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水たまりを踏んだあの日

作者: ヨルノピ
掲載日:2026/01/22

コンテスト向けに書きました。

その町は、静かだった。


音がないわけではない。

は走り、時計は鳴り、大人の声もしていた。

けれど、子どもの声だけが、ひどく少なかった。


子どもは、毎朝同じ道を歩く。

白い線を踏まないように、歩幅をそろえて。

遅れるといけないから、立ち止まらない。


「ちゃんと前を見て」

「今は遊ぶ時間じゃない」


言われる前から、分かっている。

分かっているから、聞き返さない。


学校では、正しく座ることが大切だった。

背筋を伸ばして、机に向かって、答えを書く。

早く終わった子は、次のページへ進む。


窓の外に何があっても、関係ない。


授業が終わると、すぐに帰る。

公園はあるけれど、使われていない。

遊具はきれいなままで、少しさみしそうだった。


家に帰ると、机の上には決められたものだけがある。

ノート、鉛筆、時間。


「終わったら次ね」

「無駄なことはしなくていい」


無駄が何なのか、子どもにはよく分からない。ただ、やりたいことは、いつもそこに入っていた。


ときどき、胸の奥がむずむずする。

理由はない。

言葉にもならない。


外に出ると、町はいつも同じ色をしていた。

明るいのに、どこか重い。

大人たちは忙しそうで、遠くを見ている。


夢や希望から、目をそらすように。


子どもたちは、それを見て育った。

感情を大きくしないように。

期待しすぎないように。


でも、心の奥で、小さなものが集まっていく。

走りたい気持ち。

笑いたい気持ち。

何かを好きだと言いたい気持ち。


それらはまだ、形を持たない。

ただ、静かに、確かに、町の中にたまっていった。


ある日、子どもたちは、少しだけ立ち止まった。


理由はなかった。

約束も、合図もない。

ただ、その日は、胸のむずむずがいつもより大きかった。


学校の帰り道、公園の前で、ひとりの子どもが足を止める。

つられて、もうひとり。

気がつくと、何人も集まっていた。


誰かが言ったわけじゃない。

でも、走り出した。


白い線を踏んだ。

靴が砂を蹴った。

ブランコがきしんで、すべり台が鳴った。


笑ってもいいのか、少し不安だった。

それでも、体は止まらなかった。


そのとき、ぽつりと音がした。


雨だった。


けれど、いつもの雨と違った。

服に当たると、冷たくない。

地面に落ちると、小さく光った。


子どもが手のひらを広げる。

きらきらが、そこに残る。

消えずに、やさしく光る。


雨は、町じゅうに降った。

屋根にも、道にも、閉じた窓にも。


大人たちは、最初、戸惑った。

仕事の手を止めて、外を見る。

理由を探して、名前をつけようとする。


でも、分からない。


ただ、胸の奥が、少しあたたかくなった。


昔のことを、思い出す。

走った日。

夢中になった時間。

うまくいかなかったけれど、確かに前を向いていた自分。


子どもたちは、雨の中で遊び続けた。

光る水たまりを踏んで、笑った。

理由のない楽しさを、思い出すように。


大人たちは、それを見ていた。

止める言葉が、出てこなかった。


そのとき、胸の奥で、何かがほどけた。


夢や希望は、叶えるためだけのものじゃない。

そこへ向かって走っていた時間そのものが、

心に、確かに残っていたのだと。


雨は、やがて止んだ。


空は、何事もなかったように澄んでいる。

でも、町は違った。


道は少し明るく、

声は少し増え、

子どもたちは、立ち止まっても叱られなくなった。


公園の遊具は、きしみながら使われている。

机の上には、余白が残った。


町は、きらきらしていた。


それは光ではなく、

「してもいい」と、何度も思い出せる気持ちだった。


自分のしたいことをしていい。

夢を見てもいい。


その町は、忘れていたものをもう一度思い出した。

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