◆部活動紹介
入学式が終わり、三十分ほどの短い休憩挟んで体育館に再び集合のアナウンスが流れた。
空気はさっきよりも少し柔らかく、光の角度が変わっていた。天井の高窓から射し込む陽光が、ワックスのかかった床に反射して白く輝く。ざわめきと笑い声が交差し、春らしい温度の中に新しい生活の始まりを感じた。
ステージには「部活動紹介」と書かれた横断幕。生徒会のメンバーが慌ただしくマイクやケーブルを調整している。
金属が擦れる音、アンプの小さなノイズ、リハーサル中の声。
まるでこれから始まる青春の序章のように、体育館全体がわずかに震えているようだった。
「すごい人……」
隣の星川さんが小さく呟く。
その声はかすかに緊張を帯びていたが、どこか期待の色も混じっていた。
僕は頷き、前方のステージを見つめる。
司会を務める生徒会長がマイクの前に立つ。黒いブレザーの襟を正し、よく通る声で言った。
「新入生のみなさん、入学おめでとうございます! これから各部活動の紹介を行います!」
拍手が起こり、会場の空気がぱっと華やぐ。
最初に登場したのは――野球部。
ユニフォーム姿の部員たちがステージに整列し、キャプテンが一歩前に出る。
「僕たちは、甲子園出場を目指して日々練習しています!」
その言葉に合わせて、ステージ上のスクリーンには試合の映像が映し出された。汗に濡れた顔、土にまみれたグローブ、白球を追う視線。歓声と拍手が重なり、体育館の空気が一気に熱を帯びた。
続いて登場したのはサッカー部。
軽快なBGMが流れ、ステージ上ではリフティングのパフォーマンスが始まる。
足先でボールを自在に操る先輩たち。膝、胸、頭へと流れるような動き。
ボールが空中で光を反射し、その軌跡を描くたび、客席から「おおっ」と歓声が上がる。
バスケットボール部は、ボールを巧みに回しながら舞台中央に立った。
キャプテンが軽くジャンプし、リングに見立てた円形の枠へとシュートを放つ。ボールは軽やかに弧を描き、中央を突き抜けるように決まった。
その瞬間、体育館がどっと湧いた。拍手、口笛、歓声。
僕の心臓まで、そのリズムに合わせて高鳴っていく。
剣道部の紹介になると、空気が一変した。
袴に身を包んだ二人の先輩が静かに登壇する。
礼。構え。
「面!」
鋭い掛け声とともに、竹刀がぶつかる高音が体育館に響く。
その音は空気を切り裂くようで、全身が一瞬で引き締まる。
「礼!」
再び深く一礼し、退場していく姿はどこまでも整然としていた。
次は陸上部。
スクリーンに映し出された映像では、トラックを駆け抜ける選手たちの姿。
風を切る足音、砂の跳ねる音。
その一瞬一瞬が、努力の積み重ねを感じさせた。
無言の映像に重なるのは、司会者の落ち着いた説明だけ。
それでも胸の奥に響く熱は確かだった。
客席のあちこちから拍手が広がる。
後ろの列では誰かが「すげーな……」と小さく呟いた。
隣の星川さんも、目を輝かせながらステージを見つめている。
続くテニス部の紹介では、ステージの上で軽快なラリーが披露された。
緑色のボールが光を受けて跳ね、ネットを越えるたびに観客席から拍手が湧く。
動きのキレも表情も、どの部も堂々としていて、見ているだけで胸が熱くなる。
最後に登場したのは、バレーボール部とバドミントン部。
どちらも明るく、掛け声をそろえて登場する。
バレー部のスパイク練習の映像、バドミントン部の高速ラリー。
体育館中に「シャッ、シャッ」というシャトルの音が響き、拍手がリズムのように続いていく。
運動部の紹介が終わる頃、体育館の熱気はすっかり最高潮に達していた。
前列の生徒がうちわ代わりにパンフレットを仰ぐほど、空気が熱を帯びている。
ステージの奥では、次の出番を待つ生徒たちが準備を始めていた。
その中には、絵の具のついたエプロンを着た生徒、
黒い衣装をまとった演劇部員、
金色に輝くトランペットを磨く吹奏楽部の姿――そして、黒いギターケースを抱えた数人の影が見えた。
体育館のざわめきが、少しずつ変わっていく。
勢いと汗の匂いに満ちていた空気が、
