炎上
結局、丸一日、村長の家の藁のベッドで眠りについていた。
毒の熱は薬草のおかげでようやく引いてきたが、体はまだ重く、肩の傷が疼く。
魔導銃は枕元に置かれ、青い結晶が微かに光を放っている。
村の外では虫の声が響き、静かな夜だった。
だが、その静けさを破るように、馬の蹄音と複数の足音が近づいてきた。
村の木柵近くで止まり、低い声が交わされる。
成政は即座に目を覚まし、太刀に手を伸ばす。
村人たちが慌てて外へ出ていく。
成政は窓の隙間から覗き、息を飲んだ。
――秀吉。
黒金のローブを纏い、銀の杖を携え、十数名の騎士団を従えている。
あの男が、なぜここに。
秀吉は馬から降り、村人たちに向かって穏やかに微笑む。
だが、その目は冷たい。
村長が訊ねる。
「お代官様、御来訪歓迎いたします。
本日は、いかがなされましたか」
秀吉は、村を見渡し、よく通る甲高い声で演説ぶった。
「村の皆の衆、夜分にすまぬな。
王都の惨状はもう聞いておろう。
我らも大変な目に遭ったが、あのような光景を遠巻きにでも見ては、少なからず動揺もしておろう。
そこでじゃ、皆の慰撫のため心ばかりじゃが物資を分け与えようと思うてな」
秀吉が杖を軽く振る。
杖の先端から青白い光が広がり、地面に巨大な魔法陣が浮かぶ。
光が収まると、そこに積み上がっていたのは――小麦の袋、干し肉、塩、布地、薬草の束、そして酒樽。
村人たちの目が輝く。
「こ、これは……!」
村長が震える声で礼を言う。
「ありがとうございます、お代官様……!
こんなにたくさんの物資を……村は飢えずに済みます!」
秀吉は扇子のように杖を回し、優しげに頷く。
「よいよい。王からの恵みじゃからのう。
ただ……一つ、頼みがある」
村人たちが顔を見合わせる。
秀吉の声が低くなる。
「最近、この辺りに一人の男が現れてはおらぬか?
背が高く、左腕に包帯を巻き、肩に傷を負っておる。
顔は戦場をくぐり抜けた猛将のそれ……鋭い目、短く刈った髪、太刀と不思議な筒のような武器を持っておる男じゃ。
名を佐々成政という。
王都で王の守護獣を弑逆した大罪人じゃ」
村人たちの表情が凍りつく。
子供を抱いた女が後ずさり、男たちが互いに視線を交わす。
秀吉は静かに続ける。
「もしその男を匿っておったら……村ごと死罪は免れんぞ。
王の怒りは容赦ない。
だが、すぐに通報してくれれば、恩賞を倍にしてやる。
物資も、もっと持ってきてやるぞ」
村長の顔が青ざめる。
他の村人たちも、成政のことを思い出す。
昨日まで感謝していた男が、突然「守護獣殺しの大罪人」に変わった。
秀吉は馬に乗り直し、騎士団を率いて去っていく。
残された物資の山が、村の中央にどんと置かれている。
成政は家の影からすべてを見ていた。
太刀を握る手が震えるのは、怒りか、毒の残りか。
朝になり、村人たちの態度が変わった。
昨日までスープを運んでくれた女が、目を合わせず食事を置いて去る。
子供たちは成政の近くを通らなくなり、怯えた目で遠くから見つめる。
村長が成政の前に立ち、声を低くする。
「……お客人。
昨夜のお代官……秀吉様のお言葉を聞いた。
あんたが、王都で大罪を犯した男だって。
村は貧しいが、死にたくはない。
せめてもの情けで密告はしないでおくから、
早々に出ていっていただきたい」
成政はゆっくり立ち上がり、魔導銃を肩に担ぐ。
村人たちの視線が刺さるように痛い。
「……ふん。
礼など最初から期待しておらんかったが、まさか叩き出されようとはな」
村長は目を伏せる。
「すまん……。
だが、村の子供たちを死なせる訳には……」
成政は太刀を腰に差す。
