再会
佐々成政の意識は、毒の熱と血の臭いにまみれた闇から、ゆっくりと引き戻された。
最初に感じたのは、冷たい革の感触。
馬車の揺れが体を震わせる。
喉が焼けるように乾き、左腕の包帯の下で傷口がまだ脈打っている。
瞼を開けると、薄暗い車内。
窓から差し込む光は、赤みがかった夕陽。
外の景色は、草原ではなく、石畳の街道と、遠くに尖塔の立つゴシック様式の城郭。
馬車の側面には、豪奢な装飾が施されている。
馬の蹄音に混じって、甲冑の擦れる音が聞こえる。
南蛮甲冑に身を包んだ武人が騎乗し、馬車に並走する形で随行している様子だ。
「……ここは」
掠れた声が漏れる。
成政は体を起こそうとして、激痛に顔を歪めた。
毒はまだ完全に抜けていない。
傍らに太刀が置かれている。
血と、蜘蛛の体液に塗れていたはずだが、誰かが手入れをしたらしい。
馬車の向かい側、座席に腰掛けた男。
小柄だが、眼光は鋭く、口元にいつもの狡猾な笑みを浮かべている。
――羽柴秀吉。
だが、装いは違う。
黒と金の豪奢なローブ、肩にマント、首元に十字架のような装飾。
成政の知識の範疇で言えば、安土の町でよく見た伴天連に似た服装である。
扇子ではなく、銀の杖を手にしていた。
「ようやく目が覚めたか、成政殿」
秀吉の声は低く、抑揚がない。
成政は太刀の柄に手を伸ばし、ゆっくり体を起こす。
視線を外に向ける。
街道の両側に、石造りの家屋が並び、尖塔の教会のような建物。
空には黒雲が渦巻き、遠くで翼を持つ影が飛ぶ。
訊きたいことは数多あったが、最大の疑問が口を衝いて出た。
「なぜ、俺を助けた」
秀吉は静かに笑った。
正確には、笑みではなく、ただ口角が歪んだだけであるが。
「拾っただけじゃ。北の街道で、部下どもがおぬしを見つけた。
血まみれで、牛ほどの蜘蛛の死骸を抱えて倒れておったと報告を受けたのじゃ。
3日ほど前になるが、連れてくるように命じて治療させた。
血清を打ったとはいえ、ここまで毒が回っているのに助かるのは稀有らしいぞ。
この『王都』の医術師どもが大騒ぎじゃったわい」
成政は再度、周囲を見回す。
石畳の道、ゴシック建築の塔、教会の鐘の音。
ここが秀吉の言う、「王都」らしい。
「…ここは一体何じゃ」
秀吉は杖を膝に置き、静かに言った。
「うむ。儂もすべてを理解しているわけではないが、知るところを話してやる。
まず、この国は名を『ストンリバー』という。大陸唯一の国家で、王都『ゴルドスプリング』を中心に…」
成政の目が鋭くなる。
「そのような事を聞いておるのではない!
俺が聞きたいのは…!」
秀吉が指先を成政の口元に向けると、青白い光が灯る。
光が口元に飛んだかと思うと、口を開こうにも、何か強力な力で閉じられているかのように、開かない。
成政は呻くが、秀吉は構わず続ける。
「まあ、聞け。儂も立山で雪崩に巻き込まれ、気づいたらこの世界にいた。
供もおらず、儂ひとりじゃ。
もう1年近く前にもなるがの。
生き倒れになりかけていたのを救ってもろうた村で、一宿一飯の恩義とて、昔取った杵柄で灌漑を教えたら大層喜ばれてな。
それが王の耳に入り、城に召し出され、今では軍師やら領地の代官やらをさせられておるのよ」
心なしか、自慢気なところが腹立たしい。
異国の地に単身飛ばされたとはいえ、簡単に仕官する変わり身の早さにも辟易する。
やはり、俺はこやつが好かぬ。
「で、ここからが本題じゃが、王にお主の武勇を伝えたら大層興味を持たれての。
近頃は、お主が斃した大蜘蛛のような―『魔物』が王国を跋扈し、民草を苦しめておる。
正直、儂の手には余っておるのよ。
どうじゃ、お主さえよければ、また儂と轡を並べて―」
秀吉の言葉を待たずして、成政は、馬車の扉を蹴り開け、石畳を転がるように飛び降りた。
左腕がひどく痛むが、毒の残熱か、着地の衝撃によるものかは、わからない。
周囲の騎士たちが一斉に槍を構え、青い光が槍先で渦を巻く。
秀吉は馬車の上段に立ち、銀の杖を掲げて静かに見下ろしている。
「生け捕りにせよ。王が欲しておる」
騎士たちの槍が突き出される。
成政は体を低くし、毒の痺れを怒りに変えて太刀を振り上げる。
一閃。
槍の穂先が弾かれ、火花が散る。
だが、数が多い。
背後から別の騎士が横薙ぎに槍を振り下ろし、成政の肩を掠める。
血が噴き、視界が一瞬赤く染まる。
「くそっ……!」
成政は歯を食いしばり、後退しながら周囲を見回す。
鉄砲があれば――あの頃の鉄砲があれば。
刀一本。毒に侵された体。
秀吉の嘲笑が、背後から聞こえる。
「成政。おぬしは強い。だが、刀一本では、どうにもならぬぞ」
その言葉が、成政の胸に火を点けた。
――鉄砲があれば。
その瞬間、右手の掌に異様な熱が集まる。
青白い光が、まるで血のように脈打つ。
空気が震え、石畳の隙間から淡い粒子が舞い上がる。
成政の視界が一瞬白く焼け、
掌の中に、何かが「形作られる」。
全長一メートル半を超える黒鉄と銀の銃身。
銃身には青白い紋様が浮かび上がり、ゆっくり脈打つ。
銃口は細く尖り、先端から青い粒子のようなが漏れ出している。
引き金部分には、生き物のように蠢く青い結晶が埋め込まれ、成政の指が触れると、低く唸る。
「…こいつは」
成政の目が見開く。
これは、蜘蛛と死闘を繰り広げた時、毒に侵されながらも「欲した」もの。
成政は即座に銃を構える。
毒の痛みを無視し、左手で銃身を支え、右手の指を結晶に掛ける。
秀吉の表情が、初めて変わる。
驚愕と――わずかな興奮。
「魔力を纏った銃だと? お主が……」
成政は息を止め、引き金を引いた。
空気を裂くかのような轟音が鳴る。
青白い閃光が銃口から迸り、王都の空に吸い込まれる。
直後、轟音と衝撃波が石畳を震わせる。
騎士たちの槍が一瞬、動きを止める。
成政は銃口から立ち上る青い煙を睨み、ゆっくりと銃を下ろす。
左手は震え、血が滴る。
だが、目は燃えていた。
「……秀吉。これが、俺の答えじゃ。
おぬしが王の犬なら、この銃で、おぬしを――王を――仕留める」
秀吉は杖を握りしめ、静かに笑った。
だが、その目は、もはや嘲笑ではない。
戦慄と、久しぶりの闘志。
「…面白い。成政。
ならば、儂も本気で相手をしてやろう。
騎士団よ――こやつの首を取れ!」
騎士たちが再び動き出す。
魔力の槍が青く輝き、成政を取り囲む。
成政は銃を構え直し、毒の痛みを押し殺して低く呟く。
「……来い。全員、相手をしてくれるわ」