今度は少し静かで、繊細な期待を孕んだものに変わっていく。
ステージ袖に並ぶ彼らのシルエットを見た瞬間、胸の奥でなにかが小さく跳ねた。
金属の弦が、まだ鳴ってもいないのに心を震わせるような――そんな予感だった。
「次は文化部の紹介です」と生徒会長が言った。
その後、吹奏楽部の紹介が始まった。制服姿の部員たちが整列し、トランペットやフルート、クラリネットの音色が体育館を満たす。軽快なリズムで奏でる演奏に、観客席の何人かが軽く体を揺らす。彼らの真剣な表情や息の合った動きに、演奏にかける努力が伝わってきた。
美術部は展示スペースで自作の絵画や彫刻を披露していた。色鮮やかな絵筆の跡や繊細な造形物に、視線を釘付けにされる。
「すごい……こんな細かいの作れるんだ」
星川さんが小さく感嘆の声を漏らす。僕も頷きながら、それぞれの部の個性の違いに目を見張った。
写真部はステージ脇でスクリーンに作品を映し出す。モノクロからカラーまで、瞬間を切り取った写真が生き生きと映し出され、会場のあちこちで小さな驚きや笑いが起こる。生徒会は落ち着いた雰囲気で、文化祭や学校行事の説明を行い、観客席の注目を集めていた。
体育館を包む音や光、ざわめき。目に映る先輩たちの姿。どの部も、ただ技術を披露するだけでなく、それぞれの個性と熱意が滲み出ていた。
「……みんな、輝いてるね」
僕は小さく呟く。
「うん……楽しそうで、真剣で」
星川さんも頷く。琴音は僕たちを見て笑顔を返す。
体育館のざわめきが落ち着くと、次は待ちに待った軽音部の紹介だと告げられた。ステージに現れたのは、ギターを肩にかけた長身の男子、ベースを肩からかけた小柄だかしっかりしてそうな女子。体の大きいドラムの先輩はスティックを掲げていた。キーボードの女子は新入生に向かって手を振っていた。
「軽音部です!俺は部長の片桐悠真です。まずはメンバー紹介をさせてください!」
「俺らのバンド名、『スターナイト』の考案者、ドラム担当の三浦春馬!」
そう呼ばれたドラム担当の三浦春馬は大柄で、見るからに力強い体格の持ち主だ。空手部や柔道部と言われても疑わないくらいの腕や肩の筋肉がはっきり見えるが、表情は柔らかく、微笑むと優しい印象になる。手にドラムスティックを持ったまま軽く叩く仕草を見せ、リズム感の良さと自信を自然にアピールしている。言葉は少なめだが、その佇まいから「静かな安心感」を感じさせ、部員たちにとっての土台のような存在であることがうかがえる。
「俺のぎごちないギターを隣で支えてくれたギター担当の佐藤翔太!」
もう一人のギター担当と呼ばれた佐藤翔太は片桐部長とは対照的に軽やかな印象だった。身長はやや高めでスラリとしているが、肩や腕の力みはなく、歩き方や動作も柔らかい。笑顔を絶やさず、まるでどこかの国の王子様のようだった。髪の色が日本人離れした金髪だったことがその印象をより引き立たせた。地毛か染めているのかは分からないがフランス人の母親と日本人の父親のハーフということを聞いておそらく地毛だろうと仮説をたてた。言葉遣いも穏やかで、細かい質問にも丁寧に答えている様子から、人との距離感を上手に調整できるタイプだと感じられた。
「俺が部長になるきっかけをくれたベース担当の桜井涼子!」
ベース担当の桜井涼子と呼ばれた女子は小柄で、身長は低めながらも背筋がしっかり伸びていて、音楽に対する真剣さが立ち姿から伝わる。手元を動かす仕草は繊細で、弦を触る指の動きから集中力の高さが伺える。小動物を思わせるような容姿で新入生の男性陣には好評だった。また、片桐に質問している姿を見て周囲にしっかりと自分を示すことができるタイプだと感じさせた。
「そして副部長として俺を支えてくれたキーボード担当の小川恵!」
キーボード担当と呼ばれた小川恵という女子は椅子に座り、手を鍵盤に軽く置いたまま、柔らかな笑みを浮かべていた。指先の動きは自然で、見るからに軽やかで琴音とどちらの方が上手いのだろうと僕は思った。容姿はどちらかといえば可愛いというよりも美しいという印象だった。また黒髪のボブカットが似合っていた。軽音部のお姉さんのような感じだった。座っていても存在感があり、周囲の目を集めるのはその落ち着きと優しさからだろう。全体を見守るような雰囲気があり、部のバランスを自然に保つ役割を担っていることが想像できる。
