逃走
王都ゴルドスプリングの中心、王城の最深部――「焔の玉座の間」。
黒い大理石の柱が林立し、天井は高く、赤黒い炎のシャンデリアが揺らめく。
床には溶岩のように脈打つ赤い絨毯が敷かれ、壁には無数の魔導結晶が埋め込まれ、淡い光を放っている。
空気は熱く、重く、息苦しい。
ここはストンリバー王国の絶対権力の座、王の謁見の間。
秀吉は一人、玉座の前に膝をついていた。
黒金のローブは王都を焼いた煙の臭いがまだ残り、銀の杖を両手で握りしめている。
普段の狡猾な笑みは消え、猿のような顔に緊張が走る。
玉座に座るのは、ストンリバー3世。
堂々たる体躯の王。
身長は優に2メートルを超え、筋肉が鋼のように盛り上がり、黒い鱗のような甲冑を纏っている。
顔は人間のそれではなく、獅子の鬣を思わせる金色の毛に覆われ、目は燃えるような赤。
口元からは常に薄い煙が漏れ、息を吐くたびに周囲の空気が熱を帯びる。
王の存在そのものが、部屋全体を圧倒していた。
秀吉は深く頭を下げ、声を低くする。
「王よ……報告いたします。
佐々成政……あの男を取り逃がしました」
沈黙が落ちる。
王の赤い目が、ゆっくりと秀吉を捉える。
「……ほう」
一言。
だが、その声は低く、地響きのように部屋を震わせる。
秀吉の背筋に冷たい汗が伝う。
「取り逃がした、だと?」
王の指が玉座の肘掛けを叩く。
カツン、カツン、という音が、死刑宣告のように響く。
秀吉は額を床に擦りつける。
「申し訳ございません。彼奴は畏れ多くも王家の守護獣たる焔鱗を魔導銃で弑逆し、逃亡した由にございます。
魔導銃……あの男の魂が具現化した武器は、予想以上の脅威で……」
王の体躯がわずかに動く。
玉座が軋み、炎のシャンデリアが激しく揺れる。
「予想以上?」
王の声が、雷鳴のように轟く。
「秀吉よ。お前は儂の『眼』だと言ったな。
儂の配下の中で、最も勤勉で、最も有用だと自負しておったな。
それが、たった一人の外来者を取り逃がした?
しかも、王家の守護獣を殺した男を!」
王が立ち上がる。
堂々たる体躯が影を落とし、部屋全体が熱波に包まれる。
秀吉のローブの裾が焦げ始める。
「成政……佐々成政。
最早、生け捕りでなくともよい……死体でも、魂だけでも、儂の元へ連れてこい!」
王の赤い目が燃え上がり、部屋の結晶が一斉に輝く。
秀吉は額を床に押しつけ、震える声で答える。
「……畏まりました、王よ。
必ず、成政を……連れてまいりまする」
王はゆっくりと玉座に戻り、吐息を漏らす。
煙が部屋を満たす。
「期限は七日。
七日以内に成政を連れてこなければ……貴様を磔刑とする」
秀吉の肩がわずかに震える。
だが、顔を上げた時、そこにはいつもの狡猾な笑みが戻っていた。
いや、もっと深い――狂気に近いもの。
「……ふふ。七日、か。
成政よ……おぬし、儂をここまで追い詰めたな。
面白い。実に面白い」
秀吉は立ち上がり、杖を握りしめて謁見の間を後にする。
背後で、王の低いうなり声が響く。
「成政……儂の元へ来い。
お前の銃は、儂のものだ」
王都の空に、再び黒雲が渦を巻き始める。
秀吉の影が、城門をくぐり、外へ消えていく。
成政は王都ゴルドスプリングの炎と崩壊の残骸を背に、路地を抜け、森の奥へと逃げ込んだ。
魔導銃を肩に担ぎ、毒の痺れが残る左腕を押さえながら、息を荒げて走る。
背後からは焔鱗の倒れた衝撃で崩れた城壁の音が遠く響き、王都の火の手が夜空を赤く染めていた。
