもない魔導銃であった。
しかし、輝きは失われ、鉄塊の如く黒く沈んだ色をしている。
成政がエレナから銃を受け取ると、魔導銃はもとの青い輝きを取り戻した。
成政の目が細まる。
「なぜ俺をここに連れてきた」
エレナは洞窟の壁に描かれた地図を指さす。
王都を中心に、鎖のイラストが無数に描かれている。
その鎖を断ち切る短剣の紋章が、赤く強調されている。
「私たちは『鎖断の徒』だ。
王の支配という『鎖』を断ち切り、大陸に自由を取り戻す。
お前は……私たちにとって、希望の象徴になり得る。
魔導銃は、王の魔力の欠片を宿した武器。
王の力を逆手に取って、王を倒せる可能性がある唯一の手段だ」
ミラが興奮気味に続ける。
「おじさん、信長…様を知ってるなら、羽柴秀吉って人知ってる?
あの人も転移者らしいんだけど、今は王の家来で、こき使われてるんだって。
きっと、何か弱味を握られて無理矢理働かされてるんだよ。
おじさんから何とか説得して、こっちに来てもらえないかなあ?」
成政の眉間に皺が寄る。
「……奴の首は、王ともども俺が取る。
俺の道を邪魔するなら、おぬしらも斬る。
それだけじゃ」
ガルドが静かに頷く。
「それでいい。
俺たちも、最初はそうだった。
王の鎖に繋がれ、家族を焼かれ、すべてを失って……
それでも、立ち上がった。
お前のような男が加われば、玉座に届くかもしれない」
エレナが手を差し出す。
「組むか、佐々成政。
少なくとも、今は」
成政は無言で銃を握りしめる。
冷気が体を冷やすが、心の炎は静かに燃え続けている。
「よかろう……暫し、しばらく行動を共にするのみじゃ。
奴の鎖を断つ日が来たら……俺は一人で王を斬る」
エレナは手を下ろし、静かに微笑む。
「それでいい。
まずは、秀吉と、王の弱点を突く。
お前の銃と、私たちの知恵で……鎖を断つんだ」
洞窟の奥で、松明の火が揺れる。
鎖断の徒と、孤高の戦国武将の出会いが、静かに始まった。
王への反逆は、ここから本格的に動き出す。