五人が揃った軽音部の空気は、見た目の違いや性格の差を感じさせながらも、どこか調和が取れている。片桐部長の落ち着き、佐藤先輩の親しみやすさ、三浦先輩の安心感、桜井先輩の真剣さ、小川先輩の柔らかさ――それぞれが個性を放ちながらも、部としてのまとまりを自然に作っている。その様子を眺めていると、音楽の力だけでなく、互いの性格や雰囲気を理解し合い、支え合っているのだと感じられた。
新入生たちは、五人の個性豊かなメンバーに目を輝かせている。先程、新入生代表の挨拶で注目を浴びた琴音は横で小さく笑い、僕は一人ひとりの立ち振る舞いや表情を注意深く見つめ、胸の中で密かに心を動かされていた。音楽の話を聞く前から、それぞれの個性や雰囲気だけで部活の魅力が伝わってくる。初めて会ったのに、どこか安心感や親近感を抱かせる不思議な空間だった。
「これから演奏するのは俺たち『スターナイト』が作曲した曲『春の花に願いを込めて』です」
マイク越しに響く片桐先輩の声は低く、落ち着いているのに力強く、体育館の隅々まで届く。拍手と歓声が自然と巻き起こる。
「わあ……!」
星川さんの目が大きく見開かれる。普段は冷静でクールな彼女の口元にも、思わず笑みが浮かぶ。
演奏が始まると、空気が一変した。ドラムのスネアが軽快に刻み、ベースが低く床を振動させる。ギターのリフが切れ味鋭く響き、キーボードのメロディがそれを彩る。片桐先輩が歌い出すと、澄んだ声が体育館全体を包み込んだ。音の波が胸に伝わり、まるで体が振動しているかのようだ。
ステージ上の部員たちは目を輝かせ、互いに視線を合わせながら演奏していた。リズムに合わせて軽く身体を揺らす仕草、笑顔でアイコンタクトを交わす瞬間――その一つひとつが音楽の熱量をさらに際立たせている。観客席の僕たちも、思わず体を揺らし、息をのむ。
「……すごい……」
星川さんの囁きが耳元に届く。
「な、なんか……胸に響くね」
僕も小声で返す。心の中のざわめきが、演奏のリズムと重なり合うようだった。
演奏の間、琴音は僕の隣で軽く身体を揺らしながら、目をキラキラさせていた。彼女の表情はまるで音楽と一体になっているかのようで、懐かしさを感じさせた。琴音のこんな表情久しぶりに見たなと思った。
「やっぱり、音楽ってすごいな……」
僕は心の中で呟く。ギターを始めた頃の、弦に触れた瞬間のワクワクが、今ここで再び蘇るようだった。
星川さんは少し興奮した声で言う。
「軽音部……なんだか、楽しそう」
「うん……演奏もすごい迫力だったし」
琴音は僕たちを交互に見て、柔らかく笑う。
「見てるだけでもワクワクするよね。私も、こういうの大好き」
その大好きという言葉に胸が跳ねる。文脈的に決して僕に言っているわけではないが、どうしても気にしてしまう。いくら恋愛感情が低いとしても、多少は意識してしまう。
演奏の余韻がまだ胸に残る中、僕はふと思う。部活というものは、ただの趣味や遊びではなく、仲間との時間や挑戦の積み重ねなんだと。ステージ上の部員たちの笑顔が、すでに小さな青春の光景を見せてくれたようだった。
次の曲が始まる前、ステージ上の部員たちは軽く視線を交わす。キーボードの少女が小さく頷き、ドラムの少年が笑顔でスティックを振る。その瞬間、会場全体が息をのんだように静まり返る。
「次に俺らが演奏する部活動紹介のラストを飾る曲はBUMP OF CHICKENさんの『天体観測』です」
「いくぞーー!」
片桐部長の掛け声が終わると同時に、ギターの弦が鋭く鳴り響く。リズムは前の曲よりも激しく、ドラムの連打が床を震わせる。キーボードの旋律が空気を切り裂くように流れ、片桐部長の声は会場の天井を突き抜けるかのように響いた。