「ほんの軽口じゃ。…世話になり申した」
村の出口に向かって歩き出す。
背後で、村人たちの囁きが聞こえる。
「あの男、ほんとに守護獣殺しだったのか……」
「早く行ってくれ……王の兵が来たら、村が……」
成政は振り返らず、森の奥へ消えていく。
魔導銃の青い光が、朝霧の中で微かに揺れていた。
翌日、成政は森の奥深く、木々の影に身を潜め、村から離れた丘の上からすべてを見ていた。
朝霧が晴れ始めた頃、村の中央広場に黒金のローブを翻した秀吉の姿が再び現れた。
騎士団はすでに村を囲み、魔力の結界が淡く輝いている。
村人たちは怯えて家から出てこない。
子供の泣き声が、風に乗って成政の耳に届く。
秀吉は銀の杖を地面に突き立て、静かに――だが、抑揚を抑えきれない喜びに満ちた声で言った。
「村の皆の衆……儂は優しい男じゃ。
昨日は物資を分け与え、今日も許そうと思った。
だがな……おぬしらは、儂の言葉を聞かず、佐々成政を匿った。
王の大罪人を、たった一晩でも隠した罪は、重い。
王に歯向かうものは、容赦せん。
儂も、もう優しくできん」
村長が震える声で前に出る。
「お代官様……! あ、あの男はもう去りました! この村は何も知らなかった……ただ脅されて宿を貸しただけで……!」
秀吉の目が細まる。
猿のような顔に、冷たい笑みが浮かぶ。
「知らなかったか?
儂は、「王の目」じゃ。
儂の目には、すべてが見えておる。
おぬしらの視線、怯え、感謝……そして、成政を匿った罪。
これ以上、言葉は無用じゃ」
秀吉は杖を高く掲げた。
「――焼け」
一言。
騎士団が一斉に魔力の槍を構え、青白い光を放つ。
杖の先端から巨大な魔法陣が広がり、空から赤黒い炎の雨が降り注ぐ。
村の木柵が瞬時に燃え上がり、家屋の屋根が爆ぜる。
藁葺きの家が火の海に変わり、悲鳴が上がる。
「やめてくれぇぇ!」
「子供が……子供がまだ中に!」
村人たちが逃げ惑うが、魔力の結界が村全体を閉ざし、外へ出られない。
炎は容赦なく広がり、石造りの井戸すら溶け始める。
子供の叫び、女の泣き声、男の絶叫――すべてが火の咆哮に飲み込まれる。
秀吉は顔色も変えず、阿鼻叫喚の地獄絵図を眺める。
高笑いはない。
ただ、静かに――満足げに。
「成政よ……おぬしもどこかで見ておろう、この村が焼ける様をな。
おぬしが儂に逆らった代償じゃ。
次はおぬし自身が、こうなる番じゃぞ」
成政の拳が、木の幹を握り潰すほどに力が篭もる。
毒の痛みなど、もう感じない。
視界が赤く染まるのは、炎のせいか、怒りのせいか。
「……秀吉」
成政は魔導銃を構える。
青い結晶が激しく脈打ち、銃身が熱を持つ。
距離は遠いが、この銃なら届く。
指が引き金にかかる。
だが、秀吉はまるでそれを感じ取ったように、ゆっくりと成政の方を向く。
霧越しに、目が合う。
「来るか?
ならば、来い。
この炎の海で、儂を討ってみよ」
秀吉は杖を振り、炎の雨をさらに激しくする。
村は完全に火の海と化し、黒煙が空を覆う。
悲鳴は次第に途絶え、残るは炎の爆ぜる音だけ。
成政は銃を下ろす。
今は、まだ。
村を焼いた罪は、決して忘れん。
だが、無謀に突っ込んで死ぬわけにはいかん。
「……秀吉。おぬしの高笑いが、いつか止まる日が来る。
その日まで、儂は生き延びる」
成政は身を翻し、森の奥へ消える。
背後で、村の最後の家が崩れ落ちる音が響く。
秀吉は静かに杖を収め、騎士団に命じる。
「次は、成政を追え。
王の名の下に……生け捕りでなく、死体でよい」
炎に包まれた村の残骸を背に、秀吉の影がゆっくりと去っていく。
成政の闘志は、燃えさかる村以上に、激しく燃えていた。