騎士団との一時協力は終わった。
次に会えば、互いに殺し合うだけだ。
森は異世界のそれらしく、木々が異様に太く、葉は青黒く光を吸い込む。
道なき道を進むうちに、成政の体力が限界を迎えかけた。
そういえば、この世界に来てからまともな物を口にしていない。
「……くそ、まだ終わらん」
その時、低い唸り声が複数聞こえてきた。
森の木々の間から、小型の魔物が現れる。
犬ほどの大きさの、牙と爪の鋭い狼型魔物。
だが、毛皮は黒く棘が生え、目が赤く輝く。
五匹。
成政を囲むようにゆっくり近づいてくる。
成政は魔導銃を構える。
青い結晶が低く唸り、魔力が充填される。
「…邪魔じゃ」
引き金を引く。
二連射。
青白い光線が二匹の頭を貫き、黒い体液を撒き散らして倒れる。
残りの三匹が一斉に飛びかかる。
成政は銃を捨て、太刀を抜く。
魔導銃は強力だが、連射の反動で肩の傷が開き、毒の痛みが激しくなる。
ここは刀で片付ける。
一匹の喉を斬り裂き、もう一匹の脚を払う。
最後の魔物が牙を剥いて飛びかかるが、成政は体を捻り、逆手に持った太刀を腹に突き刺す。
グシャリと音を立てて魔物が崩れ落ちる。
戦闘は数分で終わった。
成政は膝をつき、息を荒げて周囲を見回す。
魔物の死骸から黒い煙が立ち上り、徐々に霧散していく。
「……これで、少しは静かになるか」
その時、木々の奥から人の気配。
「お、おい! あの人、魔物を倒したぞ!」
小さな声が聞こえ、数人の村人が姿を現す。
粗末な麻の服を着た農民たち。
手に持っているのは鍬や鎌。
怯えながらも、成政に近づいてくる。
年配の男が前に出て、深く頭を下げる。
「旅の方……ありがとうございます。
この森の『棘狼』どもに、村の者が何人も食われかけておったんです。
おかげで助かりました。
どうか、村へおいでください。
大した事は出来ませぬが…御礼いたします」
成政は太刀を収め、ゆっくり立ち上がる。
視線は鋭いが、拒絶する気力はもうない。
「礼などいらんが……体が動かん。一晩、休ませてくれ」
村人たちは安堵の息を吐き、成政を支えて森の奥へ導く。
小さな集落――木と石でできた粗末な家々が並ぶ村。
中央に井戸があり、周囲を簡易な木柵が囲んでいる。
村人たちは成政を一番大きな家(村長の家らしい)に案内し、藁のベッドに寝かせた。
女たちが薬草を煎じ、傷口に塗り、包帯を巻き直す。
子供たちが恐る恐る近づき、魔導銃を覗き込む。
「おじさん、これなに?」
成政は目を閉じたまま、低く答える。
「……あまり触るな、怪我をしても知らぬぞ」
村長が湯気の立つスープを差し出し、静かに言う。
「あなたのような強い方が来てくれたのは、神様のお導きです。
王都の火事も、遠くから見えました……
子どもたちは怯えていますが、このあたりは、まだ安全です。
しばらくここで休んでください。
何もない村ですが、傷をゆっくり治されるといいでしょう」
成政はスープを一口飲み、目を細める。
毒の熱が少しずつ引いていく。
体が温まる。
「かたじけない。
だが、俺は追われる身だ。
この村も巻き込まれるやも知れぬ。
一晩休めば十分だ。」
年配の男が静かに頷く。
「それでも……今しばらくはご逗留ください。
我々がそうしたいからそうするのです。」
目を閉じ、魔導銃を傍らに置く。
そのまま、小さく寝息をたて始めた。
成政は、異世界の小さな村で、はじめて、わずかな休息を得た。