観客の中には、思わず手拍子を始める者や体を揺らす者が増えていく。桜の花びらが舞い込む窓辺に視線をやると、光に照らされた花びらが演奏のリズムに合わせて揺れているように見えた。まるで春そのものが音楽と踊っているかのようだった。
琴音は僕の隣で目を輝かせ、時折小さく笑う。その表情は幼馴染として知っている柔らかさと、音楽に心を委ねる凛とした美しさが混ざり合っていた。
「……すごいね、やっぱりプロみたい」
僕は思わず呟く。
「うん……楽しそうで、見てるこっちもワクワクする」
星川さんも小声で返す。彼女の目が輝き、胸の中に小さな高鳴りを感じた。
曲が中盤に差し掛かると、ベースとギターの掛け合いが生まれる。互いの音を受けて、微妙にリズムを変えたり、強弱をつけたりする。その瞬間、演奏全体がまるで生き物のように躍動する。ステージ上の笑顔が、観客に伝染するかのように、会場全体が一体となった感覚に包まれる。
軽音部の演奏が終盤に差しかかる頃、体育館の空気はすでに熱気で満たされていた。
薄く開いた窓から、春の風が吹き込み、舞い散る桜の花びらがステージの上にふわりと落ちる。
スポットライトが差すたびに、ギターのボディが白く光を返した。
片桐部長の声が、再びマイクを通して響く。
それはまっすぐで、どこか懐かしい響きを持っていた。
夜空の下で何かを探すような――そんな情景を思わせる曲。
イントロを聴いた瞬間、琴音が小さく息をのむのが分かった。
僕も、胸の奥で何かが鳴り始める。
三浦先輩のスティックがドラムを叩き、リズムが加速する。
桜井先輩のベースが深く鳴り、足元の床を伝って全身に響く。
佐藤先輩のギターが空を切るように高音を重ね、小川先輩のキーボードが透明な光を描いた。
その全てが絡み合い、ひとつの景色を作り上げる。
夜空の下、星を探すような旋律。
見えない何かに手を伸ばすようなメロディ。
僕は思わずステージを見つめたまま、息をするのも忘れていた。
片桐部長の指先が動くたび、ピックの先で弦が鳴り、光が跳ねる。
その姿に、ただ圧倒された。
「音楽って、こんなに生きてるんだ……」
胸の中でそう呟く。
言葉にしなくても、心の奥が揺さぶられるのが分かった。
ステージの照明が少し落ち、ラスサビ前の静寂が訪れた。
その一瞬、誰もが息を潜める。
片桐部長がそっと目を閉じた。
そして、ギターを弾きながら声を放つ――。
その瞬間、音が弾けた。
ドラムが一気に走り、ギターが火花を散らすように鳴り響く。
桜井先輩のベースが地面を支え、小川先輩の鍵盤が空へ駆け上がる。
まるで夜空が音で満たされていくようだった。
『天体観測』――誰もが一度は耳にした名曲。
でも、今この瞬間に鳴っているそれは、ただのコピーなんかじゃない。
この学校、この春、この空気の中でしか鳴らない“生きた音”。
片桐部長たちの息づかいが混ざり合い、音が感情に変わっていく。
僕の隣で、琴音が小さく微笑んだ。
その頬を照らすライトの光が、少し眩しい。
目が合うと、彼女は言葉もなく、ただ頷いた。
――すごいね。
その瞳がそう語っていた。
星川さんは両手を胸の前で組み、ステージを見上げていた。
目を輝かせながら、小さく体を揺らしている。
音楽に心を奪われたその横顔に、僕は不思議な懐かしさを覚えた。
同じ空の下で、同じ音を聴いている。
それだけなのに、言葉もいらないほど満たされていく。
ラストのフレーズに入ると、会場の手拍子が自然と揃った。
音が重なり、声が溶け合い、体育館全体がひとつの生き物のように脈打つ。
悠真のギターが最後の音を放ち、音の余韻がゆっくりと空気の中に消えていった。
音が止んだ瞬間、世界が静止したようだった。
体育館の空気にはまだ、ドラムの振動とギターの残響が薄く漂っている。
耳の奥がじんじんと熱く、心臓の鼓動が音よりも強く響いていた。
拍手が再び波のように押し寄せる。
立ち上がる者、手を叩き続ける者、ただ呆然とステージを見つめる者。
そのどれもが、同じ感情を共有しているように見えた。
“この瞬間に立ち会えた”という確信。
片桐部長はマイクから少し離れ、深く息をついた。
額に浮かぶ汗を腕でぬぐいながら、観客を見渡す。
その表情は、さっきまでの熱をそのまま残していたが、どこか優しい。
春馬先輩がドラムスティックを高く掲げ、にっと笑う。最初に同じ仕草をしていたが演奏後のその仕草はまるで違って見えた。
その笑顔に、観客席の誰かが思わず歓声を上げた。
桜井先輩の手が弦を押さえたまま、ゆっくりと弾くことを止める。
彼女の指先が震えているのを見て、僕は小さく息をのんだ。
――これが“本気”なんだ。
ステージの上では、誰もが命を懸けるように音を鳴らしていた。
小川先輩の指が最後に鍵盤を押さえ、淡い余韻が会場の空気を包み込む。
その音が完全に消えた時、片桐部長がマイクを握り直した。
「……ありがとう!」
たった一言だった。
けれど、その言葉が持つ熱は、どんなMCよりもまっすぐだった。
会場がまた大きく沸き立ち、歓声が体育館の屋根に跳ね返る。
照明の光が舞い上がる花びらを照らし、淡い光の粒が空中に散る。
僕は胸の奥を掴まれたように感じた。
息をするのも忘れるほどの衝撃。
“ただ音楽を聴いただけ”のはずなのに、心の奥深くに火が灯るような感覚。
鼓動が早まり、手が震えた。
隣の琴音が、ふっと笑った。
その笑顔は普段よりも柔らかく、何かを思い出しているようにも見えた。
「……やっぱり、片桐部長すごいね。」
小さな声で呟いたその一言に、僕は頷くしかできなかった。
すごい、という言葉では足りない。
けれど他にどんな言葉を選んでも、この気持ちは伝わらない気がした。
星川さんは拍手をしながら、目元を少し潤ませていた。
「なんか、泣きそう……」
そう言って笑う彼女の横顔は、光を浴びて少し眩しかった。そういえば休憩のときに映画とか見たらすぐに泣いてしまうくらい涙脆いと言ってたなと思い出した。
普段は静かな彼女の表情が、今はまるで別人のように輝いて見えた。
ステージの上で、メンバーたちは軽くお辞儀をして機材を片づけ始める。
アンプのスイッチが切られ、コードがまとめられ、最後に片桐部長がギターを外す。
その一連の動作までもが、ひとつの“物語の終わり”のようだった。
僕は息を吐くように呟いた。
「……終わっちゃったんだな」
その声は誰に向けたものでもなく、ただ心の底から零れた。
琴音がそっと隣を向く。
「でも、きっとここから始まるんだよ」
その言葉に、心の中で僕も頷いた。僕もみんなを虜にさせる演奏をしてみたいと感じた。
彼女の瞳はまっすぐで、どこか遠くを見ているようだった。
音楽を聴いていたというより、“何かを見つけた”ような顔をしていた。
観客たちが少しずつ席を立ち始める。
ステージの上では、片桐部長が顧問らしき先生に軽く頭を下げ、笑顔を向けていた。
三浦先輩はスティックをポケットにしまい、桜井先輩と何かを話している。
小川先輩が笑いながら手を振り、キーボードの電源を落とした。
その姿を見ながら、僕は心の中で呟く。
――いつか、自分もあの場所に。
体育館を出ると、外の風が少し冷たかった。
夕方の光が差し込み、桜の花びらがまだゆっくりと舞っている。
空は少し茜色に染まり、遠くで鳥の声が響いた。
人のざわめきが遠のく中で、僕は小さく息を吸い込んだ。
心の奥には、さっきの音がまだ鳴っている。
ギターの響き、ドラムの鼓動、ベースの震え。
それが全部、胸の奥で混ざり合い、形にならない熱として残っていた。
琴音が小さく口を開く。
「ねえ、蓮。私たちも……みんなを虜にさせる演奏やってみない?」
その声は、春の風のように静かで、でも確かに暖かかった。僕も同じことを考えてたのでゆっくりと頷いた。
「――うん。そしてこの演奏よりも何倍も凄い演奏を作り上げよう。」
「私も……やりたい」星川さんが小さくつぶやいたその声を僕は聞き逃さなかった。
吹き抜ける風が桜の花びらを舞い上げる。
それはまるで、これから始まる何かを祝福するように、空高くへと昇っていった。
その瞬間、心の中で何かが確かに動いた。演奏の振動と、熱気と、色と光。全てが入り混じった一瞬が、これからの学校生活の幕開けを象徴しているように感じられた。




